8月5日、名古屋市千種区今池のアート倶楽部[カルチェラタン]で、芸術を巡る物語「ピカソ!いったい何が天才なのか」というテーマで講演。
ピカソといえば、「天才ピカソ」と言うくらいあたりまえになっている。
2年前、愛知県美術館で開催された展覧会名の「ピカソ、天才の秘密」というように天才を前提としたものだ。
果たしてピカソは本当に天才なのか。天才としたら何が天才なのか。その理由は何か。
私は、「ピカソは天才ではない」という仮説で考えてみた。
理由は、天才が併せ持つ狂気は全く見当たらず、何の努力もなしにフッと名作が生まれるといった状況では決してないからである。
画風が何度も変化してきたことは、ピカソの追求の苦悩の形と言える。
代表作のゲルニカは誰もが認める名作であるが、その膨大な習作の中身は天才の姿ではない。
代名詞となるキュビスムに至ってもブラックとの共同研究である。
うまくいかないから何枚も何枚も描く。
8歳で描いたデッサンは超人的なものだが、ピカソはそこに満たされたわけではなく、そこを評価されることはむしろ拒否すべき点であったろうと考えられる。
飽くなき追求の結果として、14万点を超えるピカソ作品は、天才を裏付けるものではない実証物件。
しかし、「天才ピカソ」はピカソ自身が求めたものであり、世界一多作で、総額世界一高額で、世界一有名なピカソは誰もが天才と認めた。
そしてピカソは天才ではなく、「ピカソは天才になった」と思う。