『海峡の霧』辻邦生(新潮社、2001年)
辻邦生のエッセイ集。辻は小説家であり、フランス文学者である。本著は主に文学について書かれたものではあるが、その文学は必ず芸術(美術)と置き換えて読むことができる。それは著者の計り知れない教養の力量であるが、それを見せつけるものではない。マチス、プッサン、コクトーらがあたりまえのように登場する。
著者が同時代の他の小説家と極めて異なる持論がある。引用する。「私が文学に関心を持ちはじめた頃、文壇には三つの原則のようなものがあった。一つは〈病気〉すること、二つは〈貧乏〉で苦しむこと、三つは〈女〉で苦労すること、である。これは芸術家が俗世間と対立し、批判的な機能を果たしたロマン主義の名残りの生き方であったことは明らかだが、当時は、まだ神聖な三原則として尊敬され、その一つをも反せば、芸術に無縁の人間と軽蔑されたものであった。私ははじめから三つとも大嫌いであった。」痛快である。文中の三つは今で言えばクサい。そこが辻文学の洗練を作り上げているのであろうと思う。ちなみに辻は決して経済的に恵まれた状況にあったわけではなく、佐保子夫人ともども貧しい日々を長く共にしている。
また文学を志した頃、戦中であったが、「ピアニストは、戦中であろうがなかろうが、一日5-6時間もピアノを弾く、弾かなければ音楽家であり続けることはありえない。そういう当たり前を、当然文学者もなければならない。」と毎日数時間もの文章書きを自らに課し続けた。「当時、私が書いていたのは、一種の日記で、決めたノートに、その日のうちの出来事、考えたこと、読後感、映画の印象など何でも書いてゆく。」
芸術もまた当たり前のことである。芸術に必要と十分条件というものがあるとするならば、それらは必要条件であり、著者はそこを獲得することをあたりまえとしたのである。
辻文学に浸っていると快いリズムがあって、躍動がある。元気が出てくる、幸せな時を過ごすことができる。
文学とは何か、美とは何か、芸術とは何か、生きるとは何かを問うエッセイである。










