『日々の絶筆 井上有一全文集』井上有一 編者海上雅臣(芸術新聞社、1989年)
書家井上有一の作品をよく知っていた。大いに気になる書であり、私なりに理解をしていた。こういう書が生まれるのは、天才の為せる技ではないか。篠田桃紅をはじめアートの世界で書家が評価を受けるのは、書本来のあり方を蔑んで、どこかアートに媚びたところがあるが、井上有一の書は、全くそういうものとは異なった堂々と正面切って強い書の力を見せつけてくる。
井上有一を大きく評価した人たちに1970年代のグラフィックデザイン界がある。当時私は20代で、グラフィックデザイナーとして貪欲で熱い若者だった。それまで学んだグラフィックデザインの方法、例えばレタリングなどとは全く真反対の造形が、ドーンと登場した。根気よくちまちまとした礼儀正しいレタリングを教科書にしている者にとって、思いっきり殴打される思いだった。書というものもやはり礼儀正しく美しいものと考えていた。
本著は、装丁浅葉克己、帯コピー糸井重里、肖像操上和美、グラフィックデザイン界のトップが手掛けている。編者海上雅臣は、美術評論家であるがいわゆる美術史や美術市場に偏った体制視点とは大きく異にしている骨太い評論家である。本文を読めば井上有一の剥き出しな人間が露出されるのは、編者海上の力に負うところが大きいと思われる。
私の「天才の為せる技」的視点は間違っており、そこには這いつくばって、貧しく、ただただ負けず嫌いの井上有一がいた。そして天才が持ち得ないけんめいな努力と優れた判断力を持ち合わせていた。そして、華々しい書家としての活躍とは別に、家族を守り校長まで勤め上げる小中学校の超熱血先生がいた。