12. 5月 2026 · May 11 , 2026* Art Book for Stay Home / no.185 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本美の再発見(増補改訳版)』ブルーノ・タウト、篠田英雄訳(岩波新書、1962年(初版1939年))

「日本美の再発見」はブルーノ・タウトが再発見したということであるが、「日本人よ、お前たちもこんな素晴らしい日本美をきちんと認識しろよ」と言っているような本著である。

タウトは、ドイツの建築家であり、1933年にナチスを逃れて日本に3年半滞在、その間精力的に日本の各所を巡り、桂離宮、伊勢神宮、飛騨白川の合掌造り、秋田の民家の素晴らしさ、魅力を絶賛した。とくに桂離宮において「これぞ日本の誇るべき美、精神」とした。一方で、日光廟(日光東照宮と東照宮と大猷院)を日本の恥ずべき建築として徹底的にけなしている。私利私欲のない外国人の著作であるがゆえに、この賛否は強い説得力をもって読者に訴える。

日本美術史における「侘び寂び」の価値観は、タウトによって決定的なものになったのではないか。1926年に東京帝室博物館(東京国立博物館)で、伊藤若冲の『動植綵絵』30点が展示され、若冲への関心が高まりつつあった。しかし、その「反・侘び寂び」的作品への関心は削がれることとなったのではないか。

美術史は、美術があってこそ存在するが、美術もまた美術史によって存在を確認される。「日本美の再発見」は、桂離宮などそれまでの美術史を塗り変える名著であるが、諸刃の剣でもあることを読者は心得なければならない。

 

23. 4月 2026 · April 23 , 2026* Art Book for Stay Home / no.184 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『鏡・空間・イマージュ』宮川淳(美術出版社、1967年)

1967年の出版といえばもう半世紀以上も前である。そのころ美術出版社は『美術手帖』の売上を伸ばし、本著のシリーズ『美術選書』も次々出版される人気であった。いわゆる前衛美術が血気盛んな頃である。

本著を学生時代に読んだ。本屋で手に取った段階で「難しそうやなぁ」という印象を持ちながら、当時の私にとって創作の突破口になるのではないかという思いで買ったことを憶えている。『鏡・空間・イマージュ」はいかにも魅力的な著名である。一見具象的でありながらも抽象的である。そもそも鏡という実態は単なる物体であるが、美術において単にものを映す道具ではない。空間はどのような空間を指すのか、小さな名刺にさえ活きる空間から、インテリア空間、都市空間、はては宇宙空間まで、更には人間空間といったものまで、果たしてそれは具象的なものなのか。イマージュ(イメージではないがイメージを含んでいる)、創作には極めて必要なものであるが、必ずしも対象物がイマージュを持たなければならないものではない。といった3つのキーワードである。
著者は本著をエッセイという認識を持っており、評論という位置づけではない。したがって内容はテーマを自由に飛び交い、読者を惑わし楽しませる。巻末に本文で取り上げられた美術作品が十数点モノクロームで紹介されているが、文学にも精通している著者は、本著でかなりの内容量で文学を取り上げている。
読み返してみると、半世紀前に読んで側線を引いたところが今も再度引きたくなる。つまり成長していない自分がいる。例えば「サルトルがいうように『距離をつくり出したのは人間であり、距離というものが意味を持つのは人間的空間においてのみ』」そのとおりだが、それを今も自分の創作に活かせない以上、私の成長はないのである。

03. 4月 2026 · April 3, 2026* Art Book for Stay Home / no.183 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『洲之内徹 絵のある一生』洲之内徹、関川夏央、丹尾安典、大倉宏ほか(新潮社、2007年)

美術ファンには、洲之内徹は馴染みの人も多いと思われるが、その特異な履歴は洲之内の魅力を裏付けるものでもあるので、少し詳しく紹介する。
1913年愛媛県松山生まれ、17歳まで松山で過ごし、東京美術学校(現東京芸大)建築科に入学、在学中にプロレタリア運動に参加、1932年に検挙され、学校は退校処分となって帰郷。松山でも運動をつづけ、1933年、徴兵検査後に検挙・収監されたが、後に「転向」して釈放された。その後1938年に軍の宣撫班員となって中国大陸へ渡り、対共工作と情報収集に携わった。そして終戦を迎え、1946年春に帰国した。戦後、松山に引き揚げて古本屋を開業。その傍ら小説を書き始め、横光利一賞候補となる。1952年上京、妻と3人の息子を抱えつつ無収入で小説を執筆し、一家離散。芥川賞候補にもなるが逸す。中国時代の友人田村泰次郎が1959年に開いた「現代画廊」に入社し、1961年に田村が手を引いた後は同画廊の経営を引き継いだ。
一方で、1973年に美術エッセイ集「絵の中の散歩」を新潮社から刊行、1974年から『芸術新潮』に美術エッセイ「気まぐれ美術館」の連載を始めた。この「私小説的美術評論」の連載は好評で、小林秀雄、青山二郎らから激賞された。「気まぐれ美術館」は休載なく足掛け14年、165回続いたが、1987年10月に洲之内が倒れ、意識不明のまま月末に亡くなったため、突然の終わりを告げた。(ウィキペディア参照)

長い紹介になったが、私はこういう多様なそれでいてそのどれにものめり込むような人が好きである。建築家、運動家、小説家、画商、どれもが人生であり得たであろうし、美術評論だけの人生を目指したわけではないだろう。内なる多様な才覚と鋭い視点、堅気を生きることのできない性分。
洲之内の書こうとしたものは決して美術評論ではなく、それであるがゆえにどの美術評論よりも魅力的なものと評されたのだろう。美術評論は端から美術評論を書くための基礎理論があり、絶対的美術史が横たわる。そこには客観的な思考が求められ、論文という型に蹂躙されていく。圧倒的なアカデミズムから自由でいることは極めて困難である。美術の真の魅力は、そのようなところにはない。洲之内が関わった多くの絵画や彫刻が、多くの美術好きに共感を得たのは「この絵はいい、好きだ」という絶対的個人嗜好が普遍を持ち合わせていたことによる。それは洲之内の多様でのめり込む人生があってのことである。
私もまた、美術史や美術論をまともに勉強したことはない。学生時代教育学部に身をおいていたので、美術史を1単位取得はしたが、講義をほとんど居眠りで過ごした。おかげでそのアカデミズムからは自由なままであるが、膨大な数の美術作品を観て、生きる力を受けてきた。その力を伝えたくて、こうしてブログを書き、講演会を続けている。

17. 3月 2026 · March 17, 2026* Art Book for Stay Home / no.182 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『沈思彷徨』藤原新也(筑摩書房、1996年)

著者藤原新也の肩書は、作家、随筆家、写真家である。その通りであるが、一般的には写真家としてのイメージが強いのではないか。なぜなら2008年に出版した『メメント・モリ』が20万部を超える大ヒットなった。『メメント・モリ』は写真集に言葉が添えられたもので、言葉にも力強いものがあるが、やはり写真の魅力に負うところが大きい。また著者が東京藝術大学油絵科を中退という最終学歴が写真家としてのイメージを強くするのかも知れないが、本著434ページには1点の写真も掲載されてはいない。1969年から1996年にいたる27年間の「語り」を一冊にまとめたものである。「語り」とは、インタビュー、対談、講演である。著者が東京藝術大学を中退しインドを主にアジア各地を放浪、その後アメリカ、アフリカなどを放浪、27年の殆どを海外での放浪で暮らしたことが本著の核となっている。日本を離れて日本がよく分かるという一般的な感覚、それは私にも多くあったが、著者の思考とは根本的に異なる。例えばインドには10数年放浪している。そこは外国ではなく、住む国、生きる国、死んでいく国としてある。町には死体がどうということなしに転がっている。野良犬がそれを喰っている、やがて腐敗し、土になっていく、そのような側で野宿し、飯を喰う。日本とはなにかではなく、生きるとはなにか。日本は、先進の都市はヤバいのではないか。美しく死を弔い、遠ざける。死を想い、死を目の当たりにすることを遠ざけて果たして生きているのだろうか。

日本に戻った著者は、そんな日本人の希薄な生き方を書き綴っている。読めば魂にグサグサと突き刺さって、背筋が伸びる。人類はそう長くなく滅びるであろうことを素直に受け止める。ではどうすればよいのか、著者は「言葉の力」を、ひたすら信じて、執筆をつづけている。

25. 2月 2026 · February 25, 2026* Art Book for Stay Home / no.181 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『華やぐ男たちのために―性とモードの世紀末』山田登世子(ポーラ文化研究所、1990年)

美術史の視点を踏まえ、ファッション(モード)のことを語らせればこの人の右に出る者はいない、と私は思っている。その大きな根拠は、根っからのファッション好きである。本著は学術書としてあるが、ファッションは、装いであり、おしゃれであり、自己アピールであり、遊びである。著者のファッション好きは、躍動する歓びがその文章に表れている。
著名は、2つのテーマが交錯しており、「華やぐ男たちのために」では具体的な事象を取り上げて、20世紀末のファッションシーンを鋭く評論。別な味方をすれば、失礼ながらはしゃいでいるとも見て取れる。当然のことながらファッション用語が飛び交い、英語、フランス語、イタリア語があふれる。そのような中で日本語の「ナウさ」が頻繁に登場し、20世紀末のファッションを象徴している。
一方で「性とモードの世紀末」では、視野を大きく客観的に持ち、モード論を展開している。ファッションが女性のために生み出され、語られ、遊ばれ、消費されていくことは多くの認識であるが、著名に刻まれた「男たち」は敢えて著者が論じたかった大きなテーマであっただろうと思われる。ジェンダーの問題は、ファッションこそ越えなければならない問題であるが、21世紀にも四半世紀が過ぎていまだその問題を積み残したままである。ただし踏み越えることができたのは女性であって、踏み越えることに臆病だったのは男性の方であると、1990年の段階で指摘している。
移ろいやすい衣装、であるがゆえのファッションは、アカデミズムの中で極めて論じにくく、美の記録者である美術館も恐る恐るのままである。存命中の三宅一生や川久保玲の場合はともかく、過去のファッションを考察した展覧会などは、あまりに共感は乏しく、寂しい。本著出版から35年が過ぎて再読して、著者の力量に圧倒された。

06. 2月 2026 · February 6, 2026* Art Book for Stay Home / no.180 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『海峡の霧』辻邦生(新潮社、2001年)

辻邦生のエッセイ集。辻は小説家であり、フランス文学者である。本著は主に文学について書かれたものではあるが、その文学は必ず芸術(美術)と置き換えて読むことができる。それは著者の計り知れない教養の力量であるが、それを見せつけるものではない。マチス、プッサン、コクトーらがあたりまえのように登場する。

著者が同時代の他の小説家と極めて異なる持論がある。引用する。「私が文学に関心を持ちはじめた頃、文壇には三つの原則のようなものがあった。一つは〈病気〉すること、二つは〈貧乏〉で苦しむこと、三つは〈女〉で苦労すること、である。これは芸術家が俗世間と対立し、批判的な機能を果たしたロマン主義の名残りの生き方であったことは明らかだが、当時は、まだ神聖な三原則として尊敬され、その一つをも反せば、芸術に無縁の人間と軽蔑されたものであった。私ははじめから三つとも大嫌いであった。」痛快である。文中の三つは今で言えばクサい。そこが辻文学の洗練を作り上げているのであろうと思う。ちなみに辻は決して経済的に恵まれた状況にあったわけではなく、佐保子夫人ともども貧しい日々を長く共にしている。

また文学を志した頃、戦中であったが、「ピアニストは、戦中であろうがなかろうが、一日5-6時間もピアノを弾く、弾かなければ音楽家であり続けることはありえない。そういう当たり前を、当然文学者もなければならない。」と毎日数時間もの文章書きを自らに課し続けた。「当時、私が書いていたのは、一種の日記で、決めたノートに、その日のうちの出来事、考えたこと、読後感、映画の印象など何でも書いてゆく。」

芸術もまた当たり前のことである。芸術に必要と十分条件というものがあるとするならば、それらは必要条件であり、著者はそこを獲得することをあたりまえとしたのである。

辻文学に浸っていると快いリズムがあって、躍動がある。元気が出てくる、幸せな時を過ごすことができる。

文学とは何か、美とは何か、芸術とは何か、生きるとは何かを問うエッセイである。

20. 1月 2026 · January 20, 2026* Art Book for Stay Home / no.179 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『鳥たちの横切る空 辻邦生短篇選集 Ombre』辻邦生著、堀江敏幸編(中央公論新社、2025年)

美術館で開催中の『辻邦生と佐保子』展に因んで、辻邦生著の紹介、3冊目。本著は『辻邦生全集』(新潮社、2004〜2006年)を底本、『辻邦生全短篇』(中央公論新社、1986年)他を適宜参照として、編集されている。当然のことながら編者堀江敏幸は、その膨大な著書(小説、論文、随筆など著作のみで300冊を超え、その他に訳書、共著など)を全貌し、200冊を超える短編より、珠玉の6作を選んだであろうことが、読み終えると実感する。

私のように、辻邦生の著作を僅かしか読んでない者にとって、本著は辻邦生の小説世界を知る上で、誠に好ましいものであった。

その一作『洪水の終り』。中部フランスのある大学で行われる西洋中世関係の夏期講座に参加するために集まった主人公日本人の私、ポーランド、イタリア、ドイツほかの国籍も年齢も異なる聴講生たちが繰り広げるひと夏の出来事。ポーランド人の少女テレーズが、第二次世界大戦中にドイツ人から受けた残虐な仕打ちによって深く刻まれた苦悩が、やがて悲劇を起こす。

他の5作もこのように舞台は、ヨーロッパ、アフリカ、アジアといった大きなスケールであり、時代も近現代という中で、リアリティのあるバックボーンで私的なストーリーが展開される。私的ではあるが故に読者は惹き込まれ、設定は戦争、革命、飢餓、不毛を捉えるに充分な構成がなされている。

短編においても揺るぎない「幸福とは何か」。それはつまり、辻自身の生き方であったのだろうと思われる。

06. 1月 2026 · January 6, 2026* Art Book for Stay Home / no.178 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『小説を書くということ』辻邦生(中央公論新社、2025年)

美術館で開催中の「辻邦生と佐保子」展に因んで、辻邦生著の紹介、2冊目。本著は、著名通りに作家志望者に向けた講座「言葉の箱」、主に創作講義であるが、小説を書くことを全く考えていない私が読んでも大変おもしろい。むしろ小説を書く人に向けてという方法論を述べながら、実は小説を読む人のために辻邦生という作家の立場から書いたものではないかと思う。

文中の引用であるが、小説という芸術は「自分が不幸な生まれであるとか、病弱であるとか、お金がないといったことをほとんど乗り越えられる。なぜかといえば、そういうものが気にならなくなる。プルーストの言葉ですが、『あした死ななきゃならないのに、ヴェネツィアにどうしても発ちたいという思いで胸が張り裂けるほどだ』、という気持ちですね。あした死ぬならヴェネツィアなんか見たってしょうがないじゃないかということではないんですね。美のほうが、はるかに与えられた生きている条件を超えて、本質的なものになってしまう。そういう意味を発見していく。そういう歩みが文学をする、小説を書くということの根底にある。」

もちろん本著には、かなり具体的に小説を書くための「考え方」「発想方法」「技術」も論じられている。しかしそういった手段はどうでもよくって、もっととてつもない大きなテーマ「幸福とは何か」を重要なものとして語っている。大げさ過ぎて読者はたじろいでしまうかも知れないが、著者は全く動じることはない。辻文学の魅力はこうした圧倒的な正論が力強く貫かれているところにあるのではないか。no.177で紹介した長編『西行花伝』しかりであるが、短編においても揺るぎない「幸福とは何か」が描かれている。それはつまり、辻自身の生き方であったのだろうと思われる。

14. 12月 2025 · December 13, 2025* Art Book for Stay Home / no.177 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『西行花伝』辻邦生(新潮社、1995年)

美術館では、『辻邦生と辻佐保子』展が始まった。この機会に辻邦生の著作を何点か紹介したいと思う。まずは何と言っても『西行花伝』、私が辻邦生に大いにリスペクトを抱くことになった作品である。小説であるが作品と呼びたくなる著作である。

おおよそ文学に限らず、多様な文化のいたるところで西行は登場してくる。西行とはいったい何者なのか。人名辞典やウィキペディアで説明されているようなことではない。自分の言葉で、西行とはこういう人物であると語れることで、私の中に一人の人間として存在することである。

そんなおり、新聞の書籍紹介で『西行花伝』が紹介されているのを見つけた。著者辻邦生のことはよく知らなかったが、紹介文を読んでこれだと即注文した。

A5版525ページ、ハードケース付きが送られてきた。それは本ではなく、書籍と呼ばれるものだった。心して読み始めた、俳句は嗜むが和歌も決して私の得意な領域ではない。内容はやさしくないが、文章は読みやすく、辻邦生の高い文章力がどんどんページを進めてくれるようだった。次第次第に西行が私の中に立ち上がってくる。

読み終えたとき、西行とはこういう人物であったと確信を持って私の中に存在した。読後の興奮のせいか、西行のように行きたい、死にたいと思った。

西行の歌「願わくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」、著作を読むうち西行に自分が同化し、この歌が自分の声を通して出るようだった。

文学を読む力というものがあって、それを体得していくことが極めて重要だと思うが、辻邦生には文学を読ませる力があるということを知った。

24. 11月 2025 · November 24, 2025* Art Book for Stay Home/no.176 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『北斎漫画、動きの驚異』藤ひさし・田中聡、監修小林忠(河出書房新社、2017年)

図書館の美術コーナー、浮世絵の棚は大きく取られている。中でも北斎に関するものは極めて多い。北斎といえば富嶽三十六景がなんといっても秀作揃いで、画集も集中している。90歳まで生き、なお死ぬまで絵を描き続けた北斎が、生涯で残した作品は3万点以上と言われている。未確認のもの、海外に流出したもの、特に1点ものの肉筆画は今後さらに発見されるかもわからない。生涯旅好き、引っ越し好き、家具をはじめ財産を持たなかった北斎に関する記録は相当曖昧である。

そんな北斎が、生存中、生存後も最も国内外に影響を与えたのは、富嶽三十六景ではなく、北斎漫画である。かの有名な印象派の画家(マネ、モネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン)たちに影響を与えた富嶽三十六景を外すことはできないが、北斎漫画はそれを凌ぐものである。印象派ではないが、あのパウル・クレーは北斎漫画から直接図柄を引用している。

そもそも、ヨーロッパに渡った最初の浮世絵は北斎漫画であるということが、定説である。「1956年、フランスの版画家ブラックモンはパリで、日本製の陶器の包装用パッキングとして使用されていた『北斎漫画』を偶然発見し、そのデッサンに驚愕、これを友人のマネやドガたちに見せて回ったと言われます」と紹介されている。

本文では、北斎漫画の魅力を「歩く」「吹く」「鍛える」「流れる」「泳ぐ」「喫む」「踊る」「弾く」「働く」「疾る」「食う」「磨く」「眩ます」「化す」「描く」「遊ぶ」「翔ぶ」という動きに注目して考察している。北斎漫画は、絵を描くための教科書で印象派の画家たちからは「Hokusai dessin(北斎デッサン)」として絶賛された。狩野派をはじめとする絵師たちは、弟子に対しての手本は指南書として門外不出であったが、二千人三千人の弟子がいたと言われる北斎には、どんどん手引書を出版していったという次第。それが売れに売れた。といった北斎漫画に関するあれこれの知識が満載されている。