『倉俣史朗のデザイン 夢の形見に』川崎和男 (ミネルヴァ書房、2011年)
インテリアデザイナー倉俣史朗は、またプロダクトデザイナーでもあった。三宅一生のISSEY MIYAKE のショップデザイン100店舗以上、ほかバー、レストランなどその多くをあっと言わせる空間で魅了した。正にインテリアデザイナーであるが、椅子をはじめとする家具に倉俣の強い個性と魅力を残している。家具はインテリアデザインとプロダクトデザインの交錯するところにあり、倉俣をインテリアデザイナーに限定すべきではない。
その倉俣のデザインを、日本のプロダクトデザインを牽引する川崎が語る本著は、大いに興味深いものである。ただ倉俣と川崎は極めて僅かしかその出会いはなく、倉俣自身の人間性、人間としての魅力を語る著ではない。倉俣は川崎より15歳上であり、56歳で亡くなった倉俣とは埋められない距離が存在している。
本著に入ろう。倉俣の仕事(自身で作品と呼ばず仕事と呼んだ、いずれにしてもworkであるが)19点を取り上げ20の論考を展開している。博士号(医学)を持つ川崎は、極めて博学であり、デザインに関しても確固たる見識を持っている。倉俣の19の仕事をひとつひとつ丁寧に語っているが、その論調が各項冒頭に他分野著名人の言葉を置くことで始まっている。例えば「1 クビドが放とうとした矢」と題し「われわれに新しい形態を!……号泣が聞こえてくる。」というロシアンアヴァンギャルドの騎手、マヤコフスキーの言葉が置かれる。その言葉の解説、論考から入り、倉俣の仕事『スケルトンのキューピー』に及んでいる。最後に3点のモノクローム写真で仕事が紹介されるといった展開である。1項はまだいい、「2 ワイングラスのインジケーター」は写真がない。何項目も写真がなく、論考だけの展開は、デザインの仕事を抽象化し、読者の思想が暴走する。倉俣論と川崎デザイン論、あるいは川崎哲学が強く語られることになる。もちろん私の理解能力不足によるところも大きいが、読後感はほとんどが川崎哲学であった。