14. 12月 2025 · December 13, 2025* Art Book for Stay Home / no.177 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『西行花伝』辻邦生(新潮社、1995年)

美術館では、『辻邦生と辻佐保子』展が始まった。この機会に辻邦生の著作を何点か紹介したいと思う。まずは何と言っても『西行花伝』、私が辻邦生に大いにリスペクトを抱くことになった作品である。小説であるが作品と呼びたくなる著作である。

おおよそ文学に限らず、多様な文化のいたるところで西行は登場してくる。西行とはいったい何者なのか。人名辞典やウィキペディアで説明されているようなことではない。自分の言葉で、西行とはこういう人物であると語れることで、私の中に一人の人間として存在することである。

そんなおり、新聞の書籍紹介で『西行花伝』が紹介されているのを見つけた。著者辻邦生のことはよく知らなかったが、紹介文を読んでこれだと即注文した。

A5版525ページ、ハードケース付きが送られてきた。それは本ではなく、書籍と呼ばれるものだった。心して読み始めた、俳句は嗜むが和歌も決して私の得意な領域ではない。内容はやさしくないが、文章は読みやすく、辻邦生の高い文章力がどんどんページを進めてくれるようだった。次第次第に西行が私の中に立ち上がってくる。

読み終えたとき、西行とはこういう人物であったと確信を持って私の中に存在した。読後の興奮のせいか、西行のように行きたい、死にたいと思った。

西行の歌「願わくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ」、著作を読むうち西行に自分が同化し、この歌が自分の声を通して出るようだった。

文学を読む力というものがあって、それを体得していくことが極めて重要だと思うが、辻邦生には文学を読ませる力があるということを知った。

24. 11月 2025 · November 24, 2025* Art Book for Stay Home/no.176 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『北斎漫画、動きの驚異』藤ひさし・田中聡、監修小林忠(河出書房新社、2017年)

図書館の美術コーナー、浮世絵の棚は大きく取られている。中でも北斎に関するものは極めて多い。北斎といえば富嶽三十六景がなんといっても秀作揃いで、画集も集中している。90歳まで生き、なお死ぬまで絵を描き続けた北斎が、生涯で残した作品は3万点以上と言われている。未確認のもの、海外に流出したもの、特に1点ものの肉筆画は今後さらに発見されるかもわからない。生涯旅好き、引っ越し好き、家具をはじめ財産を持たなかった北斎に関する記録は相当曖昧である。

そんな北斎が、生存中、生存後も最も国内外に影響を与えたのは、富嶽三十六景ではなく、北斎漫画である。かの有名な印象派の画家(マネ、モネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン)たちに影響を与えた富嶽三十六景を外すことはできないが、北斎漫画はそれを凌ぐものである。印象派ではないが、あのパウル・クレーは北斎漫画から直接図柄を引用している。

そもそも、ヨーロッパに渡った最初の浮世絵は北斎漫画であるということが、定説である。「1956年、フランスの版画家ブラックモンはパリで、日本製の陶器の包装用パッキングとして使用されていた『北斎漫画』を偶然発見し、そのデッサンに驚愕、これを友人のマネやドガたちに見せて回ったと言われます」と紹介されている。

本文では、北斎漫画の魅力を「歩く」「吹く」「鍛える」「流れる」「泳ぐ」「喫む」「踊る」「弾く」「働く」「疾る」「食う」「磨く」「眩ます」「化す」「描く」「遊ぶ」「翔ぶ」という動きに注目して考察している。北斎漫画は、絵を描くための教科書で印象派の画家たちからは「Hokusai dessin(北斎デッサン)」として絶賛された。狩野派をはじめとする絵師たちは、弟子に対しての手本は指南書として門外不出であったが、二千人三千人の弟子がいたと言われる北斎には、どんどん手引書を出版していったという次第。それが売れに売れた。といった北斎漫画に関するあれこれの知識が満載されている。

09. 11月 2025 · November 9, 2025* Art Book for Stay Home / no.175 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ユトリロの生涯』J.P.クレスペル、佐藤昌訳(美術公論社、1979年)

近代美術史において欠かすことのできないモーリス・ユトリロ、日本においても人気の高い画家である。しかし画集やハンディな紹介本はあるものの、日本の評論家・美術史家による著作は残念ながらない。本著はフランスで出版された多くのユトリロに関する著作の中の数少ない日本語訳である。ユトリロに関する全人生をくまなく網羅したまさに「生涯」である。

ユトリロがどのような画家であったかを一言で語るなら「酔っぱらい画家」である。もちろんパリ人にとって酒といえばワインとブランデー、そして安酒アブサント。ユトリロは育児放棄の若い母シュザンヌ・ヴァラドンに代わって祖母マドレーヌに育てられたが、マドレーヌはユトリロの機嫌を取るために8歳よりワインを与えた。以来ユトリロはひたすらワインを呑むアルコール中毒となり、それは精神異常とみなされることも度々あり精神病院の入退院を繰り返した。また泥酔して警察のお世話になることも度々あった。一晩で3リットルも4リットルも飲み干したことが常習化していた。

救いは、絵を描くことであり、酔っ払って絵を描くのではなく、絵を描きその絵でワインを呑むために描くのである。それはユトリロの絵が高額になっても続けられ、高額な絵も一本の安ワインにしかならないことも普通であった。絵を売るというマネージメントの才能は全くなく、販売は主に母ヴァラドンとその夫ユッテルに委ねられた。そして利益は二人の遊興費に当てられた。

因みに、ヴァラドンは私生児であり、その子ユトリロも私生児であった。義理の父ユッテルは、元々ユトリロの画家友だちで2歳年下であった。ヴァラドンの誘惑によって二人は結婚し、ユッテルはユトリロにとって友人から年下の義父となったのである。

様々な混乱と苦悩の中でユトリロは70歳までの人生を画家として全うし、美術史に名を刻んだ。本著は伝記に近いものであるが、ユトリロを知り、その絵を理解する優れた一冊である。

21. 10月 2025 · October 20, 2025* Art Book for Stay Home / no.174 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『NHK 『迷宮美術館』 巨匠の言葉』NHK「迷宮美術館」制作チーム(三笠書房、2009年)

本を買うときも、借りるときも著名にピンときたら、先ずは書棚から取り出して立ち読みする。美術の本は図版の扱い、モノクロは致し方ないにしても画像が小さいとちょっと読む気が失せる。本文文字の小さいのも苦手、横書きは基本拒否するが、それでも読みたいかどうかである。
本著の「巨匠の言葉」はベタすぎて、著名に惹かれた訳ではない。それでもどんな言葉が取り上げられているのか、気になって手に取ってみた。モディリアーニ「天国までついてきてくれないか。そうすれば、あの世でも最高のモデルをもつことができる」。貧困と結核という病を背負って、認められないままの画家生活、最愛の恋人ジャンヌ・エビュテルヌをモデルに何枚もの絵を描いた。私たちが多く知るあのモディリアーニの絵である。モディリアーニの生活は荒れてさらに酒に溺れる日々が増える。ついに病に倒れた。放心状態で傍らに坐るジャンヌに、「天国まで・・・」そしてわずか35歳の人生を閉じた。モディリアーニの死の2日後、ジャンヌはアパートの6階から身を投げ、モディリアーニの後を追った。
「巨匠の言葉」にもいろいろある。成功、達成、歓びの言葉、苦悩、悲哀、不条理への言葉。それがどのように記録され残されたのか、巨匠の生き様から紡ぎ出されるように後日作られたのか。私たちは残された絵画を観るとき、その言葉が心に深く響くものであってほしい。決して言葉だけが感動を生んでくれるものではない。

01. 10月 2025 · October 1, 2025* Art Book for Stay Home / no.173 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日々の絶筆 井上有一全文集』井上有一 編者海上雅臣(芸術新聞社、1989年)

書家井上有一の作品をよく知っていた。大いに気になる書であり、私なりに理解をしていた。こういう書が生まれるのは、天才の為せる技ではないか。篠田桃紅をはじめアートの世界で書家が評価を受けるのは、書本来のあり方を蔑んで、どこかアートに媚びたところがあるが、井上有一の書は、全くそういうものとは異なった堂々と正面切って強い書の力を見せつけてくる。

井上有一を大きく評価した人たちに1970年代のグラフィックデザイン界がある。当時私は20代で、グラフィックデザイナーとして貪欲で熱い若者だった。それまで学んだグラフィックデザインの方法、例えばレタリングなどとは全く真反対の造形が、ドーンと登場した。根気よくちまちまとした礼儀正しいレタリングを教科書にしている者にとって、思いっきり殴打される思いだった。書というものもやはり礼儀正しく美しいものと考えていた。

本著は、装丁浅葉克己、帯コピー糸井重里、肖像操上和美、グラフィックデザイン界のトップが手掛けている。編者海上雅臣は、美術評論家であるがいわゆる美術史や美術市場に偏った体制視点とは大きく異にしている骨太い評論家である。本文を読めば井上有一の剥き出しな人間が露出されるのは、編者海上の力に負うところが大きいと思われる。

私の「天才の為せる技」的視点は間違っており、そこには這いつくばって、貧しく、ただただ負けず嫌いの井上有一がいた。そして天才が持ち得ないけんめいな努力と優れた判断力を持ち合わせていた。そして、華々しい書家としての活躍とは別に、家族を守り校長まで勤め上げる小中学校の超熱血先生がいた。

15. 9月 2025 · September 15, 2025* Art Book for Stay Home / no.172 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『アメリカを変えた日本人 国吉康雄、イサム・ノグチ、オノ・ヨーコ』久我なつみ(朝日新聞出版、2011年)

3人のアーティストの名前が並び、その3人の形容が「アメリカを変えた日本人」という大胆なものになっている。美術に関心の高い人なら、この書名に異論はないだろう。私も同感である。ただしこの3人はまるで作品も活動も異なるので、それぞれ興味深く書かれ羅列されているのであろうと想像した。第1章国吉康雄、第2章イサム・ノグチ、第3章オノ・ヨーコ、そして第4章として俯瞰した論考が示される。
ところが内容は予想をかなり外していた。裏表紙に内容紹介で示されているが、
「太平洋戦争勃発前にアメリカに渡り、戦禍にまきこまれた3人のアーティストがいた」というストーリーなのだ。第1章から第8章、そして終章という構成の中で、国吉康雄、イサム・ノグチ、オノ・ヨーコの順でそれぞれの人生と作家活動が紹介されていく中で、他の2人が有機的に登場する。そのキーワードは戦禍であり、異国で活躍することの困惑、厳しさである。第7章から第8章にかけて著者は、カリフォルニア州、シエラネバダという山脈の麓にある日系アメリカ人強制収容所を訪れる。3人のアーティストから離れるようであって、核ともなる施設である。著者が最も書きたかったのはこの強制収容所ではないかという気さえする。
終章は、著者がサンフランシスコ近代美術館で開催されているオノ・ヨーコの「イエス展」を訪問し、レポートする。「イエス展」を紹介しながら、異国でその国の文化に大きな影響を与えるということのとてつもない3人の苦悩とエネルギーに言及している。私たち多くの日本人にとって、国籍というものが生涯に渡って人生に大きく影響することは先ずないが、異国で、世界で活躍するということは国籍の問題抜きにはありえないのである。

24. 8月 2025 · August 24 , 2025* Art Book for Stay Home / no.171 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『愛知洋画檀物語 PART Ⅲ―戦後現代美術』中山真一(風媒社、2025年)

著名からも伺えるように、愛知洋画檀物語シリーズ3冊目である。過去2冊(PART Ⅱは本ブログno.100で紹介)は、著名通り洋画檀であったが、本著は特に「戦後現代美術」についてとこだわっている。現代美術の定義は極めて難しいが、少なくとも既成の活動組織(画壇)にカウンターパワーをもつもの、あるいはその精神性を持つもの、また画壇とは異なる孤として創作に打ち込むものであろう。

さて本論、主に1945年生まれまでの愛知ゆかりの現代美術作家37名が取り上げられている。既に鬼籍となられた方も多い。1950年生まれの私は、1872年から名古屋に越して来て以降53年を経た。年間300から400の展覧会を観るために画廊や美術館を歩いた成果か、全員の名前と作品が一致し、半数の方と親しくさせていただく機会を得た。というわけで、本著を大変興味深く読むことができた。37名から特に愛知を舞台に活躍された作家を何人か上げておこう。

久野真、浅野弥衛、吉川家永、水谷勇夫、野水信、星野眞吾、中村正義、庄司達、国島征二、石黒鏘二、岩田信市、加藤大博、稲葉桂、森眞吾、近藤文雄、山田彊一、鯉江良二、久野利博、山村國晶、森岡完介、吉岡弘昭、小島久弥。私の個人的感覚では、「愛知の」という捉え方の重要な点は、一に作品、二に活躍である。本著でも取り上げられている荒川修作や赤瀬川原平、河原温らはもちろん優れた作家であるが、愛知の美術にどう関わったか、水谷勇夫、岩田信市、庄司達、山田彊一、久野利博、森岡完介らと比べてみれば明らかであり、論ずるまでもない。

公立美術館での個展開催や収蔵が、その作品に比べて全く追いついていないことを著者は何度も本著で指摘をしている。私もそのことに同感ではあるが、公立美術館の末端で館長という職にあるものからすれば、一美術館の問題ではなく、各自治体の問題であり、その住民意識の問題でもある。もちろんそういう見解は問題を曖昧にしてしまうことに違いなく、あくまで美術館の問題としなければならならないことも承知の上である。認識を共有とするなら、各美術館の収蔵費用を世界中でオープンにしてみればよいだろう。そして各自治体の総予算と比べてみれば、文化意識というものが明らかになるだろう。

本著では、先にも述べたように37名の作家が取り上げられている。一人2・3ページから数ページであるが、水谷勇夫、庄司達、山田彊一、森岡完介、吉岡弘昭については20ページほど割いて述べられている。活躍の幅、著者の関心、著者が社長を務める名古屋画廊との関わり、作家個人との交友歴などが要因として考えられる。徹底した客観性よりは、著者の主観が露呈するほうが圧倒的におもしろいが、本著はその両視点を踏ん張って書かれている。

15. 8月 2025 · August 15, 2025* Art Book for Stay Home / no.170 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ビアズリーと世紀末』河村錠一郎(青土社、1980年)

著書『ビアズリーと世紀末』は、世紀末ヨーロッパで活躍したビアズリーのことが書かれていると、割にそっけない著書名で気軽に読み始めた。本論は第1部がビアズリー論で、さすがビアズリーについての研究第一人者であると、感想を持ちながら興味深く読み込む。ところが第2部に入ると、ビアズリーの視野を大きく広げて、なお離れて、世紀末の芸術と思想と社会が75ページに渡って書かれている。ビアズリーの名前はほとんど出ることなく、ビクトリア王朝から始まり、美術から文学へ展開される。シェイクスピア、ボードレール、バルザックと西洋文学に弱い私は、文字を追うのが苦痛になってくる。それでもなんとか第2部を終えた。ここまで来て、著者河村錠一郎とはどういう人なのか気になった、本著には紹介されていない。ウィキペデイアでは「日本の英文学者、比較芸術学者、翻訳家。一橋大学名誉教授、専門はイギリス美術史、特にラファエル前派」とある。著書には本著をはじめ文学、美術、さらには音楽『ワーグナーと世紀末の画家たち』というのがある。第2部に夏目漱石、三島由紀夫が出てくる訳である。

さて第3部、一気にビアズリーに関する著者の思い入れが述べられる。第2部で書かれた世紀末芸術、思想、社会がその裏付けとして力を持つ。ビアズリーの代表作『サロメ』について語られる。『サロメの系譜』と題されて、マニエリスムから始まり、ルネッサンスに戻り、ラファエロ前派へ。さらにギュスターブ・モローを徹底分解する。モローの『サロメ』がビアズリーの『サロメ』にとっての大きな魁となっていることは、誰もが気づくところであるが、それは単なる模倣ではなく、模倣からあらたな発想へと向かうビアズリーの創造力と指摘している。そして帰結していくのは、ウィーン分離派、クリムトである。クリムトはビアズリーの模倣ではなく、世紀末の感性、耽美主義の大きな展開へと進化させた。

世紀末文学の読み込みは力不足であったが、重厚なビアズリー論を手にした。

18. 7月 2025 · July 17, 2025* Art Book for Stay Home / no.169 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『セザンヌと『知られざる傑作』 近代絵画の誕生と究極美の探求』佐野栄一(三元社、2024年)

『知られざる傑作』とは、フランスの文豪バルザックの小説で、老画家フレノフェールを主人公に貧しい青年画家プッサンと富裕な宮廷画家ポルビュスの3人の画家が登場する。フレノフェールは天才的技量と深い芸術観を持った画家で、大変裕福であり、生活のために絵を描く必要がなかった。フレノフェールはひたすら自らの芸術的欲望のみにしたがって絵画に没頭し、優れた作品の実現以外に何の野心も持たなかった。

このフレノフェールの境遇、才覚がまるでセザンヌをモデルにしたかの小説で、それが本著のタイトルとなっている。本論はセザンヌによる「近代絵画の誕生と究極の美」についてである。時代的には『知られざる傑作』書かれた後、セザンヌの活躍は50年後である。セザンヌをモデルにしたわけではなく、ドラクロワの芸術論を仲介したゴーティエ、つまりフレノフェール=ゴーティエという構図である。興味深いのは、セザンヌが『知られざる傑作』を熟読しており、洗脳的に主人公フレノフェールを生きたということが考えられることである。

本論は『知られざる傑作』をきっかけとし、近代絵画の誕生をセザンヌの生き方を通して語る。著者佐野栄一は、フランス文学が専門で、バルザックの研究者である。近代絵画との出会いは、青年時代にパリで極貧生活を過ごし、やはり極貧生活の青年画家たちとの暮らしから目覚めている。絵画を絵画で考えることは、近代絵画以前のアカデミー絵画をアカデミー絵画で考えることになり、そこには抜け出せない旧態然とした権威、社会が横たわることになる。絵画を文学で考えることこそ、近代絵画の誕生に大きな端緒となりえたのではないか。セザンヌに同郷の盟友で小説家、評論家ゾラがいたこと、著者がフランス文学の研究者であることが、本著の魅力を興味深くしている。

08. 7月 2025 · July 6, 2025* Art Book for Stay Home / no.168 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『村山槐多のトアール 円人村山槐多改補』佐々木央(丸善プラネット、2021年)

トアールとはフランス語で画布(カンバスの生まれる前のもの)のことである。ここでの意味は具体的なトアールを指しているわけではない。『村山槐多全集』に収録されている槐多の詩「貴下よ/ぐんぐん描いて呉れ/われらの腐りかゝつた頭を/君のトアールでどやしつけて呉れ/俺は俺は/必ず貴下を躍り越して見せる」から引用されている。著者が「君のトアールでどやしつけて呉れ」の一行が記憶の隅に残っていたことによる。槐多がカンバスではなく、トアールを使ったのは、もちろん詩人としての言葉のセンスによるところが大きいが、著者が槐多にふさわしいバックボーンとして選んだと思われる。

著者がことさらにこだわったのは「円人(えんにん)村山槐多」であって、高村光太郎の槐多に捧げた詩の中の「火だるま槐多」に対してのものである。槐多の代表作『尿(いばり)する裸僧』からの強いイメージは「火だるま槐多」であるが、著者は槐多の目指したところは内なる魂を露出させたアニマリズム(槐多の造語で野生派)ではなく、円人であるというところによっている。

円人とは、源信の『往生要集』に出てくる言葉で、「円満完全な[教えを奉ずる]ひと=完全なるひと」のことである。槐多は『戦争と平和』を読破して、「この広い全舞台を通じて僕の理想とするような「円人」は一人も居ない」と日記に記述している。そこから槐多の目指す円人に大きくこだわって本著名が付けられている。

本文は、槐多の絵画や詩、日記から徹底した槐多分析を行っており、先の『往生要集』を始めプラトン全集ニーチェやソクラテス、更には古事記、日本書紀を読破しての槐多全人格に迫ろうとしている。