16. 11月 2024 · November 16, 2024* Art Book for Stay Home / no.153 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『いつも今日 私の履歴書』野見山暁治(日本経済新聞社、2005年)

本著は103歳で死去した著者が、84歳のときに日本経済新聞に連載した『私の履歴書』に1年かけて書き足し、85歳で出版したものである。
野見山暁治の文は、痛快で読者ファンも多く、著書は26冊、共編著8冊と画家とはとても思えない数である。それは103歳という長寿のキャリアが為せる技でもあるが。
一方で画集・作品集は8冊で、東京芸術大学4年の勤務以外は定職を持たず、ひたすら画家として生きてきた人生には少なすぎる。ただそこにも著者の生き様があって、デッサン、テクニック、画風など絵の小さなこだわりを超えて、本音で描き、自分をなぞらず、生きるために絵を手放し、それらの作品がどこにあるのか、関心をを持たなかったがゆえに、晩年の画集に作品が確認できなかったことにもよる。多くの著名な画家が、子供時代からの作品を大切に残しているのに比べ、これはもう愉快というしかない。
画家の著書というのは、作品があって、その作品の魅力の一端を知る思いで著書を紐解くことが多い。だが野見山暁治に関して言えば、彼の作品を全く知らなくとも著作はおもしろい。本著においても、絵画作品に関しての著述は殆どなく、書かれているのは著者の人生であり、人間であり、生き方考え方である。
読後感としては、「あゝ、この人生があって、あの絵なんだな」と納得する。
戦争体験を含む80年を超える画家人生は、多くの著名画家との出会いが書かれているが、その誰をもほんの数行で人物の魅力を浮かび上がらせる。その観察眼は、そのまま自身の絵画作品の制作眼なのだろう。

28. 10月 2024 · October 28, 2024* Art Book for Stay Home / no.152 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『多木浩二対談集・四人のデザイナーとの対話』多木浩二+篠原一男+杉浦康平+磯崎新+倉俣史朗(新建築社、1975年)

50年前に購入して、オフィスの書棚に眠っていた本を取り出して再読した。「四人のデザイナーとの対話」ということで、篠原と磯崎は建築家であるが、著名にあるように(建築)デザイナーとしての対談である。2人は建築家の中でも、その個性的な造形性からデザイン認識が高いと言える。建築家の中でも特に私の好きなタイプである。杉浦はグラフィックデザイナーであるが、最も理数学的なデザインをする。アジアの図像学研究者としての肩書もある。私は杉浦のデザインに強く影響を受けてタイポグラフィ(文字に関わるデザイン全般)を身に付けた。今でもその精密さを大切にしている。

上記3人は、理論派でデザイン論では秀逸な多木とは、理論合戦の対談となっており、相当疲れる。モノとしてのデザインから離れ過ぎて抽象論になっている。結果私がどれほど理解し得たか、はなはだ疑問である。

一方倉俣は、デザインは非常にシャープであるが、感性の高いクリエイティブで、語りも感覚的である。何が言いたいのかと思ってしまうが、多木の理論分析が倉俣の言葉を明解に提示してくれる。倉俣自身も多木の言葉によって自身のデザインを語るので、対談とはこうあって欲しいというものになっている。

それにしても、デザインというものが一過性の魅力と捉えられがちな中で、4人のデザインの普遍性が半世紀たった今も褪せることがないのは、本著の凄さでもある。

なお篠原、磯崎、倉俣は亡くなっているが、杉浦は93歳の今も現役で活躍している。

09. 10月 2024 · October 7, 2024* Art Book for Stay Home / no.151 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』松本猛(講談社、2017年)

いわさきちひろ(以後ちひろ)の人生をなぞった本は数冊ある。そのうち5冊を読んだ。どれも誠実に愛を込めて書かれているが、その中で最も詳しく気持ちを込めて書かれているのが本書と思う。

著者松本猛は、ちひろの実子である。ちひろの本名は岩崎知弘、男性名「ともひろ」との混乱、童画家に多くあるひらがな名の使用によって「いわさきちひろ」を作家名としている。松本善明と結婚して後の本名は松本知弘、その子というので松本猛である。

ちひろ誕生までは、ちひろの家族、親戚、関係者の聞き取り、ちひろや父善明の日記や手紙などを取材し、極めて客観的に描写している。またちひろの写真やスケッチなども紹介し、実子ゆえの特権を生かしている。

1950年に松本善明と結婚、翌年猛が誕生。次第に著者の記憶のもとに主観が加わっていくが、ちひろの人生を客観的になぞっていく姿勢は失われていない。

著者は長じて、東京藝術大学美術学部芸術学科卒業、いわさきちひろ記念事業団設立準備委員会を発足させ、ちひろの作品を展示する美術館の開館に奔走する。現在、美術・絵本評論家、美術評論家連盟会員、日本ペンクラブ会員。安曇野ちひろ美術館館長、長野県立美術館館長、絵本学会会長と多方面において活躍。評論家、著述家としての能力も高く評価されている。

母ちひろについて、決して身内の甘い評価であってはならない。しかし、ちひろの絵の魅力、功績をできるだけ多くの人に伝えたいという思いは、強く、読むものの心を打つ。ちひろファンのみならず、ちひろの絵を「かわいいから好き」というちょっと関心のある人にもぜひ読んでほしい。こんなにも人生を精一杯生きられるものなのかと。

26. 9月 2024 · September 26, 2024* Art Book for Stay Home / no.150 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『町の景観 消えるデザイン』高北幸矢(ゆいぽおと、2023年)

コロナ禍の2020年4月より始まったアートブックを紹介するシリーズは、4年半を過ぎ、no.150となった。少しだけ記念の意味を含めて拙書の紹介とさせていただく。本著は『季刊C&D』(名古屋CDフォーラム発行)119号(1999年)から156号(2011年)に寄稿したものを再考、追加したものである。

「町の景観」という言葉は、わたしの造語で、1980年頃より使われ始めた行政用語としての「都市景観」が一般的である。都市景観は、道路や建築物などの人工的な構造物と、山や河川、海浜などの自然的な要素から構成され、地域の歴史や文化、市民の暮らしなどが反映される魅力的な風景を指すものである。しかし、国の政策をはじめ大都市自治体(横浜、神戸、名古屋、福岡など)がリードをして推進した結果、それは「美的都市計画」あるいは「都市美」のような概念となっていった。「都市景観」が大都市、中でも中心核地区を示したものではなく、私たちの住む町、地域の景観を考えるものとして捉えたのが「町の景観」である。

私は、景観を研究、デザインするという立場で、国内外470の市町村をフィールドワークして回った。また多くの自治体から景観形成のためのプロジェクトに協力を求められ、実践した経験を元に本著執筆の運びとなった。

「消えるデザイン」のコンセプトは「デザインが目立つもの、華やかのもの」という誤った一般認識を否定すべく、あえて逆説的に定義したものである。特に日本の町におけるデザインは、「目立つもの、華やかのもの」が景観を壊している。日本人の多くが「便利なもの」「派手なもの」「かわいいもの」に振り回されて、町の景観を醜いものにしてしまった。そのような中で「消えるデザイン」は、人々が気づきにくい優れたデザインを取り上げ、解説を行ったものである。外国のものに優れたものが多いが、極力日本の例を取り上げて、「町の景観」を身近なものとして考える気づきとした。

174全ページカラーとし、自らの撮影200点の参考写真を掲載し理解を深めやすいものとしている。

12. 9月 2024 · September 12, 2024* Art Book for Stay Home / no.149 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『一〇〇米の観光——情報デザインの発想法』田名網敬一+稲田雅子(筑摩書房、1996年)

来週、本美術館の館長アートトークで田名網敬一を取り上げる。というので本著を再読した。以前読んだのは発刊当初であるので、30年近く過ぎている。その間に著者の個展は30数回、画集は20冊を超える。しかし、著書は共著のこの一冊のみである。

私は著者と30年ほど交友関係にあり、著作が少ないのは解る気がする。つまり、作品制作が楽しく、忙しく、圧倒的な時間を制作に奪われてきたのだろう。そういう意味でも本著は田名網敬一を知る上で貴重な一冊である。

さて本著は、著者が請われて京都造形芸術大学(現京都芸術大学)教授として指導に当たった際のカリキュラムがベースになっている。それは著者自身の創作のための発想の源であり、「田名網敬一の創作作法」とも読めるものである。発想の源は、少年時代の記憶であり、夢であり、思い出である。互いにコラージュされ再構成されたものが作品として溢れ出す。具体的な手法として、『記憶』を記録、採集する作業を紹介している。毎日決まった時間、決まった場所で、自分の過去と対峙する。個室にこもり、午後8時から12時まで瞑想状態に自分を置き、これまで埋もれていた記憶を掘り出している。その数は5000枚を超えようとしている。これを「記憶をたどる旅」と名づけている。

アーティストにとって、表現技術は学ぶことができ、訓練することはできる。しかし創造に関しては、学ぶことも訓練することもできない。指導者としては、「私はこうして創造している」とその姿を見せるだけである。

現在、国立新美術館で開催中の「田名網敬一 記憶の冒険」では、無数の作品群が展示されている、その物理的制作時間の脅威にさらされるが、むしろ枯れることのない創作の泉に私は打ちのめされてしまった。

なお本著はすべて田名網敬一の「私」の一人称で書き進められており、共著者の姿が見えない。田名網は、稲田とコラボレーションしたと紹介している。著作が面倒な著者は、調査、執筆、構成のすべてを託したと思われる。その上で稲田の存在が感じられないのは、完璧な仕事をこなした証だと思われる。

25. 8月 2024 · August 25, 2024* Art Book for Stay Home / no.148 はコメントを受け付けていません · Categories: 未分類

『エロスの解剖』澁澤龍彦(河出書房新社、1990年)

『エロスの解剖』、なんて魅力的な書名だろう。ことさら画家や彫刻家、文学者にとっては思わず手に取りたくなるテーマである。まして著者が澁澤龍彦である。私は本著を25年ほど前に読んだ、40代という充実の年齢であった。

創造に関わる者にとってエロスは魅力的なテーマである。発想において大きな鍵になるが鑑賞者にとっても間違いなく鍵になる。そして著者はこの魅力的な素材を曖昧にはしない。目次は「女神の帯」「オルガスムス」「性」「コンプレックス」「近親相姦」「愛」「屍体」「サド=マゾ」「ホモ」「乳房」「エロティック図書館」「玩具」の文字が躍る。私はこの本(文庫本)を主に電車の中で読んだ。もちろん書店カバーなど掛けない。本文にも取り上げられている《ガブリエル・デストレと公妃ヴィラール(部分)》のエロティックで美しい表紙を隠すことは、美術に携わる者として許されないことだ。それは一人自室で読むことと同じエロスに惑わされることになるからだ。

さすが澁澤龍彦、美術と文学におけるエロスの解剖が見事である。ちなみに音楽におけるエロスは登場しない。音楽におけるエロスというものは存在しないのか。そうではないだろう。ただ美術と文学(特に詩)においては、圧倒的な解剖材料が多いことによるに違いない。著者がそこに生息しているからとも言えるだろう。

本文を詳しく紹介したいが、そこは意図するところではない。一つだけ、世界各地のエロチック書籍を集めた書庫、図書館の名前が記載されているので紹介したい。「地獄」「秘密」「桃色ケース」「桜んぼの戸棚」「地獄の穴」「デルタ」「宝物庫」「檻」、これが国会図書館や病院などにある、もちろん鍵付きの書庫である。エロスがいかに創造性を刺激するものか、この名前だけでも判るだろう。

12. 8月 2024 · August 12, 2024* Art Book for Stay Home / no.147 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『アメリカ美術と国吉康雄 開拓者の軌跡』山口泰二(日本放送出版協会、2004年)

アメリカにおいて、最も高い評価を受けた日本人画家国吉康雄がなぜ日本でこうも人気がないのか。私自身も国吉の位置づけを低いままにして、本棚の『国吉康雄展』図録をほとんど開くことがなかった。なぜ人気がないのかを知ることのできる書である。

まず時代である。1889年(明治22年)生まれの国吉は、日本で美術を学ぶという環境がまだまだ困難な時代であった。東京藝術大学の前身、東京美術学校が設立されたのが1888年で、岡山で生まれた国吉にそのような機会は無く、アメリカに渡るのは、美術が目的ではなく、輝かしい未来を持つとされるアメリカに夢を持ってのことであった。現実は誠に厳しく、美術の才が認められアメリカのトップの画家として評価されるに至るが、アメリカ美術そのものがまだまだ未熟であり、当時はパリを中心とするヨーロッパが世界の美術の中心であった。さらに国吉はアメリカ国籍を持たない日本移民者であった。

文化の浅いアメリカの層が厚くなっていくのは、ナチスドイツがヨーロッパでユダヤ人を主に迫害を加えていったことが一つのきっかけで、多くの美術家がアメリカに亡命したことによる。そのような中で、日本による真珠湾攻撃から始まった第二次世界戦争は、日本人移民に強く迫害を与えるものであった。アメリカ美術界の代表でもあった国吉は、日本のファシズムに意義を唱え、アメリカこそが民主主義の国であることを訴え続けるのである。日本においての画家たちは、従軍画家となったり、戦意高揚の絵を描き日本の侵略戦争に協力の立場を取っていた、あるいは取らされていた。

国吉のこの行動は、アメリカ人としてのもので、日本においては全く否定されるものであった。画家国吉は、日本美術史の系譜から離れたまま戦後を迎える。やがてアメリカは現代美術を核として世界の美術の中心になっていくが、1953年国吉はアメリカ国籍を得ぬままアメリカで帰らぬ人となった。アメリカにおける国吉の画家としての評価は圧倒的な高さのままであるが、日本においては美術史外に置かれたままであると言えよう。

付け加えるならば、国吉の多くの絵はアメリカの精神、プロパガンダを含む政治的なものであったことは、美術史が様式や手法の新しさに偏重する中で、大変困難な要因であると思われる。

23. 7月 2024 · July 23, 2024* Art Book for Stay Home / no.146 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『感性は感動しない 美術の見方、批評の作法』椹木野衣(世界思想社、2018年)

著者椹木野衣(さわらぎのい)は、美術評論家である。美術評論家が書いた「感性は感動しない 美術の見方、批評の作法」はどう見ても、美術評論に関する本であると思いこんで購入した。では美術評論ではないのかといえばそうとも言い切れない。歯切れが悪いようだが、正確に申し上げると、美術評論家が書いたエッセイ集である。その中には美術に関する評論も含まれている、ということである。タイトルの中では「批評の作法」というのが最も近い。なぜ美術評論家になったのか、美術評論とは何なのか、著者の美術評論に対する基本的な姿勢が示されている。

かと思うと「スマホのつきあい方」「私の育った秩父」「究極の呑み方」「飛行機の座席の選び方」など、どう贔屓目に見てもおよそ美術と関係のない話がいくつも書かれている。椹木野衣のエッセイなのだから、ではつまらない。そこは私が椹木野衣のファンなので、まあ許すことにした(一応、一回り年上なので)。

とても興味深かったのは、音楽の話で、子どもの頃より大学時代まで、音楽に没頭の人生であったこと、そしてその音楽はフォークソング、ロック(バンドを組んでいた)、ジャズ、ロックもジャズも領域を超拡大、行き来するという音楽人間であったこと。そこから美術評論への転身は、転身というよりもそのまま音楽の捉え方を美術に向けていったことである。

美術評論家のアカデミックな経歴は、東大などの文学部美学美術史専攻もしくは芸術大学である。そうしたアカデミズムにはない評論の感性というのが椹木野衣の魅力なのであろう。

10. 7月 2024 · July 10, 2024* Art Book for Stay Home / no.145 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ホックニーの世界』マルコ・リヴィングストン/関根秀一訳(IBCパブリッシング、1990年)

はじめに、本著は大変読みづらい本である。先ず長文横書きというのは多くの人が読みづらいと感じていると思う。私も極めて苦手で、思考がついていかない。日本字というのは、そもそも横組にデザインされていないという論理的な文字組み知識が私を支配している。また内容が現代美術特有の抽象的な言い回しが使われていて、翻訳という言語の壁がそれをさらに複雑にしている。評論なので、ある程度直訳にならざるを得ない、という仕方がないところもある。

さらに本著の読みづらいのは、文字が小さい(10ポイントくらい)こともある。。活字でもコンピュータフォントでもなく、この時代に一般的であった「写真植字」によるもので、その説明は長くなるので省くが、文字原稿を写真プリントで作る。したがって焼きが濃かったり薄かったりするが、本著は全般に薄く、さらに消えそうなものもある。

ちょっと手にとって、「ストレス多そうだから読むのやめようか」と思いつつ、ペラペラ開いてみたら、もうダメ。興味深い内容が随所に書かれていて、ストレスを感じつつも読み終えた。そのくらいおもしろい本である。ホックニーを知りたいと思う人にとっては必読である。

その秘密は、著者のホックニーへの膨大なインタビューによるものだと思う。そして、ホックニーが極めて素直に全てに答えていることだと思う。

こんなにもホックニーって真面目でナイーブなんだと、そして泣けてくるほど優しい人だと。

26. 6月 2024 · June 26, 2024* Art Book for Stay Home / no.144 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『中川一政画文集 独り行く道』中川一政(求龍堂、2011年)

本著表紙の題字「獨行道」は、中川一政の書である。一見、「下手くそな字だなぁ」という感想を持つ人もいるだろう。私もそう思った。中川一政自身も自らそのように認識しており、字を見た多くの人の感想は「尋常小学校三年生の字だなぁ」と言われたそうである。そんな中、ある著名な書家が「この字は凄い、他では書けない字である。気合を入れれば、書家として名をなす」と明言した。中川一政の書は修行して鍛錬を繰り返した上で崩したものではなく、天然なのである。大切なことはそこに「生」があるかどうかということである、と言う。

NHKの日曜美術館で、時々中川一政のインタビューが紹介され、その切れ味と、言いっぱなしのテンポを記憶していたせいか。本著から中川の声が聞こえてくるようである。そう、話し言葉で書かれているということも魅力である。第五章の「九十五歳の日に」は、誕生会に開かれたスピーチを収録したもので、さすがに少しの寂しさを感じさせながらも、気丈なメッセージは「とにかく生きなっくちゃ」とまだまだパワフルでユーモアたっぷりなのである。

本著で首尾一貫として語られているのは、とにかく芸術論である。その芸術論は評論家や大学教授が語るものではなく、画家中川一政が画をはじめとして詩、短歌、エッセイ、書、陶、篆刻の経験を通して体得したもので、中川が常に芸術とは何かを自らに問いかけていたと思わせる。

後になったが、本著は書名にもあるように、画(陶、書を含む)文集である。贅沢にカラーで織り込まれる画は文と小気味良いセッションを繰り広げ、中川フアンにはたまらない魅力的な一冊である。