24. 8月 2025 · August 24 , 2025* Art Book for Stay Home / no.171 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『愛知洋画檀物語 PART Ⅲ―戦後現代美術』中山真一(風媒社、2025年)

著名からも伺えるように、愛知洋画檀物語シリーズ3冊目である。過去2冊(PART Ⅱは本ブログno.100で紹介)は、著名通り洋画檀であったが、本著は特に「戦後現代美術」についてとこだわっている。現代美術の定義は極めて難しいが、少なくとも既成の活動組織(画壇)にカウンターパワーをもつもの、あるいはその精神性を持つもの、また画壇とは異なる孤として創作に打ち込むものであろう。

さて本論、主に1945年生まれまでの愛知ゆかりの現代美術作家37名が取り上げられている。既に鬼籍となられた方も多い。1950年生まれの私は、1872年から名古屋に越して来て以降53年を経た。年間300から400の展覧会を観るために画廊や美術館を歩いた成果か、全員の名前と作品が一致し、半数の方と親しくさせていただく機会を得た。というわけで、本著を大変興味深く読むことができた。37名から特に愛知を舞台に活躍された作家を何人か上げておこう。

久野真、浅野弥衛、吉川家永、水谷勇夫、野水信、星野眞吾、中村正義、庄司達、国島征二、石黒鏘二、岩田信市、加藤大博、稲葉桂、森眞吾、近藤文雄、山田彊一、鯉江良二、久野利博、山村國晶、森岡完介、吉岡弘昭、小島久弥。私の個人的感覚では、「愛知の」という捉え方の重要な点は、一に作品、二に活躍である。本著でも取り上げられている荒川修作や赤瀬川原平、河原温らはもちろん優れた作家であるが、愛知の美術にどう関わったか、水谷勇夫、岩田信市、庄司達、山田彊一、久野利博、森岡完介らと比べてみれば明らかであり、論ずるまでもない。

公立美術館での個展開催や収蔵が、その作品に比べて全く追いついていないことを著者は何度も本著で指摘をしている。私もそのことに同感ではあるが、公立美術館の末端で館長という職にあるものからすれば、一美術館の問題ではなく、各自治体の問題であり、その住民意識の問題でもある。もちろんそういう見解は問題を曖昧にしてしまうことに違いなく、あくまで美術館の問題としなければならならないことも承知の上である。認識を共有とするなら、各美術館の収蔵費用を世界中でオープンにしてみればよいだろう。そして各自治体の総予算と比べてみれば、文化意識というものが明らかになるだろう。

本著では、先にも述べたように37名の作家が取り上げられている。一人2・3ページから数ページであるが、水谷勇夫、庄司達、山田彊一、森岡完介、吉岡弘昭については20ページほど割いて述べられている。活躍の幅、著者の関心、著者が社長を務める名古屋画廊との関わり、作家個人との交友歴などが要因として考えられる。徹底した客観性よりは、著者の主観が露呈するほうが圧倒的におもしろいが、本著はその両視点を踏ん張って書かれている。

15. 8月 2025 · August 15, 2025* Art Book for Stay Home / no.170 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ビアズリーと世紀末』河村錠一郎(青土社、1980年)

著書『ビアズリーと世紀末』は、世紀末ヨーロッパで活躍したビアズリーのことが書かれていると、割にそっけない著書名で気軽に読み始めた。本論は第1部がビアズリー論で、さすがビアズリーについての研究第一人者であると、感想を持ちながら興味深く読み込む。ところが第2部に入ると、ビアズリーの視野を大きく広げて、なお離れて、世紀末の芸術と思想と社会が75ページに渡って書かれている。ビアズリーの名前はほとんど出ることなく、ビクトリア王朝から始まり、美術から文学へ展開される。シェイクスピア、ボードレール、バルザックと西洋文学に弱い私は、文字を追うのが苦痛になってくる。それでもなんとか第2部を終えた。ここまで来て、著者河村錠一郎とはどういう人なのか気になった、本著には紹介されていない。ウィキペデイアでは「日本の英文学者、比較芸術学者、翻訳家。一橋大学名誉教授、専門はイギリス美術史、特にラファエル前派」とある。著書には本著をはじめ文学、美術、さらには音楽『ワーグナーと世紀末の画家たち』というのがある。第2部に夏目漱石、三島由紀夫が出てくる訳である。

さて第3部、一気にビアズリーに関する著者の思い入れが述べられる。第2部で書かれた世紀末芸術、思想、社会がその裏付けとして力を持つ。ビアズリーの代表作『サロメ』について語られる。『サロメの系譜』と題されて、マニエリスムから始まり、ルネッサンスに戻り、ラファエロ前派へ。さらにギュスターブ・モローを徹底分解する。モローの『サロメ』がビアズリーの『サロメ』にとっての大きな魁となっていることは、誰もが気づくところであるが、それは単なる模倣ではなく、模倣からあらたな発想へと向かうビアズリーの創造力と指摘している。そして帰結していくのは、ウィーン分離派、クリムトである。クリムトはビアズリーの模倣ではなく、世紀末の感性、耽美主義の大きな展開へと進化させた。

世紀末文学の読み込みは力不足であったが、重厚なビアズリー論を手にした。

18. 7月 2025 · July 17, 2025* Art Book for Stay Home / no.169 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『セザンヌと『知られざる傑作』 近代絵画の誕生と究極美の探求』佐野栄一(三元社、2024年)

『知られざる傑作』とは、フランスの文豪バルザックの小説で、老画家フレノフェールを主人公に貧しい青年画家プッサンと富裕な宮廷画家ポルビュスの3人の画家が登場する。フレノフェールは天才的技量と深い芸術観を持った画家で、大変裕福であり、生活のために絵を描く必要がなかった。フレノフェールはひたすら自らの芸術的欲望のみにしたがって絵画に没頭し、優れた作品の実現以外に何の野心も持たなかった。

このフレノフェールの境遇、才覚がまるでセザンヌをモデルにしたかの小説で、それが本著のタイトルとなっている。本論はセザンヌによる「近代絵画の誕生と究極の美」についてである。時代的には『知られざる傑作』書かれた後、セザンヌの活躍は50年後である。セザンヌをモデルにしたわけではなく、ドラクロワの芸術論を仲介したゴーティエ、つまりフレノフェール=ゴーティエという構図である。興味深いのは、セザンヌが『知られざる傑作』を熟読しており、洗脳的に主人公フレノフェールを生きたということが考えられることである。

本論は『知られざる傑作』をきっかけとし、近代絵画の誕生をセザンヌの生き方を通して語る。著者佐野栄一は、フランス文学が専門で、バルザックの研究者である。近代絵画との出会いは、青年時代にパリで極貧生活を過ごし、やはり極貧生活の青年画家たちとの暮らしから目覚めている。絵画を絵画で考えることは、近代絵画以前のアカデミー絵画をアカデミー絵画で考えることになり、そこには抜け出せない旧態然とした権威、社会が横たわることになる。絵画を文学で考えることこそ、近代絵画の誕生に大きな端緒となりえたのではないか。セザンヌに同郷の盟友で小説家、評論家ゾラがいたこと、著者がフランス文学の研究者であることが、本著の魅力を興味深くしている。

08. 7月 2025 · July 6, 2025* Art Book for Stay Home / no.168 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『村山槐多のトアール 円人村山槐多改補』佐々木央(丸善プラネット、2021年)

トアールとはフランス語で画布(カンバスの生まれる前のもの)のことである。ここでの意味は具体的なトアールを指しているわけではない。『村山槐多全集』に収録されている槐多の詩「貴下よ/ぐんぐん描いて呉れ/われらの腐りかゝつた頭を/君のトアールでどやしつけて呉れ/俺は俺は/必ず貴下を躍り越して見せる」から引用されている。著者が「君のトアールでどやしつけて呉れ」の一行が記憶の隅に残っていたことによる。槐多がカンバスではなく、トアールを使ったのは、もちろん詩人としての言葉のセンスによるところが大きいが、著者が槐多にふさわしいバックボーンとして選んだと思われる。

著者がことさらにこだわったのは「円人(えんにん)村山槐多」であって、高村光太郎の槐多に捧げた詩の中の「火だるま槐多」に対してのものである。槐多の代表作『尿(いばり)する裸僧』からの強いイメージは「火だるま槐多」であるが、著者は槐多の目指したところは内なる魂を露出させたアニマリズム(槐多の造語で野生派)ではなく、円人であるというところによっている。

円人とは、源信の『往生要集』に出てくる言葉で、「円満完全な[教えを奉ずる]ひと=完全なるひと」のことである。槐多は『戦争と平和』を読破して、「この広い全舞台を通じて僕の理想とするような「円人」は一人も居ない」と日記に記述している。そこから槐多の目指す円人に大きくこだわって本著名が付けられている。

本文は、槐多の絵画や詩、日記から徹底した槐多分析を行っており、先の『往生要集』を始めプラトン全集ニーチェやソクラテス、更には古事記、日本書紀を読破しての槐多全人格に迫ろうとしている。

13. 6月 2025 · June 13, 2025* Art Book for Stay Home / no.167 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者』松木寛(日本経済新聞社、1988年)

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で蔦屋重三郎が取り上げられ好評を博している。世に敏い出版社は、ここぞとばかりに蔦屋重三郎に関する本を出版している。2024年だけで10冊は超えている。もともと蔦屋重三郎ファンの私にとっては、大河ドラマに取り上げられることも、多くの出版が行われることも大歓迎で、そのことが作家や絵師という江戸文化の表舞台だけではなく、その裏側を支えた仕事、仕事人に注目が集まることは、極めて重要なことと考えている。現代においても、芸術家として光を浴びることは当然であるが、企画者、プロデューサー、編集者、アートディレクターなど仕掛けていくクリエイティブに関心が集まるべきだと考える。近年、音楽においては音楽プロデューサーが注目を浴び、その仕事を目指す若者たちが増えていることと比べて、美術のバッククリエイティブの弱さを誠に残念に思っている。

さて、「べらぼう」ブームとは異なる1988年出版の本著についてであるが、著者松木寛は蔦屋重三郎の魅力を極めて誠実に掘り起こしている。それは、私が以前より蔦屋重三郎について関心を抱いていたものに近い。松木寛については詳細に紹介されていないが、浮世絵関係の著作が中心で、1988年出版当時は東京都美術館となっている。美術館での立場は学芸員か研究者であるかと思われる。

本著の内容は、蔦屋重三郎の出版、編集に関する史実を丁寧に追い、明らかに蔦屋重三郎がプロデュースした喜多川歌麿と東洲斎写楽についての丁寧な考察を栄華として紹介、最後に蔦屋重三郎の仕事、成果を俯瞰している。

蔦屋重三郎をヒーローとして知るのではなく、江戸出版文化の要を築いた重要な人物として認識することのできる一冊である。

24. 5月 2025 · May 23, 2025* Art Book for Stay Home / no.166 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『倉俣史朗のデザイン 夢の形見に』川崎和男 (ミネルヴァ書房、2011年)

インテリアデザイナー倉俣史朗は、またプロダクトデザイナーでもあった。三宅一生のISSEY MIYAKE のショップデザイン100店舗以上、ほかバー、レストランなどその多くをあっと言わせる空間で魅了した。正にインテリアデザイナーであるが、椅子をはじめとする家具に倉俣の強い個性と魅力を残している。家具はインテリアデザインとプロダクトデザインの交錯するところにあり、倉俣をインテリアデザイナーに限定すべきではない。

その倉俣のデザインを、日本のプロダクトデザインを牽引する川崎が語る本著は、大いに興味深いものである。ただ倉俣と川崎は極めて僅かしかその出会いはなく、倉俣自身の人間性、人間としての魅力を語る著ではない。倉俣は川崎より15歳上であり、56歳で亡くなった倉俣とは埋められない距離が存在している。

本著に入ろう。倉俣の仕事(自身で作品と呼ばず仕事と呼んだ、いずれにしてもworkであるが)19点を取り上げ20の論考を展開している。博士号(医学)を持つ川崎は、極めて博学であり、デザインに関しても確固たる見識を持っている。倉俣の19の仕事をひとつひとつ丁寧に語っているが、その論調が各項冒頭に他分野著名人の言葉を置くことで始まっている。例えば「1 クピドが放とうとした矢」と題し「われわれに新しい形態を!……号泣が聞こえてくる。」というロシアンアヴァンギャルドの騎手、マヤコフスキーの言葉が置かれる。その言葉の解説、論考から入り、倉俣の仕事『スケルトンのキューピー』に及んでいる。最後に3点のモノクローム写真で仕事が紹介されるといった展開である。1項はまだいい、「2 ワイングラスのインジケーター」は写真がない。何項目も写真がなく、論考だけの展開は、デザインの仕事を抽象化し、読者の思想が暴走する。倉俣論と川崎デザイン論、あるいは川崎哲学が強く語られることになる。もちろん私の理解能力不足によるところも大きいが、読後感はほとんどが川崎哲学であった。

08. 5月 2025 · May 8, 2025* Art Book for Stay Home / no.165 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『街場の芸術論』内田樹(青幻舎、2021年)

芸術論ではあるが、いわゆる美術に関してはあまり論じていない。序章では、「表現の自由」「言論の自由」「民主主義」について。第一章では「三島由紀夫」、第二章では「小津安二郎」、第三章では「宮崎駿」、第4章では「村上春樹」、第五章では「大滝詠一」「ビートルズ」など。付録的な対談では「内田樹×平田オリザ」で演劇、芸術文化行政を中心に展開される。領域としては、文学、映画、アニメーション、音楽、演劇である。絵画や彫刻、現代美術も登場しない。
それでも本書を紹介するのは、著者内田樹の思想、論理に私が深く傾倒しているからである。その論理は序章で切れ味を見せる。例えば、インターネット上で大部分の人がなぜ匿名を貫くのか、どうして自分の書いたものに責任を取ろうとしないのか、どうして自分が書いたことがもたらす利得を確保しないのか。理由は簡単であると著者は言う。それは書かれたテクストが書き手に利得をもたらす可能性がきわめて低いからである。匿名者が知的所有権を主張しないのは、自分が発信しているメッセージが知的に無価値であるということを自身が知っているからである。となるほどの論理展開である。
著者は、内田樹(うちだたつる)名でX(旧ツイッター)のアカウントを取得し、つぶやいている。日頃は自らの行動や共感する他のつぶやきのリツイートであるが、多様な論を展開しているのでXをやっておられる方はフォローをお勧めする。フォロワー数は280,914(2025年5月7日現在)、当然私もフォローしてそのメッセージを興味深くキャッチしている。憲法記念日のつぶやきは、《憲法記念日なので『週刊金曜日』に寄稿した「憲法空語論」を再録します。憲法を現実に合わせて変えるという考え方の没論理性について書きました。》として自身のブログアドレスに繋いでいる。ちなみに著者の内田氏は、私と同年の1950年生まれ、思想家、武道家、神戸女学院大学名誉教授。

17. 4月 2025 · April 16, 2025* Art Book for Stay Home / no.164 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『Terence Conran on design テレンス・コンラン デザインを語る』テレンス・コンラン(株式会社リビング・デザインセンター、1997年)

著者テレンス・コンランをご存知だろうか。イギリスの家具デザイナー、インテリアデザイナー、ライフスタイルショップ「ハビタ」「コンラン・ショップ」経営者、レストラン経営者、著述家、イギリス「サー」の称号を持つ。
第二次世界大戦後の日本は、経済復興を産業と貿易に課し、その成果を上げてきたことは誰もが認識するところである。敗戦国でありながら、他国に比べて圧倒的な成長を遂げることができたのは、産業に力を入れたことはもちろんであるが、合わせてデザインを重視してきたことを認識する人は少ない。公立高等学校から大学までデザイン科を設置、追従して私学にも多く設置された。またデザイン教育の根幹は、バウハウス(ドイツのデザイン運動、学校)からであった。いわゆるモダンデザイン思想である。私もその一人で「シンプルで機能的なものは、また美しいデザインである」を思想とした。
しかし1980年代に入って、モダンデザインのマンネリズムが問題視されると、ポストモダン(デザイン)が登場する。理想としたものがフッと消えた。ポストモダンに追従するものと自信をなくしたポストモダンが混在する状況であった。
その時、登場してきたのがテレンス・コンランであった。コンランはモダンデザインに欠けていたものを指摘し、新しいデザイン思想を提示、実現した。そのことを詳細に伝えるものが本著である。私を覆っていたデザインの黒雲が去っていったのである。
著書のくたびれ方は、私が1997年に発売と同時に購入して以来28年、何度も手に取り、読み、調べ、書き込みを繰り返し、テキストとしてきた証である。

03. 4月 2025 · April 3, 2025* Art Book for Stay Home / no.163 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『引き裂かれた絵の真相 夭折の天才村山槐多の謎』村松和明(講談社、2013年)

著名が語るように本著は村山槐多の謎を徹底解き明かそうとするものである。著者村松和明は、武蔵野美術大学を卒業後岡崎市美術館に学芸員として勤務(現在は岡崎市美術博物館学芸員)した。

約1年後に山本鼎の作品として『裸婦と男たち(日曜の遊び)』が持ち込まれた。本作はその後、村山槐多の作品とされ、画集『村山槐多全画集』(1983年朝日新聞社刊)にも掲載されている。また大回顧展「村山槐多の全て展」(1982年神奈川県立近代美術館)にも出展されている。しかしさらにその後、山本鼎の下絵が見つかり、山本鼎の作品とされた。著者は学芸員として「本作はやはり槐多の作ではないか」とその究明に乗り出す。そのあたりは推理小説を読むようなおもしろさである。

本著は『裸婦と男たち(日曜の遊び)』が主で、あくまで美術評論として書かれているものであるが、槐多の人生哲学に触れる著でもある。詩人であり、プラトン全集、トルストイ全集、ニーチェやソクラテス、更には『往生要集』を始め古事記、日本書紀を読破、英語にも堪能であったという秀才でもある。たった22歳で世を去ったとは思えぬ質、量とも重厚な学びと創作である。名付け親である森鴎外、従兄の山本鼎、その親友の小杉未醒(放庵)、横山大観、江戸川乱歩、戸張孤雁、芥川龍之介、有島武郎、与謝野寛、与謝野晶子、高村光太郎、室生犀星、デスマスクを取った石井鶴三等、誕生から死まで、華やかな美術、文学人に愛されてきた。それは槐多というよりもその才能、詩、絵画に注がれたものであろうと思われる。

この上なく恵まれた才であろうとも、貧乏と病にはどうしようもない虚しさを覚える。

20. 3月 2025 · March 19, 2025* Art Book for Stay Home / no.162 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『倉俣史朗 着想のかたち 4人のクリエイターが語る。』鈴木紀慶 編著(六耀社、2011年)

4人のクリエイターは、小説家の平野啓一郎、建築家の伊東豊雄、クリエイティブディレクターの小池一子、プロダクトデザイナーの深澤直人。4人の視点から見事に倉俣を浮き彫りしている。さらにエピローグとして編集者の川床優が論考を加えている。
伊東と小池は、その専門性よりのなるほどという説を述べている。驚いたのは平野である。平野は美術に詳しく、私もファンであり何冊かを読んでいる。ところが本論では、得意な美術からの視点ではなく、きちんとデザインからの論考を展開している。デザインが専門である私が読んで驚くばかりの理解力である。そして平野は「倉俣デザインのような小説を書きたい」と願い、それが叶わないことも明解に論じている。最後の数行が倉俣デザインを最も言い得ていると思うので全文を紹介する。「僕が倉俣さんの作品が好きなのは、『覚めない夢』だからです。夢の世界を表現すること自体は、難しくないのかもしれないけれど、ほとんどの作品は、大体見る人がどこかで、目が覚めますよ。けど倉俣作品は、いつまでもずーっと夢のまま、という感じがします。どこかで覚めるかなと思うけど、なかなか覚めない。そこが不思議な魅力なんでしょう。それに本当の夢は触れないけれど、彼のつくったものは身体を通じて感触を確かめられる。手触りがあって覚めない夢、ですかね。」小説家らしい美しい文で感動した。
深澤の倉俣論はまた素晴らしい。デザイナーならではの繊細で理路整然とした考察を語っている。倉俣デザインではあまり取り上げられない『傘立て』の魅力を「消えるデザイン」として大きな評価を与えている。そしてそれは発想のみを称えるのではなく、制作した職人の技を含めているところに、さすがデザイナーの視点と感じた。アートと大きく異なるところは、デザインと作品の間に多くの場合職人が加わることだ、そしてそれがクリエイションに大きく関わるということである。
ショップのインテリアデザインでは、「入り幅木」と「眠り目地」を取り上げ、『隅と縁とつなぎ目』を論じているが、倉俣の感性を称えるばかりでなく、繊細な仕事があっと驚く空間を作り上げていることを深澤はていねいに語っている。