28. 10月 2020 · October 28, 2020* Art Book for Stay Home / no.41 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『パリの奇跡』松葉一清(講談社現代新書、1990年)

1990年の秋、パリ、ミラノ、ヴェニスの旅行を予定していた。海外旅行に出かける前の数カ月は、訪れる国、街に関わる本を集中的に読むことにしている。それは旅行ガイドブックではない。歴史、民族、政治、文化等、訪れる国、街をいろいろな角度から知りたいと思うからである。このときは特に3つの街を頭の隅っこにおいて、本屋をウロウロした。新書判のコーナーは、領域が多様なのが嬉しい。ハンディなサイズは行きの飛行機の中でワクワクしながら読める。『パリの奇跡』はその一冊として購入した。出版されたばかりであり、タイトルに添えられた「メディアとしての建築」が心を捉えた。

ご存知のようにパリは美しい石造りのアパート群で街並みが形成され、凱旋門やオペラ座などの強い特徴を持つランドマーク(風景の目印)が変化と活力を与えている。石造りの調和が退屈な風景にならぬよう見事な都市設計である。パリは仕事の関係もあって、それまで数回訪れていたが、ポンピドゥー・センターの奇抜さとその成功は、私にとって謎のままであった。石造りの美しい都市美の中で、剥き出しの配管設備、エレベーター、石油精製工場と呼ばれるほどのあらっぽさ、こういったデザインの公共建築が一体世界のどこの街で実現するだろう。今となって高評価を与えることは簡単である。

『パリの奇跡』は、そのことに対して納得の答えが書かれている。ポンピドゥー・センター以降、ルーブル美術館のピラミッド、立方体の新凱旋門(ラ・デファンスのグランダルシュ)、奇怪な窓のアラブ世界研究所、セーヌ川に突き出したフランス新大蔵省、監獄の跡地に建てられたモダンなバスティーユオペラ座、古墳を思わせるベルシー体育館等、とにかくこのところのパリの建築はひたすら攻め続けているのである。

1990年秋のパリ旅行は、「メディアとしての建築」をひたすら学ぶものとなった。「芸術の都パリ」は、未来永劫あり続けるであろうことを確認する旅でもあった。

21. 10月 2020 · October 21, 2020* Art Book for Stay Home / no.40 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『アート・ウォッチング』監修・執筆中村英樹+谷川渥(美術出版社、1993年)

おもしろくて、大好きで仕方のないことを、関心はあるけれど、何がおもしろいのか全く解らない人に、「ここがおもしろい」と解りやすく話すことは極めて困難である。本著『アート・ウォッチング』には[ビジュアルガイド・美術鑑賞入門]というサブタイトルと、「現代美術を体験しよう」というキャッチフレーズが添えられていて、いかにも初心者向けに「現代美術は難しくないですよ、簡単ですよ」という呼びかけをしている。

私について言えば、20代の頃はギャラリー巡りをしていて現代美術と出会った。よく解らなかったが、なにか惹かれるものがあったし、解らないことが恥ずかしいので解ったふりをして一生懸命現代美術を観て回った。何となく解るようになるのに10年、そこから先はおもしろくて仕方がない。という道筋をたどった。たった一冊の本で簡単に理解できるものではないと思う。監修・執筆の一人中村英樹氏は勤務していた大学の敬愛する先輩、ちょっと意地悪な気持ちもあって、お手並み拝見気分で読んだ。膨大な作品写真が読み進める意欲を高めてくれる。でもやっぱり難しい、難しいが至るところに手がかりがある。一冊読み終えて「現代美術が解った、おもしろい」という人は極めて少ないと思う。「おもしろいな」と思える作家が一人でも見つかったら、この本と出会って正解だ。「やっぱり解らない」と解らないことを確認することになっても、この本との出会いは正解だ。なぜなら読者に多くの疑問を残したことになるからだ。少しずるい結論だけれど「解らないことが現代美術のおもしろさだ」と言えるからだ。現代美術は鑑賞者にたくさんの疑問を残す。謎掛けのようなものだ、その謎が一つ一つ解けて行くおもしろさと言っていいだろう。なぜそんなに難しいのか、現代美術は既成の理解、概念を越えるところにあるからだ。

現代美術は、それまでの美術を否定し、新しいものを提示する。理解しようとする鑑賞者は、いつもそれまでの美術のファンであり、そこを否定してくる現代美術は普通苦手である。しかし、たった一枚の扉が次々と新たな感動を見せてくれるから、やはり扉を開けることを誘惑したい。

13. 10月 2020 · October 13, 2020* Art Book for Stay Home / no.39 はコメントを受け付けていません · Categories: 未分類

『アイドルはどこから/日本文化の深層をえぐる』篠田正浩、若山滋(現代書館、2014年)

美術館では「物語としての建築ー若山滋と弟子たち展ー」を開催中。展覧会に寄せてno.36では、若山滋著『寡黙なる饒舌』を紹介したが、会期は11月23日までなので、もう一冊若山滋の著作を紹介しておこう。といっても映画監督篠田正浩との共著である。

映画監督篠田正浩と建築家若山滋は比較的近い親戚(まえがき)にあって、篠田家の血(あるいは知)を共有している。映画監督と建築家というのは創造的分野という点では同類であるが一般には接点が少ない職業である。ところが二人は一方で文筆家としても多くの著書を出している。しかも映画や建築という専門書だけではなく、非常に幅広い分野に及んでいる。互いの広い知識の中で共有される領域が多いというのが本著を魅力的なものにしている。

『アイドルはどこから』のミーハーな著名に引き寄せられて、サブの「日本文化の深層をえぐる」に巻き込まれてしまうという流れである。アイドル論は、AKB、ジャニーズ、韓流スターから入って展開される。そこから源義経、川上貞奴、出雲阿国、天照皇大大神、千手観世音、小野小町、世阿弥、西行法師、イチローと広がって日本史を俯瞰する。常に通している筋は日本文化である。それで日本文化とは一体どういうものであるかが論じ合われていく。対西洋でありアジアの潮流であり、島国日本の洗練でもある。後半に差し掛かって都市論に凝縮していくあたりは、映画監督と建築家ならではの空間把握、芸能論、歴史観が高度に展開されてたまらなくおもしろい。最後にはきちんとアイドル論を再構築して終えている。

なお本書は会期中、ミュージアムショップでも取り扱っているのでぜひ手にとって欲しい。

06. 10月 2020 · October 6, 2020* Art Book for Stay Home / no.38 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本その日その日1』『日本その日その日2』『日本その日その日3』E.S.モース、石川欣一訳(平凡社、1970年)

E.S.モース(エドワード・シルヴェスター・モース)は、アメリカの動物学者で、標本採集のために1877年に来日し、請われて東京大学教授を2年務め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力した。大森貝塚を発掘し、日本の人類学、考古学の基礎をつくった。日本に初めて、ダーウィンの進化論を体系的に紹介した。

1913年、75歳となったモースは、30年以上前の日記とスケッチをもとに、『Japan Day by Day(日本その日その日)』の執筆を開始、1917年書き終えて出版。訳書は辞書のような体裁で、細かな文字がぎっしりと各巻300ページに及ぶほどの濃い密度となっている。

美術の視点から観て何より興味深いのは、西洋の影響を殆ど受けていない日本の暮らしの中にある美である。神社・仏閣、書画、公家、武士、豪商といった日本美術史に登場する美を追求したものではなく、庶民の暮らしの中にある使い込んでさらに使い込んで残されてきた粗野な美。日本人の誰もが美術という意識の外にあるもの。アメリカ人モースさんは、西洋人で動物学者であり、人類学、考古学にも深い知識を持ち合わせていたこと、そしてあっという間に西洋の影響で変容していく寸前の日本であったからこそ、この著を類稀な魅力的なものにしている。

そして何よりも、その視点を膨大なスケッチに残していることであり、そのスケッチがもの凄く上手いのである。掲載されているスケッチは両手を使って描かれたもので、両手を使うので普通の人より早くスケッチを終えることが出来たという。講演会でも、両手にチョークを持って黒板にスケッチを描き、それだけで聴衆の拍手喝采を浴びるほどであったそうだ。

訳書を読みすすめると、モースさんの人柄が身近に感じられて楽しい、なんて素敵な方なのだ。日本人の暮らしに、愛ある興味で目を輝かせている。モースさん素敵な記録をありがとう。