18. 7月 2025 · July 17, 2025* Art Book for Stay Home / no.169 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『セザンヌと『知られざる傑作』 近代絵画の誕生と究極美の探求』佐野栄一(三元社、2024年)

『知られざる傑作』とは、フランスの文豪バルザックの小説で、老画家フレノフェールを主人公に貧しい青年画家プッサンと富裕な宮廷画家ポルビュスの3人の画家が登場する。フレノフェールは天才的技量と深い芸術観を持った画家で、大変裕福であり、生活のために絵を描く必要がなかった。フレノフェールはひたすら自らの芸術的欲望のみにしたがって絵画に没頭し、優れた作品の実現以外に何の野心も持たなかった。

このフレノフェールの境遇、才覚がまるでセザンヌをモデルにしたかの小説で、それが本著のタイトルとなっている。本論はセザンヌによる「近代絵画の誕生と究極の美」についてである。時代的には『知られざる傑作』書かれた後、セザンヌの活躍は50年後である。セザンヌをモデルにしたわけではなく、ドラクロワの芸術論を仲介したゴーティエ、つまりフレノフェール=ゴーティエという構図である。興味深いのは、セザンヌが『知られざる傑作』を熟読しており、洗脳的に主人公フレノフェールを生きたということが考えられることである。

本論は『知られざる傑作』をきっかけとし、近代絵画の誕生をセザンヌの生き方を通して語る。著者佐野栄一は、フランス文学が専門で、バルザックの研究者である。近代絵画との出会いは、青年時代にパリで極貧生活を過ごし、やはり極貧生活の青年画家たちとの暮らしから目覚めている。絵画を絵画で考えることは、近代絵画以前のアカデミー絵画をアカデミー絵画で考えることになり、そこには抜け出せない旧態然とした権威、社会が横たわることになる。絵画を文学で考えることこそ、近代絵画の誕生に大きな端緒となりえたのではないか。セザンヌに同郷の盟友で小説家、評論家ゾラがいたこと、著者がフランス文学の研究者であることが、本著の魅力を興味深くしている。

08. 7月 2025 · July 6, 2025* Art Book for Stay Home / no.168 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『村山槐多のトアール 円人村山槐多改補』佐々木央(丸善プラネット、2021年)

トアールとはフランス語で画布(カンバスの生まれる前のもの)のことである。ここでの意味は具体的なトアールを指しているわけではない。『村山槐多全集』に収録されている槐多の詩「貴下よ/ぐんぐん描いて呉れ/われらの腐りかゝつた頭を/君のトアールでどやしつけて呉れ/俺は俺は/必ず貴下を躍り越して見せる」から引用されている。著者が「君のトアールでどやしつけて呉れ」の一行が記憶の隅に残っていたことによる。槐多がカンバスではなく、トアールを使ったのは、もちろん詩人としての言葉のセンスによるところが大きいが、著者が槐多にふさわしいバックボーンとして選んだと思われる。

著者がことさらにこだわったのは「円人(えんにん)村山槐多」であって、高村光太郎の槐多に捧げた詩の中の「火だるま槐多」に対してのものである。槐多の代表作『尿(いばり)する裸僧』からの強いイメージは「火だるま槐多」であるが、著者は槐多の目指したところは内なる魂を露出させたアニマリズム(槐多の造語で野生派)ではなく、円人であるというところによっている。

円人とは、源信の『往生要集』に出てくる言葉で、「円満完全な[教えを奉ずる]ひと=完全なるひと」のことである。槐多は『戦争と平和』を読破して、「この広い全舞台を通じて僕の理想とするような「円人」は一人も居ない」と日記に記述している。そこから槐多の目指す円人に大きくこだわって本著名が付けられている。

本文は、槐多の絵画や詩、日記から徹底した槐多分析を行っており、先の『往生要集』を始めプラトン全集ニーチェやソクラテス、更には古事記、日本書紀を読破しての槐多全人格に迫ろうとしている。