18. 5月 2024 · May 18 2024* Art Book for Stay Home / no.141 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『野外彫刻との対話』西山重德(水曜社、2019年)

「野外彫刻とはなにか」という問いに答えるように本著は展開する。なんとなく「野外にある彫刻」というような安易な理解に対して徹底した答えを用意している。また類似の用語である「パブリックアート」を意図的に使わない理由をも示している。

日本における野外彫刻の建築との関係について、野外彫刻の長い歴史を持つヨーロッパとの比較も明解で興味深い。つまりヨーロッパにおける野外彫刻が置かれる場というものは、歴史的脈略を深く持ち、建築と彫刻はそれに大きく関わるように存在している。「なぜそこにその野外彫刻があるのか」という問いへの答えが用意されていると言うわけである。

美術館における彫刻の場合は、場と彫刻の関係を基本持たない。彫刻は他の美術館に移動展示した場合でも大きな問題が生じない。そこから考えると、野外彫刻がどこにあっても良いわけではないし、どの方向を向いて立てられるかも重要な意味を持つ。それはまた鑑賞においても同様な問題を抱えている。

著者は、イタリア・ルネッサンス期の美術を中心的研究領域とする美術史家である。日本の野外彫刻の問題は、野外彫刻の問題ではなく、都市のあり方の問題として重要な提案をしているが、最後に京都造形芸術大学(現京都芸術大学)教授で建築家の井口勝文氏が特別寄稿を寄せている。都市計画や建築法規に詳しい井口氏による野外彫刻に対する指摘は、街中の彫刻(公園は街中ではないという前提)は道路か私有地に立っているという興味深いものである。ヨーロッパのような公共の広場は存在しないということである。野外彫刻は概ね公開空地と呼ばれる開放された私有地に立っており、所有者は私有地所有者であり、その私有地に立つ建物に所属する形である。公開空地とは何か、説明には多くを要するので省くが、私有地に公共の考えを導入したもので、公共的という都合の良い考えの上で成り立っている。

11. 5月 2024 · May 11, 2024* 今尾拓真 work with #10(清須市はるひ美術館 空調設備)、圧倒的独創。 はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition/imaotakuma/

展覧会が始まって10日が過ぎた、チラシを見ても何が行われているのか、どれが作品なのかよく解らない。清須市はるひ美術館の部分写真と図面が散りばめられている。第一、展覧会のタイトルが「清須市はるひ美術館 空調設備」である。「清須市はるひ美術館」は会場であり、「空調設備」はそれに付随するものである。

今回の展覧会の領域は現代美術、インスタレーションである。インスタレーションとは、一般に「空間芸術」と訳される。「平面の絵画」、「立体の彫刻」、「空間のインスタレーション」という分類。しかし、私は「インスタレーションは場の展示」と考えている。空間作品であればインスタレーションという位置づけは、ただ絵画でも彫刻でもない新しい分野という意味でしかない。現代美術はそのような曖昧なものではない。「場」の持つ意味、個性、物語、さらにその場を含む地域の歴史、風土、政治、経済とも関わりを持つものでなければならないと考える。

一方で美術館という空間は、主に絵画や彫刻を引き立てるために、空間のイメージを消している。一般にホワイトキューブと言われる空間である。そこでは極めて場のメッセージが抑えられている。

今尾拓真は主にこの「場のメッセージ」が抑えられた文化施設、学校、クラブなどでインスタレーションを展開してきた。私もインスタレーションによる作品発表を続けているが、私が最も発表を拒否する空間が美術館である。今尾はこの「場のメッセージ」が抑えられた空間から、こういう空間こその「場のメッセージ」を捉えた。それが「空調設備」である。どのようなホワイトキューブの美術館においても「空調設備」はある。来館者の快適性、作品の保全に欠くことができない。その美術館としてはマイナーな存在に目を付け一気にメジャー化するという逆転劇を演じている。今尾のインスタレーションは、空調設備を延長させる突起が空間彫刻として興味深いが、けっしてその突起部分だけが作品ではない。突起に取り付けられたリコーダーやハーモニカが奏でる音は、美術館施設が奏でるものであり、外部大気をも取り込むものである。

展覧会を見終えて、その感動感覚は絵画や彫刻から得られる視覚的なものではなく、空気の振動、流動、身体で聴く音、さらに脳への刺激等全身で捉えたものと思った。この展覧会は、できるだけ一人で観てほしい。複数で来場された場合でもそれぞれが個になって楽しんで欲しい。

動画1

動画2

動画3

 

05. 5月 2024 · May 5 2024* Art Book for Stay Home / no.140 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『裸の大将一代記―山下清の見た夢』小沢信男(筑摩書房、2000年)

山下清に関する本は、画集を含めると数十冊出ているようだが、本著はその中でも山下清を知る上で屈指のものであるだろう。一代記にふさわしく、生い立ちから墓場まで、丁寧にその人生を紹介している。

著者小沢信男は、1927年東京生まれ(山下より5歳下)、日大芸術学部卒業。小説・詩・戯曲・評論・俳句・ルポルタージュなど多岐にわたる執筆活動を展開し、著書多数。 本著で桑原武夫学芸賞を受賞している。山下とは戦前、戦中、戦後の同時代を生き、山下の生きた時代とはどういうものであったか、リアルに解説されている。著者は、山下と会うことはなく、本著は放浪日記と周辺人物の丁寧な取材によって、山下の個性、人間的魅力を立ち上がらせている。

山下清については、その絵画作品から「日本のゴッホ」と呼ばれたり、演劇、映画、テレビドラマが人気を博したところから、本人とは異なるイメージのキャラクターが生み出されている。また山下自身が人前ではそのようなキャラクターを演じた節もある。特に高視聴率を獲得した芦屋雁之助主役のテレビドラマの影響は大きい。それ故に本著の山下清は良くも悪くも本人に迫っており、新たな山下清の魅力に引き込まれていく。

12歳で預けられた知的障害者施設「八幡学園」の久保寺保久園長、学園の顧問医を務めていた精神病理学者式場龍三郎、八幡学園の園児たちの貼り絵に注目した早稲田大学講師の戸川行男らの「素晴らしいもの、輝くもの」を見る目の知性に大きな共感を覚えた。そういう意味では著者小沢信男もまた公正な知性を持つ一人であり、「山下清に出会ったことがない。その残念さが幸運におもえてきた。」というように、あくまでも客観的に山下清を捉え、そこから山下清の魅力に迫ろうとした著である。