26. 8月 2020 · August 26, 2020* Art Book for Stay Home / no.32 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『普通のデザイン 日常に宿る美のかたち』内田繁(工作舎、2007年)

内田繁は日本を代表するインテリアデザイナー、2016年73歳で亡くなるまで20世紀の日本のデザインを牽引し、世界に紹介、21世紀の展望を示した。
そしてその展望の一つがこの『普通のデザイン 日常に宿る美のかたち』である。

牽引した20世紀の日本のデザインは、西欧型合理主義と資本主義の下、強さと巨大さに向かい、果てしなく欲望を刺激続ける大量生産と大量消費に給するものであった。
そこに異を唱え、新たなデザインの思想を築く必要があることを訴えている。

本著の中で最も共感するのは「弱さのデザイン」を考えなければならないとする主張である。
本来人間は強いものではなく、移ろいやすく、気まぐれで傷つきやすく、脆いものであり、そこに添ってこそデザインの本当のあるべき姿がある。

その上に立って「普通のデザイン」とは何かを考える。
「そもそもデザインとは普通でない特別なことを指すのではないか」「普通というテーマはデザインの主旨にはずれるのではないか」という疑問がある。
あまりにも過剰なデザインの氾濫が、都市環境、生活文化を侵している。刺激的な看板、広告、乱立する建築、けたたましい商業空間、はたまた生活空間においても工業製品や家庭用品、あまりにも雑多な食品や飲料、嗜好品とそのパッケージ。
すべてが資本主義のもと、デザインされて形が生み出されている。

多くのデザインが、便利、享楽、刺激を生み出し、それらがストレスとなって私たちの暮らしを蝕んでいく。
グローバルデザイン、ユニバーサルデザインが奪った繊細なもの、地域の風土、歴史、伝統に目を向け直し「普通、ノーマル、スタンダード」を見つけていかなければならないとする。

生前、内田さんとは大変親しくさせていただき、たくさんの議論を交わす機会を頂いた。私たち内田デザインファンは、20世紀を代表するカッコいい、刺激的なデザインに集まった者たちである。ガンに侵されて亡くなるまでの十余年、内田さんは、その反省を静かに語るピュアな思想家であった。

20. 8月 2020 · August 20, 2020* Art Book for Stay Home / no.31 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『蔵書票の魅力 本を愛する人のために』樋田直人(丸善ライブラリー、1992年)

蔵書票とは、蔵書印を使う習慣のない西欧で、自分の名前を入れた小版画を作り、本の見返しに貼って蔵書であることを証したもの。
日本では明治期に入ってきて、広がった。とりわけ浮世絵から発展した多色刷りの日本の蔵書票は、世界的に愛好されている。本が貴重なものであり、本を愛する意識が非常に高い中で生まれてきた文化であり、芸術である。

美術館が美術鑑賞の基本となってしまった現代において、巨大な美術作品が鑑賞可能な美術館スケールが、大きな美術作品を優位にしている。特に現代美術では作品が肥大化している。
巨大な美術作品が魅力的であることは否定されることではないが、魅力的な小さな作品も存在することは当然否定されることではない。

巨大美術作品は、発想の段階で、美術であることが強く認識され、存在が許された時点で美術作品であることのパスポートを得るかのようだ。果たしてそうだろうか、公園や、街角に設置された屋外彫刻、あるいはパブリックモニュメントが時間の経過とともに色褪せて、撤去困難なことが存在し続ける理由になってはいないだろうか。ホールの壁画もまたその疑問に反論できるだろうか。

一方で小さな蔵書票は、美術作品であることを全く背負ってはいない。しかし一点一点に美意識への思いは限りない。
星の数ほど作られた蔵書票の中で生き残る美、結果としての美術、それは浮世絵が歩んだ美でもある。

16. 8月 2020 · August 16, 2020* Art Book for Stay Home / no.30 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『京都、唐紙屋長右衛門の手仕事』千田堅吉(生活人新書、2005年)

唐紙をご存知だろうか。
唐紙とは、中国から渡来した紙、ならびにそれを真似て造った紙をいう。
平安時代には書道や手紙など、貴族によって用いられた。中世ごろからは、主に襖のための加工紙の一種として用いられる。
本著では、京唐紙について「唐長」十一代当主、千田堅吉によって紹介されている。

天保10年(1839)頃京都に存在した唐紙屋は13軒あった。その多くは元治元年(1864)の蛤御門の変の「鉄砲焼け」で板木(はんぎ)を焼失したが、唐長は戦乱の火災から奇跡的に板木を守り抜く。数々の戦乱、天災など苦難を経て明治時代以後、人々の暮らしの変化に伴い唐長以外の唐紙屋は全て廃業。
江戸時代より途絶えることなく代々続いてきた唐紙屋は日本でただ1軒である。
ひとつひとつ手仕事で、代々受け継がれた板木の文様を和紙に写し取り、襖紙や壁紙として桂離宮、二条城、養源院などの歴史的建造物や、現代の人々の暮らしにおいても唐長の唐紙は用いられている。

技法的にわかりやすく言えば、和紙に木版画刷りの壁紙、襖紙ということである。
しかしその違いを一部紹介すると、木版画の場合は「版木」、唐紙の場合は「板木」の字を使う、読み方は「はんぎ」で同じ。また板木に和紙をあてる柄(がら)をつける技法は、木版画では「型刷り」、唐紙では「型押し」と呼ばれる。さらに版木に絵の具を刷毛で付けるのが木版画であるが、唐紙は「ふるい」で板木に絵の具をのせる。
こういう技法が歴史的建造物の保存に欠かすことができない。

唐紙に欠かすことのできない板木は、代々受け継いできたものが650枚、うち300枚が江戸時代に彫られたものであるという。
模様は多様であるが、伝統的な唐紙として無地感覚のものがある。一見紙の色のみで模様がないように見えるが、光が当たると淡く銀色に輝き、影になると黒く模様が浮かび上がる。これは紙に雲母(きら)を押したものである。室内に品よく存在し。ときに華やかな演出を創出する。

2006年にこの本を読み終えて、現物を観たくて京都の北に位置する唐長修学院工房を訪れた。見学者に公開されていて、板木をはじめ貴重な道具、壁紙を拝見した。

2012年、古川美術館分館爲三郎記念館で個展を開催させていただくことになった。
記念館は、初代館長故古川爲三郎の住まいで、没後、爲三郎の「わたくしが大好きなこの住まいを、みなさんの憩いの場として使っていただきたい」という遺志を受けて開館となったもの。
様々な展示に使用されてきたが、私の個展計画ため記念館をゆっくりと拝見すると、襖は唐長のものであることを知った。もちろん記念館を訪れる人には誰もが観ることができるのだが、雲母唐長は大変気づきにくい。
訪れる機会があったら、ぜひゆっくりと楽しんでいただきたい。
そうそう、夏の間は襖から簾戸に変わるので観ることができない、ご注意。

 

 

13. 8月 2020 · August 13, 2020* Art Book for Stay Home / no.29 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『超芸術 トマソン』赤瀬川原平(ちくま文庫、1987年)
『トマソン 大図鑑 無の巻』赤瀬川原平編(ちくま文庫、1996年)
『トマソン 大図鑑 空の巻』赤瀬川原平編(ちくま文庫、1996年)

赤瀬川原平が大好きである。正確には赤瀬川原平の書く本が大好きである。
赤瀬川原平の作品はどうかというと《宇宙の缶詰》以外はあまり好きではない。

269編・著書のうち30冊ほど読んでいる。そもそもアーティストでありながら269冊は多すぎるだろう。作品を造っている時間を著作に奪ってしまったとしか言いようがない。
尾辻克彦のペンネームで書いた『父が消えた』で芥川賞受賞。芥川賞作家としてはこの著作量は申し分ない。いずれにしても赤瀬川原平から生まれでたもの、美術だろうが文学だろうが素晴らしいことだと思う。

このトマソン3冊は、中でも極めて優れている。
現代美術作家で、現代美術とは何かを考え続けてきたが故に生まれたのが「トマソン」である。

「超芸術トマソン」とは、これまでになかった造形物の概念。
地面や建物等の不動産に付属し、まるで展示されているかのように美しい、あるいはおもしろい無用の長物。存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用において芸術よりももっと芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中でも不動産に属するものを「トマソン」と呼ぶ。その中には、かつては役に立っていたものもあるし、そもそも作った意図が分からないものもある。「超芸術」を「超芸術」だと思って作る者(作家)はなく、ただ鑑賞する者だけに存在する。トマソンの語源については本著の読者の楽しみとする。

私はこの「超芸術」という言葉を初めて見たとき、「芸術を超える」という解釈ではなく、「現代美術を超える」と理解した。現代美術が社会的に認知されていなければ、「超芸術」は存在しない。そしてその象徴的な作品がマルセル・デュシャンの《泉》(1917年)であると思う。作者が造ることを放棄するレディメイドという考え方、それを超えるには作者が存在しないトマソンしかない。

赤瀬川原平らは、このトマソンを路上観察学や考現学と関連付けて語ることが多かったが、その名の通り芸術として強く位置づけるべきであったと思う。

08. 8月 2020 · August 8, 2020* Art Book for Stay Home / no.28 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ルナティックス 月を遊学する』松岡正剛(作品社、1995年)

著者松岡正剛は、編集者であり著述家であるが、出版社に在籍の編集者でもなければ出版社を退社してフリーの編集者というわけでもない。正しくは自身が経営する編集工学研究所における編集工学者である。

松岡正剛の言う編集工学とは、人間の思考や社会のコミュニケーション・システムや創造性にかかわる総合的な方法論のことである。

現代においては、様々なモノ、コト、情報が膨大にチョイスすることが可能であるが、求めようとしている目的に可能な情報整理、組立ができない。

情報の洪水に溺れないようにするためには、取捨、構築、つまり編集が必要であると説いている。

 

さて本著『ルナティックス 月を遊学する』は、大変ロマンチックな著名である。

その上、帯には「月がぼくにつきまとう。なにかよい薬はないものか。」。

いやはや大変な病である。

この病は恋の病に似ていて、もちろん治療薬もなければ専門医にかかることもできない。この嘆きは他人から見ればのろけに近い。恋とは言わないまでも、骨董やグルメ、コレクション、ギャンブル、果てはヨットや山登りなど夢中になっている人は珍しくはないだろう。しかし「月」である。この月をどのように編集するのか、松岡正剛のお手並みが見事である。

 

では、どこがアートブックなのか。

美術史、美術評論、美術作家論、真正面から切り込んでなるほどというアートブックはこれまでも、これからも紹介し続けるだろう。

本著では月がテーマである。この月を解剖、再構成するために、天文学はもちろん、歌謡曲、ロック、オペラ、西洋絵画、日本画、浮世絵、書、写真、詩、童謡、哲学、心理学、マンガ、アニメーション、花鳥風月の日本文学、月着陸宇宙開発、あらゆる古今東西駆け巡る。

これがアートの究極として、おもしろくないわけないだろう。読み終えた私は、もはや月につきまとわれて、よい薬を探していた。

 

04. 8月 2020 · August 4, 2020* Art Book for Stay Home / no.27 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『幻想芸術の世界 シュールレアリスムを中心に』坂崎乙郎(講談社現代新書、1969年)

幻想とは、根拠のない空想。とりとめのない想像。

幻想芸術とは、実態、実景とは異なる画家の空想、妄想と言って良いだろう。

そういう空想癖、妄想癖のある人が画家になりやすかったと言える。

空想癖、妄想癖を最もシンプルに人に伝えるために絵画はふさわしい表現方法である。

文学、音楽、あるいは彫刻と比べてみてもその自由さと具体性は、圧倒的に有利な表現手段である。

 

著者は幻想芸術を紐解きながら、20世紀に花開いたシュールレアリスムに焦点を当てていく。

19世紀末、写真が発明されて、それまでの実景を記録するという絵画の大きな役割からの無力を強いられて、対写真からの新たなる価値の創出にシュールレアリスムが誕生したとも言える。

写真の能力を超えた機能としてのシュールレアリスムの役割が浮き彫りとなった。以降、現代まで絵画芸術にとって欠かすことのできない表現手法となっている。

美術史では、多くの表現方法、表現派がこれを知らねば美術を楽しむにあらずと言わんばかりに大手を振っている。そしてそれが煩わしくて、美術を好きになれない人も少なくないのではないかと思っている。そういう方に一つだけ、シュールレアリスムを徹底理解することをお勧めする。なぜならば、シュールレアリスムこそが近代以前の美術の宿命を解き放ち、芸術の未来を開いたのであるから。

現代における多くの絵画の「何故」に答えをくれるヒントがシュールレアリスムにある。

「あっ、そうか」という絵画のおもしろさがシュールレアリスムにある。

美術展に行って、居心地が悪かったら「シュールだなぁ」とつぶやいて納得顔の一つもしていたら、もう一目おかれることに間違いないだろう。そんな手引となってくれるのが本著である。

 

01. 8月 2020 · August 1, 2020* Art Book for Stay Home / no.26 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『岡本太郎に乾杯』岡本敏子(新潮文庫、2002年)

画家や彫刻家、あるいはデザイナーにおいても、生前の活躍が死後持続されるということはまずない。
よく言われる「作家が亡くなると作品の価格が上がる」という伝説のようなもの。
こういうことは殆どない、おそらく画商が作り上げたセールストークではないだろうか。

作家が亡くなると、新作がなくなり作品の絶対数に対して購入希望者増で、需要と供給の関係から価格が上がるという説である。
ところが作家が亡くなると個展が開催されなくなり、その作家のファンも同世代が多くやはり亡くなっていく。
作品を遺産として相続した遺族たちはファンではないことが多く、市場に売りに出される。
というように需要が減り、供給が増えるというのが現実である。価格は下がり続けるというのが一般的である。
美術の価値は簡単には変動しないが、美術品は流通価値であるので、変動することはやむを得ない。

さて岡本太郎は1996年に亡くなって、以降人気は爆発的に上がっているという他の作家とは異なる流れである。
亡くなってすぐ、人気美術評論家の山下裕二が『岡本太郎宣言』を平凡社より出版。岡本太郎の作品の魅力、評価を格上げした。ここで一気に次世代で岡本太郎ファンが増えた。

さらに本著の岡本敏子の存在。東京女子大文理学部卒業後、出版社を経て、岡本太郎の秘書となる。事実上の妻といわれているが、岡本太郎の養女となる。
1996年に岡本太郎が急逝した際、未完の作品が数点のこっていたが、これらの全作品のその後の製作・仕上げにすべて監修として携わった。また青山のアトリエ兼自宅を美術館として改装・公開を行った。

岡本太郎没後翌年の1997年に本著の単行本『岡本太郎に乾杯』を新潮社より出版、一気に岡本太郎ブームを巻き起こす。
その後亡くなるまでの10年間、岡本太郎に関する著書、監修を27冊出版、多くの講演に奔走した。
その様子は岡本太郎を尊敬、愛する人ではなく、岡本太郎が甦ったように顔さえ似てくるという状況であった。敏子さんは岡本太郎がやり残したことを全て終えて最後の10年を生きた。見事と言うほかない。
かくして岡本太郎の評価は不動のものになり、現在に至っている。
敏子さんの最初の一冊『岡本太郎に乾杯』は岡本太郎の魅力の缶詰のような本である。