21. 12月 2021 · December 21, 2021* Art Book for Stay Home / no.82 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『聖書のなかの女性たち』遠藤周作(講談社文庫、1972年)

遠藤周作の著書を初めて読んだ。著名な小説家の本はたいてい先ず一冊という考えで読んでいる。遠藤周作を読んでなかったのは例のテレビコマーシャル「狐狸庵先生、違いのわかる男のコーヒー」で最初に知ってしまったことで、何だか薄っぺらい作家という印象を持ってしまったせいであろうと思う。当時私は学生で当然ネスカフェのお世話になっていたのだが、違いのわかる作家が私のような貧乏学生と同じインスタントコーヒーを飲んでいるとはとても思えなかった。

さて『聖書のなかの女性たち』、マリアをはじめとして、ヴェロニカ、マグダラのマリア、サロメ、マルタら11人が登場する。そしてその多くがキリスト教絵画にも描かれている。

美術を鑑賞するために説明は不要という考えがある。美術館には多くの場合展覧会の主旨、説明、作家紹介がある。それは先入観を与えるもので、不要であるという考えと、そうではなく説明が無いとわからないという考えがある。私の考えは、鑑賞者の体験、知識、さらに美術鑑賞に何を求めるかによって取捨選択するものであるとしている。例えば北斎の富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」を鑑賞する場合、多くの日本人であれば、富士がどういう山で、日本人にとってどういう存在か、また江戸時代に対する知識、浮世絵の知識がある。しかし外国人が鑑賞する場合、構図や造形的おもしろさは理解できても日本人の鑑賞のような深さは難しい。同様に多くの私たち日本人はキリスト教絵画の鑑賞が難しい。十字架に貼り付けにされているのは誰なのか、なぜ貼り付けにされているのか、なぜそれがキリスト教にとってのイコンになるのか。キリスト教絵画に登場する女性は、マリア様以外にも多くの女性が描かれる。それは誰でどういうシーンなのか、『聖書のなかの女性たち』はそれを教えてくれる。

遠藤周作は小説家で、12歳でカトリックの洗礼を受けている。キリスト教絵画を鑑賞するために、信者でもない私たちが聖書を読むことは本来ではないだろう。『聖書のなかの女性たち』は、学者が書いた解説本ではない。小説家遠藤周作が書いた物語である。「違いのわかる男のコーヒー」のコマーシャルに出ていなかったら、もっと早く遠藤文学に出会えたに違いない。

10. 12月 2021 · December 10, 2021* Art Book for Stay Home / no.81 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ガウディの伝言』外尾悦郎(光文社新書、2006年)

1980年春、初めて憧れのバルセロナを訪れた。それまでに訪れたヨーロッパのどの街とも異なる空気で私を迎えてくれた。その空気とは芸術の力が湧いてくる源のようなものだ。ピカソ、ミロ、ダリを生み出した街だからではない。このような街だからピカソ、ミロ、ダリを生み出すことができたのだ。そしてサグラダ・ファミリアと出会う。

訪問前からサグラダ・ファミリアのことは戸田正寿デザインのサントリーローヤルの広告(ポスター、雑誌広告、TVCM)で知っていたが、その存在感は遥かに予想を超えるものだった。「建築は実物を観るまで絶対観たことにならない。身体で観るものだから」というのがこのとき得た教訓。

二度目のサグラダ・ファミリアとの対面は1995年、ガイドさんがあそこに見える日本人の彫刻家の方が外尾悦郎さんですと、指差し紹介してくれた。離れていたが外尾さんは軽く手を振ってくれた。

『ガウディの伝言』は、ガウディのこと、サグラダ・ファミリアのことについて、詳しく書かれている。サグラダ・ファミリア専任の彫刻家、外尾さんでなければ書けない尊敬してやまない愛おしいガウディの思想、サグラダ・ファミリアへの切ないばかりの愛。京都市立芸術大学を出て間もない日本人の若者が、サグラダ・ファミリアの専任彫刻家に成って行けた訳。外尾さんは自らのことを石彫職人と呼ぶ、そしてそうなりたかったのだと。現在、日本人の彫刻家で単独の彫刻作品を持たない最も有名な人物であろう。そしてそのことに大きな誇りを持って、これからもサグラダ・ファミリアに彫刻を彫り続けていくであろうこと。それは私たち日本人としても誇らしいことと思う。

2005年、三度目のバルセロナの訪問。私は海外初個展をバルセロナで開こうとしていた。翌日、個展会場となっているカーサ・アジアでのオープンニングレセプションにはバルセロナ領事をはじめ多くの人が詰めかけてくれた。もちろんバルセロナにおける私の知名度は全く無く、個展開催の労を引き受けてくださった広告代理店新東通信社の力に負うものである。2ヶ月の開催期間、会場で何人もの方とコミュニケーションを取る事ができたが、そしていつもその美意識に流れているものはガウディであった。ガウディの精神や造形は私の最も尊敬するものの一つであるが、真似ようと思ったことなど一度もない。はるか遠くにあって届くものではない。しかしバルセロナの地に私の作品を置いてみると、そこには脈々と流れる魂の共通するものがあり、感涙に咽ぶこととなった。