21. 8月 2021 · August 21, 2021* Art Book for Stay Home / no.73 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『知識無用の芸術鑑賞』川崎昌平(幻冬舎、2007年)

川崎昌平は、主に映像作品を中心に発表している現代美術作家。『知識無用の芸術鑑賞』という書名は、面倒くさい知識を振り回してのアートの鑑賞など不愉快、というものである。裏表紙には「『芸術がわからない』というのは大きな間違い。芸術の見方に正解はない。美術館や展覧会に足を運び、作品に触れて感じて考えれば、印象派と後期印象派の違いがわからなくても『芸術がわかる』ようになります」とあり、作家にとって大正解のメッセージである。知識を用いての芸術鑑賞は、美術評論家や美術史家の専売特許で、彼らにとって「知識無用」では仕事にならない。

しかし川崎にも矛盾があって、「美術館や展覧会に足を運び、作品に触れて感じて考えれば芸術がわかる」のであれば本著も不要なわけで、芸術鑑賞の難しさが露呈されている。ポイントは「作品に触れて感じて考えれば」の「考える」であって、考えるためには知識が必要となる。その矛盾を解くならば、川崎の言う「知識無用」は「美術専門知識」のことを指しているのである。つまり「難しいことは考えるな」と言いたいのである。「難しい事を考えず」に芸術鑑賞するためには、この本である。

さて取り上げている作家であるが、ピカソ、モネ、ダリから入って、リキテンシュタイン、ナムジュン・パイク、ウォーホル、草間彌生などの現代美術、さらに狩野永徳、尾形光琳、円空など日本美術の分野、古今東西あらゆる分野の著名な作家58人を取り上げている。その取り上げ方に流れやビジョンはない、そういう構築するような論理に対して否定的であることが58人の多様性になっていると言えるだろう。芸術鑑賞の本でありながら、1枚の作品写真も掲載されておらず、ひたすら作家、作品について川崎の思うところを書き連ねている。私など「えっ、それはどうだろう」と思うところもあるのだが、はじめにのところで「本書は古今のさまざまな芸術を語りはするが、あくまでも一個人の思考の産物に過ぎません。」とあって、反論を交わしている。むしろ私とは異なる見方を楽しみ、共感するところも多い。多くの読者もまたそのように読まれるだろうと思う。

07. 8月 2021 · August 7, 2021* Art Book for Stay Home / no.72 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『場所のこころとことば デザイン資本の精神』河北秀也(株式会社文化科学高等研究院出版局、2021年)

No.70で河北秀也の『デザインの場所』を紹介したばかりだが、当館では現在「ミスマッチ ストーリィ 河北秀也のiichiko DESIGN」を開催中なので、先月7月20日に発行された本著を紹介する。

著書名『場所のこころとことば』に惹かれる。場所に心と言葉は普通に考えていない、そこを考えてみたということだろう。サブタイトルで「デザイン資本の精神」とあるので、メッセージの根拠はデザインにある。デザインにあるが直接的なデザイン論ではない、そこがデザイン資本たるところである。つまり現在、明日のデザインではなく、未来に向けてのデザインと考えてよいだろう。

そして本文に入ると「趣味の場所」「文明の場所」「職業の場所」などちょっと「の」で繋ぎにくいのが多くある。「場所」は単純に「について」「の思い出」あるいは「の本質」とか「の真実」とかに置き換えられる。つまり「場所」は読者にちょっとした疑問を投げかける機能として作用している。そのように考えて読みすすめると「バハ・カリフォルニアの場所」「煙草が吸える場所」というかなりストレートなものが入っていたりする。そこは軽く受け止めていると「場所のネーミング」というのが出てくる、なぜ「ネーミングの場所」じゃないのか。読んでみると、商品がネーミングされる(重要なデザインワーク)ように場所(地名)もネーミングされる、地価はイメージによって変わるので、どんどんネーミングされていくという興味深い話だが、内容は「場所のネーミング」そのものだった。「場所」の深読みを外されることもある。

場所にいろいろ翻弄されて、デザインのためのデザイン論ではなく、私たちの暮らしが「幸せに」「楽しく」「豊かに」「心地よく」なるための考えが素晴らしいデザインを生み出していくことをiichikoを呑みながら読み、学んだ。