26. 12月 2020 · December 26, 2020* Art Book for Stay Home / no.50 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『宿命の画天使たち』三頭谷鷹史(美学出版、2008年)

障害者アート、アール・ブリュット、アウトサイダー・アート、パラ・アート、エイブル・アート、定義は少しずつ異なるが日本で使われている類似語である。なぜこのように言葉が多様で集約しないのか。差別があってはならないという非常にデリケートな観点を含んでいるからである。障害者アートには障害者という言葉そのものに問題があり、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートは、既存の美術や文化潮流とは無縁の文脈によって制作された芸術作品を意味するが、それは極めて曖昧であり、定義に広がりがありすぎる。またアウトサイダーに差別的ニュアンスを含む。パラリンピックは身体に対してハンディキャップを明確に示しているが、アートは知的障害を対象とすることが多い。

『宿命の画天使たち』は、サブに「山下清・沼祐一・他」と明記し、対象を具体的に作家に目を向けている。さらに著者は「本書では引用文などに差別的ニュアンスを含む言葉が使われていた場合も、原文をそのまま掲載している。これは歴史的考察を客観的に行うためであって、差別の容認ではないことをご理解いただきたい。山下清たちの絵画は、差別やいじめなどによる心の傷と無関係ではないと私は見ている。彼らが受けた抑圧の現実を見ていく必要があり、そのためにも歴史的事実として存在した言葉を明記しておきたいのである」と最初に断りがある。

山下清、沼祐一を核に事実と徹底した認証をもとに、三頭谷は作家に寄り添い「彼らの作品の魅力はなにか、その魅力はどこから生まれているのか」丁寧に語っている。言い換えればそれは「絵画とはなにか、芸術とはなにか」を問うものでもある。

「知的障害者の美術に向き合い、理解を深めていくために」ひたすら山下清や沼祐一らに寄り添いつづけた著者の執念の一冊である。著者三頭谷鷹史氏が私が長く務めた大学の同僚であったことを誇りに思う。

19. 12月 2020 · December 19, 2020* Art Book for Stay Home / no.49 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『青の美術史』小林康夫(ポーラ文化研究所、1999年)

なんと心惹かれる書名ではないか、青に特定しての美術史論である。美術好きにとって、青の絵画というだけで、イメージされるものも多いかと思われる。「赤の美術史」「黄の美術史」「黒の美術史」なんていくつも考えられるが、そのシリーズが10書あったとして、やはり「青の美術史」が最も人気があろうかと思われる。空の青、水の青、衣装の青、花の青、描かれるモチーフからも青は絵画の中で重要な位置づけが予想される。

ところで青と緑は限りなくグラデーションであり、青緑、緑青という色もある。日本語では、「青い」「赤い」「白い」「黒い」の4色だけが形容詞である。4色以外は、「緑色の」「黄色い」というように形容される。つまり全ての色が4色に含まれるということで、緑は青に含まれる。信号は青か緑かという質問があるが、青に含まれるので表現として信号は青である。青葉、青麦、青蛙、青田、青木、みな緑色であるが青に含まれる緑なのである。

少し話がそれたが、青には広範なイメージが包含されている。さらに夢、理想、若い、清らかなど青の連想も幅広い。化学合成顔料によって自由に色が使えなかった時代の青は、天然石ラピス・ラズリから採った貴重な顔料であった。

本書の内容を最も的確に伝えるために目次を少し紹介する「第2章 オリエンタルな青」「第3章 聖母マリアの青いマント」「第5章 『フェルメールの青』と『シャルダン青』」「第9章 色彩の世紀―マチスとピカソ」「第10章 Poles and Balls ― サム・フランシスとジャクソン・ポロック」「第11章 地球は青かった―宇宙青とIKB」(IKB=イブ・クライン・ブルー)

著者小林 康夫は、哲学者。東京大学名誉教授、専門は現代哲学、表象文化論。美術史の専門ではないのだが、あとがきで「いつからか自分が『青』にとり憑かれるようになった」と自白している。その冷静ではないところが、この本のおもしろさである。

これからは「どんな絵が好きですか」と尋ねられたら、ゴッホとかモネとか言わずに「青い絵が好きですね」と言いたい。

11. 12月 2020 · December 11, 2020* Art Book for Stay Home / no.48 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『フランス留学記』笠井誠一(ビジョン企画出版社、2015年)

洋画家笠井誠一の青春日記である。笠井誠一は、1932年北海道に生まれる、1957年東京藝術大学卒業。1959年同大専攻科修了、フランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立美術学校で学ぶ。個展を中心に作品発表、1974年愛知県立芸術大学教授、1998年退官、同大名誉教授。88歳の現在も精力的に作品発表を続けている。

本書は、フランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立美術学校時代の20代後半の画学生の青春を日記風に書かれたものである。戦後、東京藝術大学を卒業してパリ留学は、画家を目指す多くの画学生が目標としたが、叶わぬ現実に諦めていった。勿論、笠井とて容易に叶ったわけではないが、挑戦そのものが意気揚々として書かれており、パリ留学の高揚を筆者とともに楽しむことができる。1959年8月17日横浜から船でマルセイユに向けて出発、神戸、香港、マニラ、サイゴン、シンガポール、コロンボ、ボンベイ、ジブチ、スエズ、カイロ、アレクサンドリア、マルセイユ着は9月21日。

パリでの留学生の生活は、その苦労と歓びとともに始まる。留学で絵を学ぶということは、こういうことかとワクワクする。日本人としての生活慣習、フランス語の壁、絵画に対する考え方の大きな違い。私は、芸術大学も海外留学も経験がないが、ないが故に憧れは強く、本著を通じて疑似体験を楽しむことができた。2、3ページに1点の割合で小さなスケッチが載せられており、誠実な笠井の学びを視覚確認することができる。

芸大、パリ留学という定番ルートは、今の時代にあって必ずしも定番ではない。学びたい国も、留学の形も費用も時間も様々な選択が可能である。であるがゆえに、笠井誠一の『フランス留学記』はその時代の輝きを放っていて、いいなぁと私は憧れる。

04. 12月 2020 · December 4, 2020* Art Book for Stay Home / no.47 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『展覧会の壁の穴』小林敦美(日本エディタースクール出版部、1996年)

小林敦美は1930年生まれ、東京大学法学部を卒業。1953年、松屋(百貨店)に入社、部署、肩書は変わりつつもずっと松屋の催事、展覧会に関わってきた。本著はその約30年の多様な経験を元に書かれている。著者自身が言う「展覧会屋の記録」である。

百貨店の展覧会は美術館、博物館のように市民に芸術文化を普及することを目的とする機関とは異なる。ビジネスマーケッティングから完全に切り離すことができない展覧会である。しかし、美術館で観る展覧会と同じようなものも開催され、展覧会では作品を販売するといったようなことも殆ど行われない。図録や関係グッズが販売されることは美術館も同じである。いったいどこが異なるのか、興味深い事実がさらけ出されている。一方で、美術館の展覧会では考えられないような機会や歓びも体験されていて、そういった点が展覧会屋たるところである。

1953年は日本の百貨店が芸術文化を担っていく初期であり、美術館も少なく、本来は公的事業として推進しなければならなかったところを日本の百貨店が請け負って行ったのである。もちろんそこには百貨店が文化の発信地として、魅力を高めることにより多くの人(客)を引きつけることができたのである。松屋はそのトップランナーであり、特に日本がデザインで世界のトップに連なっていく推進役を担ったことは多くの知るところである。

1973年グラフィックデザイナーとして歩み始めた私は、東京に出かけてデザインと言えば松屋であった。東京では多くの時間を松屋で過ごした、また松屋の展覧会を観るためだけに東京に行くことも多々あった。ジャンルを越えたトップデザイナーがメンバーの日本デザインコミッティーの事務局が松屋にあって、常設としてデザインギャラリーとデザイナーズショップを持ち続けている。また日本デザインコミッティーが主催する「デザインフォーラム公募展」は、全国のデザイナーがメジャーになるための大きなチャンスであった。私も数回の挑戦の結果、銅賞をいただき、感激したことが忘れられない。残念ながら公募展は現在行われていない。