24. 11月 2025 · November 24, 2025* Art Book for Stay Home/no.176 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『北斎漫画、動きの驚異』藤ひさし・田中聡、監修小林忠(河出書房新社、2017年)

図書館の美術コーナー、浮世絵の棚は大きく取られている。中でも北斎に関するものは極めて多い。北斎といえば富嶽三十六景がなんといっても秀作揃いで、画集も集中している。90歳まで生き、なお死ぬまで絵を描き続けた北斎が、生涯で残した作品は3万点以上と言われている。未確認のもの、海外に流出したもの、特に1点ものの肉筆画は今後さらに発見されるかもわからない。生涯旅好き、引っ越し好き、家具をはじめ財産を持たなかった北斎に関する記録は相当曖昧である。

そんな北斎が、生存中、生存後も最も国内外に影響を与えたのは、富嶽三十六景ではなく、北斎漫画である。かの有名な印象派の画家(マネ、モネ、ドガ、ゴッホ、ゴーギャン)たちに影響を与えた富嶽三十六景を外すことはできないが、北斎漫画はそれを凌ぐものである。印象派ではないが、あのパウル・クレーは北斎漫画から直接図柄を引用している。

そもそも、ヨーロッパに渡った最初の浮世絵は北斎漫画であるということが、定説である。「1956年、フランスの版画家ブラックモンはパリで、日本製の陶器の包装用パッキングとして使用されていた『北斎漫画』を偶然発見し、そのデッサンに驚愕、これを友人のマネやドガたちに見せて回ったと言われます」と紹介されている。

本文では、北斎漫画の魅力を「歩く」「吹く」「鍛える」「流れる」「泳ぐ」「喫む」「踊る」「弾く」「働く」「疾る」「食う」「磨く」「眩ます」「化す」「描く」「遊ぶ」「翔ぶ」という動きに注目して考察している。北斎漫画は、絵を描くための教科書で印象派の画家たちからは「Hokusai dessin(北斎デッサン)」として絶賛された。狩野派をはじめとする絵師たちは、弟子に対しての手本は指南書として門外不出であったが、二千人三千人の弟子がいたと言われる北斎には、どんどん手引書を出版していったという次第。それが売れに売れた。といった北斎漫画に関するあれこれの知識が満載されている。

09. 11月 2025 · November 9, 2025* Art Book for Stay Home / no.175 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ユトリロの生涯』J.P.クレスペル、佐藤昌訳(美術公論社、1979年)

近代美術史において欠かすことのできないモーリス・ユトリロ、日本においても人気の高い画家である。しかし画集やハンディな紹介本はあるものの、日本の評論家・美術史家による著作は残念ながらない。本著はフランスで出版された多くのユトリロに関する著作の中の数少ない日本語訳である。ユトリロに関する全人生をくまなく網羅したまさに「生涯」である。

ユトリロがどのような画家であったかを一言で語るなら「酔っぱらい画家」である。もちろんパリ人にとって酒といえばワインとブランデー、そして安酒アブサント。ユトリロは育児放棄の若い母シュザンヌ・ヴァラドンに代わって祖母マドレーヌに育てられたが、マドレーヌはユトリロの機嫌を取るために8歳よりワインを与えた。以来ユトリロはひたすらワインを呑むアルコール中毒となり、それは精神異常とみなされることも度々あり精神病院の入退院を繰り返した。また泥酔して警察のお世話になることも度々あった。一晩で3リットルも4リットルも飲み干したことが常習化していた。

救いは、絵を描くことであり、酔っ払って絵を描くのではなく、絵を描きその絵でワインを呑むために描くのである。それはユトリロの絵が高額になっても続けられ、高額な絵も一本の安ワインにしかならないことも普通であった。絵を売るというマネージメントの才能は全くなく、販売は主に母ヴァラドンとその夫ユッテルに委ねられた。そして利益は二人の遊興費に当てられた。

因みに、ヴァラドンは私生児であり、その子ユトリロも私生児であった。義理の父ユッテルは、元々ユトリロの画家友だちで2歳年下であった。ヴァラドンの誘惑によって二人は結婚し、ユッテルはユトリロにとって友人から年下の義父となったのである。

様々な混乱と苦悩の中でユトリロは70歳までの人生を画家として全うし、美術史に名を刻んだ。本著は伝記に近いものであるが、ユトリロを知り、その絵を理解する優れた一冊である。