31. 3月 2022 · March 30, 2022* Art Book for Stay Home / no.89 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『堂本印象 創造への挑戦』京都府立堂本印象美術館編(淡交社、2018年)

堂本印象の作品をザクッと観て、ああこういう作家だと判断することは極めて難しい。日本画家と冠せられるが、京都市立美術学校時代の水彩画から始まり、龍村平蔵(龍村製織所)での西陣織の多数の下絵、傍ら生活を支えるための木彫人形、27歳で龍村の支援を得て京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)2年目から帝展に出品し続ける日本画の大作。その後日展や自ら主宰する東丘社展への出品作、多くの名刹から依頼される障壁画、天井画。さらに書、落款、陶器、パッケージデザインや緞帳、自らの美術館建築や家具、内装まで多岐に渡っている。画題も風景画、人物画、花鳥画、物語絵、歴史画、宗教画、そして抽象絵画へ。

そうした印象の多様性を捉えて、何を考えているのか解らないと否定的に見る者も少なくない。しかし、そこに印象の印象たるところがあり、創造精神の強靭さは破格である。「画家としては、一つの様式が完成すればすぐにそれを打破し、いつまでもそこに安住せずに、気前よくそれを打ち捨てて次の段階を目指して進まなければならない。また完備した頃には再び打ち壊す・・・」「暑中休暇も正月もない、ただあるのは画面だらけだという生活をつづけ。」絵が好きで絵を業とする画家の本来を見る事ができる。それを可能にしたのは、幼い頃の裕福で文化的な暮らしであり、青年期の窮乏であり、20代の早くから高い評価を得て世に出たことであり、大きな病もなく84歳まで制作を続けることができたことである。約70年の才能あふれる画業を鑑みると、その多様さを納得することができるのである。

本著は、印象の変化の起因するところを作品とともに丁寧に展開している。読み終えた感想として、「印象は自分の絵を、期待をもって観る者に対していつも裏切ることに、楽しくて仕方がなかったのではないか」と思える。そういうエンターテイメント性があって、究極が堂本印象美術館である。美術館について印象は「新しいことは可能な限り、誰かがやらねばならぬ。この当然なやるべきことをやったのに、世間はびっくりケッタイだという。金閣寺を見たらいい、平等院の鳳凰堂でも、それができたときはケッタイだったに違いない。」と述べている。

19. 3月 2022 · March 18, 2022* Art Book for Stay Home / no.88 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『回想の鴨居玲 「昭和」を生き抜いた画家』伊藤誠(神戸新聞総合出版センター、2005年)

著者伊藤誠は美術評論家、元・神戸新聞文化事業局次長、元姫路市立美術館副館長。二人が出会ったのは戦後まもなく、昭和24・5年23・4歳の頃である。鴨居が伊藤より一歳上、新鋭の画家と駆け出しの文化部記者。親交を深めるままに歳を重ね、流浪の画家は神戸を拠点に世界を巡り、随所にアトリエを持ち、伊藤は文化部記者から事業部に移動になって文化事業として多くの展覧会を手掛ける。二人の共助は互いの出世、成長を高める。伊藤はそのことをいつも鴨居の援助のように書き進めているが、鴨居にとっても伊藤は大きな支えであったに違いない。

本著を読み進めるにあたり、少々苛立たしさを感じる。伊藤の鴨居へのリスペクトと愛情があちらこちらで邪魔をして、ズバリと言い切れずブレーキをかけてしまっている。鴨居の自死から20年が過ぎて、ようやく「回想」を書き上げた歯がゆさからなのだろうか。

前半の「鴨居玲からの手紙」では、鴨居から伊藤への手紙が全文紹介されている。主に海外からの13通の手紙が、鴨居の繊細さ、やさしさ、弱さ、思いやりが現れていて、一般に鴨居を知る人のイメージ(ダンディで傍若無人)とは異なるのだと盟友の口からではなく、鴨居自身の言葉から伝えたかったのではないかと思う。手紙は伊藤個人へのものであるが、個人へのメッセージを超えて人間鴨居が見えてくる。

そして、安井賞受賞から墓標とも言える代表作《1982年 私》、自死にいたるまでの鴨居の作品と、心の読み解きは、文化部記者から文化事業局次長、美術館副館長、美術評論家として、そして親友として、伊藤以外に誰も書き得なかった魅力に溢れている。

前半は鴨居玲人物論として、後半は鴨居玲作品評論として読み応えのある一冊である。