20. 3月 2025 · March 19, 2025* Art Book for Stay Home / no.162 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『倉俣史朗 着想のかたち 4人のクリエイターが語る。』鈴木紀慶 編著(六耀社、2011年)

4人のクリエイターは、小説家の平野啓一郎、建築家の伊東豊雄、クリエイティブディレクターの小池一子、プロダクトデザイナーの深澤直人。4人の視点から見事に倉俣を浮き彫りしている。さらにエピローグとして編集者の川床優が論考を加えている。
伊東と小池は、その専門性よりのなるほどという説を述べている。驚いたのは平野である。平野は美術に詳しく、私もファンであり何冊かを読んでいる。ところが本論では、得意な美術からの視点ではなく、きちんとデザインからの論考を展開している。デザインが専門である私が読んで驚くばかりの理解力である。そして平野は「倉俣デザインのような小説を書きたい」と願い、それが叶わないことも明解に論じている。最後の数行が倉俣デザインを最も言い得ていると思うので全文を紹介する。「僕が倉俣さんの作品が好きなのは、『覚めない夢』だからです。夢の世界を表現すること自体は、難しくないのかもしれないけれど、ほとんどの作品は、大体見る人がどこかで、目が覚めますよ。けど倉俣作品は、いつまでもずーっと夢のまま、という感じがします。どこかで覚めるかなと思うけど、なかなか覚めない。そこが不思議な魅力なんでしょう。それに本当の夢は触れないけれど、彼のつくったものは身体を通じて感触を確かめられる。手触りがあって覚めない夢、ですかね。」小説家らしい美しい文で感動した。
深澤の倉俣論はまた素晴らしい。デザイナーならではの繊細で理路整然とした考察を語っている。倉俣デザインではあまり取り上げられない『傘立て』の魅力を「消えるデザイン」として大きな評価を与えている。そしてそれは発想のみを称えるのではなく、制作した職人の技を含めているところに、さすがデザイナーの視点と感じた。アートと大きく異なるところは、デザインと作品の間に多くの場合職人が加わることだ、そしてそれがクリエイションに大きく関わるということである。
ショップのインテリアデザインでは、「入り幅木」と「眠り目地」を取り上げ、『隅と縁とつなぎ目』を論じているが、倉俣の感性を称えるばかりでなく、繊細な仕事があっと驚く空間を作り上げていることを深澤はていねいに語っている。

08. 3月 2025 · March 8 , 2025* Art Book for Stay Home / no.161 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『小林薫と訪ねる「美の巨人たち」』テレビ東京編、(日本経済新聞社、2004年)

「美の巨人」と言えば、レオナルド・ダ・ビンチかパブロ・ピカソか、はたまた北斎か。いいえ違う、テレビ東京で毎週放映されている「美の巨人たち」現在は「新美の巨人たち」の通称。2000年より始まってはや四半世紀、美術ファンにはたまらない番組である。テレビの映像技術がひたすら高度になっているのに、相変わらず音楽番組ばかりで、美術番組と言ったら、NHKの日曜美術館しかないというのが長く続いていた。今ではBS日テレの「ぶらぶら美術・博物館」、NHKの「美の壺」などなかなか嬉しいラインナップである。

さて本著、放映済みの中から魅力的な15話を収録、掲載美術作品はすべて美しいカラー版。文章はテレビのナレーションを聞くようにやさしい、いやこちらの方で「美の巨人たち」調になれたのだろうか。読んでいるとあの小林薫のナレーションを聞いているような気分になるから不思議である。

第1話ピカソ「ゲルニカ」では、「じっくりその絵を観たいのなら早目にホテルを出たほうがいいかもしれません。スペイン、マドリッド。135ペセタの切符を買って、地下鉄に乗りましょう。行き先は、マドリッド市内アトーチャの駅。地上に出れば街路樹のプロムナード。その先に目指す美術館、国立ソフィア王妃芸術センターがあります。・・・」というすべり出し、テレビの映像が目に浮かんでくる。終わりは「『ゲルニカ』。二十世紀。白と黒の因果。パブロ・ピカソの一枚。」あの名画の余韻が残る見事なラストシーン。

私は仕事柄、美術館でのギャラリートーク、美術講演会を数多くこなしているが、絵を語ることは本当に難しい。言葉で説明できるなら絵はいらないと言った声もある。本著を読んでやさしく語ることの難しさと素晴らしさを知った。