21. 2月 2023 · February 21, 2023* Art Book for Stay Home / no.113 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ジャン・コクトー 幻視芸術の魔術師』高橋洋一(講談社現代新書、1995年)

美術を勉強したくて美術書を読む、どの美術書を読むかとても難しいように思える。間違いのない方法論は「興味を惹くものを読む」といった単純なものだ。どの作家が好きなのか、その作家の時代はどのようなものであったのだろうか、その時代は他にどのような作家がいるのだろうか、技法的な興味もあるだろう。知りたい知識とともに読みたい本もどんどん広がっていく。時には興味と離れたところを読むと、自分の世界を広げてくれる。

美術のために美術書を読むのではなく、文学、音楽、演劇、映画、ダンス・・・。それも美術と関わって、美術の視点を持って読みたい。そこにジャン・コクトーがいる。ジャン・コクトーは、詩、小説、評論、絵画、演劇、バレエ、ジャンルを越えて活躍した。19世紀末から、2つの大きな戦争を跨いで現代へつながる芸術のうねりの渦中で、その名を轟かせた。最もエネルギッシュであったフランス、パリで。

美術で言えば、キュービスム、ダダイスム、シュールレアリスム、常に最前に立って、なおかつ群れから距離を保った。この時代も現代も多領域を場とすることは、高い評価を得にくい。評価はいつもその専門領域の中で用意されている。領域を越える者はいつも異端だ、そうコクトーは異端であり続けた。評価よりも領域を越え続ける魅力に遊び、異端を楽しんだ。

多領域の中で、最もコクトーが華やいだのは舞踊である、そしてその精神を貫いているものは詩であると思われる。全ての芸術表現において、常に核をなすのは思想であり、精神である。コクトーは確かに技術的にも人間的にも器用であったが、そのようなことは重要なことではない。圧倒的な思想を支える精神であり、そこに詩で磨かれた輝きがあった。ぜひ美術のための美術ではなく、美術のための何かを本著から掴んで欲しい。

10. 2月 2023 · February 10, 2023* Art Book for Stay Home / no.112 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『エーゴン・シーレ 日記と手紙』大久保寛二編・訳(白水社、1991年)

本訳書は『エーゴン・シーレの手紙と散文』(アルトゥル・レスラー編、1921年、ウィーン、リヒャルト・ラー二イ書店発行)に掲載されたシーレの文章の全訳である。シーレの散文、詩、日記、さらにスケッチブックに記された妻へのメッセージから構成されている。訳に徹して行われており、一般には「エゴン・シーレ」と表されるが、原語発音に忠実に「エーゴン・シーレ」と表記されている。

28歳の短命の中で、多くの文を残したことは、シーレ研究における貴重な資料となっており、評論を一切加えない本訳書は、その意味で脚色のないシーレ自身に出会う貴重なものになっている。私自身が本訳書から得た印象は、極めて几帳面であり、こういう友人がいたら大変面倒くさいであろうというのが本音である。中でも殆どの手紙における筆跡は、印刷書体に極めて忠実で、読む側に立ってみれば、シーレがどれほど切実にこの手紙を書いたかと感ぜざるを得ないのである。そして最も多く出したアルトゥル・レスラーへの手紙(71通)の内容は、絵の具やキャンバスを購入するための金銭の欲求、更には作品を販売するための便宜である。アルトゥル・レスラーは美術批評家であり、画商も行う当時ウィーンの実力者で、シーレを物心両面で支えた人物である。シーレはフィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホを尊敬し、ときに自らをゴッホに同化させることもあるが、レスラーはゴッホにおける最大の支援者弟テオに値する。しかしシーレが短命の中で2000点以上もの作品を残せたことは、レスラーの能力に負うところが大きいことが本訳書から読み取ることができる。

他に特筆すべきことは、第一次世界大戦の勃発で、25歳から兵役に服したことである。画家という職業が考慮され戦場に向かうことはなく、几帳面な能力にも配慮され殆ど事務的な仕事に終止したものの、描かなければならない特別な自分にとって、悲鳴を叫び続ける任務であった。28歳の短命を振り返ってみると惜しまれてならないのである。

02. 2月 2023 · February 2, 2023* Art Book for Stay Home /no.111 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『黒い太陽と赤いカニ 岡本太郎の日本』椹木野衣(中央公論新社、2003年)

「岡本太郎とは何者か」という問いは太郎に限って非常に的を得たものである。正体が掴みにくいのである。一言で芸術家である。絵も彫刻もモニュメントも壁画も作るが芸術家であって美術家ではない。論述、エッセイは多いが著述家ではない。テレビにはいっぱい出ていたがタレントではない。有名な芸術家ではあるが、意外と作品集は少ない、没後出版が相次いでいるが。岡本太郎についての著述は、太郎も、養女敏子も美術評論家山下裕二なども太郎については絶賛型である。太郎全体がポジティブで覆われているのである。

椹木野衣の本著は、そういうポジティブなものではない。「岡本太郎とは何者か」に最も肉薄した一冊と言えるだろう。椹木の美術評論家としての経験も比較的浅い41歳という中、全力で太郎を暴いている。なぜ岡本太郎は美術家ではなく芸術家なのかが明解に著されている。

その根拠を示す。一つは長くパリに住んだが、パリは他のすべての美術を志すものたちが憧れて、学びを求めて住んだのに対して、漫画家と小説家の両親に連れられてやむを得ず住んだこと。先ずフランス語を身に着け、哲学、宗教学、芸術学を学んだこと。そこにはフランス芸術の尊敬はあるものの、コンプレックスはない。ただひたすら「芸術とはなにか」に終始して生きてきた。

一つは美術以前に父一平を通して漫画があったこと。現代においては当たり前であるが、少年時代に漫画にどっぷりと浸かり、その漫画を封印することで美術に向かうという生き方を世界で最初に実践した人であること。

そうした一般に美術を志した者とは大きく異る太郎であるがゆえに、べらぼうな『太陽の塔』があり、『縄文土器論』があり、メキシコで描かれた巨大壁画『明日の神話』がある。

若い椹木が太郎に押しつぶされないように、どれだけ太郎を調査し、追究したであろうかが確固たる論を敷くことで太郎絶賛型の口を封じたと言える。