『ジャン・コクトー 幻視芸術の魔術師』高橋洋一(講談社現代新書、1995年)
美術を勉強したくて美術書を読む、どの美術書を読むかとても難しいように思える。間違いのない方法論は「興味を惹くものを読む」といった単純なものだ。どの作家が好きなのか、その作家の時代はどのようなものであったのだろうか、その時代は他にどのような作家がいるのだろうか、技法的な興味もあるだろう。知りたい知識とともに読みたい本もどんどん広がっていく。時には興味と離れたところを読むと、自分の世界を広げてくれる。
美術のために美術書を読むのではなく、文学、音楽、演劇、映画、ダンス・・・。それも美術と関わって、美術の視点を持って読みたい。そこにジャン・コクトーがいる。ジャン・コクトーは、詩、小説、評論、絵画、演劇、バレエ、ジャンルを越えて活躍した。19世紀末から、2つの大きな戦争を跨いで現代へつながる芸術のうねりの渦中で、その名を轟かせた。最もエネルギッシュであったフランス、パリで。
美術で言えば、キュービスム、ダダイスム、シュールレアリスム、常に最前に立って、なおかつ群れから距離を保った。この時代も現代も多領域を場とすることは、高い評価を得にくい。評価はいつもその専門領域の中で用意されている。領域を越える者はいつも異端だ、そうコクトーは異端であり続けた。評価よりも領域を越え続ける魅力に遊び、異端を楽しんだ。
多領域の中で、最もコクトーが華やいだのは舞踊である、そしてその精神を貫いているものは詩であると思われる。全ての芸術表現において、常に核をなすのは思想であり、精神である。コクトーは確かに技術的にも人間的にも器用であったが、そのようなことは重要なことではない。圧倒的な思想を支える精神であり、そこに詩で磨かれた輝きがあった。ぜひ美術のための美術ではなく、美術のための何かを本著から掴んで欲しい。