26. 3月 2020 · March 26, 2020* 重さ1.5トンの岩を魅せる。加藤真也の石彫への問い。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 日記

「加藤真也石彫展 ーThe Standing Stonesー」が名古屋市中区のギャラリー名芳洞で3月29日まで開催されている。

会場には44本の岩が床に立っている。

置かれているとも言ってよいが、タイトルにStandingが使われているので、やはり立っているのである。

立つためには立方体のような寸法比ではありえず、ひと目で直方体的寸法比をもつものでなくてはならない。

44本の中には、颯爽と立っているものからずんぐりと立っているものまであるが、全てが立っている。

ここに加藤真也の彫刻としての姿がギリギリ存在していると言えよう。

彫刻というものは、作者が手をかけたものという最低の約束がある(マルセルデュシャンの作品は、オブジェ、あるいはレディメイドと呼ぶ)。

加藤真也の手をかけたところは1.5トンの岩を44本に割ったこと。

ドリルで穴を空け、タガネで割った。

荒々しい割れ面は、作者の「割った」という創作的意思と「割れた」という岩の性質が同居している。

作者の思いと思わざる双方の形がある。

それをギャラリーに運び込み、配置した。

どのように配するかも創造の大きな要素であるが、今回の作品では二次的なものだろう。

「これ以上手をくださないことはできないギリギリの創作」について作者は対峙しているのであろうと思われる。

私は、認知できるが実感を持つことの出来ない1.5トンを観たくて個展会場を訪れたが、一本が約30キロの石柱44本の重量感を楽しむことができた。

創作というよりも重量感を捉えることができたのは、作者の「これ以上手をくださないことはできないギリギリの創作」による抽象性によるものであると考える。

22. 3月 2020 · March 21, 2020* 立ち止まり、鑑賞してしまう「いいちこポスター」。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 日記


戦後、日本のポスターは宣伝美術(商業美術とも言われた)という言葉に括られて、美術の一分野としてスタートした。
制作者は戦前からの流れで図案家、また商業美術家とも呼ばれた。

1970年代に入ってデザインという言葉が一般的になり、デザイナーと呼ばれるようになると、商業美術家はグラフィックデザイナーと名乗るようになった。
その間、ポスターはいつも美的なものを目指し、美的であることによって宣伝(広告)効果を上げてきた。
しかし、大手企業がポスターによる効果から新聞、雑誌広告、更にはテレビCM、ラジオCMと複合媒体(メディア)によって効果を上げ始めると、美術という考えが次第に消えて行き、デザインから広告という方向へ向かっていった。
放送媒体は瞬時に受け手を通過するもので、鑑賞という時間が与えられないのである。
美しいことよりもひたすらインパクトが求められるようになった。
複合媒体の中で、テレビが大きな力を持ち、広告の主役となっていくに伴いポスターは脇役に追いやられていくことになった。

2000年代に入り、媒体はさらに複雑化し、インターネットを取り込んでいく。
ポスターは消えることはなかったが、相対的比重が低くなっていった。
かつての鑑賞に値する(美術の教科書には今も取り上げられている)ポスターは、激減していった。
そういう状況の中「いいちこポスター」は、1984年より「新しい焼酎のイメージを作り上げる美しい広告」をコンセプトに36年続けてきて、今も進行中である。
私たちは過去のものではなく、今を生きている美しいポスターを観ることができる。

ポスターデザインを支えている制作スタッフは、アートディレクターの河北秀也、コピーライターの野口武、デザイナーの土田康之、カメラマンの浅井慎平。
彼らの高い能力に負うところは勿論である。そして何よりもその美しいポスターをブレることなく駅に掲載し続けている「いいちこ」のメーカー、三和酒類株式会社のクライアントビジョンにある。

18. 3月 2020 · March 16 2020 * 平成の食文化って、何だろう。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 日記

昭和の食文化は、私にとっては給食とともに貧しさが記憶に残る。

ひもじいというよりも、美味しいものが少なかった。

食材の種類が少なく、調理方法も単純で煮たり焼いたりが殆ど。油で揚げるとか炒めると美味しくなるものも油が高級で多くは叶わなかった。

その上調味料もまた貧しかった。

一方でバブル経済による華やかさ、贅沢もまた知る身である。

毎日新聞の人気連載「いただきます」は、昭和の貧しさ、幸せ、温かさとどこかで繋がっている平成食物語。

レストラン◯◯ではなく、◯◯食堂が主役のやさしい話がいっぱいの一冊。

佐々木悟郎の絵は、挿絵ではなく画集のような編集。絵と文の本です。

(毎日新聞社会部著、佐々木悟郎絵、ブックマン刊)

 

10. 3月 2020 · March 10,2020 * 2020年度前期、清須市はるひ美術館 館長アートトークスケジュール決まる。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 教育普及プログラム

4 ジョルジュ・ルオー

5 柚木沙弥郎

6 猪熊弦一郎

7 原田治

8 ピエール・ボナール

9 アンディ・ウォーホル

 

「トークで取り上げるアーティストはどのように決定するのか」という質問をよく受ける。

先ず領域は出来る限り多様であること。

半年間のラインナップで洋画が多いとか、彫刻が多いとかならないように配慮。

これまで取り上げていないアーティストであること。

できれば、トークの時にそのアーティストの展覧会が開催されていること、言い換えればタイムリーであること。

これまで約100人の古今東西の画家、彫刻家、工芸家、デザイナー、絵本作家、イラストレーター、建築家、写真家、現代美術作家など取り上げて来たが、まだまだ一部。

著名なアーティストを取り上げているので、わたしなりに一定の見識を持っているが、いざトークとなるとまだまだ浅く、一ヶ月間がさらなる勉強に費やされる。

それが楽しい時間になるようなトークを目指している。

作家の経歴、作品理解は勿論だが、一番大切にしているのはそのキャラクターをつかめるかどうか。

その眼は評論家ではなくて作家の眼で追求している。

なお、3月中止になった川合玉堂を、このスケジュールに挟み込んでいく予定。

06. 3月 2020 · March6, 2020* 館長アートトーク「川合玉堂」、超遠近のうちに聴く音。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 教育普及プログラム
第90回館長アートトーク「四条派と狩野派を融和、日本の風景を記憶に留める川合玉堂の日本画。」を3月21日に開催予定していたが、新型コロナウィルスの影響で開催は中止となった。
必ず後日、日を改めて開催する。
川合玉堂の魅力は多様。
一つは遠景近景のスケールにあると思う。
この《月下擣衣(げっかとうい)》(1913年作)では、荒々しい岩肌の近景が特徴的。
絵を観る者はこの岩の手前に立っている。
遠くに民家と樹々、いやその向こうに何やらする二人がいる。
二人は作品名でわかるように擣衣を行っている(擣衣とは、木綿の布をしなやかにし、艶を出すために砧にのせて槌でうつこと)。
擣衣の手元を明るくしているのは月。二人の遥か上に静かにある。
この絵における超遠景として月があり、空、宇宙の存在がある。
果てしない背景の中で、槌を打つ音が聴こえてくる。
天空を取り込みながらそこにある、人々の何でもないような淡々とした暮らし。
川合玉堂の超遠近感についてのトークを必ず実施したいと考えている。
04. 3月 2020 · March 3, 2020* 石牟礼道子『椿の海の記』命の記憶のはじまり はコメントを受け付けていません。 · Categories: 日記

石牟礼道子著『椿の海の記』(1976年、朝日新聞社)

 

私の本棚に45年間あって、すっかり黄ばんでいる。

果たして読んで忘れているのか、読んでいないのか、椿のタイトルに惹かれて開いてみた。

記憶が蘇らないので、おそらく読んでいないのだろう。

 

1928年、水俣川の河口で生まれ育った石牟礼道子の記憶を辿る自伝。

昭和のはじめ、社会の底辺で逞しく生きる水俣の人々の暮らしが、みっちん(石牟礼道子)の記憶のはじまりから描かれている。

地に川に海にへばりつくように生きる村の人の中に、みっちんの記憶が開始する。

友だちもいるが、みっちんは大人が好きで大人に可愛がられ大人を友だちとして生きる。

そこには風習や迷信、謂れ、畏れ、祈りがあり、小さなみっちんはある日、狐になりたくて薮で狐を装う。

が、ちっともしっぽの生えて来ない自分のお尻にがっかりする。

 

家のそばにあった郭の妓や、髪結のおばさんとも仲良し。

そんなみっちんは親や叔母の留守に、鏡台、タンスから化粧、着物を盗み出して花魁になりすます。

通りをしなやかに歩き一人花魁道中を繰り広げる。

 

山の野の海の命をいただいて、貧しいが貧しいことを知らず、痛快と哀しみと生きる歓びが力強い。

水俣病の原因となる日本窒素肥料の工場もすでに建つ景色の中で、風土に生きる人々が美しい。

69歳の今まで、読むことを遠ざけていてくれていた『椿の海の記』に感謝。

石牟礼道子の代表作『苦海浄土 わが水俣病』は、文明の病としての水俣病を鎮魂の文学として描き出した作品として絶賛された。

同作で第1回大宅壮一ノンフィクション賞を与えられたが、受賞を辞退している。

石牟礼道子の句「死におくれ死におくれして彼岸花」が身に沁みる。90歳パーソンキン病にて死去。

04. 3月 2020 · March 1, 2020* MUSA-BI展、その多様性。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 日記

岐阜県池田町にある極小美術館にて「MUSA-BI展」が始まった。

オープニングレセプションに出席。その多様性と密度の高さに充実の時間を過ごした。

 

MUSA-BIとは武蔵野美術大学の略称であり、愛称でもある。

殆どの大学は略称で呼ばれているが、美術系大学も同様である。

東京藝術大学を芸大、多摩美術大学を多摩美、女子美術大学を女子美と呼ぶ。

この地域では愛知県立芸術大学を県芸(ただしこの地域でしか通じることはなく、「愛知県芸」という全国区的呼び方と、愛知県立芸術大学関係者限定で自ら「芸大」と呼ぶ呼び方がある)、

名古屋造形大学を造形(全国的には名古屋造形)、名古屋芸術大学を名芸(メイゲイ)と呼ぶ。

ただしご存知のように名古屋を名(メイ)と略するのは、名古屋大学、名古屋駅をはじめ地域でしか通用しない。

 

少し話がそれたが、ムサビ、タマビはその歴史とともに他美術系大学とは極めて明確に差別化のできている略称である。

ただし漢字では武蔵美とも武美とも書くことが出来ず、カナでも迫力がない。そんなことでMUSA-BIになったのかと思われる。

大学名称でも展覧会名称でも名称は極めて重要で、その内容を決定づけてゆくものがある。

「MUSA-BI展」は、ディレクターを中風明世、アシスタントディレクターを矢橋頌太郎が務めている。ともに出品者でもある。

「MUSA-BI展」はもちろん武蔵野美術大学の卒業生によるものだが、芸術院会員の神戸峰男、土屋禮一をはじめ若手作家までその領域、年齢、作家活動まで多様性に満ちている。

重要なことはその質であるが、その上で武蔵野美術大学の歴史が見せる多様性であって、それは美術の使命そのものとも言える。

展覧会は4月5日まで、090-5853-3776まで必ずアポイントをとって来館。

極小美術館http://www.kyokushou-museo.com

01. 3月 2020 · March 1, 2020* チャーミングなペインター、ラファエル ナバス。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 日記

2月21日、初日にGALERIE hu:で始まった「ラファエル ナバス」展を訪れた。

会場はハッピーで満ちていた。

誰もが楽しくなる、そんな作品群だ。

椅子、テーブル、チェストなどの家具とオブジェ、絵画。

一見、立体造形作家のようである。

しかし作品の魅力は圧倒的に鮮やかな色であふれるペインティングだ。

鮮やかな色を魅力的に見せているのは、ラファエル ナバスのペンディングタッチであり、色の配置である。

観る者はそこに自由奔放を感じ取るが、作者は巧みな表現力を屈指している。

その技巧を感じさせてしまっては、これほどチャーミングな作品群にはならない。

 

ラファエル ナバスは、1964年、スペイン・ハエン生まれ。

バルセロナ大学美術学科博士課程を修了し1992年来日。

愛知県立窯業学校陶芸専攻科、愛知県立芸術大学研究生を経てスペイン・ハエンに穴窯を築窯。

1996年常滑市に移り開窯、現在常滑にて制作している。

2009年、清須市はるひ美術館で開催された「キタイギタイひびのこづえ展-生きもののかたち 服のかたち-」にてワークショップを開催している。

展覧会は3月19日まで。

GALERIE hu:情報は、http://www.galleryhu.com