29. 1月 2021 · January 29, 2021* Art Book for Stay Home / no.54 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『横尾流現代美術』横尾忠則(平凡社新書、2002年)

1月15日から4月11日まで愛知県美術館において「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」が開催されている。東海地方で開催される横尾忠則展としては初めての、そして最大級の展覧会である。インスタレーション作品もあるので、その点数を数えることはできないが、常設展示会場も使用して壮大な作品群である。これまで関西関東で開催されてきた横尾忠則展はすべてこうした破壊的物量を観ることになり、そうした物量というものも横尾芸術の一環であるということが言える。

横尾作品にはいくつものシリーズがあって、基本的に美術史のように年代を追うことができるのだが、過去というまとめ方をすることはできない。例えばほとんど描かれることのなくなっている「滝」「暗夜光路」にしても、現在描かれる作品に生きており、いつも時空間を超えたイメージとして登場するからである。

横尾にとって「POPアートとは」「江戸美術とは」「三島由紀夫とは」「エロスとは」「ポスターとは」「版画とは」「前衛芸術とは」「夢とは」「コラージュとは」「UFOとは」「タブーとは」・・・無数のキーワードが交錯して創作が生まれる。そしてその答えを横尾から聞き出すための著述が無数にあり、著書も何百に及ぶ。著書もまた横尾にとっての膨大な創作の一環なのだろう。

本著『横尾流現代美術』はその一冊に過ぎない214ページの新書であるが、「横尾忠則とは」に最も手軽にわかりやすく答えてくれる一冊である。

今から40年ほど前、横尾さんが画家ではなくまだトップイラストレーターとして大活躍していた頃、著書は数冊しかなかった。その頃デザイン雑誌の編集長から伺った話、「横尾くんは、最初原稿を依頼したとき文章が下手でね、編集担当は大変だった。それでもどんどん書きなさいとアドバイスしたんだ、書くことは創造を鍛えることだからと。随分上手くなったね。」そして今は無限なる著述だ。ツイッターでも日々自分の言葉で発信し続けている84歳である。

24. 1月 2021 · January 23, 2021* Art Book for Stay Home / no.53 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『戦争写真家ロバート・キャパ』加藤哲郎(ちくま新書、2004年)

写真家は、何を撮るかということによって分類される。報道写真家、広告写真家、風景写真家、動物写真家、建築写真家、芸術写真家等、その分類を横断する者もおればこだわらない者もいる。戦争写真家というのは、報道写真家の一分野であるが、その活動が極めて困難を強いられることから強いビジョンを持って活動を続けている者が多い。

戦闘や紛争の行われている地域に入り込み、戦争状況、被害者などを取材する。

戦場カメラマンという言い方もされる。近年では写真だけではなく、ビデオも含まれる。取材中に命を落としたり、拉致されて高額な身代金を要求される者もいる。過酷で劣悪な環境に加え、空腹、飢えに耐えうるサバイバル能力を要求される。

極めて過酷な状況にも関わらず戦争写真家を希望する者は現在でも少なくはない。勿論そこには報道の使命を受け止める強い正義感に溢れている。その具体的なイメージとして戦争写真家ロバート・キャパの姿があると思われる。

ロバート・キャパは1936年、スペイン戦争のコルドバで撮った「崩れる兵士」が「ライフ」に掲載され世界的に注目された。第二次世界大戦では、ノルマンディー上陸作戦のドキュメントが今日でも高い評価を得ている。インドシナ戦争中の1954年、地雷を踏んで死亡。戦争写真家のあるべき姿、戦争写真とは何かの一つの典型を示した。

キャパは、戦争写真のみを撮り続けたわけではなく、戦争写真のみで評価を得たわけではない。戦場を離れて多くの日常を撮った写真も高い評価を得ている。しかしキャパにとっては過酷な戦場の対比、あるいは表裏の関係として日常もまた戦場写真の領域にあったと思われる。

かつて戦場であった日本が、写真による追体験から目を反らしてはならない。現在も報道される他国の戦争を、近未来の日本と無縁のものと誰もが確信することはできない。キャパをはじめ多くの戦場写真家が「なぜ戦場写真を撮るのか」の答えがそこにあると確信する。

14. 1月 2021 · January 14, 2021* Art Book for Stay Home / no.52 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『1964-67アンディ・ウォーホル』ナット・フィルケンスタイン、金井詩延訳(マガジンハウス、1994年)

1964-67年、写真家ナット・フィルケンスタインはファクトリーに自由に出入りし、ウォーホルを核に、そこに巣食う俳優、ミュージシャン、トランスジェンダー、作家、アーティストたちを撮影し続けた。本著はナットがその様々なシーンを写真とメッセージでレポートしたものである。

ファクトリーは、ニューヨークにあるアンディ・ウォーホルのスタジオであり芸術サロン、ウォーホルは作品を制作するだけでなく、巣食うメンバーとさまざまなコラボレーションを行った。また自主製作の実験的映画を撮影、上映された。1962年から1984年まで、そのファクトリーは最も熱く展開された。

著名なアーティストであることよりも、「スターになる」ことを宣言したウォーホルにとって、ファクトリーで頻繁に繰り返されるスキャンダルは、輝かしいステージでもあった。ファクトリーで演じる者は、ローリング・ストーンズ、ブリジッド・バルドー、ベッツィ・ジョンソン、ブライアン・ジョーンズ、ボブ・ディラン、デヴィッド・ボウイ、ジョン・レノン、マドンナ、ミック・ジャガー・・・気の遠くなるような輝きであるが、その誰もが主役ではなく、ウォーホルの脇役であった。もちろん、アーティストの出入りも多く、サルバドール・ダリマルセル・デュシャンロバート・ラウシェンバーグ、ロイ・リキテンスタイン、ミシェル・バスキア、ヨーコ・オノ、キース・ヘリング・・・。

そしてナットは、ウォーホルにバレリー・ソラナスを紹介する。バレリーは、全男性抹殺団(S.C.U.M. /Society for Cutting Up Men)のメンバー。そして1968年6月3日、ウォーホルを狙撃、殺人未遂。

成長し続けるアメリカのエネルギーと響き合うように輝き続けたウォーホルが、一気に輝きを衰えさせて行くのを、デザイナーからアーティストを目指していた私は淋しさをもってその時代を感じていた。

05. 1月 2021 · January 5, 2021* Art Book for Stay Home / no.51 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『若冲』澤田瞳子(文藝春秋、2015年)

新年早々はどのアートブックを取り上げようかと考えていたら、1月2日夜にNHK総合で「ライジング若冲〜天才かく覚醒せり〜」が放映された。若冲に中村七之助、心をときめかせながら観た。絵師というのは技術を高めるための絵師を師に持つものではなく、心の支え、精神のあり用を師に持つべきである。「若冲は師を持たず、弟子をもたず」への短絡的解釈が批判されよう。

さてドラマの若冲はこれくらいにして、澤田瞳子の小説『若冲』である。若冲とはどういう人間であったのか。若冲をめぐる人々、家族、特に妹お志乃の存在、心の師である相国寺の禅僧大典顕常との関わりが若冲の心を繊細に描きあげている。京錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生まれ、家業を弟に譲り早々と隠居絵師となる。その特異な人生が、どのようなものであったか、小説本来ならではのおもしろさである。

さらには京の同時代を生きた池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁など華麗なる絵師たちが登場してくる。小説にありがちなドラマチック設定のためのものではない、江戸時代中期の京がいかに文化の充実が高かったかということである。江戸では庶民の浮世絵が全盛であるが、京では俵屋宗達、狩野探幽、尾形光琳らの流れを汲む現代日本画への礎が築かれていた。

若冲に関しては、天明の大火によってそれまでの絵画や資料が焼失したことが、美術史家にとって嘆かわしいこととされる。もちろん今を生き、日本の美術を愛好する私たちにとっても不幸な大火に違いはない。しかし、小説『若冲』はそれであればこそ生まれた若冲伝の魅力に溢れている。

長谷川等伯、葛飾北斎、尾形光琳、さらには写楽、私たちが知りたいことは不確かな史実に振り回された物語ではなく、描かれた絵から浮き彫りにされていく絵師たちの人間像である。そういう意味で天明の大火は、奪うばかりではなく、ときめく何かを生み出したに違いない。