30. 9月 2021 · September 29, 2021* Art Book for Stay Home / no.76 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『神坂雪佳の世界 琳派からモダンデザインへの架け橋』榊原吉郎・解説(平凡社、2008年)

神坂雪佳は、なぜこれほど知名度が低いのか。雪佳を知る人には、「大好き」の声が帰ってくる。本著を読めば「なるほど、そういうことか」と判る。美術家の場合、図書館に行ってみればその人気は一目瞭然。ゴッホやピカソ、北斎や光琳、最近では若冲の画集や解説著述がずらりと並んでいる。そんな中、雪佳は見つからない。あるにはあるが、薄い、小さい。つまり、評価が低い。出版社も美術史家、評論家も高い評価の人気作家になびく。

雪佳は間違いなく琳派の作家であって、琳派の人気から外れるものではない。絵も素晴らしい。ではなぜなのか。文中に竹内栖鳳と並べて比較の論述がある。栖鳳と雪佳は共に京都画壇、同時代を過ごし応挙の流れを汲む学びから始まっている。二人が道を異にするのは、栖鳳が近代日本の芸術をめざし、雪佳が琳派をめざすことにある。

雪佳のめざした琳派は、光琳がそうであったように京の生活の場にある御道具に優れたものを作ることにあった。硯箱や茶碗はもちろん、お軸も襖も絵は道具に描かれているものである。この日常の場に生きて、京の旦那衆から支えられた。西洋からの芸術の中心に向かった栖鳳は、日本芸術院会員となり、文化勲章を授与された。

琳派を理解するにあたって、私達は御道具(現代では工芸)としての価値よりもそこに描かれた絵に評価が行き過ぎではないか。それは現代において、工芸よりも美術の方を価値が高いと見る西洋文化の受け入れであって、そこに矛盾が起きている。

江戸琳派の立役者となった酒井抱一の、光琳に対する高い評価も絵に向かいすぎたところがある。江戸の絵師抱一としては、琳派への憧憬は素晴らしいものであったが、京の「絵かきはん」雪佳は、琳派のすべての仕事である御道具に傾倒した。京という暮らしの中で琳派を継承した。

琳派とは何か、雪佳を通してあらためて学ぶことが多かった。

16. 9月 2021 · September 16, 2021* Art Book for Stay Home / no.75 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『手仕事の日本』柳宗悦(岩波文庫、1985年)

本著は、1948年に出版された靖文社刊の『手仕事の日本』、1954年に出版された春秋社刊の『柳宗悦選集』を元に文庫本として書かれたものである。著者柳宗悦は民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者であって、民藝といえば柳宗悦という存在である。本著の後記で「この一冊は若い方々のために、今までよく知られていなかった日本の一面を、お知らせしようとするものであります。」と書かれている。現在70歳の私は若い人ではないが、柳の趣旨は後世の人のためにというものであり、正に貴重な一冊であり、現代の我々誰もが読むべきものであると考える。

柳が本著を書くにあたり、日本全国を旅し調査にあたったのは、大正末から昭和18年まで20年に及んでいる。交通の不便なところこそ本当の民藝の素晴らしさがあるとし、その取材は困難を極めたものと思われる。そしてその頃、まだまだ生き生きと活躍していた民藝が、今では多くが無くなり本著では遺書と化しているものも多い。しかしながら集められた民藝は、現在日本民藝館に収められており、現代の我々も観る事ができるのは幸いである。

柳は「工芸の美は健康の美である」、「用と美が結ばれるものが工芸である」、「器に見られる美は無心の美である」、「工芸の美は伝統の美である」と説き、民藝美論の骨子を集約している。それは作者があらわされているものではなく、今日の芸術のあり方をも鋭く批判している。

本著を読みながら、日本民藝の旅をすることになる良きガイドブックともなっているが、200点にも及ぶ芹澤銈介の挿絵もまた見ものである。そして道具には実に多くの名前があり、その名前がどのように付けられ、伝えられていったのか、用途、素材、色、形、地域、使用方法などが込められており、民藝のあり方というものを再考させられる。

03. 9月 2021 · September 3, 2021* Art Book for Stay Home / no.74 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ウォーホルの芸術 20世紀を映した鏡』宮下規久朗(光文社新書、2010年)

Art Book for Stay Home /no.35で『とらわれない言葉』アンディ・ウォーホルを、no.52で『1964-67アンディ・ウォーホル』ナット・フィルケンスタインを紹介した。一度目はウォーホルの叫びを、二度目は最も近距離からのウォーホル友人の声、そして三度目の本著はウォーホルから距離も時間も離れて客観的に書かれている。最も美術論的ウォーホルの紹介である。

美術史としてのウォーホルはどういう脈略を持っているのか、ウォーホルの表現はなぜこうなのか。ウォーホル自身が読めば「くそくらえ!」と言いそうな、あるいは「ナイス!」かも知れないような、大変おせっかいなウォーホル論である。しかしそれはダビンチであろうが、ゴッホであろうが、作者が望むか望まないかに関わらず膨大な美術史の一コマとして組み込まれていく。

ウォーホルの登場から活躍のアート現象を、少し遅れた同時代から観ると、それが美術史や美術論の中でどういう意味を持つかなど、全くどうでも良い。目の当たりにしているアートそのものが観る者にどれだけの衝撃、感動を与えるか、その価値によってのみ存在している。だが美術館、美術大学は鑑賞者の感動で作家を位置づけることはしない。客観的事実を積み重ねて作家の美術史的意味を位置づける。

あらためて、『ウォホールの芸術 20世紀を映した鏡』を読むと、なるほどと納得せざるを得ない、さすがである。特にキャンベルスープのシリーズ、モンローのシリーズにおいては丹念になぜ他のシリーズよりも魅力的なのかが語られている。また死と惨禍のシリーズにおいては、負のテーマを抱えたウォホールの分析を丹念に行っている。

ウォホールが生きていて、納得するかどうかではない。ウォホール自身の意識の届かぬところも含めて、作品が生まれ、評価され、ウォホールの思想やキャラクターが死の先まで創られて行くことを予期し、楽しんでいたと想像されるからである。