04. 6月 2020 · June 4, 2020* Art Book for Stay Home / no.12 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『メディア社会の中の写真を考える メディア写真論』佐野 寛(パロル舎、2005年)

「芸術における写真とは何か」は、多くの人の問いかけである。それは近年発明された表現技術であるからである。
「芸術における絵画とは何か」「芸術における彫刻とは何か」とはかなり異なる問いである。
絵画や彫刻は芸術であることを前提としているのに対して、写真は芸術としての前提が危ういのである。絵画(版画を含む)や彫刻を通して芸術とは何かが何百年もかかって定義づけられて来た。
そしてそれが結論付けられた頃に写真が登場した、19世紀のはじめである。芸術の役割の中にあった「記録する」ということが、圧倒的な技術力の違いでその役割を除外せざるを得ないこととなったのである。しかしそのおかげで「芸術とは何か」が記録すること以外において明確化されたと言える。そして印象派が誕生した。以降の芸術は、写実、具象を表現手段の一つとして位置づけるに至っている。

写真家の団体で開催されたシンポジウムに招かれて、「写真は芸術でしょうか」という質問を受けた。私は「もちろん芸術です」と答えた、質問者を含む会場からは共感のざわめきが起こった。私は付け加えるように「それは、絵画は芸術でしょうかという質問と同じです」「写真は芸術ですが、絵画がすべて芸術ではないように写真もすべてが芸術というわけではありません」としたが、真意は伝わらなかったかも知れない。

本著『・・・メディア写真論』は、写真はメディアとしてどのような役割を担っているのかを424ページに渡って論じている。
そこには写真がメディアとして大きな力を有していること、報道メディアとして大きな力を発揮し続けてきた写真、広告メディアとして広告を大きく発展させてきたことを、すべて実例を上げて丁寧に述べている。したがって強い説得力のある論文となっている。論文であるが大変興味深いノンフィクションでもある。

ブログからユーチューブ、SNSの双方向メディアの爆発によって、メディアが公的なものから私的なものに拡大されつつある今、写真が持つメディア力は計り知れないものとして我々は実感している。
「芸術における写真とはなにか」を含めて、改めて「写真とは何か」を考えるに優れた一冊である。

著者佐野寛は、アートディレクターとして広告制作会社を経営し、一方で東京学芸大学教授、目白大学人間社会学部メディア表現学科特任教授として、教育・研究の第一線で活躍して来ている。デザイン、広告、メディア理論と実践の先輩として尊敬の人、何度か酒を共にお話をさせていただく機会を得たが、論を酒席で楽しむことができる方である。論と酒はこうありたい。

02. 6月 2020 · June 2, 2020* Art Book for Stay Home / no.11 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『美術館で愛を語る』岩渕潤子(PHP新書、2004年)

なんてチャーミングな書名なのだ。公園で愛を語る、遊園地で愛を語る、劇場で愛を語る、図書館で愛を語る、と並べて美術館で愛を語る。
それがすんなりと感じられないから『美術館で愛を語る』が書名としてイキイキしてくる。

私たち美術館関係者は、『美術館で愛を語る』ことはなんと素晴らしいことかと考えている。
しかし、美術館で愛を語っている人は極めて少ない。いやもちろん聞き耳を立てている訳ではない。年齢を問わずカップルでの来場が少ないからである。高校生のカップルが来場されると「あ、きっと美術部の仲間だ、愛が育まれるといいなぁ」とつまらない想像をしてしまう。

多くの来場者は「絵は絶対美しいもの」との幻想に囚われ、その感動を強要されているかのようである。そこには絵の感動の感想を語り合う場所と設定されているかのようである。
絵はもっと多様であり、美しいというのも一つの評価でしかない。

少し広い空間であればソファが用意されている、ロビーにはベンチやカフェ、レストランもある(すみません、本館は残念ながら不十分です)、レストランにはビールや軽いアルコールも用意されている。
展覧会によっては、愛がテーマの作品もあり、抱擁やキスシーンもある。愛を語るには十分な装置であるはずである。大声を出すことはタブーであるが、愛をささやくことに何ら問題はない。

欧米の多くの美術館、研究所で研究し、世界の美術館を観て来た著者が、あらゆる角度から美術館のロマンを問い、答える。
美術館をどういうものだと考えるべきか、美術館でどのように作品を鑑賞すべきか、多くの美術館を具体的に取り上げながら、その楽しみ方を伝授してくれる。
それはつまり『美術館で愛を語る』ためなのだ。