24. 6月 2020 · June 24, 2020* 「ルート・ブリュック 蝶の軌跡」を回想する。 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

全国の美術館における企画展会期がコロナウイルス感染症拡大防止対策のため、ポスターやチラシで発表されていたものと変更開催の運びとなっていることに要注意である。
本館が開催中の「富永敏博展」も同様です。

岐阜県現代陶芸美術館で開催中の「ルート・ブリュック 町の軌跡」展も4月25日から7月5日までの予定が、6月6日から8月16日までに変更された。
展示作品は、返却や次の会場へのスケジュールがすでに組まれており、保険や作品輸送業者の手配などの問題が山積みである。
しかしもっと大切なことは、展覧会を楽しみとしてくださっている多くの来館者の期待に応えることである。

 

早速、岐阜県多治見市にある岐阜県現代陶芸美術館に出かけてきた。

ルート・ブリュックはオーストリア人画家で蝶類学者の父と、旧フィンランド領カレリア地方出身の母のもとに、スウェーデンのストックホルムに生まれる。両親の別離に伴い母と兄弟とともにフィンランドに移住。
こうした多様なルーツは芸術家にとって大きな抽斗となり、豊かな表現に結びついていくことが多い。
また建築家になる夢を持ちながらグラフィックアートを学び、グラフィックデザインやテキスタイルデザイン、イラストレーターの仕事に就く。
26歳のときアラビア製陶所美術部門に招聘され、以降およそ50年に渡り同部門で活躍。
陶磁器を基本においたアラビア製陶所美術部門はルート・ブリュックの多様な才能を開花させるのに素晴らしい環境であったことを、この展覧会を観て確信する。

アラビア製陶所美術部門のアーティストは、スタジオとアシスタントを与えられ、完全に自由な制作を許されていた。基本給に加えて、作品が売れるごとに歩合給を受け取ったほか、さらに工場の窯や材料も自由に使うことができた。
美術部門をもつ製陶所はほかにもあるが、ここまで自由度の高いところはとても珍しい。もちろん日本でも聞いたことがない。
ただし、ブリュックはやがて給料の受け取りを放棄し、マーケティングで彼女の名前を使用することは禁じる一方、アーティストとしての権利は保持していた。

戦中戦後には存続の危機に直面したこともあったが、約70年の歴史を刻んだ美術部門は2003年にアラビアから独立し、「アラビア・アートデパートメント協会」という組織として新たな一歩を踏み出した。
現在は8人のアーティストが在籍し、昔と変わらず、旧アラビア製陶所の9階にあるスタジオで自由な制作が続けられている。

私は、アラビア製陶所美術部門のこうした優れた取り組みに興味をいだき、1991年と1998年にアポイントを取って訪問した。
担当の美術部門長は、工場、工房、アーティストのアトリエ、広大なギャラリー、ショールームを笑みと誇りを持って案内してくれた。
ルート・ブリュックの自由で夢に彷徨うような作品群は、アラビア製陶所との共演の中からこそ生まれ得たものと考える。