「加藤真也石彫展 ーThe Standing Stonesー」が名古屋市中区のギャラリー名芳洞で3月29日まで開催されている。
会場には44本の岩が床に立っている。
置かれているとも言ってよいが、タイトルにStandingが使われているので、やはり立っているのである。
立つためには立方体のような寸法比ではありえず、ひと目で直方体的寸法比をもつものでなくてはならない。
44本の中には、颯爽と立っているものからずんぐりと立っているものまであるが、全てが立っている。
ここに加藤真也の彫刻としての姿がギリギリ存在していると言えよう。
彫刻というものは、作者が手をかけたものという最低の約束がある(マルセル・デュシャンの作品は、オブジェ、あるいはレディメイドと呼ぶ)。
加藤真也の手をかけたところは1.5トンの岩を44本に割ったこと。
ドリルで穴を空け、タガネで割った。
荒々しい割れ面は、作者の「割った」という創作的意思と「割れた」という岩の性質が同居している。
作者の思いと思わざる双方の形がある。
それをギャラリーに運び込み、配置した。
どのように配するかも創造の大きな要素であるが、今回の作品では二次的なものだろう。
「これ以上手をくださないことはできないギリギリの創作」について作者は対峙しているのであろうと思われる。
私は、認知できるが実感を持つことの出来ない1.5トンを観たくて個展会場を訪れたが、一本が約30キロの石柱44本の重量感を楽しむことができた。
創作というよりも重量感を捉えることができたのは、作者の「これ以上手をくださないことはできないギリギリの創作」による抽象性によるものであると考える。