10. 6月 2024 · June 10, 2024* Art Book for Stay Home / no.143 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ブランクーシ』中原佑介(美術出版社、1986年)

近現代美術作品をコレクションしている美術館を訪れると、かなりの確率でブランクーシの作品がおかれている。その多くが金と見間違えるピカピカに磨いたブロンズ作品である。ブランクーシという発音しづらい名前のせいか、作品の印象の割に覚えにくい作家名である。知っているけれど良くは知らないという作家というのは珍しくないが、ブランクーシもその一人だ。

ブランクーシは、1876年ルーマニアに生まれ、彫刻家を志し美術学校に進む、1904年ルーマニアを去り、徒歩でパリに向かう。貧しい生まれ育ちであったが、才能を見出す者が多く、パトロン、協力者が早くから現れる。当時パリで最も著名であったロダンにも認められ、工房に入るが2ヶ月でロダンの元を去る。「大樹の陰では何も育たない」の言葉は、後のブランクーシを語る大きなエピソードである。

さて本著では、その後のブランクーシの人生も語り続けるが、本旨はそこではない。代表作品『接吻』シリーズ、『眠る人』シリーズ、『空間の鳥』シリーズ、『無限柱』など、全作品を網羅して分析を行っている。ブランクーシは一見、異なる彫刻作品、具象と抽象、素朴な石彫と徹底して磨いたブロンズ、小さな彫刻と巨大なモニュメントを並行して制作し続けたが、著者はその関連性を述べ紐解き、徹底した評論を展開している。パリやニューヨークで出版されたブランクーシの詳細も引用紹介され、その上でブランクーシに関する著書では圧倒的に優れた一冊であると言えるだろう。

著者中原佑介は2011年に既に亡くなっているが、本著「あとがき」で「日本では未だ本格的なブランクーシ展の開催を見ないのがなんとも残念である」とある。現在、日本における初めての「ブランクーシ展」が石橋財団アーティゾン美術館において、7月7日まで開催中。

27. 5月 2024 · May 27, 2024* Art Book for Stay Home / no.142 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『風の旅人 ウインドキャラバン』新宮晋(扶桑社、2002年)

新宮晋は「風の彫刻家」あるいは「風と水の彫刻家」として極めて著名である。その活躍は、1970年の大阪万国博覧会で人工湖に「フローティングサウンド」を制作して以降、国内外において常に欠くことのできない存在であった。多くの野外彫刻展での受賞、パブリックスペースでの作品設置、芸術イベントへの招待等数え切れないが、多くの著名な美術家の評価に比べれば、新宮の評価は今一つに思われるのは私だけだろうか。その要因の一つは野外彫刻という領域に限定されての活動にあると考えられる。しかし、ここでそのことを掘り下げるのは本来ではないので、詳細は省く。

さて本著はアートプロジェクト「風の旅人 ウインドキャラバン」の記録であり、プロジェクトを通じての新宮のアートメッセージ集でもある。プロジェクトは2000年から2001年にかけて行われており、21世紀の扉に希望的アートを展開するという新宮の意思も含まれている。この作品は21点の風で動く彫刻を野外展示するというものだ。キャラバンの目的地は、アトリエ前の棚田(兵庫県三田市)から始まり、先住民族の島ニュージーランド・マオリのモトゥコレア島、極寒(マイナス28度)のフィンランドのイヴァロでの湖上、水も電気もないモロッコ・タムダハト(昼間は30度)、遊牧民地区のモンゴル・ウンドゥルドヴ、砂丘のブラジル・クンブーコの五大陸である。海外5ヶ所は、いずれも極めて過酷な環境にあり、先住民ら民族色の強い場所が選ばれている。期間中新宮は何度も日本に戻り、また仕事や開催地のミーティングのために、移動している。作品は分解、組み立てとし、コンパクトに6メートルのコンテナに収められ、海から陸を移動する。

新宮は、1987年から89年にかけて、「風の野外彫刻展 ウインドサーカス」をニューヨークはじめ9都市において開催している。「風の旅人 ウインドキャラバン」は、前プロジェクトを前提とすべきであろう。

新宮の言葉「自然破壊や温暖化、飢餓の問題、それに絶えることのない争いで今や 未曾有の危機に瀕している、私たちの美しい星『地球』。その自然の大切さを訴えるために、私に出来ることはないだろうか。地球がとびっきりユニークで素敵な星だということを、私らしいやり方で証明する方法はないだろうか。」をピュアな感情で受け止めたい。

18. 5月 2024 · May 18 2024* Art Book for Stay Home / no.141 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『野外彫刻との対話』西山重德(水曜社、2019年)

「野外彫刻とはなにか」という問いに答えるように本著は展開する。なんとなく「野外にある彫刻」というような安易な理解に対して徹底した答えを用意している。また類似の用語である「パブリックアート」を意図的に使わない理由をも示している。

日本における野外彫刻の建築との関係について、野外彫刻の長い歴史を持つヨーロッパとの比較も明解で興味深い。つまりヨーロッパにおける野外彫刻が置かれる場というものは、歴史的脈略を深く持ち、建築と彫刻はそれに大きく関わるように存在している。「なぜそこにその野外彫刻があるのか」という問いへの答えが用意されていると言うわけである。

美術館における彫刻の場合は、場と彫刻の関係を基本持たない。彫刻は他の美術館に移動展示した場合でも大きな問題が生じない。そこから考えると、野外彫刻がどこにあっても良いわけではないし、どの方向を向いて立てられるかも重要な意味を持つ。それはまた鑑賞においても同様な問題を抱えている。

著者は、イタリア・ルネッサンス期の美術を中心的研究領域とする美術史家である。日本の野外彫刻の問題は、野外彫刻の問題ではなく、都市のあり方の問題として重要な提案をしているが、最後に京都造形芸術大学(現京都芸術大学)教授で建築家の井口勝文氏が特別寄稿を寄せている。都市計画や建築法規に詳しい井口氏による野外彫刻に対する指摘は、街中の彫刻(公園は街中ではないという前提)は道路か私有地に立っているという興味深いものである。ヨーロッパのような公共の広場は存在しないということである。野外彫刻は概ね公開空地と呼ばれる開放された私有地に立っており、所有者は私有地所有者であり、その私有地に立つ建物に所属する形である。公開空地とは何か、説明には多くを要するので省くが、私有地に公共の考えを導入したもので、公共的という都合の良い考えの上で成り立っている。

11. 5月 2024 · May 11, 2024* 今尾拓真 work with #10(清須市はるひ美術館 空調設備)、圧倒的独創。 はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

http://www.museum-kiyosu.jp/exhibition/imaotakuma/

展覧会が始まって10日が過ぎた、チラシを見ても何が行われているのか、どれが作品なのかよく解らない。清須市はるひ美術館の部分写真と図面が散りばめられている。第一、展覧会のタイトルが「清須市はるひ美術館 空調設備」である。「清須市はるひ美術館」は会場であり、「空調設備」はそれに付随するものである。

今回の展覧会の領域は現代美術、インスタレーションである。インスタレーションとは、一般に「空間芸術」と訳される。「平面の絵画」、「立体の彫刻」、「空間のインスタレーション」という分類。しかし、私は「インスタレーションは場の展示」と考えている。空間作品であればインスタレーションという位置づけは、ただ絵画でも彫刻でもない新しい分野という意味でしかない。現代美術はそのような曖昧なものではない。「場」の持つ意味、個性、物語、さらにその場を含む地域の歴史、風土、政治、経済とも関わりを持つものでなければならないと考える。

一方で美術館という空間は、主に絵画や彫刻を引き立てるために、空間のイメージを消している。一般にホワイトキューブと言われる空間である。そこでは極めて場のメッセージが抑えられている。

今尾拓真は主にこの「場のメッセージ」が抑えられた文化施設、学校、クラブなどでインスタレーションを展開してきた。私もインスタレーションによる作品発表を続けているが、私が最も発表を拒否する空間が美術館である。今尾はこの「場のメッセージ」が抑えられた空間から、こういう空間こその「場のメッセージ」を捉えた。それが「空調設備」である。どのようなホワイトキューブの美術館においても「空調設備」はある。来館者の快適性、作品の保全に欠くことができない。その美術館としてはマイナーな存在に目を付け一気にメジャー化するという逆転劇を演じている。今尾のインスタレーションは、空調設備を延長させる突起が空間彫刻として興味深いが、けっしてその突起部分だけが作品ではない。突起に取り付けられたリコーダーやハーモニカが奏でる音は、美術館施設が奏でるものであり、外部大気をも取り込むものである。

展覧会を見終えて、その感動感覚は絵画や彫刻から得られる視覚的なものではなく、空気の振動、流動、身体で聴く音、さらに脳への刺激等全身で捉えたものと思った。この展覧会は、できるだけ一人で観てほしい。複数で来場された場合でもそれぞれが個になって楽しんで欲しい。

動画1

動画2

動画3

 

05. 5月 2024 · May 5 2024* Art Book for Stay Home / no.140 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『裸の大将一代記―山下清の見た夢』小沢信男(筑摩書房、2000年)

山下清に関する本は、画集を含めると数十冊出ているようだが、本著はその中でも山下清を知る上で屈指のものであるだろう。一代記にふさわしく、生い立ちから墓場まで、丁寧にその人生を紹介している。

著者小沢信男は、1927年東京生まれ(山下より5歳下)、日大芸術学部卒業。小説・詩・戯曲・評論・俳句・ルポルタージュなど多岐にわたる執筆活動を展開し、著書多数。 本著で桑原武夫学芸賞を受賞している。山下とは戦前、戦中、戦後の同時代を生き、山下の生きた時代とはどういうものであったか、リアルに解説されている。著者は、山下と会うことはなく、本著は放浪日記と周辺人物の丁寧な取材によって、山下の個性、人間的魅力を立ち上がらせている。

山下清については、その絵画作品から「日本のゴッホ」と呼ばれたり、演劇、映画、テレビドラマが人気を博したところから、本人とは異なるイメージのキャラクターが生み出されている。また山下自身が人前ではそのようなキャラクターを演じた節もある。特に高視聴率を獲得した芦屋雁之助主役のテレビドラマの影響は大きい。それ故に本著の山下清は良くも悪くも本人に迫っており、新たな山下清の魅力に引き込まれていく。

12歳で預けられた知的障害者施設「八幡学園」の久保寺保久園長、学園の顧問医を務めていた精神病理学者式場龍三郎、八幡学園の園児たちの貼り絵に注目した早稲田大学講師の戸川行男らの「素晴らしいもの、輝くもの」を見る目の知性に大きな共感を覚えた。そういう意味では著者小沢信男もまた公正な知性を持つ一人であり、「山下清に出会ったことがない。その残念さが幸運におもえてきた。」というように、あくまでも客観的に山下清を捉え、そこから山下清の魅力に迫ろうとした著である。

09. 4月 2024 · April 9 2024* Art Book for Stay Home / no.139 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本の色を染める』吉岡幸雄(岩波新書、2002年)

著者吉岡幸雄は、1946年生まれ、早稲田大学第一文学部卒業後、紫紅社(美術工芸書出版社)を設立、1988年に生家の「染司よしおか」5代目を継承、植物染による日本の伝統色を専らとしている。

「染司よしおか」は京の地にて、江戸の昔より現在6代を重ねている。絹、麻、木綿など天然の素材を、紫草の根、紅花の花びら、茜の根、刈安の葉と茎、団栗の実など、すべて自然界に存在するもので染めている。地下100メートルから汲み上げられる伏見の水と素材に向き合う人の手により、ゆっくりゆっくり自然とより添いながら、その美しい色は生み出されている。「自然の植物から抽出された色には『温かさ』や『命の源』を感じさせる深みがある。」と吉岡は述べている。※染司よしおかHPより

本著は、この地における「色と染の発見」の何千年前に始まり、「飛鳥・天平の彩り」を経て平安の「王朝の色彩」、武家と庶民の衣「中世の華麗とさび」、「辻が花小袖と戦国武将」、そして「江戸時代の流行色」と時代の流れを追って染色の歴史を詳細に述べている。その根拠は、遺跡から発掘されたもの、正倉院所蔵物などの現存染色品のみならず、万葉集、魏志倭人伝、延喜式を始めとする著述、源氏物語、伊勢物語、古今和歌集などの文学、源氏物語、宇治拾遺集などの絵巻物、更には能・狂言、歌舞伎の現存衣装、襖絵、屏風、浮世絵などから取材している。その分析は学者としての研究と染色家としての検証に照らし合わせ、実際に再現を試み確証の取れるもの、取れないもの、疑問の残るものなど徹底した報告がなされている。

残念ながら著者吉岡幸雄は、2019年9月亡くなっているが、6代目吉岡更紗氏がその精神を受け継いでいる。染色の専門用語、専門知識が頻繁に使われているが、克明な染色史を新書で概観することができる幸せな一冊である。

22. 3月 2024 · March 22, 2024* Art Book for Stay Home / no.138 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『よみがえる天才6 ガウディ』鳥居徳敏(ちくまプリマー新書、2021年)

ガウディの誕生から死まで、資料に基づき徹底した論考を展開している。それはガウディの建築にとどまることなく、人生を追うといった形をとっている。ガウディは天才なのかどうか、天才としたらの並走するテーマへのこだわりが本著の特徴となっている。もちろん、ガウディの建築についても、サグラダ・ファミリアのみならず、手掛けた全ての建築について述べている。

ガウデイには、天才とともに伝説化されたところもあって、間違って知られているところも少なくない。著者はその点にも細かく切り込んで、一体どこが天才なのかを述べている。むしろ、天才として論を進めるのではないと言ったほうが良いかもしれない。

興味深かったのは、ガウディの生きた時代、カタルーニアという州の特殊性が、ガウディという建築家を作り上げたという観点である。

建築家になるためには、その資格が必要なことは現代と同様、ガウディが中等教育を受けた1860年代においても簡単なことではなかった。そしてスペイン全体の就学人口が1,2%に過ぎない中に、ガウディは含まれており、その境遇は大変恵まれたものであったということ。また資格を取得するための建築学校が当時バルセロナにはなく、首都マドリードまで行かなければならなかったのだが、都市の拡張が決定していたバルセロナでは建築家不足が激しく、バルセロナ美術アカデミーは建築学校の新設を申請し認可を得た。その一期生4名のうちにガウディが含まれるという幸運を得ている。

拡張する都市バルセロナは、ガウディの卒業後も建築家不足で、ガウディに多くの仕事の機会を与えることになった。それは天才とは異なるものだが、天才と言われる者はそうした恵まれた背景をも持つ者であることを述べている。それはガウディの大理解者で多くの建築のパトロンとなった繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエルとの出会いもまた興味深いことである。

12. 3月 2024 · March 10, 2024* Art Book for Stay Home / no.137 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『今日の芸術-時代を創造するものは誰か』岡本太郎(光文社、1999年)

本著は1954年に光文社から出版された『今日の芸術』の再版である。つまり70年前の著作を25年前に再版したものを2024年に読んだ。再版のきっかけは1996年に岡本太郎が亡くなったことによる。横尾忠則が『今日の芸術』を思い出し、出版を提案したとのことである。因みにそのあたりのことは序文に横尾忠則が書いている。

美術・芸術の本としては珍しくベストセラーであったという。歯に衣を着せない太郎の語り同様に本著も書かれていて、誠に痛快である。新しい美術・芸術を目指す若者たちは飛びついて読んだに違いない。しかし、「今日の芸術とはなにか」の内容だけにとどまらず、太郎の知名度によるところも大きかったに違いない。1970年の大阪万博における《太陽の塔》の制作、頻繁に流れるテレビコマーシャル「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」「芸術は爆発だ」、バラエティ番組での人気レギュラー出演。

本著で太郎は多くの問題提起を行っているが、象徴的なのは「今日の芸術は、うまくあってはならない。 きれいであってはならない。 ここちよくあってはならない」の言葉だ。現代でもこの言葉の意味を、謎として理解しかねる人も少なくないに違いない。太郎は美術と芸術の意味を極めて強くこだわっており、いつも芸術を論じ芸術を創る人であった。1970年代の日本では美術と芸術の区別は極めて曖昧であり、美術であれば芸術であるといった理解が多かった。そして美術は「うまい、きれい、ここちよい」ことが大きな価値として扱われていた。残念ながら、この感覚は今も大きくは変化していないと言えるのだが。太郎は「美術の価値は旧態依然としている、そこから真の芸術は生まれない」とする。1970年代の日本美術界の重鎮らを敵に回し、孤軍奮闘であった。

しかし太郎を慕う次世代の前衛アーティストも多く、本著で解説を書いている赤瀬川原平ら多くの追従者を生んでいった。またデザイナー、建築家、文学者、政治家、実業家など他領域で意を共にする友人も多かったことが、こういう太郎の孤軍奮闘に力を与えていたのであろうと思われる。

28. 2月 2024 · February 28, 2024* Art Book for Stay Home / no.136 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『若冲』澤田瞳子(文藝春秋、2015年)

愛知芸術文化協会(ANET)主催で3月18日に長円寺会館で「伊藤若冲、5つの謎を明かす」という講演をすることになっている。それで本著を読み返した、やっぱりおもしろい。室町、戦国、江戸あたり、資料は残っているが充分ではない。特に美術に関しては作品が残っている、それも全て具象。フィクションとノンフィクションが曖昧で小説の題材としては、極めて興味深い。

若冲に関しては、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生まれたというように、素性はかなり詳しく残されているが、その人生については殆どわからない。通称、絵師とされるが、絵師は絵を描く職人であって、若冲にとって絵は仕事ではなく道楽であって、京でいうところの旦那芸である。当時の京では丸山応挙と並ぶ人気があったが、おおよそ立場が全く違う。そのせいもあって、明治初期に編纂された日本美術史から消えた。そのあたりについては講演で語ることになるが、昭和世代にとっては、2000年に京都国立博物館で開催された「若冲」展まで無名の作家であった。私自身も知らなかった。

以降、若冲ブームは今も続いている。現在、日本美術史中最も人気のある作家というのは若冲と言って良いだろう。人気と謎、そのあたりを説くのが本著である。特に「若冲は何を思って絵を描き続けたのか」、いわゆる旦那芸とはかけ離れた質と量である。絵を描くのは、子供がそうであるように本能と言って良い。しかし膨大な時間と費用をかけて描き続けるためには、そのための強い動機、信念が必要である。小説であるがその答えが本著のテーマである。

08. 2月 2024 · February 7 , 2024* Art Book for Stay Home / no.135 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本美術応援団』赤瀬川原平・山下裕二(ちくま文庫、2004年)

とにかく痛快な美術解説書。赤瀬川原平著書(作品ではなく著書の)大ファンの私のことなので読む前から予測はしていたのだが、予測を遥かに超えるおもしろさだった。

赤瀬川源平は、美術作家だが文章、言葉にすることがものすごく上手い。まあ芥川賞作家でもあるので当然と言えば当然だが、美術家ならではの創作性が言葉にある。「トマソン」や「老人力」は有名だが、それは彼の発想の素晴らしさによる。美術作品を創るように言葉を生み出す人だ。
一方で山下裕二は、美術評論家でアカデミズムの方だが、アカデミズムにしてははみ出した人で、つげ義春や商業広告をアカデミズムにぶち込んでくる。テレビの露出が極めて多い人で、それだけテレビ向きであると言える。テレビ向きというのはあまり褒め言葉でないような気がするが、美術史家であり大学教授でテレビ向きというのは、この領域においていかにわかりやすくユニークに語ることができるかを証明するものである。
両者とも少々はみ出し者で、その立ち位置が異なる。それが対談ではなく、しゃべくり合う、カッコよく言えばセッション。もうおもしろくない訳はない。
今回も、「乱暴力」という言葉を巧みに使いあって日本美術を語り合う。円空の乱暴力は凄いとか、応挙には乱暴力がないからダメだと思っていたらそうじゃなかったとか。美術の鑑賞に「乱暴力」という概念を持ち込んだ。「乱暴」なんて言葉を使うこと自体乱暴ではないか。その逆説的な視点が、これまでとは異なった美術の魅力を浮き彫りにする。

登場してくるのは、雪舟、長谷川等伯、伊藤若冲、東洲斎写楽、葛飾北斎、縄文土器、龍安寺の石庭、尾形光琳、青木繁・・・。現代美術作家赤瀬川原平が、そんなこと聞いていいのかという質問に対して、美術史家山下裕二が的確に打ち返す。打ち返しながらその質問の凄さに自ら感動している。