『名画の言い分』木村泰司(ちくま文庫、2011年)
『名画の言い分』そそられる著名である。私たちは絵の解釈を巡ってあまりに勝手過ぎないだろうか、と日頃感じている。その反論として名画には、名画の言い分があるだろう。正確に言えば名画の制作者である画家の言い分があるだろうということだ。
立ち読みして、「はじめに」を読む。いきなり「美術は見るものではなく、読むものです」とある。これは西洋美術史を専門とする著者のモットーであろう。現代の日本では、やたら「感性で絵を見る」―好きか嫌いか、感動するかしないか、といった尺度で見るーなどというが、感性で近代以前の西洋美術を見ることなど不可能である。と論を展開する。
ここまで読んで本著を持ってレジに向かった。私も近代以前の西洋美術は、知識が絶対必要と考えているからだ。まず『キリストの磔刑』という多くの彫刻や絵画がある。当然キリストとは何者なのか、なぜ十字架に磔られているのか、なぜ処刑されるのか。解釈に誤りがあると理解不能である。レオナルド・ダ・ヴィンチなど多くの画家が描いた『受胎告知』にしてもその状況を知る必要がある。
逆に日本の絵、有名な北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』は、感性で見てもおもしろい絵である。しかし富士とはどういうものなのかの知識は、絵を理解する上で重要なことだ。日本を訪れたことがなく、日本に関する知識がないと、富士は海に浮かぶ小さな島と見るかもしれない。私たちは富士が日本一高い山で、どこにあるのか、したがって嵐の沖から陸を眺めて見えるのである。そして富士は信仰の山でもあって、船はそこに救いを願いつつ波に揉まれているのである。富士の大きさから、いかにこの波が大きなものであるか、私たちは理解するのである。
本著は様々な「名画の言い分」、即ち名画の客観的な解釈が書かれている。「実はそうだったのか」と教えてくれる。










