16. 9月 2021 · September 16, 2021* Art Book for Stay Home / no.75 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『手仕事の日本』柳宗悦(岩波文庫、1985年)

本著は、1948年に出版された靖文社刊の『手仕事の日本』、1954年に出版された春秋社刊の『柳宗悦選集』を元に文庫本として書かれたものである。著者柳宗悦は民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者であって、民藝といえば柳宗悦という存在である。本著の後記で「この一冊は若い方々のために、今までよく知られていなかった日本の一面を、お知らせしようとするものであります。」と書かれている。現在70歳の私は若い人ではないが、柳の趣旨は後世の人のためにというものであり、正に貴重な一冊であり、現代の我々誰もが読むべきものであると考える。

柳が本著を書くにあたり、日本全国を旅し調査にあたったのは、大正末から昭和18年まで20年に及んでいる。交通の不便なところこそ本当の民藝の素晴らしさがあるとし、その取材は困難を極めたものと思われる。そしてその頃、まだまだ生き生きと活躍していた民藝が、今では多くが無くなり本著では遺書と化しているものも多い。しかしながら集められた民藝は、現在日本民藝館に収められており、現代の我々も観る事ができるのは幸いである。

柳は「工芸の美は健康の美である」、「用と美が結ばれるものが工芸である」、「器に見られる美は無心の美である」、「工芸の美は伝統の美である」と説き、民藝美論の骨子を集約している。それは作者があらわされているものではなく、今日の芸術のあり方をも鋭く批判している。

本著を読みながら、日本民藝の旅をすることになる良きガイドブックともなっているが、200点にも及ぶ芹澤銈介の挿絵もまた見ものである。そして道具には実に多くの名前があり、その名前がどのように付けられ、伝えられていったのか、用途、素材、色、形、地域、使用方法などが込められており、民藝のあり方というものを再考させられる。

03. 9月 2021 · September 3, 2021* Art Book for Stay Home / no.74 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ウォーホルの芸術 20世紀を映した鏡』宮下規久朗(光文社新書、2010年)

Art Book for Stay Home /no.35で『とらわれない言葉』アンディ・ウォーホルを、no.52で『1964-67アンディ・ウォーホル』ナット・フィルケンスタインを紹介した。一度目はウォーホルの叫びを、二度目は最も近距離からのウォーホル友人の声、そして三度目の本著はウォーホルから距離も時間も離れて客観的に書かれている。最も美術論的ウォーホルの紹介である。

美術史としてのウォーホルはどういう脈略を持っているのか、ウォーホルの表現はなぜこうなのか。ウォーホル自身が読めば「くそくらえ!」と言いそうな、あるいは「ナイス!」かも知れないような、大変おせっかいなウォーホル論である。しかしそれはダビンチであろうが、ゴッホであろうが、作者が望むか望まないかに関わらず膨大な美術史の一コマとして組み込まれていく。

ウォーホルの登場から活躍のアート現象を、少し遅れた同時代から観ると、それが美術史や美術論の中でどういう意味を持つかなど、全くどうでも良い。目の当たりにしているアートそのものが観る者にどれだけの衝撃、感動を与えるか、その価値によってのみ存在している。だが美術館、美術大学は鑑賞者の感動で作家を位置づけることはしない。客観的事実を積み重ねて作家の美術史的意味を位置づける。

あらためて、『ウォホールの芸術 20世紀を映した鏡』を読むと、なるほどと納得せざるを得ない、さすがである。特にキャンベルスープのシリーズ、モンローのシリーズにおいては丹念になぜ他のシリーズよりも魅力的なのかが語られている。また死と惨禍のシリーズにおいては、負のテーマを抱えたウォホールの分析を丹念に行っている。

ウォホールが生きていて、納得するかどうかではない。ウォホール自身の意識の届かぬところも含めて、作品が生まれ、評価され、ウォホールの思想やキャラクターが死の先まで創られて行くことを予期し、楽しんでいたと想像されるからである。

21. 8月 2021 · August 21, 2021* Art Book for Stay Home / no.73 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『知識無用の芸術鑑賞』川崎昌平(幻冬舎、2007年)

川崎昌平は、主に映像作品を中心に発表している現代美術作家。『知識無用の芸術鑑賞』という書名は、面倒くさい知識を振り回してのアートの鑑賞など不愉快、というものである。裏表紙には「『芸術がわからない』というのは大きな間違い。芸術の見方に正解はない。美術館や展覧会に足を運び、作品に触れて感じて考えれば、印象派と後期印象派の違いがわからなくても『芸術がわかる』ようになります」とあり、作家にとって大正解のメッセージである。知識を用いての芸術鑑賞は、美術評論家や美術史家の専売特許で、彼らにとって「知識無用」では仕事にならない。

しかし川崎にも矛盾があって、「美術館や展覧会に足を運び、作品に触れて感じて考えれば芸術がわかる」のであれば本著も不要なわけで、芸術鑑賞の難しさが露呈されている。ポイントは「作品に触れて感じて考えれば」の「考える」であって、考えるためには知識が必要となる。その矛盾を解くならば、川崎の言う「知識無用」は「美術専門知識」のことを指しているのである。つまり「難しいことは考えるな」と言いたいのである。「難しい事を考えず」に芸術鑑賞するためには、この本である。

さて取り上げている作家であるが、ピカソ、モネ、ダリから入って、リキテンシュタイン、ナムジュン・パイク、ウォーホル、草間彌生などの現代美術、さらに狩野永徳、尾形光琳、円空など日本美術の分野、古今東西あらゆる分野の著名な作家58人を取り上げている。その取り上げ方に流れやビジョンはない、そういう構築するような論理に対して否定的であることが58人の多様性になっていると言えるだろう。芸術鑑賞の本でありながら、1枚の作品写真も掲載されておらず、ひたすら作家、作品について川崎の思うところを書き連ねている。私など「えっ、それはどうだろう」と思うところもあるのだが、はじめにのところで「本書は古今のさまざまな芸術を語りはするが、あくまでも一個人の思考の産物に過ぎません。」とあって、反論を交わしている。むしろ私とは異なる見方を楽しみ、共感するところも多い。多くの読者もまたそのように読まれるだろうと思う。

07. 8月 2021 · August 7, 2021* Art Book for Stay Home / no.72 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『場所のこころとことば デザイン資本の精神』河北秀也(株式会社文化科学高等研究院出版局、2021年)

No.70で河北秀也の『デザインの場所』を紹介したばかりだが、当館では現在「ミスマッチ ストーリィ 河北秀也のiichiko DESIGN」を開催中なので、先月7月20日に発行された本著を紹介する。

著書名『場所のこころとことば』に惹かれる。場所に心と言葉は普通に考えていない、そこを考えてみたということだろう。サブタイトルで「デザイン資本の精神」とあるので、メッセージの根拠はデザインにある。デザインにあるが直接的なデザイン論ではない、そこがデザイン資本たるところである。つまり現在、明日のデザインではなく、未来に向けてのデザインと考えてよいだろう。

そして本文に入ると「趣味の場所」「文明の場所」「職業の場所」などちょっと「の」で繋ぎにくいのが多くある。「場所」は単純に「について」「の思い出」あるいは「の本質」とか「の真実」とかに置き換えられる。つまり「場所」は読者にちょっとした疑問を投げかける機能として作用している。そのように考えて読みすすめると「バハ・カリフォルニアの場所」「煙草が吸える場所」というかなりストレートなものが入っていたりする。そこは軽く受け止めていると「場所のネーミング」というのが出てくる、なぜ「ネーミングの場所」じゃないのか。読んでみると、商品がネーミングされる(重要なデザインワーク)ように場所(地名)もネーミングされる、地価はイメージによって変わるので、どんどんネーミングされていくという興味深い話だが、内容は「場所のネーミング」そのものだった。「場所」の深読みを外されることもある。

場所にいろいろ翻弄されて、デザインのためのデザイン論ではなく、私たちの暮らしが「幸せに」「楽しく」「豊かに」「心地よく」なるための考えが素晴らしいデザインを生み出していくことをiichikoを呑みながら読み、学んだ。

27. 7月 2021 · July 25, 2021* Art Book for Stay Home / no.71 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『表現の現場』田窪恭治(講談社現代新書、2003年)

パリの街には数百の美術館がある。巨大な美術館とその収蔵作品、来館者の数にはいつも圧倒される。しかし訪れる人の少ない小さな美術館もまた魅力的である。ギュスターヴ・モロー美術館、ブールデル美術館、ドラクロア美術館などは画家、彫刻家がアトリエとしていたところを美術館に改装した。また映画「ジャコメッティ 最後の肖像」では、アトリエを克明に再現し好評を得た。愛知県においても一宮市三岸節子記念美術館や、稲沢市荻須記念美術館では画家のアトリエを美術館内に再現している。

かくもアトリエという表現の現場は美術鑑賞者において興味深いものである。作家がここでどのような想いでチューブから絵の具を絞り、筆を振るい、キャンバスに描いたのか。

香川県金刀比羅宮奥書院には、若冲がここに来て描いた《百花図》がある。作品が傷むことをおそれ非公開とされている。私はそのことを本著『表現の現場』で知った。若冲ファンである私は観たくてたまらず金刀比羅宮宛に鑑賞依頼の手紙を書いた。美術館の館長であることが幸いしたのか、ぜひご来場をという許可を得て、2013年3月6日《百花図》を拝見することができた。

田窪恭治は本著で、表現の現場に立ち会うことを美術の追体験としている。追体験は、アンリ・マチスのロザリオの礼拝堂、北斎の岩松院天井画《鳳凰図》、ル・コルビジェの《ロンシャンの礼拝堂》へと続く。表現の現場に立ち会い創作を追体験する鑑賞は、極めて贅沢である。また表現の現場(それは時代、ときには社会情勢、風土)を想像して鑑賞することは「あっ」という発見の出会いともなる可能性を秘めている。

金刀比羅宮奥書院を出て休憩所の傍、田窪恭治が描いた椿のタイル壁画を追体験した。まだまだ寒い3月はじめであったが、その日はあたたかな一日で、境内の藪椿も2つ3つ咲き始めていた。

13. 7月 2021 · July 13, 2021* Art Book for Stay Home / no.70 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『デザインの場所』河北秀也(東京藝術大学出版会、2014年)

著名なグラフィックデザイナーが書いた『デザインの場所』という書名の本は、「デザインとは何か」「優れたデザインをするために」といったような直接的な指南書ではない。美しい装丁を開くと、右ページにエッセイ、左ページには気分のいい写真で構成されている。写真はナショナルジオグラフィック、サライなどの雑誌に毎月連載、東京メトロ車内ポスターの「いいちこパーソン」広告に使われているもの。「いいちこ」は、河北がその全広告のアートディレクションを務める焼酎の銘柄。

さてエッセイであるが、河北のグラフィックデザイナー、アートディレクター、また東北芸術工科大学教授(執筆当時)としての日常を題材に書かれている。デザインについて特にあれこれ語っているわけではないが、そこにはデザインにとって大切なこと、魅力的なデザインが生まれていく過程、デザイン思考が加わっている。したがってデザインのことを全く意中にない人が読んでも楽しいエッセイだ。たとえば、毎月第一月曜日の夜、いっしょにお酒を飲む会「月一会」のこと。地域の本当の魅力を考え探す「宝さがし」のこと。毎日欠かさない「ウォーキング」のことなど。

エッセイも終わりに近づいたあたりで河北の意見の爆発がある。「小泉首相の頃、(東京)藝大へ数人の官僚が来た。各省から人材を出し、省をまたいで『人がうらやむ日本を作る』ためのチームがつくられたのだそうだ。そして開口一番こう言った。『私達は経済のことだったらよく分かります。一時間でも二時間でも話せます。ところが文化のことはさっぱり分かりません。』産業重点国家を作ってきた日本は大切なものをたくさん失った。こんなことで本当にいいのだろうか。こんなことを、堂々と高級官僚が公に言っていいのだろうか、と思った。」全く同感である、いっしょになって感情が爆発する私がいた。

01. 7月 2021 · July 1, 2021* Art Book for Stay Home / no.69 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『堀文子の言葉 ひとりで生きる』堀文子(求龍堂、2010年)

本著は、堀文子の語り下ろしを中心に、これまでに刊行された書籍『堀文子画文集 命といふもの』 (小学館)、『ホルトの木の下で』(幻戯書房)、『堀文子画文集 命の軌跡』(ウインズ出版)、『堀文子画文集』 シリーズ(JTBパブリッシング)ほか、新聞、雑誌に掲載されたインタビュー記事などの資料をもとに、 著者監修のもと再編纂したものと記されている。発行当時92歳という長寿、しかも日本画家として大いなる活躍を続けている人の言葉を集めると、それはそれは説得力があり、味わい深い言葉、後進の我々にとって人生の素晴らしい道標となる言葉が並ぶ。刊行の依頼に対して堀は「自分は宗教家でも思想家でもないし、お説教じみたような本はたまらない」と固辞した。編集部はなんとか拝み倒して取材を進めていくと、ますます魅力的な言葉が集まって「こんなに自分のことをべらべらと語りあげているような本は恥ずかしい」と再び固辞している。「読みたい」という圧倒的な読者を味方に編集部はゴリ推して出版にこぎつけた一冊であるが、絞り出すように語った堀の気持ちにしてみれば恥じらいのほうが大きかったのだろうと思われる。まして画家である、言葉が輝けば輝くほど画家としての自分に責めて返ってくる言葉でもある。読者の救いは堀の厳しい言葉に添うように堀の絵があることである。

「息の絶えるまで感動していたい。」
「私は岐路に立たされたときは必ず、未知で困難な方を選ぶようにしています。」
「私はいつも己と一騎打ちをしています。自分で自分を批判し、蹴り倒しながら生きる。」
そういう言葉を全身で納得して読み進めていると、それは堀が読者に伝えたかったのではなく、なかなかそうではない自分に対して激しく命じているのがわかる。

19. 6月 2021 · June 19, 2021* Art Book for Stay Home / no.68 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『大量生産品のデザイン論』佐藤卓(PHP新書、2018年)

佐藤卓さんと初めてお会いしたのは25年くらい前だったと思う。私が45歳、卓さんが40歳であったと思う。多人数が参加する何かのパーティーであった。初対面でいきなり人懐っこい笑顔が印象的だった。卓さんと呼ぶのはその気さくで親しみやすいキャラクターによるが、グラフィックデザイナー業界では、U.G.サトー、佐藤晃一、佐藤可士和らたくさんの著名な佐藤さんがいることにもよる。そのパーティーのアトラクションで卓さんは自らのサルサバンドで見事なパーカッション演奏を聴かせてくれたのも印象的だった。

卓さんは社団法人日本グラフィックデザイナー協会の会長であり、現在日本を代表するトップグラフィックデザイナーの一人であるが、いわゆるスターデザイナーではない。日本を代表するグラフィックデザイナーと言えば、東京オリンピック1964のポスターをデザインした亀倉雄策など、華のある代表作で紹介されてきた。ところが卓さんの代表作と言えば、「ロッテクールミントガム」のリ・デザイン、「おいしい牛乳のパッケージ」。最近では、「デザインあ」の企画・ディレクション、「デザインの解剖」企画・ディレクション、「21_21 DESIGN SIGHT」のディレクションとか、どこが凄いのか一般人には何だかピンとこない仕事である。

卓さんはデザインがかっこいいとかオシャレであるとか、そういう20世紀の価値観で評価を受けるデザイナーではない。現代から未来に向けて大切なデザインとはなにか、デザインとは本来どういうもので、どうあるべきなのかを真正面に向き合って来たデザイナーである。当然、大学からも多く勧誘がある。しかし卓さんは、研究・教育の大学という場ではなく、社会におけるデザイン実践において活動し続けているのである。

デザインの誕生は産業革命時代における量産がきっかけであるが、グローバル時代における現代の超大量生産時代においては、生産品とはデザインそのものであって、デザインが果たす社会的役割、責任は極めて大きい。派手にパッと売れるデザインではなく、地味であるが長く売れ続けるデザインが求められる。そこでは、「資源の問題、製造コストの問題、流通の問題、廃棄の問題など社会的な問題と強く結びついている」と卓さんは言う。

デザインにおける膨大な難題に解決の道をつけ、デザインの未来を切り開きつつある卓さんには、大きなコミュニケーション力がある。初めて会ったときからフレンドリーでチャーミングな笑顔は、この人といっしょに仕事がしたいという魅力に溢れている。

08. 6月 2021 · June 8, 2021* Art Book for Stay Home / no.67 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『踊り候え』鴨居 玲(風来舎、1989年)

57歳、排ガス自殺の鴨居玲、生前のエッセイを集めたものである。一部追悼文も添えられている。あの生死を見つめ、突き詰めて描くような絵と自殺者の著書となると、相当に重苦しいことが予測されるが、幸いにも期待を裏切って読み手を楽しくさせてくれる。楽しいが、徐々に自ら死に追い詰めていくであろうことが予測されて、やはり楽しい中にどこか重苦しさがある。鴨居玲は自らに厳しい、いくらユーモアたっぷりに語ったとしてもどこかで自らを責めている。

「人間の生き方として圧倒的なショックを受けたのは、エディット・ピアフという歌手です。この人の伝記で『わが愛の讃歌』という本があるのですが、その本を読んでショックを受けた私にとって聖書のようなものです。あれだけ自分を傷つけて傷つけて、そのかわり何というのか、そのために自分が昇華されていって・・・・・。すごい人がいるものですね。ちょっとおそろしくなるってくる。」

恐ろしいと言いつつ、どこかで憧れている。ものすごくストイックで、一方でだらしない鴨居がいる。私などは、甘いだらしない自分を愛すべき自分として、簡単に許してしまう。鴨居玲はそういう自分を許せないでいる。なぜか、「描くモチーフにいわゆる底辺の人間が多いようですが」の問いに「別段にそんな意識はありません。ただ私は人間の心における暗い面、弱い面といったところに興味をひかれるんです。」そしてその興味の先にいるのは自分なんだと。

「昨夜、私はまたあるインタヴューに答え、人間とはなにか、人生とはなにか、絵とはなにか、とうとうと語ってしまった。何故てらうこともなくもっとお金もほしい、名誉もほしい、地位もほしいと言うことができないのであろうか。」
こんなにも自分のことが解っているのだ。そんな鴨居玲を愛しく愛おしく思いながら「踊り候え」を読み終えた。

画家の中には命と引換えにしてまでも、名作を生み出す者がいる。

30. 5月 2021 · May 29, 2021* Art Book for Stay Home / no.66 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『個人美術館への旅』大竹昭子(文春新書、2002年)

個人美術館というのは、一人の作家の作品を収蔵した美術館のことである。したがって美術館の名前にはその収蔵作家の名前が入っている。清須市はるひ美術館の近くにも稲沢市荻須記念美術館、一宮市三岸節子記念美術館がある。

本書には12の美術館が収録されている、作家は萬鉄五郎、土門拳、富岡惣一郎、川上澄生、小杉放菴、岡本太郎、秋野不矩、熊谷守一、植田正治、香月泰男、イサム・ノグチ、猪熊弦一郎、大変魅力的な顔ぶれだ。

著者は個人美術館の魅力として、「いろいろな作家のものを一同に集めた県立美術館などに比べると作品の量が少なく、展示室を三つ、四つまわるともうロビーにもどっている。この小ささがとても都合がいい。はじめはあっけなく思っていても、しだいに、作品とじっくりむきあうには、これくらいのサイズが適当であるのがわかってくる。」作品と向き合うとしているが、作家と向き合うといった方がふさわしいだろう。一人の作家が人生をかけて何を考え、どういう創作にたどり着いて行ったのか、その人生と向き合うことになる。

そしてもう一つの個人美術館への旅の魅力は、その美術館が作家の郷里であったり、アトリエのあった場所であったり、人生の大半を過ごした土地だったりと、ゆかりのある場所に建てられていることが多い。そうした点でも作家と向き合う興味深い関わりとなる。

この著書は旅行記でもあり、また各館ごとにその美術館の詳しいデータが記されていてガイドブックにもなっている。「個人美術館への旅」は、一人で出かけることが望ましい。一人で出かけて美術館で作家と出会うのだ、作家と二人だけの濃密な時間を過ごすという贅沢な旅となるだろう。