09. 4月 2024 · April 9 2024* Art Book for Stay Home / no.139 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本の色を染める』吉岡幸雄(岩波新書、2002年)

著者吉岡幸雄は、1946年生まれ、早稲田大学第一文学部卒業後、紫紅社(美術工芸書出版社)を設立、1988年に生家の「染司よしおか」5代目を継承、植物染による日本の伝統色を専らとしている。

「染司よしおか」は京の地にて、江戸の昔より現在6代を重ねている。絹、麻、木綿など天然の素材を、紫草の根、紅花の花びら、茜の根、刈安の葉と茎、団栗の実など、すべて自然界に存在するもので染めている。地下100メートルから汲み上げられる伏見の水と素材に向き合う人の手により、ゆっくりゆっくり自然とより添いながら、その美しい色は生み出されている。「自然の植物から抽出された色には『温かさ』や『命の源』を感じさせる深みがある。」と吉岡は述べている。※染司よしおかHPより

本著は、この地における「色と染の発見」の何千年前に始まり、「飛鳥・天平の彩り」を経て平安の「王朝の色彩」、武家と庶民の衣「中世の華麗とさび」、「辻が花小袖と戦国武将」、そして「江戸時代の流行色」と時代の流れを追って染色の歴史を詳細に述べている。その根拠は、遺跡から発掘されたもの、正倉院所蔵物などの現存染色品のみならず、万葉集、魏志倭人伝、延喜式を始めとする著述、源氏物語、伊勢物語、古今和歌集などの文学、源氏物語、宇治拾遺集などの絵巻物、更には能・狂言、歌舞伎の現存衣装、襖絵、屏風、浮世絵などから取材している。その分析は学者としての研究と染色家としての検証に照らし合わせ、実際に再現を試み確証の取れるもの、取れないもの、疑問の残るものなど徹底した報告がなされている。

残念ながら著者吉岡幸雄は、2019年9月亡くなっているが、6代目吉岡更紗氏がその精神を受け継いでいる。染色の専門用語、専門知識が頻繁に使われているが、克明な染色史を新書で概観することができる幸せな一冊である。

22. 3月 2024 · March 22, 2024* Art Book for Stay Home / no.138 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『よみがえる天才6 ガウディ』鳥居徳敏(ちくまプリマー新書、2021年)

ガウディの誕生から死まで、資料に基づき徹底した論考を展開している。それはガウディの建築にとどまることなく、人生を追うといった形をとっている。ガウディは天才なのかどうか、天才としたらの並走するテーマへのこだわりが本著の特徴となっている。もちろん、ガウディの建築についても、サグラダ・ファミリアのみならず、手掛けた全ての建築について述べている。

ガウデイには、天才とともに伝説化されたところもあって、間違って知られているところも少なくない。著者はその点にも細かく切り込んで、一体どこが天才なのかを述べている。むしろ、天才として論を進めるのではないと言ったほうが良いかもしれない。

興味深かったのは、ガウディの生きた時代、カタルーニアという州の特殊性が、ガウディという建築家を作り上げたという観点である。

建築家になるためには、その資格が必要なことは現代と同様、ガウディが中等教育を受けた1860年代においても簡単なことではなかった。そしてスペイン全体の就学人口が1,2%に過ぎない中に、ガウディは含まれており、その境遇は大変恵まれたものであったということ。また資格を取得するための建築学校が当時バルセロナにはなく、首都マドリードまで行かなければならなかったのだが、都市の拡張が決定していたバルセロナでは建築家不足が激しく、バルセロナ美術アカデミーは建築学校の新設を申請し認可を得た。その一期生4名のうちにガウディが含まれるという幸運を得ている。

拡張する都市バルセロナは、ガウディの卒業後も建築家不足で、ガウディに多くの仕事の機会を与えることになった。それは天才とは異なるものだが、天才と言われる者はそうした恵まれた背景をも持つ者であることを述べている。それはガウディの大理解者で多くの建築のパトロンとなった繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエルとの出会いもまた興味深いことである。

12. 3月 2024 · March 10, 2024* Art Book for Stay Home / no.137 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『今日の芸術-時代を創造するものは誰か』岡本太郎(光文社、1999年)

本著は1954年に光文社から出版された『今日の芸術』の再版である。つまり70年前の著作を25年前に再版したものを2024年に読んだ。再版のきっかけは1996年に岡本太郎が亡くなったことによる。横尾忠則が『今日の芸術』を思い出し、出版を提案したとのことである。因みにそのあたりのことは序文に横尾忠則が書いている。

美術・芸術の本としては珍しくベストセラーであったという。歯に衣を着せない太郎の語り同様に本著も書かれていて、誠に痛快である。新しい美術・芸術を目指す若者たちは飛びついて読んだに違いない。しかし、「今日の芸術とはなにか」の内容だけにとどまらず、太郎の知名度によるところも大きかったに違いない。1970年の大阪万博における《太陽の塔》の制作、頻繁に流れるテレビコマーシャル「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」「芸術は爆発だ」、バラエティ番組での人気レギュラー出演。

本著で太郎は多くの問題提起を行っているが、象徴的なのは「今日の芸術は、うまくあってはならない。 きれいであってはならない。 ここちよくあってはならない」の言葉だ。現代でもこの言葉の意味を、謎として理解しかねる人も少なくないに違いない。太郎は美術と芸術の意味を極めて強くこだわっており、いつも芸術を論じ芸術を創る人であった。1970年代の日本では美術と芸術の区別は極めて曖昧であり、美術であれば芸術であるといった理解が多かった。そして美術は「うまい、きれい、ここちよい」ことが大きな価値として扱われていた。残念ながら、この感覚は今も大きくは変化していないと言えるのだが。太郎は「美術の価値は旧態依然としている、そこから真の芸術は生まれない」とする。1970年代の日本美術界の重鎮らを敵に回し、孤軍奮闘であった。

しかし太郎を慕う次世代の前衛アーティストも多く、本著で解説を書いている赤瀬川原平ら多くの追従者を生んでいった。またデザイナー、建築家、文学者、政治家、実業家など他領域で意を共にする友人も多かったことが、こういう太郎の孤軍奮闘に力を与えていたのであろうと思われる。

28. 2月 2024 · February 28, 2024* Art Book for Stay Home / no.136 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『若冲』澤田瞳子(文藝春秋、2015年)

愛知芸術文化協会(ANET)主催で3月18日に長円寺会館で「伊藤若冲、5つの謎を明かす」という講演をすることになっている。それで本著を読み返した、やっぱりおもしろい。室町、戦国、江戸あたり、資料は残っているが充分ではない。特に美術に関しては作品が残っている、それも全て具象。フィクションとノンフィクションが曖昧で小説の題材としては、極めて興味深い。

若冲に関しては、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生まれたというように、素性はかなり詳しく残されているが、その人生については殆どわからない。通称、絵師とされるが、絵師は絵を描く職人であって、若冲にとって絵は仕事ではなく道楽であって、京でいうところの旦那芸である。当時の京では丸山応挙と並ぶ人気があったが、おおよそ立場が全く違う。そのせいもあって、明治初期に編纂された日本美術史から消えた。そのあたりについては講演で語ることになるが、昭和世代にとっては、2000年に京都国立博物館で開催された「若冲」展まで無名の作家であった。私自身も知らなかった。

以降、若冲ブームは今も続いている。現在、日本美術史中最も人気のある作家というのは若冲と言って良いだろう。人気と謎、そのあたりを説くのが本著である。特に「若冲は何を思って絵を描き続けたのか」、いわゆる旦那芸とはかけ離れた質と量である。絵を描くのは、子供がそうであるように本能と言って良い。しかし膨大な時間と費用をかけて描き続けるためには、そのための強い動機、信念が必要である。小説であるがその答えが本著のテーマである。

08. 2月 2024 · February 7 , 2024* Art Book for Stay Home / no.135 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本美術応援団』赤瀬川原平・山下裕二(ちくま文庫、2004年)

とにかく痛快な美術解説書。赤瀬川原平著書(作品ではなく著書の)大ファンの私のことなので読む前から予測はしていたのだが、予測を遥かに超えるおもしろさだった。

赤瀬川源平は、美術作家だが文章、言葉にすることがものすごく上手い。まあ芥川賞作家でもあるので当然と言えば当然だが、美術家ならではの創作性が言葉にある。「トマソン」や「老人力」は有名だが、それは彼の発想の素晴らしさによる。美術作品を創るように言葉を生み出す人だ。
一方で山下裕二は、美術評論家でアカデミズムの方だが、アカデミズムにしてははみ出した人で、つげ義春や商業広告をアカデミズムにぶち込んでくる。テレビの露出が極めて多い人で、それだけテレビ向きであると言える。テレビ向きというのはあまり褒め言葉でないような気がするが、美術史家であり大学教授でテレビ向きというのは、この領域においていかにわかりやすくユニークに語ることができるかを証明するものである。
両者とも少々はみ出し者で、その立ち位置が異なる。それが対談ではなく、しゃべくり合う、カッコよく言えばセッション。もうおもしろくない訳はない。
今回も、「乱暴力」という言葉を巧みに使いあって日本美術を語り合う。円空の乱暴力は凄いとか、応挙には乱暴力がないからダメだと思っていたらそうじゃなかったとか。美術の鑑賞に「乱暴力」という概念を持ち込んだ。「乱暴」なんて言葉を使うこと自体乱暴ではないか。その逆説的な視点が、これまでとは異なった美術の魅力を浮き彫りにする。

登場してくるのは、雪舟、長谷川等伯、伊藤若冲、東洲斎写楽、葛飾北斎、縄文土器、龍安寺の石庭、尾形光琳、青木繁・・・。現代美術作家赤瀬川原平が、そんなこと聞いていいのかという質問に対して、美術史家山下裕二が的確に打ち返す。打ち返しながらその質問の凄さに自ら感動している。

23. 1月 2024 · January 23, 2024* Art Book for Stay Home / no.134 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『左右学への招待』西山賢一(風濤社、1995年)

「左右学への招待」という著名でいきなり引き込まれてしまった。「左右学」という学問は一般にはない、なくても始めれば良いのであって、学問とはそういうものだ。ある程度の人数が集まれば学会も作ることができる。学会の殆どは任意団体である。学問の目的は、社会的貢献、学問の発展等いろいろあるが、それは結果としてあれば良いという考え方もある。つまり興味深いことだから学問をはじめた、「左右学」とはそういうものだそうだ。そして私もその興味に惹かれて読んだ。このブログはArt Bookがテーマなので、その範疇に入れて紹介する。

左右学には、「右脳と左脳」について述べられている。「言語脳が左脳、感性が右脳と言われており、左利きの人は左側を司る右脳が発達している」という説から、左利きの人は芸術家に向いていると言われる。そういえば私の勤めていた芸術大学では左利きの教授が3割と多かった(一般には1割)。

絵画には、左利きの構図と右利きの構図があり、またタッチや描線から左利きと右利きが判る。著名なイラストレーターである宇野亜喜良さんは、左利きだが、左下を起点に緩やかな円弧を描くように線がある。右利きは右下が起点となるので、一目瞭然だ。左利きの人は芸術家向きという説は、かなりいいかげんなものだと考えている。芸術において個性は大きな魅力だ、左利きは少ないので、そのこと自体が個性になる。それだけのことと思う。スポーツにおいて左利きが優位と言われる。これは対戦相手が右利きの場合で、左利きは右利きと多く練習するのでその対応になれることができるが右利きは左利きと練習を多くすることができない。優位であっても才能とは異なるものである。野球において左バッターは、一塁ベースに近いので有利であるがこれはルールの問題。書では右利きが優位であるが、これは文字を制作するにあたり、右利きの人が多く、多い方に楽なように作られたという単純な理由である。

いずれにしても、左右学はおもしろい。

20. 12月 2023 · December 20, 2023* Art Book for Stay Home / no.133 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ロンドン骨董街の人びと』六嶋由岐子(新潮社、2001年)

ブログで取り上げているArt Bookは基本的に鑑賞者の立場で選んでいる。今回取り上げた『ロンドン骨董街の人々』は収集家の人を主役にして、収集家を対象にした古美術商の視点である。そしてイギリスとはどういった国なのか、ロンドンとはどういう街なのか、骨董(アンティーク)はどう位置づけられているのかが主題になっている。

著者は、関西学院大学文学部卒業後、ロンドン大学東洋アフリカ研究所およびデヴィッド財団コレクションで修士課程を修了。ロンドンの古美術商スピンク・アンド・サンの東洋美術部に勤務の後、帰国して古美術取引、美術関連の翻訳を行っている。本著は、古美術商スピンク・アンド・サン(通称スピンク)の東洋美術部の勤務中の体験を興味深いエッセイにしている。スピンクはイギリスで最も歴史があり最大の古美術商である。

イギリス、古美術、コレクション、古美術ビジネスといった視点から見えてくるアートというものが本著の魅力である。たとえば日本の美術品で、スピンクで最も人気があり高額な柿右衛門、日本人客も争って購入する。日本で購入するよりも安いということだ。日本では少なく、買い戻して「里帰り」しているわけだが、伊万里と同様、もともと十七世紀にヨーロッパの輸出用に焼かれたものだ。すなわちあの橙色、青、緑、赤などイギリス人好みのデザインが施されたものである。

陶磁器は基本的に用の美である。鑑賞のために飾るというのは用の美ではない。ましてコレクションのために作った柿右衛門は、およそ日本の美とは異なるものである。ヨーロッパの基準は美術の至るところで大手を振っているが、日本産すなわち日本の美ではない。多様な価値があって良いのだが、コレクションの価値は大きくビジネス価値でもあることを知っておくべきところである。

08. 12月 2023 · December 8, 2023* Art Book for Stay Home / no.132 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『幸田文の簞笥の引き出し』青木玉(新潮社、1995年)

文筆家幸田文との着物の暮らしを、その娘青木玉の描いたエッセイである。描くということばが浮かんでくるほど美しい風景を彩る著書である。着物の話のどこがアートなのかとお考えの人も多いだろう。美術館で着物や能衣裳などの展示をご覧になられた経験をお持ちの方も多いと思われるが、着物大好きな私は、美術館で着物を観ることは嫌いである。美術館で観る着物は、織りであり、染めであり模様である。それは布地としての文化ではあるが、着物の文化ではない。

「用の美」という視点をとても大切に思う。私がデザイナーとして長く過ごしてきたことにもよるが、用を目的として作られたものが、用を外して鑑賞したのではそのものの魅了は見えてこない。解らないといって良いだろう。着物に限ったことはない、例えば美術館でよく見る抹茶茶碗、決して観るものではなく、使うものである。手で持ってその膚合や重量感、手でみる形、お茶を飲む時に嗅ぐ香のための茶碗の姿、飲むときの唇の触感、その全てが総合的に愉しまれて茶碗の鑑賞がある。ガラスケースを通してみてどれほどの感動もない。

さて本著、生涯を殆ど着物で過ごした幸田文、戦火を越えてたった一枚の着物の日を過ごし、文筆家として仕事着であった着物、冠婚葬祭や晴れの場での着物、娘青木玉に厳しい美意識を伝えながら、そこにあるのは常にどこでどう着て、どう振舞いがあるべきなのか、全て用としての着物であり、用としての美である。日常、非日常を行き来しながら、着物の美しさとはこういうものかと知る著である。

最後に、玉が文の最後に用意する着物の話は、胸を切り裂くような文で綴られる。深く眠り続ける母への愛と感謝の時、死出という最後の用の美をこの上もなく美しく描く。

24. 11月 2023 · November 24, 2023* Art Book for Stay Home / no.131 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『芸術をめぐる言葉』谷川渥(美術出版社、2000年)

本が出版されたとき、勢い込んで買って読んだが、20年以上立って、殆ど憶えていない。ブログを書くにあたり再読したが、なるほど50歳の自分がほとんど太刀打ちできなかったことがよく解る。70歳過ぎた今でもやはりなかなか難解だ。
芸術、特に美術を中心として書かれているが、文学や演劇、更には哲学や科学など多方面に渡っている。それでこそ芸術だろう。
「芸術をめぐる言葉」は言い換えれば「芸術とは何か」である。80人の言葉を取り上げているが、前中後編と内容がなんとなく分類されている。前編は「芸術とは何か」の芸術の概念そのものに関して見えない闇の中から探し出そうとしている言葉である。したがって極めて抽象的である。中編はそうした概念がほぼ共有できるものになって、表現の問題やモチーフの問題へと具体的になってくる。解りやすいとも言える。後編はその概念が崩され、発展していく。いわゆる現代美術の盛んな状況を受けて紹介されている。
なぜこのような展開となっているかといえば、その言葉が書かれた時代順に紹介されているからである。芸術とはかくも曖昧で、主観的なものであることが認識される。それだけ魅力的なものであり、人類の未来を導くものとして位置づけられている。
現在においても芸術の概念、定義は極めて難しい。変容し続けている中で、「芸術大学」や「芸術センター」と芸術を冠して名乗っていることすら、私にはどうなんだろうという疑問がついて回る。芸術大学は、もっともっと「芸術とは何か」を追求し、発信しなければならないだろう。

04. 11月 2023 · November 4, 2023* Art Book for Stay Home / no.130 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『黒田辰秋 木工の先達に学ぶ』早川謙之輔(新潮社、2000年)

黒田辰秋は、漆芸家、木工家。木工と乾漆、螺鈿などの漆芸で幅広く知られる。河井寛次郎、柳宗悦らに強く影響を受け民藝運動にも関わる。67歳で重要無形文化財「木工芸」保持者(人間国宝)の認定を受け、翌年紫綬褒章を受賞。漆、木工芸における最もよく知られた作家である。

著者早川謙之輔は、やはり木工家であり、黒田辰秋の知遇を得る。弟子とも言えるが、黒田が「私は弟子を持たない」と宣言していること、また早川自身の謙虚さもあって弟子を名乗ることはない。

本著は黒田が亡くなり、また家族やその周辺の黒田を知る人が少なくなり、黒田の魅力、貴重なエピソードを遺しておかなくてはという思いから書かれたものである。黒田は京都生まれで、京都に工房があったが、1964年 映画監督黒沢明より御殿場山荘の室内家具セットの制作依頼を受け、岐阜県付知に仕事場を設けた。著者は付知に居と仕事場を持っていたことで、協力と深い交流を得ることになる。

34歳の年齢差は、木工職人として大きな開きがあり、まして日本を代表する作家である。叱られることも度々の中で、師と敬い、黒田のすべての言葉に耳を傾けて教えとしてきた。黒田の伝記的著書でもあるが、木工を通して交流のあった二人の人間模様が読者を惹き付ける。民藝に強く感銘を受け、民藝運動にも参加していた黒田は、それ故に師匠と弟子といった上下関係を極めて嫌っていたように思える。どれだけ歳が離れ、経験の差があろうとも、対等に接し、対等であるがゆえに厳しい言葉も多く投げかけられたと思われる。

本著の本旨ではないが、木工に関する専門用語が多く登場する。その丁寧な説明は、木工の難しさと魅力を伝えており、「木工とは何か」を知る著書でもある。