09. 5月 2023 · May 9, 2023* Art Book for Stay Home / no.119 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『誰も知らなかったココ・シャネル』ハル・ヴォーン、赤根洋子翻訳(文藝春秋、2012年)

ココ・シャネルの伝記については、多くの書籍が出版されており、その多くは彼女のサクセスストーリーである。極貧の家庭に生まれ、放浪のあと厳しい孤児院に預けられ、その後男性接客を目的とするキャバレー働き、お針子としてのスタートから世界トップデザイナーとしての成功は、ファッションデザインに関心の無い者にさえその人生には惹きつけられるだろう。さらにスキャンダルをともなう多くの華麗なる男性遍歴(女性遍歴も含めて)、それは映画や舞台にもなった。そうした多くのココ・シャネル伝には殆ど描かれることがなかった部分がある。第2次世界大戦中の彼女の行動である。

本書『誰も知らなかった・・・』はその部分である。ココ・シャネル自身が決して真実を語らず、努めて世間の目を逸らそうとしてきた。ドイツ占領下のパリで彼女が積極的にナチスに協力していた事実、ナチスのスパイであったことを暴いている。したがって本著ではその証拠となる多くの公文書のコピーも紹介されており、時効後の今でも衝撃的な著作である。

第二次世界大戦後、70歳を越えたココ・シャネルは、ファッションデザイナーとして見事な復活を遂げる。才能であるとか、運とかそういうものを遥かに超えていくココ・シャネルとは、どういう人物か、本著で力強く語られる。彼女を彩った男たち(ウィンストン・チャーチル、ジャン・コクトー、パブロ・ピカソらも含まれる)は、圧倒的な地位、名誉、知名度、コネクション、財力を持っていたが、それがみなココ・シャネルのために存在していたと思えるのである。

27. 4月 2023 · April 27, 2023* Art Book for Stay Home / no.118 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『青木繁-悲劇の生涯と芸術-』河北倫明(角川書店、1964年)

青木繁の研究、第一人者の最も核となる書である。ただし、本著は河北最初の著作『青木繁-生涯と芸術』(養徳社、1949年)をそのまま再録し、「じゅうげもんの世界」という一文を付録のように加えたものである。73年前、河北が徹底した青木繁論を書き上げたことによって、青木繁の画家としての評価が定まったと言える。本著はその後出版された『私論 青木繁と坂本繁二郎』松本清張(新潮社、1982年)や『青木繁 世紀末美術との邂逅』高橋沙希(求龍堂、2015年)の青木繁に関する名著において重要な研究書として位置づけられている。

著者は福岡県浮羽郡の生まれであり、福岡県久留米市生まれの青木繁に同郷の親しみと興味、さらに研究の何割かは福岡、熊本、佐賀と関わっており、研究対象として恵まれた環境にあったと思われる。付け加えられた一文「じゅうげもんの世界」は、久留米地方特有の言葉で「じゅうげもん」という人物評語である。意味は内部に鬱結した強い精神があってそれが表面に開いて出てこないでグツグツと出てくるタイプのことである。著者は青木にその性格の典型を見て、青木繁論の拠り所の一つとしているところは興味深い。

京都大学文学部で美学及び美術史を修め専門とする著者は、青木繁の作品について徹底した美術批評としての分析を進める一方で、青木繁の人生とは何であったのかという人物論にも迫っており、同郷の友人坂本繁二郎をはじめ森田恒友、愛人である福田たね、師の黒田清輝、同窓の熊谷守一、和田三造、山下新太郎らとの人間関係によって、青木の凄まじい性格が描き出されている。また青木は膨大な読書をこなし、短歌をともなう多くの文章、手紙を書き、文学界からも称賛された。夏目漱石は「青木くんの絵を久し振に見ました。あの人は天才と思ひます。」と友人の手紙に書いている。

父の猛反対を押し切って、美術の道に進んだ青木は、文学の分野に至るまで天馬空をゆく異才ぶりを発揮した。しかし明治という時代は、洋画の世界においてまだまだ未熟であり、その才能に応えるものではなかった。東京美術学校で天才と言われようと、画家としての不遇な人生は、父の死、家族の経済的崩壊、愛人福田たねとの理不尽、自らの病に屈して行くしかなかったのである。

15. 4月 2023 · April 15 , 2023* Art Book for Stay Home / no.117 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』森山大道(青弓社、2000年)

対談、独白、インタビューで綴られる森山大道の著である。したがって本文全てが大道の話しことばである。読後、大道の口癖「ぼくは、ぼくの、ぼくとしては・・・」が脳にくり返される。誰でもそうであるが、話し言葉は少し乱暴で、むだな言葉が挟まれて、少々くどめである。聞いている分には、何も問題なく意味がわかるが、それが文章になるとまどろっこしくなる。しかし、そこに本音が直接心に響いて来て、「だよ、だよね、解るよ」と読者である自分も話し言葉で理解するのである。

そこから立ち上がってくる大道のキャラクターは、無頼で、少々荒っぽく、ざっぱで、生理的である。ところが読み進めていくと、繊細で、いたるところに気遣いが感じられ、やさしい兄貴であり、おじさんである。

森山大道の写真は、写真の領域を越えて、現代美術の分野でも評価が高い。私も同感であるが、本人にとってみれば「余計なお世話だ」だろう。芸術として評価を得ようなんてことは大道にとっては全くどうでも良いことである。しかし、鑑賞の側に立ってみれば、本人の意志などどうでも良いことで、写真という媒体に関係なく、現代美術の魅力に溢れているのである。

大道の言葉「よく写真は芸術か記録かという質問を受けるけれど、もちろん写真が芸術なんかである必要はまったくないと思っている 。 しかしまた写真は記録であるといったところでそれは自明の理であって、そんなこと言ってもはじまらない。ぼくは、写真は芸術とか記録を超えて、もっとハイブリッドなものだと思う。そんなふうに考えつづけ、それをいつか自分なりの方法を通して確認してみたいと思っていた。」の「写真が芸術なんかである必要はまったくない」が好きである。「写真が芸術なんかではまったくない」と言っているわけではない。

本書で一箇所、話しことばではなく、著述がある。後記のところだ。理路整然と知的な文章力で明解に書かれている。それはちょっとしらけるほどだ。

 

29. 3月 2023 · March 28 , 2023* Art Book for Stay Home / no.116 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『美術の力 表現の原点を辿る』宮下規久朗(光文社新書、2018年)

「美術の力・・・」大胆な著名である。新書版の267ページでどれほど美術の力を語れるものか。しかし、こうした手がかりを求める美術愛好者は多いに違いない。そうした方たちに大きなきっかけとなる著書である。本著を、「美術の魅力」「美術鑑賞の手引」「美術の表現力」などといった著名ではなく、「美術の力・・・」とした点になるほどと思わせるものが読後感にあった。

著者の代表的著書が『カラヴァッジョー聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会)であるように、キリスト教絵画を中心とした西洋美術に重きがおかれ、そこから宗教絵画への広がりを持たせている。日本の美術にも充分なページを裂き、現代美術にも踏み込んで「美術の力」を説いている。強い文体表現から感じさせる主張は、美術鑑賞という鑑賞者の自由な視点からは違和感を覚えるかもしれない。しかし、美術鑑賞という曖昧性をもったものであるがゆえに、著者の主張が生きてくると言えるだろう。

「あとがき 美術の力」で著者は、「私は四年前に一人娘を亡くしてから、神や美術を含む、この世に対する情熱の大半を失ってしまった。本書は、その虚無的で荒廃した心境で、 かろうじて興味を引いた美術について綴ったものである。 畢竟、宗教的なものに偏ってしまったかもしれない。」 とある。本著を読み進める中で、何か私の心に引っかかっていたものが、穏やかに消えていくのを感じた。そして「いったい、美術にどれほどの力があるのだろうか。」とも。著者の力強い論考とは逆に、その繊細なやさしさに救われる。

14. 3月 2023 · March 14 , 2023* Art Book for Stay Home / no.115 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『出会いを求めてー現代美術の始源』李禹煥(美術出版社、2000年)

著者はエッセイと述べているが、エッセイの言葉がイメージするような気楽なものではない。明らかに美術評論集である。本文は6つの論説「観念崇拝と表現の危機―オブジェ思想の正体と行方」「出会いを求めて」「認識から近くへー高松次郎論」「存在と無を越えてー関根伸夫論」「デカルトと過程の宿命」「出会いの現象学序説―新しい芸術論の準備のために」より構成されている。「出会いの・・・」が本著のための書きおろしで他は1969年から1971年に『美術手帖』(美術出版社)や『SD』(鹿島出版会)に発表されたものである。 1969年から1971年といえば、「もの派」の活躍が顕著に示された頃であり、美術家としてその中心に著者がいたことは、こうした論説が多く発表され、一見「ものを置いただけ」のもの派にきちんとした論理を並走させたことが大きな理由であろう。

著者は、生まれ育った韓国に住み、20歳のときにソウル大学校美術大学中退、日本に留学、日本大学文学部哲学科を卒業している。哲学科では東アジアとヨーロッパの哲学を勉強している。本著は美術に対する論説ではあるが、古今東西の哲学者、思想家が多く登場してくる。そのあたりの知識が極めて浅い私にとっては極めて難解な内容であるが、1970年頃からもの派をはじめ多くの現代美術作品に触れて来たおかげでどの美術作品か、どの美術シーンであるかが分かるのでそこから文脈を読み起こすことができた。

1960年代から、ニューヨークを中心に現代美術の隆盛が続いているが、その大きな特徴は作品の表現による新しさではなく、作品が生み出される源となる思想性にある。それは音楽、舞踊、文学、哲学、宗教学、医学、天文学、考古学、工学など多分野のスペシャリストを巻き込み、大星雲を創造しつつある。美術は手の仕事から脳の仕事に移ったのである。脳の仕事は手の仕事を切り捨てるものではないが、重心が移動した今、李禹煥の脳と手の仕事は大きな評価を得ており、本著はその切り口となるものである。

05. 3月 2023 · March 5 , 2023* Art Book for Stay Home / no.114 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『入江泰吉 私の大和路春夏紀行』『入江泰吉 私の大和路秋冬紀行』入江泰吉(小学館文庫、2002年)、『入江泰吉 万葉花さんぽ』入江泰吉/写真・中西進/文(小学館文庫、2003年)

手軽に手にとって楽しめる入江泰吉大和路写真とエッセイの3冊である。写真家や画家の自作説明本などというものは多くはないし、あまり読みたいと思うものではない。だがその創作の想い、手がかりというものは覗いてみたいものである。「私の大和路」は入江泰吉自身のエッセイで、「万葉さんぽ」は万葉集など古代文学を中心に研究する国文学者の中西進の文である。

入江は奈良に生まれ、東大寺の旧境内地で育ったという大和人である。大阪で写真店を開くものの戦災で消失。失意の中、戻ったふるさとで出会った大和の美しい風景、ひたすらに大和路とそこにある仏像に取り憑かれ、撮りつづけた。

入江が撮りつづける大和路も少しずつその美しさが失われていく。愛しむように、祈るように、残さねばならぬと命を削るように撮った風景がそこにある。戦後の50年、入江の感性と、撮影能力と、大和路への想いと、その時代にしかなかった風景が写真に残されている。

大和路を散策しなければこの風景と出会うことは敵わないというものではない。多くの日本人が、自らのふるさとに見ることができた何かがそこに写されていて、大和路の特別な風景であるはずのものが、誰もがなつかしく感動を蘇らせるものでもある。手元において、時おり広げるページには、幼き日に過ごしたなつかしさと、やさしさに包まれることができるだろう。

21. 2月 2023 · February 21, 2023* Art Book for Stay Home / no.113 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ジャン・コクトー 幻視芸術の魔術師』高橋洋一(講談社現代新書、1995年)

美術を勉強したくて美術書を読む、どの美術書を読むかとても難しいように思える。間違いのない方法論は「興味を惹くものを読む」といった単純なものだ。どの作家が好きなのか、その作家の時代はどのようなものであったのだろうか、その時代は他にどのような作家がいるのだろうか、技法的な興味もあるだろう。知りたい知識とともに読みたい本もどんどん広がっていく。時には興味と離れたところを読むと、自分の世界を広げてくれる。

美術のために美術書を読むのではなく、文学、音楽、演劇、映画、ダンス・・・。それも美術と関わって、美術の視点を持って読みたい。そこにジャン・コクトーがいる。ジャン・コクトーは、詩、小説、評論、絵画、演劇、バレエ、ジャンルを越えて活躍した。19世紀末から、2つの大きな戦争を跨いで現代へつながる芸術のうねりの渦中で、その名を轟かせた。最もエネルギッシュであったフランス、パリで。

美術で言えば、キュービスム、ダダイスム、シュールレアリスム、常に最前に立って、なおかつ群れから距離を保った。この時代も現代も多領域を場とすることは、高い評価を得にくい。評価はいつもその専門領域の中で用意されている。領域を越える者はいつも異端だ、そうコクトーは異端であり続けた。評価よりも領域を越え続ける魅力に遊び、異端を楽しんだ。

多領域の中で、最もコクトーが華やいだのは舞踊である、そしてその精神を貫いているものは詩であると思われる。全ての芸術表現において、常に核をなすのは思想であり、精神である。コクトーは確かに技術的にも人間的にも器用であったが、そのようなことは重要なことではない。圧倒的な思想を支える精神であり、そこに詩で磨かれた輝きがあった。ぜひ美術のための美術ではなく、美術のための何かを本著から掴んで欲しい。

10. 2月 2023 · February 10, 2023* Art Book for Stay Home / no.112 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『エーゴン・シーレ 日記と手紙』大久保寛二編・訳(白水社、1991年)

本訳書は『エーゴン・シーレの手紙と散文』(アルトゥル・レスラー編、1921年、ウィーン、リヒャルト・ラー二イ書店発行)に掲載されたシーレの文章の全訳である。シーレの散文、詩、日記、さらにスケッチブックに記された妻へのメッセージから構成されている。訳に徹して行われており、一般には「エゴン・シーレ」と表されるが、原語発音に忠実に「エーゴン・シーレ」と表記されている。

28歳の短命の中で、多くの文を残したことは、シーレ研究における貴重な資料となっており、評論を一切加えない本訳書は、その意味で脚色のないシーレ自身に出会う貴重なものになっている。私自身が本訳書から得た印象は、極めて几帳面であり、こういう友人がいたら大変面倒くさいであろうというのが本音である。中でも殆どの手紙における筆跡は、印刷書体に極めて忠実で、読む側に立ってみれば、シーレがどれほど切実にこの手紙を書いたかと感ぜざるを得ないのである。そして最も多く出したアルトゥル・レスラーへの手紙(71通)の内容は、絵の具やキャンバスを購入するための金銭の欲求、更には作品を販売するための便宜である。アルトゥル・レスラーは美術批評家であり、画商も行う当時ウィーンの実力者で、シーレを物心両面で支えた人物である。シーレはフィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホを尊敬し、ときに自らをゴッホに同化させることもあるが、レスラーはゴッホにおける最大の支援者弟テオに値する。しかしシーレが短命の中で2000点以上もの作品を残せたことは、レスラーの能力に負うところが大きいことが本訳書から読み取ることができる。

他に特筆すべきことは、第一次世界大戦の勃発で、25歳から兵役に服したことである。画家という職業が考慮され戦場に向かうことはなく、几帳面な能力にも配慮され殆ど事務的な仕事に終止したものの、描かなければならない特別な自分にとって、悲鳴を叫び続ける任務であった。28歳の短命を振り返ってみると惜しまれてならないのである。

02. 2月 2023 · February 2, 2023* Art Book for Stay Home /no.111 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『黒い太陽と赤いカニ 岡本太郎の日本』椹木野衣(中央公論新社、2003年)

「岡本太郎とは何者か」という問いは太郎に限って非常に的を得たものである。正体が掴みにくいのである。一言で芸術家である。絵も彫刻もモニュメントも壁画も作るが芸術家であって美術家ではない。論述、エッセイは多いが著述家ではない。テレビにはいっぱい出ていたがタレントではない。有名な芸術家ではあるが、意外と作品集は少ない、没後出版が相次いでいるが。岡本太郎についての著述は、太郎も、養女敏子も美術評論家山下裕二なども太郎については絶賛型である。太郎全体がポジティブで覆われているのである。

椹木野衣の本著は、そういうポジティブなものではない。「岡本太郎とは何者か」に最も肉薄した一冊と言えるだろう。椹木の美術評論家としての経験も比較的浅い41歳という中、全力で太郎を暴いている。なぜ岡本太郎は美術家ではなく芸術家なのかが明解に著されている。

その根拠を示す。一つは長くパリに住んだが、パリは他のすべての美術を志すものたちが憧れて、学びを求めて住んだのに対して、漫画家と小説家の両親に連れられてやむを得ず住んだこと。先ずフランス語を身に着け、哲学、宗教学、芸術学を学んだこと。そこにはフランス芸術の尊敬はあるものの、コンプレックスはない。ただひたすら「芸術とはなにか」に終始して生きてきた。

一つは美術以前に父一平を通して漫画があったこと。現代においては当たり前であるが、少年時代に漫画にどっぷりと浸かり、その漫画を封印することで美術に向かうという生き方を世界で最初に実践した人であること。

そうした一般に美術を志した者とは大きく異る太郎であるがゆえに、べらぼうな『太陽の塔』があり、『縄文土器論』があり、メキシコで描かれた巨大壁画『明日の神話』がある。

若い椹木が太郎に押しつぶされないように、どれだけ太郎を調査し、追究したであろうかが確固たる論を敷くことで太郎絶賛型の口を封じたと言える。

17. 1月 2023 · January 17, 2023* Art Book for Stay Home / no.110 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『既にそこにあるもの』大竹伸朗(新潮社、1999年)

大竹伸朗の肩書は、現代美術作家、あるいは画家。武蔵野美術大学油絵科を卒業し、ひたすら作品を作り続けている。油絵科卒業なので、画家であるがいわゆる額縁で縁取られた油絵は全くない。油絵の具も使うが、他の絵の具やペンキも使う。キャンバスを使うが、多くはありとあらゆるものに描く、それが立体物、あるいは「既にそこにあるもの」、印刷物や看板、平面に限らず立体的なものも多い。写真だけでなく、映像もあればネオンのような発光体もある。いわゆる美術作品という概念からムチャクチャはみ出している。そういうものをなんとか呼ぼうとするならば現代美術しかないだろう。

大竹伸朗のことを現代美術作家ととりあえず呼ぼう。しかし、バンドのメンバーであり、6枚のCDをリリースしている。もちろんコンサートも行う。また東京アートディレクターズクラブADCグランプリ、ニューヨークADC国際展優秀賞、ロットリングイラストコンペ一等賞などデザインや絵本での受賞歴も多い。その領域にタブーはない。大竹自身の興味が喚起されるところ、あらゆるところにアメーバーのごとく繁殖してゆく。

そしてこのエッセイ、イメージ豊かな語彙と確かな文章力、作品から一見受けるものとは大きく異なっている。いや作品表面から受けるイメージというのは、直感的には正解なのだろうが、そのもう一つ奥にあるものを観たいものである。本著はそういった大竹のスピリットと制作現場に立ち会う一冊だ。

15年ほど前、学長を務めていた名古屋造形大学の卒展記念講演で大竹を呼んだ。同行していた多くの時間、口数が少なく、常に何かを見つめ、何かを思考しているといった具合であった。本著を読んでそのとき脳内で何が起きていたのか解る気がした。