24. 6月 2022 · June 24, 2022* Art Book for Stay Home / no.94 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『十二支のかたち』柳宗玄著(岩波書店、1995年)

アートを表現するにあたって、イメージの源泉というものがある。誰もが何の体験も知識もなく表現するということはありえない。それは母の子宮の中から始まるとしても、やはり体験であると言える。幼い子どもが描くものであっても同様のことが言える。幸いなのは幼い子どもというものはつまらない理屈付を持っておらず、イメージが自由なことにある。

さて、「十二支のかたち」であるが、この多くの日本人が知識体験として持っているものは中国・漢代あるいは戦国時代に誕生したとのことである。十二支たちは世界各地の壁画や浮き彫り、祭具や染織・日常雑器などに造形されてきた。現代の我々には、そうした圧倒的な知識や造形、イメージを望まないとしても染み付いているのである。であるならば、さらに深く関わり、イメージの源泉としたい。十二支は東洋人のみならず、人類の知的財産でもある。

『十二支のかたち』は造形に関わるアーティスト、デザイナー、工芸家たちにとっての手引書である。子(ねずみ)から始まり亥(いのしし)まで、一支の総論と左右のページで図版、写真とその説明というように、事典展開されている。本著は何も造形制作に関わる者たちだけのものではない。年に一度年賀状を楽しんだり、物見遊山の観光で出会う十二支にちょっと興味を拡げてくれる手引書である。十二支の膨大な造形は、もともと民衆の知恵とユーモアが結晶したものである。

読み終えて、わが干支である寅を再読、なんとなく虎神に護られているような心強さを持った。

28. 5月 2022 · May 28, 2022* Art Book for Stay Home / no.93 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『椅子劇場―家具未来形』光藤俊夫著(彰国社、1992年)

椅子にはドラマがあって、それは一般的にどのような所有者にどのように使われたかというドラマであるが、椅子が造られる状況においても製作者にドラマがある。本著『椅子劇場―家具未来形』は、それを劇場ドラマとして紹介しており大変興味深い。

デザイナー、建築家、工芸家が造った椅子、アーティストが造った椅子。椅子を造る動機は、それぞれの職種によって様々である。座るという機能的役割を追求したもの、美しくてただ眺めることを目的としたもの、個人の名誉や権威を象徴させたもの。無名な椅子の中にも、多くの人に長く愛されて使われ続けているもの。まさに人間ドラマがあるように椅子のドラマが展開される。

どの椅子にも名前がある。本著で紹介されている77の椅子すべての名前が紹介されている。製造番号のままの名前もあれば、ニックネームが名前に定着したものもある。著名人が愛したということで、誰々の椅子というものもある。そんなことで複数の名前を持っている椅子もある。仕事場や自宅で、自分専用として座っている椅子の名前をできれば知っていたいものだ。わからなければこっそりニックネームをつけるのも楽しいだろう。何時間もあなたのお尻を受け止めて、あなたの体重を支えているのであるから。

美術館を訪れる人は、当然美術作品を観ることを目的とする。鑑賞という意欲を持って観る。鑑賞に疲れたとき、休憩用に置かれている椅子になにげなく座ることも多いかと思われる。多くの美術館には美術館にふさわしい椅子が置かれている。「椅子劇場―家具未来形」に登場するような椅子である。写真を撮るのも良い、係の者に聞くのも楽しい。美術館において唯一身体で見ることのできるアートでありデザインである。そこからあなたの椅子劇場が始まるかも知れない。

05. 5月 2022 · May 5, 2022* Art Book for Stay Home / no.92 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『マチスの肖像』ハイデン・ヘレーラ著、天野知香訳(青土社、1997年)

巨匠マチス。マチスほど巨匠と呼ぶにふさわしい画家はいないだろう。ピカソには天才が呼称とされ、ゴッホには人生の悲哀がつきまとい多くの尊敬を集めるに至っていない。ターナー、セザンヌ、マネ、モネ、ドガ、ルノワール・・・それぞれマチスに比べると物足りないところがある。フランス人であり、その活躍が近年であること、今なお画家を志す者から多くの尊敬を集めつづけていること。

しかしながら、マチスの人生が語られることはあまりに少ない。ピカソのようなスキャンダルと謳歌に満ちてはおらず、ゴッホのように悲劇でもない。本著はそんなマチスの人生を、多くのエピソードとともに彫り上げている。マチスの活躍は遅い、しかし遅すぎるということはない。自意識は極めて高く、真面目で努力家であった。神経はいつも研ぎ澄まされており、絵に対する思いは果てしなく続いた。心身症で心を痛め、慢性肝臓病から胆嚢炎を発症、両肺の手術を受け、更には十二指腸の手術を行っている。二度の世界大戦は憂鬱な神経を追い込み、そこから生まれる名画は、マチスの知名度を上げ、パトロンに恵まれ、存命画家として最も高額な画家ともなる。大戦のイデオロギーに屈せず、自らの創作に忠実に行きたマチスは、戦後フランスの誉れとなる。

この悲劇と歓喜を繰り返す人生は、ときにゴッホであり、ピカソであった。フランス北部の寒く憂鬱な町に生まれたマチスは、パリに暮らしつつも何度も南仏を目指し、名画を生む。ゴッホをなぞるような精神構造は、画家の宿命のようでもある。マチスに愛と人生を捧げた3人の女性、家族、画家の仲間、パトロン、あらゆることを犠牲にして絵に向かう画家の芸術至上主義に対して、残された多くの絵画が応えているだろう。巨匠マチスの生きた人生を辿るとき、それらの絵画は、激しい振幅を持って私達に感動を与えてくれる。

23. 4月 2022 · April 23, 2022* Art Book for Stay Home / no.91 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『廃仏毀釈―寺院・仏像破壊の真実』畑中章宏(ちくま新書、2021年)

廃仏毀釈については随分と長い間、私の中でモヤモヤとしていた。中学校の歴史の時間に明治維新について、「廃藩置県」「富国強兵」「廃仏毀釈」と学んだ。廃仏毀釈とは、「仏教を排斥し、寺などを壊すこと。明治維新の神仏分離によって起こった仏教破壊運動。」と習った記憶があるものの、私の村には寺があったし、修学旅行で行った奈良や京都にも立派な寺や仏像があった。

実態がよく解らないまま何年も経った。20年ほど前に中津川にある苗木城阯を訪れたとき、そこの苗木遠山資料館で廃仏毀釈の一つの実態を知ることになった。当時苗木藩で行われた廃仏毀釈は、他藩では類例を見ないほどの激しい徹底したお寺、仏像、仏具、経典の破壊が行われた。その結果現在でも旧苗木藩地区ではお寺は存在しない。

本著によると、廃仏毀釈は極めて複雑で、藩ごと、地域ごと、寺ごとによって対応が異なった。誕生したばかりの明治政府の考えも、明治天皇の神格化にともない神社を特化させなければならない事情のもとに行われたが、明治政府の混乱もあって、藩の対応が主となった。知事の立場も様々であり、寺院の力も様々であった。さらに地域住民の信仰実態も様々であり、廃仏毀釈を率先して実行した檀家もあれば、徹底して寺を守った例もあった。

それまでの歴史的状況は、武士が仏教寺院の力を利用して勢力を伸ばして来た流れ、神仏集合の流れありで、廃仏毀釈は混乱を極めた。四国八十八ヶ所の中にも神社がいくつも含まれていたり、神社の中に仏像が本尊として拝まれていたり、神社と寺院の区別がつかないものも多く存在した。神社には多く神宮寺という仏教寺院を抱えていたし、権現(神々を仏教の仏や菩薩が仮の姿で現れたものとする本地垂迹思想による)の存在は、廃仏毀釈に大きな壁となるものだった。権現には、秋葉権現、熊野権現、金毘羅権現、蔵王権現、立山権現、箱根権現など現在でも深い信仰を集めているものが多い。

現実には、多くの寺院が焼き払われ(鹿児島県は殆どの寺院が壊滅)、仏像・仏具が壊された。かろうじて難を逃れた仏像が、その後国宝、重要文化財になったものも多く存在する。読後、知識はふえたものの私のモヤモヤはさらに肥大した。

13. 4月 2022 · April 12, 2021* Art Book for Stay Home / no.90 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『鴨居玲 死を見つめる男』長谷川智恵子(講談社、2015年)

鴨居玲、3冊目の紹介である。1冊目は鴨居玲自身によるエッセイ。2冊目は元神戸新聞文化部記者で美術評論家の伊藤誠による鴨居玲のエッセイ。本著は日動画廊代表取締役副社長の長谷川智恵子。日動画廊は鴨居が40歳のときに初めて個展を開いたところで、東京・銀座、大阪(現在は閉廊)、名古屋、福岡、軽井沢、パリ、台北にあり、さらに茨城県笠間市に笠間日動美術館がある、老舗で日本有数の画廊である。つまり長谷川と鴨居は互いにビジネスパートナーの関係にある。

鴨居は極めて端正なマスクで、180近い身長であることは多くの知るところであるが、そのことに長谷川は何度も触れ、さらにダンディでチャーミングであることを女性の視点から述べている。ビジネスで何度もパリ日動画廊に出張している長谷川は、その社交界で必要なパーティのパートナーに鴨居(パリ在住)を呼び出している。鴨居自身もパトロンでもある長谷川のリクエストに気持ちよく応えている。もちろん二人に親しいビジネスパートナー以上の関係はないことは明らかであるが、社交界での美男美女は互いに心地よかったに違いない。鴨居には同棲のパートナー富山栄美子がいて、長谷川には夫であり日動画廊社長の長谷川徳七がいる、エッセイにも度々登場している。

もちろん本著は鴨居の画家としての魅力、画家としてのナイーブな苦しみ、精神性、友の繊細な関係などが浮き彫りにされており、そのことが鴨居の絵の魅力にどのように関わっているかが興味深く書かれている。またそうした神経の迷走が自死に向かっていくことをどこかで判っていて「止めなければならない」「だが何もなすすべがない」長谷川の悔しさはどれほどのものであっただろうかが本著より伺い知れる。

救いは多くの名作を見守り、また笠間日動美術館にそれを収めることができたことであろう。そうして私たちは今、鴨居玲に会うことができる。

31. 3月 2022 · March 30, 2022* Art Book for Stay Home / no.89 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『堂本印象 創造への挑戦』京都府立堂本印象美術館編(淡交社、2018年)

堂本印象の作品をザクッと観て、ああこういう作家だと判断することは極めて難しい。日本画家と冠せられるが、京都市立美術学校時代の水彩画から始まり、龍村平蔵(龍村製織所)での西陣織の多数の下絵、傍ら生活を支えるための木彫人形、27歳で龍村の支援を得て京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)2年目から帝展に出品し続ける日本画の大作。その後日展や自ら主宰する東丘社展への出品作、多くの名刹から依頼される障壁画、天井画。さらに書、落款、陶器、パッケージデザインや緞帳、自らの美術館建築や家具、内装まで多岐に渡っている。画題も風景画、人物画、花鳥画、物語絵、歴史画、宗教画、そして抽象絵画へ。

そうした印象の多様性を捉えて、何を考えているのか解らないと否定的に見る者も少なくない。しかし、そこに印象の印象たるところがあり、創造精神の強靭さは破格である。「画家としては、一つの様式が完成すればすぐにそれを打破し、いつまでもそこに安住せずに、気前よくそれを打ち捨てて次の段階を目指して進まなければならない。また完備した頃には再び打ち壊す・・・」「暑中休暇も正月もない、ただあるのは画面だらけだという生活をつづけ。」絵が好きで絵を業とする画家の本来を見る事ができる。それを可能にしたのは、幼い頃の裕福で文化的な暮らしであり、青年期の窮乏であり、20代の早くから高い評価を得て世に出たことであり、大きな病もなく84歳まで制作を続けることができたことである。約70年の才能あふれる画業を鑑みると、その多様さを納得することができるのである。

本著は、印象の変化の起因するところを作品とともに丁寧に展開している。読み終えた感想として、「印象は自分の絵を、期待をもって観る者に対していつも裏切ることに、楽しくて仕方がなかったのではないか」と思える。そういうエンターテイメント性があって、究極が堂本印象美術館である。美術館について印象は「新しいことは可能な限り、誰かがやらねばならぬ。この当然なやるべきことをやったのに、世間はびっくりケッタイだという。金閣寺を見たらいい、平等院の鳳凰堂でも、それができたときはケッタイだったに違いない。」と述べている。

19. 3月 2022 · March 18, 2022* Art Book for Stay Home / no.88 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『回想の鴨居玲 「昭和」を生き抜いた画家』伊藤誠(神戸新聞総合出版センター、2005年)

著者伊藤誠は美術評論家、元・神戸新聞文化事業局次長、元姫路市立美術館副館長。二人が出会ったのは戦後まもなく、昭和24・5年23・4歳の頃である。鴨居が伊藤より一歳上、新鋭の画家と駆け出しの文化部記者。親交を深めるままに歳を重ね、流浪の画家は神戸を拠点に世界を巡り、随所にアトリエを持ち、伊藤は文化部記者から事業部に移動になって文化事業として多くの展覧会を手掛ける。二人の共助は互いの出世、成長を高める。伊藤はそのことをいつも鴨居の援助のように書き進めているが、鴨居にとっても伊藤は大きな支えであったに違いない。

本著を読み進めるにあたり、少々苛立たしさを感じる。伊藤の鴨居へのリスペクトと愛情があちらこちらで邪魔をして、ズバリと言い切れずブレーキをかけてしまっている。鴨居の自死から20年が過ぎて、ようやく「回想」を書き上げた歯がゆさからなのだろうか。

前半の「鴨居玲からの手紙」では、鴨居から伊藤への手紙が全文紹介されている。主に海外からの13通の手紙が、鴨居の繊細さ、やさしさ、弱さ、思いやりが現れていて、一般に鴨居を知る人のイメージ(ダンディで傍若無人)とは異なるのだと盟友の口からではなく、鴨居自身の言葉から伝えたかったのではないかと思う。手紙は伊藤個人へのものであるが、個人へのメッセージを超えて人間鴨居が見えてくる。

そして、安井賞受賞から墓標とも言える代表作《1982年 私》、自死にいたるまでの鴨居の作品と、心の読み解きは、文化部記者から文化事業局次長、美術館副館長、美術評論家として、そして親友として、伊藤以外に誰も書き得なかった魅力に溢れている。

前半は鴨居玲人物論として、後半は鴨居玲作品評論として読み応えのある一冊である。

24. 2月 2022 · February 24, 2022* Art Book for Stay Home / no.87 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』トゥーラ・カルヤライネン/セルボ貴子・五十嵐淳訳(河出書房新社、2014年)

トーベ・ヤンソンに自伝はない。画家、漫画家であるとともに小説家、脚本家(ほかに挿絵画家、風刺画家、童話作家、舞台製作者など多様)であったトーベにとって自伝を書くことの能力は何でもなかったはずだが、書かなかったのはそこに興味がなかったということだ。しかしこうも言っている「私の自伝はきっと誰かが書いてくれるだろう」と。そういう思いがあったのだろう。トーベは膨大な量の手紙を友人、恋人たちに書き残している。そしてそれが手記とともに公開されることも了解している。

著者トゥーラ・カルヤライネンは、美術史家であり作家で、元ヘルシンキ市立美術館、ヘルシンキ現代美術館館長でもある。トーベ・ヤンソン生誕100周年を記念してヘルシンキのアテネウム美術館で開催された大規模な回顧展のキュレーターを努めている。

A5判350ページに及ぶ本著は、ヤンソンが生まれる前、父となるフィンランド人ヴィクトル・ヤンソン(愛称ファッファン)と母となるスウェーデン人シグネ・ハンマルステンの出会いから始まる。ヤンソンがどのような環境で学び、成長していくのかが克明に記されている。画家として、小説家として早熟な評価を受けて、さらなる活動に入らんとする状況で第二次世界大戦に突入する。フィンランド下において続いたナチスドイツとロシアとの戦争は、多くのフィンランド人を苦しめ、トーベもまた精神的苦痛に追い込まれている。そのような中で、平和と幸せの希望の兆しとしてムーミンが誕生していく。

戦後になって、トーベの描くムーミンの大活躍は、フィンランド、スウェーデン、イギリス、日本と世界に広がっていくわけだが、生涯に渡って大切な恋人、友人たちとの交流がトーベを支え、成長への礎となっていた。

もちろん、ムーミン一家はヤンソン家族と大きく重なるもので、特にムーミンママである母ハムの存在は、トーベの人生にとって未来であり、影であり、トーベ自身でもあった。87歳、人生を愛と芸術に捧げることができたトーベの苦悩と幸福を共にすることができる著作である。

15. 2月 2022 · February 14, 2022* Art Book for Stay Home / no.86 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『河北秀也のデザイン原論』河北秀也(新曜社、1989年)

『デザイン原論』は難しそうなことを書いてある本という印象である。読み始めてみると全く難しいことではない。まあ一つは私も河北と同じデザイナーであり、教職にあって、同世代であるというかなり近い立場にあるので「難しいことではないですよ」と言っても説得力がないかもしれない。

デザイン原論は究極のところ、「デザインとは何か」である。河北は「人間の幸せという大きな目的のもとに、創造力、構想力を駆使して、私達の周囲に働きかけ、様々な関係を調整する行為が『デザイン』である」と明言する。私も全く同感、機会あるごとに「デザインとは何か」を述べてきた。河北も私もそれを何度でも述べなければならない立場、機会にあったということだ。それはデザインが「色や形、素材などの造形的な行為を行って、シャレたもの、流行にあったものを作ること」のような一般的理解にあるからである。その根幹にあるものはデザインを意識して学ぶのは小学校の図工であり、中学・高校の美術であるから誰もがデザインは美術の一部であると誤解してしまう。教育も美術の一部として行われている。しかも専門にデザインを大学で学ぼうとするならば、芸術大学や美術大学に行くしか方法がないのである。結果、多くのデザイナー自身も美術の一部として認識し、造形行為から抜け出せないでいる。デザインを考えること、理解することは美術領域ではない。イギリスやアメリカの一部の州では小学校の社会科でデザインを学ぶ。人が社会人として生きていくためにはデザインが必ず必要だからである。

『河北秀也のデザイン原論』では、「デザインとは何か」「デザインにとって必要なことは何か」「デザインの重要性」「デザインの魅力」について、アートディレクターとしての河北自らの体験を通して語られている。「いいちこ」のポスターに限らず、多くの領域で優れたデザインを生み出せているのはこのデザインに対する考え方がぶれないからであり、正論であるからだ。

01. 2月 2022 · February 1, 2022* Art Book for Stay Home / no.85 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『サティ ケージ デュシャン 反芸術の透視図』鍵屋幸信(小沢書店、1984年)

著者鍵谷幸信は英文学者、詩人、音楽評論家である。サティ、ケージの連なりにデュシャン、3人について書かれたものと言うよりは、反芸術に主体が置かれている。しかし、しかめっ面をした難解なものではなく、そこは快楽の世界と言わんばかりの反芸術だ。

現代音楽、現代美術、現代詩、鍵屋幸信は日常生活の楽しみとして、研究者として、仕事として反芸術に身を置いている。私は300ページを超える本著に身を寄せて、サティの音楽をBGMに、ランチをしながら、コーヒーを飲みながら、ウイスキーを楽しみながら1ヶ月ほどかけて読んだ。

キーマンはデュシャンだ。読みすすめるうちにデュシャンの人間像が浮かび上がって来る。デュシャンの作品を理解しようとすればするほど理解は遠のいて、つまりは「表現しようという行為をしなかったことである」と答える。デュシャンが「既成の芸術や芸術家の概念をてんぷくさせて、一掃させた」ということもまた我々の幻想かも知れない。大好きなチェスに興じながら「問題がないのだから解決はない」と言い放つ。それでも鍵屋は「デュシャンによって旧来の芸術の権威がグラリと傾いたことだけは誰も否定できないだろう。」と語る。

サティ、ケージ、デュシャンと並べても本著はやはり主として美術の本で、ニューヨーク・ダダの三羽烏、マン・レイ、フランシス・ピカビアを登場させる。かと思えば詩人ウィリアム・カルロス・ウィリアムズの詩を掲げ没頭する。美術評論家東野芳明や音楽家一柳慧との対談を楽しみ、瀧口修造との音楽、美術、詩、評論の至福の時間を過ごすのである。

多くの芸術愛好者たちが肩に力を入れて読み、観、聴き解こうとするサティ、ケージ、デュシャンであるが、私は鍵谷幸信のエッセイとして読んだ。