25. 7月 2023 · July 25 2023* Art Book for Stay Home / no.124 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『コブナ少年 十代の物語』横尾忠則(文藝春秋、2001年)

画家横尾忠則が生まれてからの最初の記憶から、トップイラストレーターになる寸前までの回顧録である。著名にあるように主に十代のことが克明に書かれている。大の横尾ファンである私には、どのようにしてイラストレーターになっていったのか、極めて興味深い。特に高校、大学、あるいは専門学校という美術やデザインの専門教育を全く受けることなくトップイラストレーターになったのである。「とにかく絵を描くことが好きであったが故に」では納得など出来はしない。才能があったから、なるほどそうだろう。しかし、才能というのは、自分で客観視できるものではないし、極めて心もとないものである。「絵がうまい」では決してイラストレーターにはなれない。業界を50年見てきた私の意見である。

その詳細は本を読んで頂くとして、本著の面白さはほかに横尾少年の性への目覚めである。性に対して極めて奥手の横尾少年が、青年時代も含めてモテモテであった。それを自慢気にひけらかしているわけではない。むしろ奥手で引っ込み思案の横尾少年が戸惑うほどなぜそんなにモテたのか。一つは母性本能をくすぐる内向的性格、年上の人に憧れ、年上の人から愛を迫られるという基本が繰り返される。もう一つは、容貌のチャーミングさだろう。さすがに86歳の現在からは想像しにくいところがあるが、十代の頃はジャニーズ系の甘い容貌をしていたと思われる。

1969年に横尾忠則主演で公開された大島渚監督映画『新宿泥棒日記』(ATG配給)を見た。当時私は19歳で、しかも性的なシーンがあるとのことである。そこにヒーロー横尾忠則が延々と映し出された。前衛映画でストーリーも映画のおもしろさも、さっぱりわからなかった。大島渚監督のことも全く知らなかった。40年過ぎて再び同映画を観る機会があった。この映画は新宿紀伊國屋書店という実在の書店が舞台で、フィクションとノンフィクションが交じるというとてもおもしろいものであった。横尾の一見ぶっきらぼうな演技も、その意味で極めて秀逸な演出であった。ということを懐古しながら本著を読んだ。

30. 6月 2023 · June 29, 2023* Art Book for Stay Home / no.123 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『山下清の放浪日記』池内紀編・解説(五月書房、1996年)

本書は、山下清『放浪日記』(式場隆三郎・渡邊實編、現代社、1958年刊)をもとにして、新たに池内紀が編集したものである。随所に山下清の絵が収録されている。別に『裸の大将放浪記』(山下清著、ノーベル書房、全4巻)が発行されているので、編者が抜粋したものであると思われる。編集意図については書かれていない。

大量の日記が残されているのは、清が知的障害児施設「八幡学園」へ預けられたからで、八幡学園では全員に日記を書かせることを学習の一環としていた。

本書では、山下清が第二次世界大戦中の1940年の18歳の時から学園を脱走し1955年までの間の放浪の旅を清の日記から紹介している。日記は、3年ぐらいで八幡学園に戻ったときに過去を思い出して書かれたもので、相当な記憶力である。絵も放浪先では描いておらず、学園に戻った折、記憶によって描かれたものである。

放浪先で働くこともあった、特に我孫子の弁当屋では大切にされた。その弁当屋では徴兵検査を恐れて逃げ出す。お金は弁当屋で頂いたものや施しを受けた僅かなもので、それを貯めて汽車代としたこともあるが、多くは線路の上を歩いた。日常の食事は朝昼夕とも貰うことを当たり前のように繰り返している。夜は駅の待合室で泊まり、かなわないときは民家やお寺の軒で眠る。いわゆる乞食の暮らしであるが、知的障害、吃音、まじめそうな様子に多くの人は情をかけたのだと思われる。また清はご飯をもらうために、みなし児であるなど多くの嘘をついた。日記にそう書かれている。

清はこの放浪時代、既に貼り絵画家として全国的に有名であったが、誰も気づかなかった、また清自身も明かすことはなかった。八幡学園からの逃亡の理由の一つに「日本のゴッホ」などともてはやされる窮屈さがあった。兵隊に取られることを恐れ、自由が好きで、美しい風景が好きだった。これが清の放浪の理由であり、日記からそのことがほのぼのと伝わってくる。

16. 6月 2023 · June 16, 2023* Art Book for Stay Home / no.122 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『異界を旅する能-ワキという存在』安田登(ちくま文庫、2011年)

能を見る機会は極めて少ない。これまで見た能は片手に収まる程である。機会も少ないが興味もあまりない。狂言や歌舞伎は見ているうちに結構早くおもしろさを知った。能もそうなりたいと思う。そんな気持ちで手にとった一冊である、著名『異界を旅する能』にも惹かれた。

能の物語は、生きている「ワキ」と、幽霊や精霊である「シテ」の出会いから始まる。この全くことなる役割で、シテが主役のように思える、ワキは脇役の脇に通じるもので、ワキを志す能楽師は少ない。安田登はワキである。ワキの意味とおもしろさ(もちろんそこには能そのもののおもしろさでもある)を語りながら、能とはどういったものかを述べている。

一方シテは「残念の者」である。何かの理由でこの世に思いを残してしまった者である。今なお霊界をさまよっているか、この世あの世の間をさまよっている。この象徴的な様子が揚幕から登場し、本舞台の間(橋かがり)に滑り出る。能の舞台設計がどこも全く同じなのは、能の物語が舞台の約束事の上に作られているからである。

能の世界を生きた人物として、三島由紀夫、芭蕉、夏目漱石が登場するが、三者を例に取りながら「異界とは何か」の話はとても解りやすい。そしてそれを現代の社会に置き換えて見ると、なるほど現代にも多く「能の異界」が存在する。生きている我々が異界をどのように捉え、関わればよいのか、能を殆ど見ることない状況ではその方法を知ることは少ないだろう。

46の能作品を紹介している、我々が歌舞伎や小説あるいは映画や演劇で知ったいくつもが、実は多くが能作品であったことを思うと、もっと能を知りたい。しかし読後の感想は「ワキを通じてわずかに能の片鱗に触れた」に過ぎない。

30. 5月 2023 · May 30, 2023* Art Book for Stay Home / no.121 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『青木繁 世紀末美術との邂逅』髙橋沙希(求龍堂美術選書、2015年)

本著において著者はそのテーマである「世紀末美術との邂逅」を明らかにするために、先行する著述を徹底的に読み解いている。論文を書こうとするならばこうした態度は当然であるが、本著はその精度に驚く。したがってその文は客観的に収められており、青木作品の深い魅力については、他の著述の引用となっていることが多い。

先行する著述について「『塗り残しや下描きが残された未完成風であること』『際立った想像力と豊富な知識によって描かれた神話画が数点あること』『ラファエル前派をはじめとする西欧の世紀末美術の影響を受けていること』この三点を中心にして述べられてきた」と明解にし、なおその主な論文も紹介している。

本著の目的「世紀末美術との邂逅」を述べる前に、「青木繁の構想画に見る壁画的性格」「デッサンから見る海外の美術作品との交流」「青木繁とラファエル前派」についてそれぞれ章立てで分析、論考を述べている。それぞれ興味深い視点ではあるが、ラファエル前派を除いては説得力の欠いたものになっている。ただ、美術表現、創作に関して述べる際、きちんと分析しきれるものではなく、その資料の精度も曖昧である。明治の洋画という特異性も十分に配慮された論考で、手本とする西洋絵画の紹介、黒田清輝による理解と指導、当時の画集の発刊と日本に持ち込まれていた画集と聖書などの関係書の確認、その上で青木自身がそれらを見たかどうか。著者はそのあたりを詳細に報告して論文の精度を上げている。

ラファエル前派から世紀末美術への邂逅については、本著の核心部分であり、説得力も極めて高い。

「世紀末美術との邂逅」の後、「旧約聖書物語の挿絵」「晩年における青木繁作品」について2章を割いているが、本論のテーマを曖昧にさせるものとして受け止めた。

18. 5月 2023 · May 17, 2023* Art Book for Stay Home / no.120 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『絵金伝』山本駿次朗(三樹書房、1987年)

絵金といえば、江戸時代末期から明治にかけての浮世絵師で、本名弘瀬金蔵、通称絵金。高知城下に生まれ、幼少の折から絵の才能で評判になり、16歳で江戸に行き土佐江戸藩邸御用絵師前村洞和に師事する。10年はかかるとされる修行期間を足かけ3年で修了し、林洞意(はやしとうい)の名を得て高知に帰郷、20歳にして土佐藩家老桐間家の御用絵師となる。

しかし、狩野探幽の贋作を描いた嫌疑を掛けられたことで職を解かれ高知城下所払いの処分となり、狩野派からは破門を言い渡される。その際、御用絵師として手がけた水墨画の多くが焼却された。洞意が実際に贋作を描いたかどうか真相は明らかではないが、習作として模写したものが古物商の手に渡り、町人の身分から若くして御用絵師に取り立てられた洞意に対する周囲の嫉妬により濡れ衣を着せられたのではないかと洞意を擁護する意見もある。

幕末の地方の絵師であるがゆえに、その詳細は不確かであろうと想像される。本著『絵金伝』はB6サイズで262ページ、論文ではなく、できる限りの事実に基づいた小説であると断り書きされている大変興味深い著である。

ところが、絵金は弘瀬金蔵のことであると同時に、土佐においては「えきん」は画工、画匠の意味があり、何人かの絵金が存在したという説がある。本著では弘瀬金蔵を指す「絵師金蔵」のほか、「島田介雄(高知の絵金)」、「辺見藤七(本山の絵金)」、「おたすけ絵師」と4人の絵金についてドラマチックに紹介されている。そしてそれら絵師たちを支え芝居や後の映画、祭りなどで活気を呈した土佐人の気質が語られる。

日本美術史では稀有な庶民の美術が、かくも評価高く残ることの興味深さとともに、本著の大きな価値を受け止めた。

09. 5月 2023 · May 9, 2023* Art Book for Stay Home / no.119 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『誰も知らなかったココ・シャネル』ハル・ヴォーン、赤根洋子翻訳(文藝春秋、2012年)

ココ・シャネルの伝記については、多くの書籍が出版されており、その多くは彼女のサクセスストーリーである。極貧の家庭に生まれ、放浪のあと厳しい孤児院に預けられ、その後男性接客を目的とするキャバレー働き、お針子としてのスタートから世界トップデザイナーとしての成功は、ファッションデザインに関心の無い者にさえその人生には惹きつけられるだろう。さらにスキャンダルをともなう多くの華麗なる男性遍歴(女性遍歴も含めて)、それは映画や舞台にもなった。そうした多くのココ・シャネル伝には殆ど描かれることがなかった部分がある。第2次世界大戦中の彼女の行動である。

本書『誰も知らなかった・・・』はその部分である。ココ・シャネル自身が決して真実を語らず、努めて世間の目を逸らそうとしてきた。ドイツ占領下のパリで彼女が積極的にナチスに協力していた事実、ナチスのスパイであったことを暴いている。したがって本著ではその証拠となる多くの公文書のコピーも紹介されており、時効後の今でも衝撃的な著作である。

第二次世界大戦後、70歳を越えたココ・シャネルは、ファッションデザイナーとして見事な復活を遂げる。才能であるとか、運とかそういうものを遥かに超えていくココ・シャネルとは、どういう人物か、本著で力強く語られる。彼女を彩った男たち(ウィンストン・チャーチル、ジャン・コクトー、パブロ・ピカソらも含まれる)は、圧倒的な地位、名誉、知名度、コネクション、財力を持っていたが、それがみなココ・シャネルのために存在していたと思えるのである。

27. 4月 2023 · April 27, 2023* Art Book for Stay Home / no.118 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『青木繁-悲劇の生涯と芸術-』河北倫明(角川書店、1964年)

青木繁の研究、第一人者の最も核となる書である。ただし、本著は河北最初の著作『青木繁-生涯と芸術』(養徳社、1949年)をそのまま再録し、「じゅうげもんの世界」という一文を付録のように加えたものである。73年前、河北が徹底した青木繁論を書き上げたことによって、青木繁の画家としての評価が定まったと言える。本著はその後出版された『私論 青木繁と坂本繁二郎』松本清張(新潮社、1982年)や『青木繁 世紀末美術との邂逅』高橋沙希(求龍堂、2015年)の青木繁に関する名著において重要な研究書として位置づけられている。

著者は福岡県浮羽郡の生まれであり、福岡県久留米市生まれの青木繁に同郷の親しみと興味、さらに研究の何割かは福岡、熊本、佐賀と関わっており、研究対象として恵まれた環境にあったと思われる。付け加えられた一文「じゅうげもんの世界」は、久留米地方特有の言葉で「じゅうげもん」という人物評語である。意味は内部に鬱結した強い精神があってそれが表面に開いて出てこないでグツグツと出てくるタイプのことである。著者は青木にその性格の典型を見て、青木繁論の拠り所の一つとしているところは興味深い。

京都大学文学部で美学及び美術史を修め専門とする著者は、青木繁の作品について徹底した美術批評としての分析を進める一方で、青木繁の人生とは何であったのかという人物論にも迫っており、同郷の友人坂本繁二郎をはじめ森田恒友、愛人である福田たね、師の黒田清輝、同窓の熊谷守一、和田三造、山下新太郎らとの人間関係によって、青木の凄まじい性格が描き出されている。また青木は膨大な読書をこなし、短歌をともなう多くの文章、手紙を書き、文学界からも称賛された。夏目漱石は「青木くんの絵を久し振に見ました。あの人は天才と思ひます。」と友人の手紙に書いている。

父の猛反対を押し切って、美術の道に進んだ青木は、文学の分野に至るまで天馬空をゆく異才ぶりを発揮した。しかし明治という時代は、洋画の世界においてまだまだ未熟であり、その才能に応えるものではなかった。東京美術学校で天才と言われようと、画家としての不遇な人生は、父の死、家族の経済的崩壊、愛人福田たねとの理不尽、自らの病に屈して行くしかなかったのである。

15. 4月 2023 · April 15 , 2023* Art Book for Stay Home / no.117 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい』森山大道(青弓社、2000年)

対談、独白、インタビューで綴られる森山大道の著である。したがって本文全てが大道の話しことばである。読後、大道の口癖「ぼくは、ぼくの、ぼくとしては・・・」が脳にくり返される。誰でもそうであるが、話し言葉は少し乱暴で、むだな言葉が挟まれて、少々くどめである。聞いている分には、何も問題なく意味がわかるが、それが文章になるとまどろっこしくなる。しかし、そこに本音が直接心に響いて来て、「だよ、だよね、解るよ」と読者である自分も話し言葉で理解するのである。

そこから立ち上がってくる大道のキャラクターは、無頼で、少々荒っぽく、ざっぱで、生理的である。ところが読み進めていくと、繊細で、いたるところに気遣いが感じられ、やさしい兄貴であり、おじさんである。

森山大道の写真は、写真の領域を越えて、現代美術の分野でも評価が高い。私も同感であるが、本人にとってみれば「余計なお世話だ」だろう。芸術として評価を得ようなんてことは大道にとっては全くどうでも良いことである。しかし、鑑賞の側に立ってみれば、本人の意志などどうでも良いことで、写真という媒体に関係なく、現代美術の魅力に溢れているのである。

大道の言葉「よく写真は芸術か記録かという質問を受けるけれど、もちろん写真が芸術なんかである必要はまったくないと思っている 。 しかしまた写真は記録であるといったところでそれは自明の理であって、そんなこと言ってもはじまらない。ぼくは、写真は芸術とか記録を超えて、もっとハイブリッドなものだと思う。そんなふうに考えつづけ、それをいつか自分なりの方法を通して確認してみたいと思っていた。」の「写真が芸術なんかである必要はまったくない」が好きである。「写真が芸術なんかではまったくない」と言っているわけではない。

本書で一箇所、話しことばではなく、著述がある。後記のところだ。理路整然と知的な文章力で明解に書かれている。それはちょっとしらけるほどだ。

 

29. 3月 2023 · March 28 , 2023* Art Book for Stay Home / no.116 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『美術の力 表現の原点を辿る』宮下規久朗(光文社新書、2018年)

「美術の力・・・」大胆な著名である。新書版の267ページでどれほど美術の力を語れるものか。しかし、こうした手がかりを求める美術愛好者は多いに違いない。そうした方たちに大きなきっかけとなる著書である。本著を、「美術の魅力」「美術鑑賞の手引」「美術の表現力」などといった著名ではなく、「美術の力・・・」とした点になるほどと思わせるものが読後感にあった。

著者の代表的著書が『カラヴァッジョー聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会)であるように、キリスト教絵画を中心とした西洋美術に重きがおかれ、そこから宗教絵画への広がりを持たせている。日本の美術にも充分なページを裂き、現代美術にも踏み込んで「美術の力」を説いている。強い文体表現から感じさせる主張は、美術鑑賞という鑑賞者の自由な視点からは違和感を覚えるかもしれない。しかし、美術鑑賞という曖昧性をもったものであるがゆえに、著者の主張が生きてくると言えるだろう。

「あとがき 美術の力」で著者は、「私は四年前に一人娘を亡くしてから、神や美術を含む、この世に対する情熱の大半を失ってしまった。本書は、その虚無的で荒廃した心境で、 かろうじて興味を引いた美術について綴ったものである。 畢竟、宗教的なものに偏ってしまったかもしれない。」 とある。本著を読み進める中で、何か私の心に引っかかっていたものが、穏やかに消えていくのを感じた。そして「いったい、美術にどれほどの力があるのだろうか。」とも。著者の力強い論考とは逆に、その繊細なやさしさに救われる。

14. 3月 2023 · March 14 , 2023* Art Book for Stay Home / no.115 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『出会いを求めてー現代美術の始源』李禹煥(美術出版社、2000年)

著者はエッセイと述べているが、エッセイの言葉がイメージするような気楽なものではない。明らかに美術評論集である。本文は6つの論説「観念崇拝と表現の危機―オブジェ思想の正体と行方」「出会いを求めて」「認識から近くへー高松次郎論」「存在と無を越えてー関根伸夫論」「デカルトと過程の宿命」「出会いの現象学序説―新しい芸術論の準備のために」より構成されている。「出会いの・・・」が本著のための書きおろしで他は1969年から1971年に『美術手帖』(美術出版社)や『SD』(鹿島出版会)に発表されたものである。 1969年から1971年といえば、「もの派」の活躍が顕著に示された頃であり、美術家としてその中心に著者がいたことは、こうした論説が多く発表され、一見「ものを置いただけ」のもの派にきちんとした論理を並走させたことが大きな理由であろう。

著者は、生まれ育った韓国に住み、20歳のときにソウル大学校美術大学中退、日本に留学、日本大学文学部哲学科を卒業している。哲学科では東アジアとヨーロッパの哲学を勉強している。本著は美術に対する論説ではあるが、古今東西の哲学者、思想家が多く登場してくる。そのあたりの知識が極めて浅い私にとっては極めて難解な内容であるが、1970年頃からもの派をはじめ多くの現代美術作品に触れて来たおかげでどの美術作品か、どの美術シーンであるかが分かるのでそこから文脈を読み起こすことができた。

1960年代から、ニューヨークを中心に現代美術の隆盛が続いているが、その大きな特徴は作品の表現による新しさではなく、作品が生み出される源となる思想性にある。それは音楽、舞踊、文学、哲学、宗教学、医学、天文学、考古学、工学など多分野のスペシャリストを巻き込み、大星雲を創造しつつある。美術は手の仕事から脳の仕事に移ったのである。脳の仕事は手の仕事を切り捨てるものではないが、重心が移動した今、李禹煥の脳と手の仕事は大きな評価を得ており、本著はその切り口となるものである。