『日本美術応援団』赤瀬川原平・山下裕二(ちくま文庫、2004年)
とにかく痛快な美術解説書。赤瀬川原平著書(作品ではなく著書の)大ファンの私のことなので読む前から予測はしていたのだが、予測を遥かに超えるおもしろさだった。
赤瀬川源平は、美術作家だが文章、言葉にすることがものすごく上手い。まあ芥川賞作家でもあるので当然と言えば当然だが、美術家ならではの創作性が言葉にある。「トマソン」や「老人力」は有名だが、それは彼の発想の素晴らしさによる。美術作品を創るように言葉を生み出す人だ。
一方で山下裕二は、美術評論家でアカデミズムの方だが、アカデミズムにしてははみ出した人で、つげ義春や商業広告をアカデミズムにぶち込んでくる。テレビの露出が極めて多い人で、それだけテレビ向きであると言える。テレビ向きというのはあまり褒め言葉でないような気がするが、美術史家であり大学教授でテレビ向きというのは、この領域においていかにわかりやすくユニークに語ることができるかを証明するものである。
両者とも少々はみ出し者で、その立ち位置が異なる。それが対談ではなく、しゃべくり合う、カッコよく言えばセッション。もうおもしろくない訳はない。
今回も、「乱暴力」という言葉を巧みに使いあって日本美術を語り合う。円空の乱暴力は凄いとか、応挙には乱暴力がないからダメだと思っていたらそうじゃなかったとか。美術の鑑賞に「乱暴力」という概念を持ち込んだ。「乱暴」なんて言葉を使うこと自体乱暴ではないか。その逆説的な視点が、これまでとは異なった美術の魅力を浮き彫りにする。
登場してくるのは、雪舟、長谷川等伯、伊藤若冲、東洲斎写楽、葛飾北斎、縄文土器、龍安寺の石庭、尾形光琳、青木繁・・・。現代美術作家赤瀬川原平が、そんなこと聞いていいのかという質問に対して、美術史家山下裕二が的確に打ち返す。打ち返しながらその質問の凄さに自ら感動している。