30. 6月 2023 · June 29, 2023* Art Book for Stay Home / no.123 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『山下清の放浪日記』池内紀編・解説(五月書房、1996年)

本書は、山下清『放浪日記』(式場隆三郎・渡邊實編、現代社、1958年刊)をもとにして、新たに池内紀が編集したものである。随所に山下清の絵が収録されている。別に『裸の大将放浪記』(山下清著、ノーベル書房、全4巻)が発行されているので、編者が抜粋したものであると思われる。編集意図については書かれていない。

大量の日記が残されているのは、清が知的障害児施設「八幡学園」へ預けられたからで、八幡学園では全員に日記を書かせることを学習の一環としていた。

本書では、山下清が第二次世界大戦中の1940年の18歳の時から学園を脱走し1955年までの間の放浪の旅を清の日記から紹介している。日記は、3年ぐらいで八幡学園に戻ったときに過去を思い出して書かれたもので、相当な記憶力である。絵も放浪先では描いておらず、学園に戻った折、記憶によって描かれたものである。

放浪先で働くこともあった、特に我孫子の弁当屋では大切にされた。その弁当屋では徴兵検査を恐れて逃げ出す。お金は弁当屋で頂いたものや施しを受けた僅かなもので、それを貯めて汽車代としたこともあるが、多くは線路の上を歩いた。日常の食事は朝昼夕とも貰うことを当たり前のように繰り返している。夜は駅の待合室で泊まり、かなわないときは民家やお寺の軒で眠る。いわゆる乞食の暮らしであるが、知的障害、吃音、まじめそうな様子に多くの人は情をかけたのだと思われる。また清はご飯をもらうために、みなし児であるなど多くの嘘をついた。日記にそう書かれている。

清はこの放浪時代、既に貼り絵画家として全国的に有名であったが、誰も気づかなかった、また清自身も明かすことはなかった。八幡学園からの逃亡の理由の一つに「日本のゴッホ」などともてはやされる窮屈さがあった。兵隊に取られることを恐れ、自由が好きで、美しい風景が好きだった。これが清の放浪の理由であり、日記からそのことがほのぼのと伝わってくる。