22. 1月 2022 · January 21, 2022* Art Book for Stay Home / no.84 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『きもの美 選ぶ眼 着る心』白洲正子(光文社知恵の森文庫、2008年)

本書は、『きもの美 選ぶ眼 着る心』(1962年、徳間書店)を一部写真入替え、文庫本化したものである。したがって書かれた当時52歳。46歳の時に銀座できものと工芸の店「こうげい」の経営に携わるようになった最中に書かれたものである。白洲正子は1910年生まれ、樺山伯爵家の次女として生まれ、14歳で渡米ハートリッジ・スクールに留学、帰国後19歳で白洲次郎と結婚。この世代としては早くから洋服を着こなす生活をしてきている。文庫本の表紙に能面が描かれているのは、正子が幼い頃より能を習い、14歳で女性として初めて能舞台に立ったこと。正子のきものに関する原点が能にあることによる。

私自身はきものを着ることは殆どなかったが、ふとしたきっかけで昨年末より積極的に機会を増やしている。女性のきものの装いは極めて惹かれるものがあり、その美しさに心を奪われている。本書を二度読んだのは、正子のきものに対する考えが極めて共感をよぶものであったからである。その美意識は、お出かけ訪問着(成人式や卒業式、きものを見せびらかすお茶会など)ではなく、普段着きものの美しさにある。

内容は、きものの歴史から紐解き、正子自身のきものとの関わり、きもののための織りについて、染について、それぞれの模様について、たっぷりと紹介がなされている。専門的な立場からの考え、職人の説明など、取材も徹底している。最後はきものの付属品(じゅばん、はきもの、アクセサリー)など紹介されており、きものの楽しさに浸ることができる。

きものに関して男性と女性の知識教養は大きな差があって、例えば着物を着て出かけた私に男性は「おっ、着物ですかいいですね」、女性は「あら、大島なのね素敵だわ」という具合である。例えば袖に関して男性のきものでは袖であるが、女性のきものでは、大袖、小袖、広袖、丸袖、角袖、削袖、振袖、留袖ほか多様である。生地、文様、小物などきもの好きの女性にとっては楽しいアイテムが無限なのだろう。

10. 1月 2022 · January 10, 2022* Art Book for Stay Home / no.83 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『レプリカ ー真似るは学ぶ 』三浦篤、小島道裕、木下直之、中島誠之助(INAX出版、2006年)

美術品や骨董品を指して「本物ですか、偽物ですか」という質問がよくある。テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」を観ているとわかるが、これは「本物か、偽物か」の興味は「本物ならいくらの鑑定額が示されるのか」が興味の矛先である。百万円か三百万円か、ひょっとして一千万円か。ところが答えは三万円、「何だ、それは」偽物ならゼロ円ではないのか。鑑定額には、本物と偽物の間がある。いや世の中には本物と偽物の間に限りなく本物に近いものから偽物に近いものがある。例えば勉強のために本物を手本として、模写をする。弟子はひたすらそれを繰り返す、日本では「写し」と言う。習字は習うために手本を真似る。美術大学でも模写は大切な授業である。つまり、世の中には本物とそっくりなものが膨大に存在する。これらを偽物とは言わないが、本物であると偽った時点で偽物になる。もちろん本物を偽るために造る偽物も多くある。

さて本著「レプリカ」とは何か。その意味、価値、歴史、技術について深く問いかけて、それに答えている。また偽物との関わりにも言及している。レプリカとは複製品のこと、本来は「オリジナルの制作者自身によって造られたコピー(複製品)」を指していたが、現在では制作者かどうかは問わないことが多い。また製作にコンピュータが関わってきて、その精度は極めて高いものになっている。

ローマ帝国の時代には職業的な複製業が成立し、ギリシャ時代にはほとんどの作品のレプリカが作られた。その目的は、原作が失われてしまった場合に、レプリカが学術的・芸術的に重要な価値を持つからだ。また本物の劣化を防ぐために、あるいは盗難防止の為に、日常はレプリカを展示して鑑賞に給している例が多いことも知られている。

名作の偽物が発見され、見つかった犯人は作者自身であったということがある。貧乏で食い詰めた画家が、かつて評価が高くて売れた作品を自ら複製して本物として売ったのである。同じ作家の同じ絵が2枚あって、しかもあとから描かれたものの方が良かったという笑えない事件があった。

21. 12月 2021 · December 21, 2021* Art Book for Stay Home / no.82 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『聖書のなかの女性たち』遠藤周作(講談社文庫、1972年)

遠藤周作の著書を初めて読んだ。著名な小説家の本はたいてい先ず一冊という考えで読んでいる。遠藤周作を読んでなかったのは例のテレビコマーシャル「狐狸庵先生、違いのわかる男のコーヒー」で最初に知ってしまったことで、何だか薄っぺらい作家という印象を持ってしまったせいであろうと思う。当時私は学生で当然ネスカフェのお世話になっていたのだが、違いのわかる作家が私のような貧乏学生と同じインスタントコーヒーを飲んでいるとはとても思えなかった。

さて『聖書のなかの女性たち』、マリアをはじめとして、ヴェロニカ、マグダラのマリア、サロメ、マルタら11人が登場する。そしてその多くがキリスト教絵画にも描かれている。

美術を鑑賞するために説明は不要という考えがある。美術館には多くの場合展覧会の主旨、説明、作家紹介がある。それは先入観を与えるもので、不要であるという考えと、そうではなく説明が無いとわからないという考えがある。私の考えは、鑑賞者の体験、知識、さらに美術鑑賞に何を求めるかによって取捨選択するものであるとしている。例えば北斎の富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」を鑑賞する場合、多くの日本人であれば、富士がどういう山で、日本人にとってどういう存在か、また江戸時代に対する知識、浮世絵の知識がある。しかし外国人が鑑賞する場合、構図や造形的おもしろさは理解できても日本人の鑑賞のような深さは難しい。同様に多くの私たち日本人はキリスト教絵画の鑑賞が難しい。十字架に貼り付けにされているのは誰なのか、なぜ貼り付けにされているのか、なぜそれがキリスト教にとってのイコンになるのか。キリスト教絵画に登場する女性は、マリア様以外にも多くの女性が描かれる。それは誰でどういうシーンなのか、『聖書のなかの女性たち』はそれを教えてくれる。

遠藤周作は小説家で、12歳でカトリックの洗礼を受けている。キリスト教絵画を鑑賞するために、信者でもない私たちが聖書を読むことは本来ではないだろう。『聖書のなかの女性たち』は、学者が書いた解説本ではない。小説家遠藤周作が書いた物語である。「違いのわかる男のコーヒー」のコマーシャルに出ていなかったら、もっと早く遠藤文学に出会えたに違いない。

10. 12月 2021 · December 10, 2021* Art Book for Stay Home / no.81 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ガウディの伝言』外尾悦郎(光文社新書、2006年)

1980年春、初めて憧れのバルセロナを訪れた。それまでに訪れたヨーロッパのどの街とも異なる空気で私を迎えてくれた。その空気とは芸術の力が湧いてくる源のようなものだ。ピカソ、ミロ、ダリを生み出した街だからではない。このような街だからピカソ、ミロ、ダリを生み出すことができたのだ。そしてサグラダ・ファミリアと出会う。

訪問前からサグラダ・ファミリアのことは戸田正寿デザインのサントリーローヤルの広告(ポスター、雑誌広告、TVCM)で知っていたが、その存在感は遥かに予想を超えるものだった。「建築は実物を観るまで絶対観たことにならない。身体で観るものだから」というのがこのとき得た教訓。

二度目のサグラダ・ファミリアとの対面は1995年、ガイドさんがあそこに見える日本人の彫刻家の方が外尾悦郎さんですと、指差し紹介してくれた。離れていたが外尾さんは軽く手を振ってくれた。

『ガウディの伝言』は、ガウディのこと、サグラダ・ファミリアのことについて、詳しく書かれている。サグラダ・ファミリア専任の彫刻家、外尾さんでなければ書けない尊敬してやまない愛おしいガウディの思想、サグラダ・ファミリアへの切ないばかりの愛。京都市立芸術大学を出て間もない日本人の若者が、サグラダ・ファミリアの専任彫刻家に成って行けた訳。外尾さんは自らのことを石彫職人と呼ぶ、そしてそうなりたかったのだと。現在、日本人の彫刻家で単独の彫刻作品を持たない最も有名な人物であろう。そしてそのことに大きな誇りを持って、これからもサグラダ・ファミリアに彫刻を彫り続けていくであろうこと。それは私たち日本人としても誇らしいことと思う。

2005年、三度目のバルセロナの訪問。私は海外初個展をバルセロナで開こうとしていた。翌日、個展会場となっているカーサ・アジアでのオープンニングレセプションにはバルセロナ領事をはじめ多くの人が詰めかけてくれた。もちろんバルセロナにおける私の知名度は全く無く、個展開催の労を引き受けてくださった広告代理店新東通信社の力に負うものである。2ヶ月の開催期間、会場で何人もの方とコミュニケーションを取る事ができたが、そしていつもその美意識に流れているものはガウディであった。ガウディの精神や造形は私の最も尊敬するものの一つであるが、真似ようと思ったことなど一度もない。はるか遠くにあって届くものではない。しかしバルセロナの地に私の作品を置いてみると、そこには脈々と流れる魂の共通するものがあり、感涙に咽ぶこととなった。

24. 11月 2021 · November 24, 2021* Art Book for Stay Home / no.80 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ピート・モンドリアン その人と芸術-』赤根和生(美術出版社、1984年)

モンドリアン研究において第一人者の著者、赤根和生の執筆動機は「日本において、カンディンスキーやクレーに比べてなぜこんなにもモンドリアンの評価が低いのか」という一点にあった。評価の低さはそのモンドリアンに関する著述の少なさが物語っているという。「その理由の一つにモンドリアン作品のとっつきにくさ」にあるという。自分自身に振り返ってみて、中学生の頃から美術の教科書に紹介されていて、モンドリアンに関しての知識は「初期抽象画家」というほかにほとんど何もないと言ってよかった。

モンドリアンはオランダ生まれである。オランダには先ずレンブラントがいて、モンドリアンの20年ほど前にゴッホがいる。特にゴッホの存在は、モンドリアンにとって初期トラウマ的存在として、画風に強い影響を与えている。さらにフェルメールがいて。このオランダの個性的な4人の画家におけるモンドリアンの位置づけが興味深い。特にほぼ全土埋め立てという人工的国土が画家に与えたと思われる思考形成について。

その後パリに出たモンドリアンは、四半世紀という長い活動にも関わらず、フランスにおいてたったの一点の作品も公的コレクションされなかったこと。第二次世界大戦のもとロンドンを経由してニューヨークに渡ったモンドリアンは、最後の4年をニューヨークで最高の評価を得る。モンドリアンが国籍不明の印象を与えるのもそうした経歴によるところがあるが、作品に国イメージを拒否する、あるいは国から解き放たれる自由を獲得したことによる点が大きいと言えるのではないか。

ひたすら抽象絵画追究の人であったモンドリアンであるが、生涯ダンス狂いだった。アトリエで一人でダンスを踊る姿は、遺作「ヴィクトリー・ブギウギ」に象徴されている。まじめで愛しい人、モンドリアンと出会える著書である。

10. 11月 2021 · November 10, 2021* Art Book for Stay Home / no.79 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ルオー礼讃』鈴木治雄(岩波書店、1998年)

ルオーの絵の虜になってしまった著者が、「ルオーの絵はなぜ素晴らしいのか」をできる限りの客観性をもって書き上げた。著者鈴木治雄は1913年生まれ。東京大学法学部卒業後、昭和電工社長、会長、名誉会長、DDRフンボルト大学経済学名誉博士号等。著書に『化学産業論』『古典に学ぶ』他。いわゆる美術畑の人ではない。ルオー作品と出会い、ルオーに恋した実業家が、自らの一途な恋を成就するために書き上げたものと言えるだろう。

ルオーと交友のあった多くの日本人を訪ね、あるいはルオーについての記述を読み、ルオーに会うがごとく近づいていく。高田博厚(彫刻家)、森有正(哲学・フランス文学者)、谷川徹三(哲学者)、梅原龍三郎(洋画家)、武者小路実篤(小説家)、武者小路実光(フランス文学者)、長與善郎(小説家・劇作家)、岡本謙次郎(美術評論家)、麻生三郎(洋画家)、矢内原伊作(哲学者・ジャコメッティのモデル)、小川国夫(小説家)、古田紹欽(仏教学者)、吉井長三(吉井画廊会長)、柳宗玄(美術史家)、中村草田男(俳人)、小林秀雄(文芸評論家)、河井寛次郎(陶芸家)ほか、なぜこれほど多くの文化人たちがルオーを評価し、愛し、また作品を所有しているのか。ルオーが日本を愛し、訪れたわけではない。彼らがルオーを愛し多くはパリを訪れたのだ。1953年、西洋の画家としては極めて早く東京国立博物館で個展を開催している。日本人のルオーへの想いの一つの実現と見ることができる。

ルオーは敬虔なカトリック教徒であり、多くはキリスト教絵画と呼べるものである。一方上記した殆どはキリスト教信者ではない、キリスト教絵画ではあるが、そういう枠を越えて圧倒的な魅力で存在するルオーなのである。ルオーのことをあまり良く知らなかった人はルオーを知り、ルオーのことが好きになる。ルオーが好きな人はもっと好きになる、そういう本だ。

27. 10月 2021 · October 27, 2021* Art Book for Stay Home / no.78 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『虚を注ぐ 土の仕事と手の思索』山本幸一(石風社、2021年)

 陶芸家 山本幸一の残した文、言葉、陶芸作品を集めたものである。ヤマコー(山本幸一の通称、知人は皆そう呼んでいて、略称でもあり、自身の山幸窯のことでもある)さんを私は知らない。作品も観たことがない。
福岡に生まれ、熊本大学工学部に入ったが、そこで学生運動のリーダーとなる。1947年生まれなので、学生運動真っ只中で私より3歳上、なんとなく共通の時代の空気を感じて読んだ。いわゆる地方に根をはやし、いい仕事をし、人間的に魅力的な陶芸家の人生が詰まっている。本著との出会いは、10年以上お付き合いいただいている熊本出身の方が、ヤマコーさんと私に共通のインスピレーションを感じてプレゼントしてくださったことによる。

石風社(出版元)代表の福元満治は、ヤマコーの親友で学生運動の同士である。半世紀に及ぶ濃い付き合いがあって、2020年に亡くなったヤマコーの記念碑本を出したかったのだろう。A5版245ページ、ハードカバー製本の立派さにその思いが伝わってくる。陶芸家なので作品集をという思いからスタートしているが、残念ながら殆どの作品は手を離れ、その写真もリストも残っていない。多くの陶芸家というものは、そういうものである。作品という強い思いのあるものもあるが、多くはそういう意識もなく。展覧会で求めてくださる人があれば、喜んで手元から離していく。プロの写真家によって記録を残すなど基本的にはない。最終的には10ページほどの作品写真は添えられているものの、作品名、制作年、寸法も殆どない。本人が機会あるごとにしたためた文章が主となるヤマコーの人生の碑である。

特別有名でもなく、よく知らない陶芸家の人生を覗き見することはとても楽しかった。文章は上手い、手元にかなりの本が積まれていたものと伺える。著名人が登場する、多くの出会いはヤマコーの陶芸作品が導いている。陶芸は皿、碗、急須、カップなど普段使いの器、花器や茶器、骨壷も作る。またかなり早い時期からオブジェ制作にも手を染めてきた。こう述べると、なんでも屋のように聞こえるかも知れないがそうではない。何を作るにもその動機があって、その動機に向かい合っていることが伝わってくる。その上でのオブジェ。オブジェについては自問自答が多く、どこまで行っても悔いと恥じらいを残している。ハマコーのオブジェの魅力はそんな恥じらいとともにあるように思える。

読後感、ハマコーさんに会いたかったな、いや本で会えて良かったな。

14. 10月 2021 · October 12, 2021* Art Book for Stay Home / no.77 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『キュレーション 知と感性を揺さぶる力』長谷川祐子(集英社新書、2013年)

著者長谷川祐子は、京都大学法学部卒業後、東京藝術大学美術学部芸術学科へ進学、東京藝術大学大学院美術研究科西洋美術史専攻修士課程修了。その後、水戸芸術館学芸員、ホイットニー美術館研修(ACC奨学金)、世田谷美術館学芸員、金沢21世紀美術館学芸課長のち美術館芸術監督、東京都現代美術館チーフキュレーターを務め、併せて多摩美術大学美術学部芸術学科教授、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科教授を務める。一方で国内外のビエンナーレ、芸術祭をキュレーションするという華々しい活躍で知られる。正に長谷川自身が知と感性を揺さぶってきた存在である。

キュレーションとは何か、同じ作品がキュレーションによってどういう意味を持つのか、これまで行われてきたキュレーションに対して異なる新たな価値観を提示することの興味、意味を指摘している。長谷川は「作品はそのままで存在するのではなく、鑑賞するという体験を通して初めて芸術作品として存在する。どのような空間、文脈、関係性で見せられるかによって、体験は異なる」としている。つまり、芸術作品と鑑賞者の間にキュレーターの副次的クリエーションが大きな意味を持つとしている。

長谷川が多く関わってきた現代美術においては、作家に対してキュレーターは、常に応援団ではなく批評的プロデューサーとして、批判と称賛を交互にくりだすことで、作家の気分と動機を高める。そのやり取りの中で、最後は作家が勝利するというシナリオを演じる。しかし鑑賞者は、そのキュレーションの具体的なワーキングを意識することなく作品の鑑賞に没頭する。キュレーターとはそういう存在である。

『キュレーション 知と感性を揺さぶる力』は、キュレーションは何かという問いを、豊富な体験をもとに具体的に示して答えている。結果、キュレーションもまた重要なクリエーションであることを知る。

30. 9月 2021 · September 29, 2021* Art Book for Stay Home / no.76 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『神坂雪佳の世界 琳派からモダンデザインへの架け橋』榊原吉郎・解説(平凡社、2008年)

神坂雪佳は、なぜこれほど知名度が低いのか。雪佳を知る人には、「大好き」の声が帰ってくる。本著を読めば「なるほど、そういうことか」と判る。美術家の場合、図書館に行ってみればその人気は一目瞭然。ゴッホやピカソ、北斎や光琳、最近では若冲の画集や解説著述がずらりと並んでいる。そんな中、雪佳は見つからない。あるにはあるが、薄い、小さい。つまり、評価が低い。出版社も美術史家、評論家も高い評価の人気作家になびく。

雪佳は間違いなく琳派の作家であって、琳派の人気から外れるものではない。絵も素晴らしい。ではなぜなのか。文中に竹内栖鳳と並べて比較の論述がある。栖鳳と雪佳は共に京都画壇、同時代を過ごし応挙の流れを汲む学びから始まっている。二人が道を異にするのは、栖鳳が近代日本の芸術をめざし、雪佳が琳派をめざすことにある。

雪佳のめざした琳派は、光琳がそうであったように京の生活の場にある御道具に優れたものを作ることにあった。硯箱や茶碗はもちろん、お軸も襖も絵は道具に描かれているものである。この日常の場に生きて、京の旦那衆から支えられた。西洋からの芸術の中心に向かった栖鳳は、日本芸術院会員となり、文化勲章を授与された。

琳派を理解するにあたって、私達は御道具(現代では工芸)としての価値よりもそこに描かれた絵に評価が行き過ぎではないか。それは現代において、工芸よりも美術の方を価値が高いと見る西洋文化の受け入れであって、そこに矛盾が起きている。

江戸琳派の立役者となった酒井抱一の、光琳に対する高い評価も絵に向かいすぎたところがある。江戸の絵師抱一としては、琳派への憧憬は素晴らしいものであったが、京の「絵かきはん」雪佳は、琳派のすべての仕事である御道具に傾倒した。京という暮らしの中で琳派を継承した。

琳派とは何か、雪佳を通してあらためて学ぶことが多かった。

16. 9月 2021 · September 16, 2021* Art Book for Stay Home / no.75 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『手仕事の日本』柳宗悦(岩波文庫、1985年)

本著は、1948年に出版された靖文社刊の『手仕事の日本』、1954年に出版された春秋社刊の『柳宗悦選集』を元に文庫本として書かれたものである。著者柳宗悦は民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者であって、民藝といえば柳宗悦という存在である。本著の後記で「この一冊は若い方々のために、今までよく知られていなかった日本の一面を、お知らせしようとするものであります。」と書かれている。現在70歳の私は若い人ではないが、柳の趣旨は後世の人のためにというものであり、正に貴重な一冊であり、現代の我々誰もが読むべきものであると考える。

柳が本著を書くにあたり、日本全国を旅し調査にあたったのは、大正末から昭和18年まで20年に及んでいる。交通の不便なところこそ本当の民藝の素晴らしさがあるとし、その取材は困難を極めたものと思われる。そしてその頃、まだまだ生き生きと活躍していた民藝が、今では多くが無くなり本著では遺書と化しているものも多い。しかしながら集められた民藝は、現在日本民藝館に収められており、現代の我々も観る事ができるのは幸いである。

柳は「工芸の美は健康の美である」、「用と美が結ばれるものが工芸である」、「器に見られる美は無心の美である」、「工芸の美は伝統の美である」と説き、民藝美論の骨子を集約している。それは作者があらわされているものではなく、今日の芸術のあり方をも鋭く批判している。

本著を読みながら、日本民藝の旅をすることになる良きガイドブックともなっているが、200点にも及ぶ芹澤銈介の挿絵もまた見ものである。そして道具には実に多くの名前があり、その名前がどのように付けられ、伝えられていったのか、用途、素材、色、形、地域、使用方法などが込められており、民藝のあり方というものを再考させられる。