12. 10月 2023 · October 12, 2023* Art Book for Stay Home / no.129 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『しぐさで読む美術史』宮下規久朗(ちくま文庫、2015年)

本著名より、なるほど人物の登場する絵画や彫刻の多くは、何らかのしぐさ、ポーズを取っており、それらは顔の表情も含めて何かを意味している。「ああ、喜んでいるのだ」「哀しみに暮れているのだ」「悩んでいるのだ」などと想像し、鑑賞するといったものである。しかし、そのしぐさがよくわからないものも特に西洋絵画には多い。民族の違い、生活習慣の違いは、同じ意味をなすことであってもしぐさが異なる。たとえば我々日本人は数をかぞえる場合指を折る。しかし西洋人は拳から指を開きながら数をかぞえていく。5を示しているが日本人の場合拳であり、西洋人の場合開いた手である。そこから絵画の意味するものも異なってくる。
本著は、主に西洋絵画における「しぐさで読む美術史」であるが、東洋との比較、日本との比較もされており、大変解りやすく興味深い。また美術であるがゆえに、美しいしぐさ、ポーズが特に用いられていることも多い、先達の表現が繰り返し使われることにより、定番化し、象徴として用いられることも珍しくない。
また逆に同じ意味(状況)を持つ絵画(「最後の晩餐」や「受胎告知」などキリスト教絵画では多く見受けられる)でしぐさやポーズが異なるといった場合もある。画家の創意工夫ということもあり、微妙な意味の違いと言ったこともある。
美術鑑賞において、そういったしぐさにとらわれ過ぎることもないと思われるが、本著を読んで頭のどこかに記憶されておくことは、きっと美術鑑賞を豊かなものにしてくれることと思う。
著者には『モチーフで読む美術史』『モチーフで読む美術史2』(両著ともちくま文庫)があって、ぜひ合わせて楽しみたいものである。

28. 9月 2023 · September 28, 2023* Art Book for Stay Home / no.128 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『エゴン・シーレ ―二重の自画像―』坂崎乙郎(岩波書店、1984年)

本著は、1983年3月から12月まで「エゴン・シーレの閃光の生涯」という表題で、雑誌『世界』に連載されたものである。編集部より「誰か画家の伝記を書くように」とすすめられたとき、著者坂崎乙郎が「ここ十年来どうしても書いておきたいと考えた」のがエゴン・シーレであったとのことである。当時、シーレの評価は現代と比べれば格段に低く、図版や資料など極めて手に入りにくかったと思われる。

そのような中、著者のシーレに対する思いは極めて強く、本著では圧倒的な高い評価で書いている。それ故に著者の独断に陥らぬようシーレを突き放し、客観的に捉えるべく努力がなされている。そのために徹底して論証されているのが、他作家との比較検証である。師であったクリムト、共に弟子であったココシュカはもちろんのこと、憧れの対象であったゴッホ、ほかにクールベ、セザンヌ、ピカソ、ロダン、ゴーギャン、ジャコメッティ、ルノワール、ドラクロア、ターナーなど。何がどのようにシーレが魅力的なのか、個性的なのか、著者の豊富な見識が納得させてくれる。

またシーレという人間性についても、極めて繊細なアプローチを行い、読み進めるにしたがって、目の前にシーレが浮かび上がってくる。世紀末、第一次世界大戦という不安定な時代にあって、極めてアブノーマルな画風、テーマをひたすら追い続けたシーレの精神状況に、寄り添いきることはできない。しかし、生み出された作品に深く心酔することは可能である。

画業たったの10年、最後の4年は戦争の中で兵士としても駆り出され、油彩334点、水彩・素描2503点が確認されている。時代や境遇を考えると、さらに相当数の作品があると思われる。水彩・素描は油彩のための下書きやトレーニングのデッサンではなく、一点一点に丁寧なサインが施され、シーレの高い意識の元に存在している。28歳、息を引き取る寸前に母マリーに語った。「戦いは終わった。ぼくは行かなくてはならない。ぼくの絵は世界中の美術館に並べられるだろう」

それから100年が過ぎて、シーレの予言は適中してしたことが証明されている。また著者坂崎乙郎は、今から40年前にその確信を持って本著を手がけたのである。

13. 9月 2023 · September 13 2023* Art Book for Stay Home / no.127 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『中川一政 いのち弾ける!』中川一政(二玄社、1996年)

「この一冊で、中川一政の人が解る」という中川一政が生き生きと感じられるものである。画家として多くの人に知られるが、詩、エッセイ、書、陶、篆刻など表現の多分野において素晴らしい作品を残している。もともとは文学の分野で活躍していたが、ふとしたきっかけで絵を描き始めた。文学と美術は表現技法という点では異分野であるが、「表現しようとする思い」という観点からは同じものである。

同じく文学から美術に表現世界を拡げた者として、パウル・クレー、ジャン・コクトー、長谷川利行らがいるが、中川を含めて彼らに特徴づけられるのは美術の基礎とされる初歩デッサンから解放されていることである。表現の自由さというよりも考え方の自由さの中で美術を捉えている。本著の中でも、「私に先生はいない」、独学を声高く発言している。いやむしろ先生に学ぶということのダメさを繰り返し述べている。

美術に関しては、このように自由奔放であるが、芸術に対しては常に求道的であり、「芸術とはなにか」を問い続けている。そのうえで、詩、エッセイ、書、陶、篆刻などの表現がある。

「美術」に対しての「美」には大きな疑問を呈しており、「アート」の訳としては「生術」がふさわしいとしている。因みに私も「美術」の訳には異を唱える者で、私は「真術」がふさわしいと考えている。中川にとって、美しいかどうかではなく、醜くとも生きていることが重要としている。私は真であるかどうかだ。

97歳と11ヶ月を生き、最後まで絵を書き続けた中川は、それは理想とする生き方であり、天寿を全うしたと言える。《駒ヶ岳》をはじめ80歳からの絵には、寿命を背景に生きるという事が強く際立つ作品を残している。かつ「駒ヶ岳」シリーズが何枚もある中で、90歳の《駒ヶ岳》が最高と私は思う。

01. 9月 2023 · September 1 2023* Art Book for Stay Home / no.126 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ビ』大竹伸朗(新潮社、2013年)

著名「ビ」は、「本の内容を大まかに括れば、『日常に感じる美』といったことになるだろうが、現実には移動が多く、特定のアトリエに日々通いじっくり制作を進めながら『美』について試行錯誤を繰り返すといったことからは大分かけ離れている。」(あとがきより)とあって、いわゆる創作を生業とする画家の暮らしは書かれてはいない。一般には画家の暮らしといったものも日常的なものとは呼び難いが、大竹の場合はかなり特殊な画家生活である。

本著は、月刊文芸誌『新潮』に2004年から連載した「見えない音、聞こえない絵」より、2008年から2013年にかけての4年半のエッセイである。この間に香川県直島で《直島銭湯「I♥湯」》の長期制作、韓国光州ビエンナーレ、ドイツカッセルのドキュメンタ、ソウルでの個展、ヴェネツィア・ビエンナーレ参加と殆ど宇和島のアトリエにはいない。

画家やアーティストという肩書を名乗る作家は多いが、実質は小中学校、高等学校、専門学校、大学の美術の先生であったり、画塾を開いていたり、またサラリーマンであったりする。画家やアーティストは生活を支える収入が他にあっても、職業は画家やアーティストを名乗る人が多い。本人のアイデンティティの問題である。ついでだがデザイナーの場合、生活を支える収入がデザインでなければデザイナーとは呼ばない。大竹はそうした職業を大学卒業してから持ったことがない。それでは生活はどうなのかというと、若いときはアルバイトをしていた時期もあるが、殆ど個展の売上げやビエンナーレなどの招待作家としての収入である。本人も貧乏作家と自らを呼ぶが、その通りであろうと思う。画家として美術館等の評価は高いが画商がついてどんどん絵が売れるという画家ではない。そういうノマド的な暮らしの中から「美」についての本著であるが、それは一般にいう「美」ではなく、大竹の思う「ビ」である。

例えば、絵のモチーフとなる美しい風景、花、女性、静物などでは全くなく、むしろその対局にある。壊れかけた使用済みの道具、壁の汚れ、倒産した商店の看板、パッケージ、郵送されてきた封筒など捨てられるべき多くのものである。しかし捨てられるべき多くのものが大竹にとって「ビ」であるわけではない。わずかなものが大竹の「ビ」である。それの多くは大竹自身も言葉にできないものである。であるがゆえに本著272ページで延々と「ビ」について語っているのである。

08. 8月 2023 · Augusut 8 2023* Art Book for Stay Home / no.125 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『李禹煥 他者との出会い 作品に見る対峙と共存』ジルケ・フォン・ベルスヴォルト=ヴァルラーベ、水沢勉訳(みすず書房、2016年)

本著は、著者ジルケ・フォン・ベルスヴォルト=ヴァルラーベが2006年にフライブルク・アルベルト・ルートヴィヒ大学美術史学科博士課程を修了したときの博士論文である。2007年に同大学哲学部ヴェツシュタイン賞を受賞している。

冒頭で著者は「本書で述べる考察は、否が応でもヨーロッパの女性の著者という特定の視点にもとづいて展開せざるをえない。著者のまなざしも議論のやり方も本質的にヨーロッパ美術によって訓練されたものなのである。このことをしっかりと意識して、本研究は目に見えるひとつひとつのものからまずは出発して議論し、それぞれの作品によって体験できる現象を言葉で追体験しようと努力することにする。」と極めて客観的な立場を自覚している。というのは李禹煥の「ぼくは東アジア出身ではあるが、長い間東アジアとヨーロッパを絶えず往来しながら活動してきた。ぼくの表現は東アジア的な発想やヨーロッパ的な方法や個人的な性格やその他いろいろな要素が絡み合っているに違いない。ヨーロッパの作家がそうであるようにぼくは、東アジアを代表しない。重要なのは、その人の遠い背景ではなく、今自他が共有する具体的な現実なのだ。目の前に提示される作品や文章が現代の産業都市社会の課題を担っているかどうか、そして民族や地域や宗教やイデオロギーを越えて同時代の発言であるか否かである。」という東アジア的作品という評価にて強い反論を行っていることに対して、極めて謙虚な姿勢によっていることが伺える。

著者は、李禹煥の作品を徹底鑑賞し、「関係項1968-2003年」「関係項1969年」「点より1973年 線より1973年」「関係項1979年」「照応1997年」に分けて論考を進めている。2023年の現在においても2022年に国立新美術館ほかで開催された「李禹煥展」で観られるように李の作品は繰り返し発表展示されることが決して過去ではなく、現在を共有していることがわかる。その点、本著が今の論説として生々しく読むことができる。

李の著述は勿論のこと、日本で書かれた他の研究者の李に関する著述も殆ど目を通している著者の姿勢は、感服するほかない。そして李の周辺と考えられる現代美術の多くの作家の作品を紹介し、その比較から李の作品の個性、魅力を浮かび上がらせている。「李禹煥という芸術家の本質を、現代美術の文脈のなかに的確に位置づけ、冷静に比較分析し、鮮やかに浮かび上がらせている」と訳者もそのあとがきで述べている。

著書からの引用の多い紹介となったが、的確な引用であると確信している。

25. 7月 2023 · July 25 2023* Art Book for Stay Home / no.124 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『コブナ少年 十代の物語』横尾忠則(文藝春秋、2001年)

画家横尾忠則が生まれてからの最初の記憶から、トップイラストレーターになる寸前までの回顧録である。著名にあるように主に十代のことが克明に書かれている。大の横尾ファンである私には、どのようにしてイラストレーターになっていったのか、極めて興味深い。特に高校、大学、あるいは専門学校という美術やデザインの専門教育を全く受けることなくトップイラストレーターになったのである。「とにかく絵を描くことが好きであったが故に」では納得など出来はしない。才能があったから、なるほどそうだろう。しかし、才能というのは、自分で客観視できるものではないし、極めて心もとないものである。「絵がうまい」では決してイラストレーターにはなれない。業界を50年見てきた私の意見である。

その詳細は本を読んで頂くとして、本著の面白さはほかに横尾少年の性への目覚めである。性に対して極めて奥手の横尾少年が、青年時代も含めてモテモテであった。それを自慢気にひけらかしているわけではない。むしろ奥手で引っ込み思案の横尾少年が戸惑うほどなぜそんなにモテたのか。一つは母性本能をくすぐる内向的性格、年上の人に憧れ、年上の人から愛を迫られるという基本が繰り返される。もう一つは、容貌のチャーミングさだろう。さすがに86歳の現在からは想像しにくいところがあるが、十代の頃はジャニーズ系の甘い容貌をしていたと思われる。

1969年に横尾忠則主演で公開された大島渚監督映画『新宿泥棒日記』(ATG配給)を見た。当時私は19歳で、しかも性的なシーンがあるとのことである。そこにヒーロー横尾忠則が延々と映し出された。前衛映画でストーリーも映画のおもしろさも、さっぱりわからなかった。大島渚監督のことも全く知らなかった。40年過ぎて再び同映画を観る機会があった。この映画は新宿紀伊國屋書店という実在の書店が舞台で、フィクションとノンフィクションが交じるというとてもおもしろいものであった。横尾の一見ぶっきらぼうな演技も、その意味で極めて秀逸な演出であった。ということを懐古しながら本著を読んだ。

30. 6月 2023 · June 29, 2023* Art Book for Stay Home / no.123 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『山下清の放浪日記』池内紀編・解説(五月書房、1996年)

本書は、山下清『放浪日記』(式場隆三郎・渡邊實編、現代社、1958年刊)をもとにして、新たに池内紀が編集したものである。随所に山下清の絵が収録されている。別に『裸の大将放浪記』(山下清著、ノーベル書房、全4巻)が発行されているので、編者が抜粋したものであると思われる。編集意図については書かれていない。

大量の日記が残されているのは、清が知的障害児施設「八幡学園」へ預けられたからで、八幡学園では全員に日記を書かせることを学習の一環としていた。

本書では、山下清が第二次世界大戦中の1940年の18歳の時から学園を脱走し1955年までの間の放浪の旅を清の日記から紹介している。日記は、3年ぐらいで八幡学園に戻ったときに過去を思い出して書かれたもので、相当な記憶力である。絵も放浪先では描いておらず、学園に戻った折、記憶によって描かれたものである。

放浪先で働くこともあった、特に我孫子の弁当屋では大切にされた。その弁当屋では徴兵検査を恐れて逃げ出す。お金は弁当屋で頂いたものや施しを受けた僅かなもので、それを貯めて汽車代としたこともあるが、多くは線路の上を歩いた。日常の食事は朝昼夕とも貰うことを当たり前のように繰り返している。夜は駅の待合室で泊まり、かなわないときは民家やお寺の軒で眠る。いわゆる乞食の暮らしであるが、知的障害、吃音、まじめそうな様子に多くの人は情をかけたのだと思われる。また清はご飯をもらうために、みなし児であるなど多くの嘘をついた。日記にそう書かれている。

清はこの放浪時代、既に貼り絵画家として全国的に有名であったが、誰も気づかなかった、また清自身も明かすことはなかった。八幡学園からの逃亡の理由の一つに「日本のゴッホ」などともてはやされる窮屈さがあった。兵隊に取られることを恐れ、自由が好きで、美しい風景が好きだった。これが清の放浪の理由であり、日記からそのことがほのぼのと伝わってくる。

16. 6月 2023 · June 16, 2023* Art Book for Stay Home / no.122 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『異界を旅する能-ワキという存在』安田登(ちくま文庫、2011年)

能を見る機会は極めて少ない。これまで見た能は片手に収まる程である。機会も少ないが興味もあまりない。狂言や歌舞伎は見ているうちに結構早くおもしろさを知った。能もそうなりたいと思う。そんな気持ちで手にとった一冊である、著名『異界を旅する能』にも惹かれた。

能の物語は、生きている「ワキ」と、幽霊や精霊である「シテ」の出会いから始まる。この全くことなる役割で、シテが主役のように思える、ワキは脇役の脇に通じるもので、ワキを志す能楽師は少ない。安田登はワキである。ワキの意味とおもしろさ(もちろんそこには能そのもののおもしろさでもある)を語りながら、能とはどういったものかを述べている。

一方シテは「残念の者」である。何かの理由でこの世に思いを残してしまった者である。今なお霊界をさまよっているか、この世あの世の間をさまよっている。この象徴的な様子が揚幕から登場し、本舞台の間(橋かがり)に滑り出る。能の舞台設計がどこも全く同じなのは、能の物語が舞台の約束事の上に作られているからである。

能の世界を生きた人物として、三島由紀夫、芭蕉、夏目漱石が登場するが、三者を例に取りながら「異界とは何か」の話はとても解りやすい。そしてそれを現代の社会に置き換えて見ると、なるほど現代にも多く「能の異界」が存在する。生きている我々が異界をどのように捉え、関わればよいのか、能を殆ど見ることない状況ではその方法を知ることは少ないだろう。

46の能作品を紹介している、我々が歌舞伎や小説あるいは映画や演劇で知ったいくつもが、実は多くが能作品であったことを思うと、もっと能を知りたい。しかし読後の感想は「ワキを通じてわずかに能の片鱗に触れた」に過ぎない。

30. 5月 2023 · May 30, 2023* Art Book for Stay Home / no.121 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『青木繁 世紀末美術との邂逅』髙橋沙希(求龍堂美術選書、2015年)

本著において著者はそのテーマである「世紀末美術との邂逅」を明らかにするために、先行する著述を徹底的に読み解いている。論文を書こうとするならばこうした態度は当然であるが、本著はその精度に驚く。したがってその文は客観的に収められており、青木作品の深い魅力については、他の著述の引用となっていることが多い。

先行する著述について「『塗り残しや下描きが残された未完成風であること』『際立った想像力と豊富な知識によって描かれた神話画が数点あること』『ラファエル前派をはじめとする西欧の世紀末美術の影響を受けていること』この三点を中心にして述べられてきた」と明解にし、なおその主な論文も紹介している。

本著の目的「世紀末美術との邂逅」を述べる前に、「青木繁の構想画に見る壁画的性格」「デッサンから見る海外の美術作品との交流」「青木繁とラファエル前派」についてそれぞれ章立てで分析、論考を述べている。それぞれ興味深い視点ではあるが、ラファエル前派を除いては説得力の欠いたものになっている。ただ、美術表現、創作に関して述べる際、きちんと分析しきれるものではなく、その資料の精度も曖昧である。明治の洋画という特異性も十分に配慮された論考で、手本とする西洋絵画の紹介、黒田清輝による理解と指導、当時の画集の発刊と日本に持ち込まれていた画集と聖書などの関係書の確認、その上で青木自身がそれらを見たかどうか。著者はそのあたりを詳細に報告して論文の精度を上げている。

ラファエル前派から世紀末美術への邂逅については、本著の核心部分であり、説得力も極めて高い。

「世紀末美術との邂逅」の後、「旧約聖書物語の挿絵」「晩年における青木繁作品」について2章を割いているが、本論のテーマを曖昧にさせるものとして受け止めた。

18. 5月 2023 · May 17, 2023* Art Book for Stay Home / no.120 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『絵金伝』山本駿次朗(三樹書房、1987年)

絵金といえば、江戸時代末期から明治にかけての浮世絵師で、本名弘瀬金蔵、通称絵金。高知城下に生まれ、幼少の折から絵の才能で評判になり、16歳で江戸に行き土佐江戸藩邸御用絵師前村洞和に師事する。10年はかかるとされる修行期間を足かけ3年で修了し、林洞意(はやしとうい)の名を得て高知に帰郷、20歳にして土佐藩家老桐間家の御用絵師となる。

しかし、狩野探幽の贋作を描いた嫌疑を掛けられたことで職を解かれ高知城下所払いの処分となり、狩野派からは破門を言い渡される。その際、御用絵師として手がけた水墨画の多くが焼却された。洞意が実際に贋作を描いたかどうか真相は明らかではないが、習作として模写したものが古物商の手に渡り、町人の身分から若くして御用絵師に取り立てられた洞意に対する周囲の嫉妬により濡れ衣を着せられたのではないかと洞意を擁護する意見もある。

幕末の地方の絵師であるがゆえに、その詳細は不確かであろうと想像される。本著『絵金伝』はB6サイズで262ページ、論文ではなく、できる限りの事実に基づいた小説であると断り書きされている大変興味深い著である。

ところが、絵金は弘瀬金蔵のことであると同時に、土佐においては「えきん」は画工、画匠の意味があり、何人かの絵金が存在したという説がある。本著では弘瀬金蔵を指す「絵師金蔵」のほか、「島田介雄(高知の絵金)」、「辺見藤七(本山の絵金)」、「おたすけ絵師」と4人の絵金についてドラマチックに紹介されている。そしてそれら絵師たちを支え芝居や後の映画、祭りなどで活気を呈した土佐人の気質が語られる。

日本美術史では稀有な庶民の美術が、かくも評価高く残ることの興味深さとともに、本著の大きな価値を受け止めた。