13. 8月 2020 · August 13, 2020* Art Book for Stay Home / no.29 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『超芸術 トマソン』赤瀬川原平(ちくま文庫、1987年)
『トマソン 大図鑑 無の巻』赤瀬川原平編(ちくま文庫、1996年)
『トマソン 大図鑑 空の巻』赤瀬川原平編(ちくま文庫、1996年)

赤瀬川原平が大好きである。正確には赤瀬川原平の書く本が大好きである。
赤瀬川原平の作品はどうかというと《宇宙の缶詰》以外はあまり好きではない。

269編・著書のうち30冊ほど読んでいる。そもそもアーティストでありながら269冊は多すぎるだろう。作品を造っている時間を著作に奪ってしまったとしか言いようがない。
尾辻克彦のペンネームで書いた『父が消えた』で芥川賞受賞。芥川賞作家としてはこの著作量は申し分ない。いずれにしても赤瀬川原平から生まれでたもの、美術だろうが文学だろうが素晴らしいことだと思う。

このトマソン3冊は、中でも極めて優れている。
現代美術作家で、現代美術とは何かを考え続けてきたが故に生まれたのが「トマソン」である。

「超芸術トマソン」とは、これまでになかった造形物の概念。
地面や建物等の不動産に付属し、まるで展示されているかのように美しい、あるいはおもしろい無用の長物。存在がまるで芸術のようでありながら、その役にたたなさ・非実用において芸術よりももっと芸術らしい物を「超芸術」と呼び、その中でも不動産に属するものを「トマソン」と呼ぶ。その中には、かつては役に立っていたものもあるし、そもそも作った意図が分からないものもある。「超芸術」を「超芸術」だと思って作る者(作家)はなく、ただ鑑賞する者だけに存在する。トマソンの語源については本著の読者の楽しみとする。

私はこの「超芸術」という言葉を初めて見たとき、「芸術を超える」という解釈ではなく、「現代美術を超える」と理解した。現代美術が社会的に認知されていなければ、「超芸術」は存在しない。そしてその象徴的な作品がマルセル・デュシャンの《泉》(1917年)であると思う。作者が造ることを放棄するレディメイドという考え方、それを超えるには作者が存在しないトマソンしかない。

赤瀬川原平らは、このトマソンを路上観察学や考現学と関連付けて語ることが多かったが、その名の通り芸術として強く位置づけるべきであったと思う。