石牟礼道子著『椿の海の記』(1976年、朝日新聞社)
私の本棚に45年間あって、すっかり黄ばんでいる。
果たして読んで忘れているのか、読んでいないのか、椿のタイトルに惹かれて開いてみた。
記憶が蘇らないので、おそらく読んでいないのだろう。
1928年、水俣川の河口で生まれ育った石牟礼道子の記憶を辿る自伝。
昭和のはじめ、社会の底辺で逞しく生きる水俣の人々の暮らしが、みっちん(石牟礼道子)の記憶のはじまりから描かれている。
地に川に海にへばりつくように生きる村の人の中に、みっちんの記憶が開始する。
友だちもいるが、みっちんは大人が好きで大人に可愛がられ大人を友だちとして生きる。
そこには風習や迷信、謂れ、畏れ、祈りがあり、小さなみっちんはある日、狐になりたくて薮で狐を装う。
が、ちっともしっぽの生えて来ない自分のお尻にがっかりする。
家のそばにあった郭の妓や、髪結のおばさんとも仲良し。
そんなみっちんは親や叔母の留守に、鏡台、タンスから化粧、着物を盗み出して花魁になりすます。
通りをしなやかに歩き一人花魁道中を繰り広げる。
山の野の海の命をいただいて、貧しいが貧しいことを知らず、痛快と哀しみと生きる歓びが力強い。
水俣病の原因となる日本窒素肥料の工場もすでに建つ景色の中で、風土に生きる人々が美しい。
69歳の今まで、読むことを遠ざけていてくれていた『椿の海の記』に感謝。
石牟礼道子の代表作『苦海浄土 わが水俣病』は、文明の病としての水俣病を鎮魂の文学として描き出した作品として絶賛された。
同作で第1回大宅壮一ノンフィクション賞を与えられたが、受賞を辞退している。
石牟礼道子の句「死におくれ死におくれして彼岸花」が身に沁みる。90歳パーソンキン病にて死去。
岐阜県池田町にある極小美術館にて「MUSA-BI展」が始まった。
オープニングレセプションに出席。その多様性と密度の高さに充実の時間を過ごした。
MUSA-BIとは武蔵野美術大学の略称であり、愛称でもある。
殆どの大学は略称で呼ばれているが、美術系大学も同様である。
東京藝術大学を芸大、多摩美術大学を多摩美、女子美術大学を女子美と呼ぶ。
この地域では愛知県立芸術大学を県芸(ただしこの地域でしか通じることはなく、「愛知県芸」という全国区的呼び方と、愛知県立芸術大学関係者限定で自ら「芸大」と呼ぶ呼び方がある)、
名古屋造形大学を造形(全国的には名古屋造形)、名古屋芸術大学を名芸(メイゲイ)と呼ぶ。
ただしご存知のように名古屋を名(メイ)と略するのは、名古屋大学、名古屋駅をはじめ地域でしか通用しない。
少し話がそれたが、ムサビ、タマビはその歴史とともに他美術系大学とは極めて明確に差別化のできている略称である。
ただし漢字では武蔵美とも武美とも書くことが出来ず、カナでも迫力がない。そんなことでMUSA-BIになったのかと思われる。
大学名称でも展覧会名称でも名称は極めて重要で、その内容を決定づけてゆくものがある。
「MUSA-BI展」は、ディレクターを中風明世、アシスタントディレクターを矢橋頌太郎が務めている。ともに出品者でもある。
「MUSA-BI展」はもちろん武蔵野美術大学の卒業生によるものだが、芸術院会員の神戸峰男、土屋禮一をはじめ若手作家までその領域、年齢、作家活動まで多様性に満ちている。
重要なことはその質であるが、その上で武蔵野美術大学の歴史が見せる多様性であって、それは美術の使命そのものとも言える。
展覧会は4月5日まで、090-5853-3776まで必ずアポイントをとって来館。
2月21日、初日にGALERIE hu:で始まった「ラファエル ナバス」展を訪れた。
会場はハッピーで満ちていた。
誰もが楽しくなる、そんな作品群だ。
椅子、テーブル、チェストなどの家具とオブジェ、絵画。
一見、立体造形作家のようである。
しかし作品の魅力は圧倒的に鮮やかな色であふれるペインティングだ。
鮮やかな色を魅力的に見せているのは、ラファエル ナバスのペンディングタッチであり、色の配置である。
観る者はそこに自由奔放を感じ取るが、作者は巧みな表現力を屈指している。
その技巧を感じさせてしまっては、これほどチャーミングな作品群にはならない。
ラファエル ナバスは、1964年、スペイン・ハエン生まれ。
バルセロナ大学美術学科博士課程を修了し1992年来日。
愛知県立窯業学校陶芸専攻科、愛知県立芸術大学研究生を経てスペイン・ハエンに穴窯を築窯。
1996年常滑市に移り開窯、現在常滑にて制作している。
2009年、清須市はるひ美術館で開催された「キタイギタイひびのこづえ展-生きもののかたち 服のかたち-」にてワークショップを開催している。
展覧会は3月19日まで。
GALERIE hu:情報は、http://www.galleryhu.com
「円空の独創性、慈愛の精神を今日改めて注目すべきものと捉え、円空を彷彿とさせる、顕著な芸術家を顕彰」
大賞はTara Océan財団。
世界の海をアーティストを乗せて、海洋環境問題を専門とする科学者と調査する海洋科学探査する。科学+アートプロジェクト。
科学とアートが結びつく現代美術はもう必然であるが、基本、現代美術が主体である。
Tara Océan財団は環境科学が主体。科学者とアーティストを乗せて世界の海を走るタラ号、想像するだけで感動である。
展覧会会場では、Tara Océan財団の活動、アーティストたちの作品、ほかに円空賞を受賞した池田学の絵画、羽田澄子の映画、安藤榮作の彫刻とインスタレーション、大嶽有一の鉄の彫刻作品が展示されて見応えがある。
4月10日より23日までの2週間、名古屋栄の名古屋三越栄店地下一階食品フロア・和洋酒売場特設会場にて「高北幸矢の30酒30展」を開催している。
私の選んだ和洋酒、ビール、日本酒、焼酎、ウイスキー、ワインなどジャンルを問わずに並べている。
そして30点の花の水彩画、版画。さらにはお酒の愛読書25冊も。
賑やかなデパート地下一階で展覧会というのは驚かれる人も多い。
私はこれまで、美術館、ギャラリーのほかに、喫茶店、バー、スーパー、銀行、企業オフィス、料理屋、果ては神社まで個展を開催してきた。
その真意は、アートが「さあ、ご覧ください芸術ですよ」と高尚という形容に恥ずかしさを感じているからである。
もっと雑踏の中へアートが踏み込んで行かなければならないと考えている。
雑踏の中で聴いた音楽に心を奪われて、いつかコンサートに出かけたくなる音楽のように。
4月2日より、愛知県美術館ギャラリーで「2019日中現代美術交流展」が始まった。
イデオロギーは世界中芳しくない方向で心を痛めるが、文化とスポーツは何百年と各国親交を深めて来た。
そうしたことに多く参加してきた私は、世界中に友人・仲間がいて、どの国とも争いなど全く考えられない。
美術交流展とは、互いの芸術文化を尊敬しあい、互いの国を親しく思うことがなければできない。
現代美術とは何か。
現代における美術という意味で考えてしまっては、あまりにもつまらない。
あえて現代美術という言葉を使う必要がない。
現代美術とは、「現代」、言い換えれば「今」の空気を感じさせるものでなければならない。
「今」が孕んでいる問題、社会認識、社会的価値を共有できるものでなければならないと考える。
刈谷市美術館において、「深堀隆介展」が開催されている。
大変盛況で入場者4万人に達しそうだとのことである。
金魚をモチーフとした立体作品で有名である。
金魚のモチーフは日本画、工芸では珍しくないが、現代美術の中では異彩を放つ。
水を使うことのできない美術館で、いかにも泳いでいるかのような金魚は、多くの観る者の気を強く惹く。
達者な表現技術と樹脂を巧に使って、極めてオリジナル性の高いものになっている。
しんちう屋と題した金魚屋さんは、圧巻である。
しかし、深堀隆介作品がこれほどまでに注目を浴びているのは、いわゆるインスタばえによることが大きい。
実作品以上にSNS上での作品がリアリティを持って魅力的である。
そうした作品視点が作家の計画的なものであるとするなら、最も現代美術的であると言えるだろう。












 
 











 
 
 
 

