04. 12月 2020 · December 4, 2020* Art Book for Stay Home / no.47 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『展覧会の壁の穴』小林敦美(日本エディタースクール出版部、1996年)

小林敦美は1930年生まれ、東京大学法学部を卒業。1953年、松屋(百貨店)に入社、部署、肩書は変わりつつもずっと松屋の催事、展覧会に関わってきた。本著はその約30年の多様な経験を元に書かれている。著者自身が言う「展覧会屋の記録」である。

百貨店の展覧会は美術館、博物館のように市民に芸術文化を普及することを目的とする機関とは異なる。ビジネスマーケッティングから完全に切り離すことができない展覧会である。しかし、美術館で観る展覧会と同じようなものも開催され、展覧会では作品を販売するといったようなことも殆ど行われない。図録や関係グッズが販売されることは美術館も同じである。いったいどこが異なるのか、興味深い事実がさらけ出されている。一方で、美術館の展覧会では考えられないような機会や歓びも体験されていて、そういった点が展覧会屋たるところである。

1953年は日本の百貨店が芸術文化を担っていく初期であり、美術館も少なく、本来は公的事業として推進しなければならなかったところを日本の百貨店が請け負って行ったのである。もちろんそこには百貨店が文化の発信地として、魅力を高めることにより多くの人(客)を引きつけることができたのである。松屋はそのトップランナーであり、特に日本がデザインで世界のトップに連なっていく推進役を担ったことは多くの知るところである。

1973年グラフィックデザイナーとして歩み始めた私は、東京に出かけてデザインと言えば松屋であった。東京では多くの時間を松屋で過ごした、また松屋の展覧会を観るためだけに東京に行くことも多々あった。ジャンルを越えたトップデザイナーがメンバーの日本デザインコミッティーの事務局が松屋にあって、常設としてデザインギャラリーとデザイナーズショップを持ち続けている。また日本デザインコミッティーが主催する「デザインフォーラム公募展」は、全国のデザイナーがメジャーになるための大きなチャンスであった。私も数回の挑戦の結果、銅賞をいただき、感激したことが忘れられない。残念ながら公募展は現在行われていない。

28. 11月 2020 · November 25, 2020* Art Book for Stay Home / no.46 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『人形作家』四谷シモン(講談社現代新書、2002年)

「人形は芸術ですか」という質問は、四谷シモンの人形を観るといかにつまらない質問か判る。「書は芸術ですか」「生花は芸術ですか」「写真は芸術ですか」も同様につまらない質問であり、「絵画は芸術ですか」「彫刻は芸術ですか」もひとまとめにして同様につまらない質問であると言える。つまり芸術というのは、一点一点の個の作品の評価であって領域に対してあるものではない。

四谷シモンの人形を圧倒的な芸術の存在としてみる事ができるのは、「芸術とは何か」を知る人のみである。しかし、四谷シモンの人形は四谷シモンともども特異な存在であることは事実であり、その特異を知りたくて本著を手にとった。

「シモンとは何者であるか」は序文で嵐山光三郎が、8ページに渡って詳細に書き尽くしている。24歳で唐十郎の状況劇場の女役者として登場した頃から、アンダーグラウンドの陰陽も含めて、どれだけ異様に輝いていたか。本文では四谷シモン自身が出生から奇異なる家庭、例えばダンサーでストリップもする母親が小学校にやってきて父親のバイオリンの伴奏でストリップショウを行ったことなど。四谷シモンの感性は細い絹糸が多色に染められるように育まれていく。

熱狂の状況劇場では自ら女人形のように化身し、「シモンちゃーん」の大歓声を浴びた。歓声の主たちは、澁澤龍彦、矢川澄子、寺山修司、土方巽、山下洋輔、檀一雄、横尾忠則、瀧口修造、加藤郁乎、松山俊太郎、吉岡実、種村季弘、金井美恵子、合田佐和子、大島渚、金子國義、高橋睦郎・・・・。

才能とはどのように生まれ、造られて行くのか。四谷シモンの人生を追うと、努力とか研鑽とか、そんなものはちっぽけ過ぎて、萎えざるを得ない自分がいる。

19. 11月 2020 · November 19, 2020 Art Book for Stay Home / no.45 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『博物館の楽しみ方』千地万造(講談社現代新書、1994年)

美術館には学芸員というスタッフがいることは、多くの人の知るところである。それで学芸員とは何かと言えば、博物館法により博物館・美術館などに置かれる専門職員で、資料の収集・保管・調査研究・展示・教育普及などを行う者である。学芸員資格を得るために、大学で博物館に関わる必要な単位を取得する。単位には博物館実習というものがあり、現場経験が求められる。清須市はるひ美術館でも、毎年数名の博物館実習生を受け入れている。美術館で行われても美術館実習ではなく博物館実習である、博物館法に基づく資格であるのだから。

博物館法による博物館というのは、名古屋市博物館などの博物館のみを指すものではなく、美術館、文学館、産業博物館、考古学博物館、歴史館、明治村のような野外博物館、古い城や城址、登呂遺跡のような住居跡、更には科学館、動物園、植物園、水族館、自然保護区、国立公園など極めて広い。ちなみに愛知県の博物館の数は293である。

博物館と美術館はどちらも英語ではミュージアム、混乱するので美術館の方をアートミュージアムという言い方をする場合もある。現在愛知県美術館では「古代エジプト展」が開催されており、名古屋市博物館ではこれまで「アンパンマン展」「ゴジラ展」「北斎展」などが開催されてきている。その領域区分はかなり曖昧である。

本著はそういった「博物館とは何か」にはじまって、魅力的な博物館、美術館を多数紹介している。著者は、博物館の魅力を好奇心に応える場所、あるいは好奇心そのものとしている。なるほどである。

15. 11月 2020 · November 15, 2020* Art Book for Stay Home / no.44 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ルオー』小林利裕(近代文芸社、1998年)

画家ジョルジュ・ルオーの知名度は高い。それは強烈な印象で迫る強い黒と彩度の高い多様な色で描かれた表現によることが大きいと思われる。表現は理屈抜きで脳に訴えるものである。油絵を描き始めた初心者の多くがルオーのような表現を身に付けたいと思う人が多いと聞く。それだけ魅力的な表現である。しかし果たしてルオーの絵の強い記憶はその表現によるものだけだろうか。多く描かれたキリストや聖者たちの姿、顔、瞳、それらがキリスト教信者でなくとも心に訴えて記憶に結びついていくのではないだろうか。

著者小林利裕は、東京大学哲学科を卒業、多くの哲学についての著書がある。哲学のほかに島崎藤村、太宰治、ゴッホなど文学、美術の領域に踏み込んで書かれたものがある。本著『ルオー』もその一つである。

小林が本著「ルオー」で書いているのは、ルオーがどのような絵画を描こうとしたかである。「どのような」とは、どのような表現ではなく、どのような想いを描こうとしたかである。もちろん絵画であるので、表現を切り離して語ることはなく、どのような想いが表現に結びついているのかを書いている。

残念ながら、ルオーの絵画は口絵でカラー2点、モノクロ2点と極めて少なく、文中で紹介されている40点ほどの絵画を、別の画集を開きながら読むということを強いられた。

そういう面倒な読み方をしたにも関わらず、読み終えることができたのは、キリスト教とその哲学からルオーの想いがどのようなものであったか、その想いに引き寄せられてのものだった。

ルオーはフォーヴィスムの画家という分類がなされることがあるが、それはたまたま結果としてのもので、フォーヴィスムの画家として分類すべきではないと述べている。そのことについては私も大いに共感する。

10. 11月 2020 · November 10, 2020* Art Book for Stay Home / no.43 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『漆芸―日本が捨てた宝物』更谷富造(光文社新書、2003年)

今年6月、岩手県二戸市と八幡平市の漆文化が文化庁の「日本遺産」に認定されたことを受け、情報発信につなげるための推進協議会が8月に発足した。「日本遺産」は、文化庁が地域の有形・無形の文化財にまつわる特徴的な歴史やストーリーを認定しているもので、二戸市と八幡平市の漆文化は「”奥南部”漆物語」というネーミングで認定された。「これまで二戸市と八幡平市が培ってきたつながりをいかして、地域の中に漆文化を復元していきたい」と協議会会長の藤原淳二戸市長は決意を述べている。

漆はかつて英語でJapanと呼ばれ、日本を代表する工芸であることが欧米で認識されていた。その産地でありルーツである二戸市と八幡平市の漆は世界遺産からは程遠く、やっと日本遺産である。その発足メッセージが「漆文化を復元していきたい」である。つまりそれは途絶えたことを確認するメッセージである。

著者の更谷富造(さらたにとみぞう)は、プロローグで「日本には、明治維新以降“積極的に”漆を捨ててきた過去がある。奪われたのでも消滅したのでもなく、西欧文化を取り入れるのに夢中になるあまり自国の文化を切り捨ててしまったのだ。日本の名工たちが技の限りを尽くした黄金の漆芸品は、長年にわたって何の歯止めもなく大量に海外へ流失して行った。」と怒りを込めて述べている。

更谷は漆芸品修復家で創作も行う。26歳(1975年)でウィーンに移住、漆芸品修復のためにオーストリア国立応用美術館勤務。36歳ロンドンに移住個人蔵の漆芸品修復にあたる。40歳シカゴに移住、漆芸品修復会社「YAMATO. INC.」設立、46歳北海道美瑛町に移住。世界中の漆芸名品を修復してきている。その経験から、漆芸の素晴らしさを讃えるとともに、日本の漆芸に対する無知、無理解を嘆く。

国内外の美術館で、優れた漆芸作品を観ることができる。しかし、その現状と未来に対してあまりにも無知な自分がそこにいた。

03. 11月 2020 · November 3, 2020* Art Book for Stay Home / no.42 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『江戸に学ぶ「おとな」の粋』神崎宣武(講談社、2003年)

柳宗悦が民衆の暮らしのなかから生まれた美の世界を紹介するため、1925年から「民藝」の言葉によって運動を展開した。今も民藝は美意識とともにその存在感を持ち続けている。古今東西、芸術・文化の根底なるものに民俗、風俗がある。芸術は民俗、風俗から無関係に登場するわけではない。江戸の風俗の粋を紹介した本著はアートの本ではないが、多くのアートファンはここにアートを見つけることができるだろう。

「粋」とは何かについては、九鬼周造の名著『「いき」の構造』がある。その上で本著に向かわれることをお勧めする。

アートに美しい形を見ようとするならば、美的造形を追求しようとする美術大学生のようなことをするよりも、美しい形になる心のありようというものを知るべきだと思う。その一つが粋である。「江戸に学ぶ『おとな』の粋」は、人と人の魅力的な関係の中に粋を見出し、大人の美を語る。

世の中「かわいい」が氾濫している。そこには「どうかわいいのか」問われない。問うては共感が崩れるかも知れないからだろう。殆ど「いいね」と同義語になっている。美を追求するアーティストやデザイナーにおいてもやはり「かわいい」がイージーに使われている。先日ちょっとした集いで、友人の女性が遠目には灰色に見える縞模様の浴衣を着てきた。大人の着こなしで、帯から半襟、小物まで行き届いた夏のおしゃれであった。「粋ですね、素敵です」という私の感想に、彼女は嬉しそうに微笑んだ。しかし会場では「かわいい」の褒め言葉で溢れていた。

28. 10月 2020 · October 28, 2020* Art Book for Stay Home / no.41 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『パリの奇跡』松葉一清(講談社現代新書、1990年)

1990年の秋、パリ、ミラノ、ヴェニスの旅行を予定していた。海外旅行に出かける前の数カ月は、訪れる国、街に関わる本を集中的に読むことにしている。それは旅行ガイドブックではない。歴史、民族、政治、文化等、訪れる国、街をいろいろな角度から知りたいと思うからである。このときは特に3つの街を頭の隅っこにおいて、本屋をウロウロした。新書判のコーナーは、領域が多様なのが嬉しい。ハンディなサイズは行きの飛行機の中でワクワクしながら読める。『パリの奇跡』はその一冊として購入した。出版されたばかりであり、タイトルに添えられた「メディアとしての建築」が心を捉えた。

ご存知のようにパリは美しい石造りのアパート群で街並みが形成され、凱旋門やオペラ座などの強い特徴を持つランドマーク(風景の目印)が変化と活力を与えている。石造りの調和が退屈な風景にならぬよう見事な都市設計である。パリは仕事の関係もあって、それまで数回訪れていたが、ポンピドゥー・センターの奇抜さとその成功は、私にとって謎のままであった。石造りの美しい都市美の中で、剥き出しの配管設備、エレベーター、石油精製工場と呼ばれるほどのあらっぽさ、こういったデザインの公共建築が一体世界のどこの街で実現するだろう。今となって高評価を与えることは簡単である。

『パリの奇跡』は、そのことに対して納得の答えが書かれている。ポンピドゥー・センター以降、ルーブル美術館のピラミッド、立方体の新凱旋門(ラ・デファンスのグランダルシュ)、奇怪な窓のアラブ世界研究所、セーヌ川に突き出したフランス新大蔵省、監獄の跡地に建てられたモダンなバスティーユオペラ座、古墳を思わせるベルシー体育館等、とにかくこのところのパリの建築はひたすら攻め続けているのである。

1990年秋のパリ旅行は、「メディアとしての建築」をひたすら学ぶものとなった。「芸術の都パリ」は、未来永劫あり続けるであろうことを確認する旅でもあった。

21. 10月 2020 · October 21, 2020* Art Book for Stay Home / no.40 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『アート・ウォッチング』監修・執筆中村英樹+谷川渥(美術出版社、1993年)

おもしろくて、大好きで仕方のないことを、関心はあるけれど、何がおもしろいのか全く解らない人に、「ここがおもしろい」と解りやすく話すことは極めて困難である。本著『アート・ウォッチング』には[ビジュアルガイド・美術鑑賞入門]というサブタイトルと、「現代美術を体験しよう」というキャッチフレーズが添えられていて、いかにも初心者向けに「現代美術は難しくないですよ、簡単ですよ」という呼びかけをしている。

私について言えば、20代の頃はギャラリー巡りをしていて現代美術と出会った。よく解らなかったが、なにか惹かれるものがあったし、解らないことが恥ずかしいので解ったふりをして一生懸命現代美術を観て回った。何となく解るようになるのに10年、そこから先はおもしろくて仕方がない。という道筋をたどった。たった一冊の本で簡単に理解できるものではないと思う。監修・執筆の一人中村英樹氏は勤務していた大学の敬愛する先輩、ちょっと意地悪な気持ちもあって、お手並み拝見気分で読んだ。膨大な作品写真が読み進める意欲を高めてくれる。でもやっぱり難しい、難しいが至るところに手がかりがある。一冊読み終えて「現代美術が解った、おもしろい」という人は極めて少ないと思う。「おもしろいな」と思える作家が一人でも見つかったら、この本と出会って正解だ。「やっぱり解らない」と解らないことを確認することになっても、この本との出会いは正解だ。なぜなら読者に多くの疑問を残したことになるからだ。少しずるい結論だけれど「解らないことが現代美術のおもしろさだ」と言えるからだ。現代美術は鑑賞者にたくさんの疑問を残す。謎掛けのようなものだ、その謎が一つ一つ解けて行くおもしろさと言っていいだろう。なぜそんなに難しいのか、現代美術は既成の理解、概念を越えるところにあるからだ。

現代美術は、それまでの美術を否定し、新しいものを提示する。理解しようとする鑑賞者は、いつもそれまでの美術のファンであり、そこを否定してくる現代美術は普通苦手である。しかし、たった一枚の扉が次々と新たな感動を見せてくれるから、やはり扉を開けることを誘惑したい。

13. 10月 2020 · October 13, 2020* Art Book for Stay Home / no.39 はコメントを受け付けていません · Categories: 未分類

『アイドルはどこから/日本文化の深層をえぐる』篠田正浩、若山滋(現代書館、2014年)

美術館では「物語としての建築ー若山滋と弟子たち展ー」を開催中。展覧会に寄せてno.36では、若山滋著『寡黙なる饒舌』を紹介したが、会期は11月23日までなので、もう一冊若山滋の著作を紹介しておこう。といっても映画監督篠田正浩との共著である。

映画監督篠田正浩と建築家若山滋は比較的近い親戚(まえがき)にあって、篠田家の血(あるいは知)を共有している。映画監督と建築家というのは創造的分野という点では同類であるが一般には接点が少ない職業である。ところが二人は一方で文筆家としても多くの著書を出している。しかも映画や建築という専門書だけではなく、非常に幅広い分野に及んでいる。互いの広い知識の中で共有される領域が多いというのが本著を魅力的なものにしている。

『アイドルはどこから』のミーハーな著名に引き寄せられて、サブの「日本文化の深層をえぐる」に巻き込まれてしまうという流れである。アイドル論は、AKB、ジャニーズ、韓流スターから入って展開される。そこから源義経、川上貞奴、出雲阿国、天照皇大大神、千手観世音、小野小町、世阿弥、西行法師、イチローと広がって日本史を俯瞰する。常に通している筋は日本文化である。それで日本文化とは一体どういうものであるかが論じ合われていく。対西洋でありアジアの潮流であり、島国日本の洗練でもある。後半に差し掛かって都市論に凝縮していくあたりは、映画監督と建築家ならではの空間把握、芸能論、歴史観が高度に展開されてたまらなくおもしろい。最後にはきちんとアイドル論を再構築して終えている。

なお本書は会期中、ミュージアムショップでも取り扱っているのでぜひ手にとって欲しい。

06. 10月 2020 · October 6, 2020* Art Book for Stay Home / no.38 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本その日その日1』『日本その日その日2』『日本その日その日3』E.S.モース、石川欣一訳(平凡社、1970年)

E.S.モース(エドワード・シルヴェスター・モース)は、アメリカの動物学者で、標本採集のために1877年に来日し、請われて東京大学教授を2年務め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力した。大森貝塚を発掘し、日本の人類学、考古学の基礎をつくった。日本に初めて、ダーウィンの進化論を体系的に紹介した。

1913年、75歳となったモースは、30年以上前の日記とスケッチをもとに、『Japan Day by Day(日本その日その日)』の執筆を開始、1917年書き終えて出版。訳書は辞書のような体裁で、細かな文字がぎっしりと各巻300ページに及ぶほどの濃い密度となっている。

美術の視点から観て何より興味深いのは、西洋の影響を殆ど受けていない日本の暮らしの中にある美である。神社・仏閣、書画、公家、武士、豪商といった日本美術史に登場する美を追求したものではなく、庶民の暮らしの中にある使い込んでさらに使い込んで残されてきた粗野な美。日本人の誰もが美術という意識の外にあるもの。アメリカ人モースさんは、西洋人で動物学者であり、人類学、考古学にも深い知識を持ち合わせていたこと、そしてあっという間に西洋の影響で変容していく寸前の日本であったからこそ、この著を類稀な魅力的なものにしている。

そして何よりも、その視点を膨大なスケッチに残していることであり、そのスケッチがもの凄く上手いのである。掲載されているスケッチは両手を使って描かれたもので、両手を使うので普通の人より早くスケッチを終えることが出来たという。講演会でも、両手にチョークを持って黒板にスケッチを描き、それだけで聴衆の拍手喝采を浴びるほどであったそうだ。

訳書を読みすすめると、モースさんの人柄が身近に感じられて楽しい、なんて素敵な方なのだ。日本人の暮らしに、愛ある興味で目を輝かせている。モースさん素敵な記録をありがとう。