10. 11月 2020 · November 10, 2020* Art Book for Stay Home / no.43 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『漆芸―日本が捨てた宝物』更谷富造(光文社新書、2003年)

今年6月、岩手県二戸市と八幡平市の漆文化が文化庁の「日本遺産」に認定されたことを受け、情報発信につなげるための推進協議会が8月に発足した。「日本遺産」は、文化庁が地域の有形・無形の文化財にまつわる特徴的な歴史やストーリーを認定しているもので、二戸市と八幡平市の漆文化は「”奥南部”漆物語」というネーミングで認定された。「これまで二戸市と八幡平市が培ってきたつながりをいかして、地域の中に漆文化を復元していきたい」と協議会会長の藤原淳二戸市長は決意を述べている。

漆はかつて英語でJapanと呼ばれ、日本を代表する工芸であることが欧米で認識されていた。その産地でありルーツである二戸市と八幡平市の漆は世界遺産からは程遠く、やっと日本遺産である。その発足メッセージが「漆文化を復元していきたい」である。つまりそれは途絶えたことを確認するメッセージである。

著者の更谷富造(さらたにとみぞう)は、プロローグで「日本には、明治維新以降“積極的に”漆を捨ててきた過去がある。奪われたのでも消滅したのでもなく、西欧文化を取り入れるのに夢中になるあまり自国の文化を切り捨ててしまったのだ。日本の名工たちが技の限りを尽くした黄金の漆芸品は、長年にわたって何の歯止めもなく大量に海外へ流失して行った。」と怒りを込めて述べている。

更谷は漆芸品修復家で創作も行う。26歳(1975年)でウィーンに移住、漆芸品修復のためにオーストリア国立応用美術館勤務。36歳ロンドンに移住個人蔵の漆芸品修復にあたる。40歳シカゴに移住、漆芸品修復会社「YAMATO. INC.」設立、46歳北海道美瑛町に移住。世界中の漆芸名品を修復してきている。その経験から、漆芸の素晴らしさを讃えるとともに、日本の漆芸に対する無知、無理解を嘆く。

国内外の美術館で、優れた漆芸作品を観ることができる。しかし、その現状と未来に対してあまりにも無知な自分がそこにいた。

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