28. 2月 2021 · February 28, 2020* Art Book for Stay Home / no.57 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『アイデアの作り方 改訂版』ジェームスW・ヤング、今井茂雄訳(プレスアルト会、1961)

B6判56ページ、1ページ400字足らず、全ページ活版印刷である。流し読めば1時間かからず読んでしまう。価格は180円、おそらく古書店で見つけたものであろう。私が若きデザイナーの頃、デザインのアイデアに日々苦労をしていたとき、そんな方法があるものかと思いつつ読んだことを記憶している。開いてみると、かなり書き込みを行っている。丁寧に読んだことの証がある。

この度ブログを書くにあたり、あらためて読んでみるとその内容の確かさに驚く。そしてその殆どが自分の身になっている。例えば「アイデアとは在来の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」「在来の要素を新しい一つの組み合わせに導く才能は事物の関連性を見つけ出す才能に依存することが大きい」つまりアイデアは突然どこからか降って湧いてくるものではなく、アイデアを生み出すための多くの要素を身に着けていくこと、その要素を知り尽くす事ができればそれぞれの組み合わせによって、的確なアイデアができあがる。

経験を積めばなるほどと言うものであるが、浅い知識の中からアイデアは生まれてくるものではないことを言い切っている。現代で言えば、どのように優れたコンピュータであっても、インプットされたものが少なければアウトプットは生まれない。またコンピュータによって膨大な情報を引き出すことができるが、それぞれの情報を読み解く力が必要であり、情報を読み解くことで、情報と情報の組み合わせから新しい情報を生み出すことができる。情報そのものはアイデアではない。パーソナルコンピュータのない60年前に書かれたものであるが、全てのクリエイターがパーソナルコンピュータを手にしている現代にあって、なお褪せない「アイデアの作り方」である。

この本は広告クリエイターのために書かれたものであるが、他分野の創造に関わる人たち、詩人、画家、エンジニア、科学者たちから多くの感謝の言葉が寄せられている。

22. 2月 2021 · February 22, 2021* Art Book for Stay Home / no.56 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ムーミンのふたつの顔』冨原眞弓(筑摩書房、2005

著者冨原眞弓はムーミンの作者トーベ・ヤンソンの多くの本を翻訳してきた。本著はタイトルにあるようにムーミンの全てに及んで書かれているが、焦点が当てられているのはトーベ・ヤンソンの人生である。

トーベ・ヤンソンは、もちろんムーミンが全てではない。またムーミンも児童文学、絵本、コミック、アニメーション、パペット・アニメーションと多面体であり、作者もトーベ・ヤンソン単独であったり、共作であったり、監修のみであったりと様々である。

著名『ムーミンのふたつの顔』はそのような多様性を象徴しているとともに、彫刻家の父ファッファンと画家で商業デザイナーの母ハム、2つの公用語スエーデン語とフィンランド語(トーベ・ヤンソンは母の母国語スエーデン語で創作する)、またイギリスでのコミック『ムーミン』を引継いだ末の弟ラルス・ヤンセンとトーベ・ヤンソンのムーミンなど、ムーミンの二面性に注目している。

興味深いのは、ムーミントロールの家族とヤンソンの家族との重なりである。とりわけムーミンママのモデルであるハムは、トーベ・ヤンソンにとって精神的に大きな存在であり、理想である。第7章で母ハムの人生を紹介する著者は、トーベ・ヤンソンその人になりきったかのように強い思いを感じさせる。

キャラクター大好き、キャラクターグッズ大好き日本では、ムーミン人気は圧倒的である。単にムーミンの容姿がかわいいといった単純なもので語れるものではない。キャラクターの意味はその容姿を含む性格や性質を指すものである以上、その個性を明確に描き出すことが求められる。「清く、明るい良い子」ではなく、子どもたち、大人も含めて人間的魅力に溢れていなければならない。なおかつ人間ではありえない特別な存在、興味深い存在であることも求められる。人間のような、架空の動物のような、妖精のようなムーミンが大人も含めて多くの子どもたちの心を惹きつけてやまない秘密が本著で解き明かされる。

10. 2月 2021 · February 9, 2021* Art Book for Stay Home / no.55 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『イサム・ノグチ物語』めら・かよこ(未知谷、2017)

「イサム・ノグチ物語」、この野暮ったい著名は伝記によくある付け方である。そのとおりであって、イサム・ノグチの伝記である。アーティストの伝記などと蔑んで興味をそそられないのが一般的だろう。アーティストは作品であって、人生ではない、生涯を追ってみる意味はどこにあるだろう。

しかし、イサム・ノグチの場合は人生を語ることが作品を語ることに深く関わっている。イサムは1904年ロサンゼルスで生まれた。母はレオニー・ギルモア、アメリカ人。父は野口米次郎、英語を学ぶためにアメリカに渡って、ニューヨークでレオニーと出会う。やがて一緒に暮らすようになるが、米次郎が突然日本に帰国、4ヶ月後にイサムが生まれた、本名イサム・ギルモア。日露戦争が始まる日米の情勢の中レオニーは日本人としてイサムを育てるべく日本に渡る。日本名、野口勇。14歳で単身アメリカへ、20歳で彫刻による初個展、イサム・ノグチ(作家名)を名乗る。23歳パリに留学。それからも世界大戦を挟んで日本、アメリカ、ヨーロッパ、そして世界へ。

イサムは国籍、人種に翻弄され続ける。混血としての運命は、イサムに苦悩を与えるがまた才能を開かせる要因にもなっていく。日本を愛し、アメリカを愛し、日本人であり、アメリカ人でもある。「イサム・ノグチ物語」は、成功した一人の人間としての物語である。しかし、優秀な頭脳、極めてハンサムな容姿を含めて、映画のような奇跡の物語である。

いま広島にある「原爆慰霊碑」の原作がニューヨークの「ノグチ美術館」に模型が保管されている。原子爆弾を落とした国の人間として「原爆慰霊碑」が寸前で不採用とされた。イサムは「であるがゆえに・・・慰霊碑はほかの誰よりもぼくにさせてほしかったと」と。

29. 1月 2021 · January 29, 2021* Art Book for Stay Home / no.54 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『横尾流現代美術』横尾忠則(平凡社新書、2002年)

1月15日から4月11日まで愛知県美術館において「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」が開催されている。東海地方で開催される横尾忠則展としては初めての、そして最大級の展覧会である。インスタレーション作品もあるので、その点数を数えることはできないが、常設展示会場も使用して壮大な作品群である。これまで関西関東で開催されてきた横尾忠則展はすべてこうした破壊的物量を観ることになり、そうした物量というものも横尾芸術の一環であるということが言える。

横尾作品にはいくつものシリーズがあって、基本的に美術史のように年代を追うことができるのだが、過去というまとめ方をすることはできない。例えばほとんど描かれることのなくなっている「滝」「暗夜光路」にしても、現在描かれる作品に生きており、いつも時空間を超えたイメージとして登場するからである。

横尾にとって「POPアートとは」「江戸美術とは」「三島由紀夫とは」「エロスとは」「ポスターとは」「版画とは」「前衛芸術とは」「夢とは」「コラージュとは」「UFOとは」「タブーとは」・・・無数のキーワードが交錯して創作が生まれる。そしてその答えを横尾から聞き出すための著述が無数にあり、著書も何百に及ぶ。著書もまた横尾にとっての膨大な創作の一環なのだろう。

本著『横尾流現代美術』はその一冊に過ぎない214ページの新書であるが、「横尾忠則とは」に最も手軽にわかりやすく答えてくれる一冊である。

今から40年ほど前、横尾さんが画家ではなくまだトップイラストレーターとして大活躍していた頃、著書は数冊しかなかった。その頃デザイン雑誌の編集長から伺った話、「横尾くんは、最初原稿を依頼したとき文章が下手でね、編集担当は大変だった。それでもどんどん書きなさいとアドバイスしたんだ、書くことは創造を鍛えることだからと。随分上手くなったね。」そして今は無限なる著述だ。ツイッターでも日々自分の言葉で発信し続けている84歳である。

24. 1月 2021 · January 23, 2021* Art Book for Stay Home / no.53 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『戦争写真家ロバート・キャパ』加藤哲郎(ちくま新書、2004年)

写真家は、何を撮るかということによって分類される。報道写真家、広告写真家、風景写真家、動物写真家、建築写真家、芸術写真家等、その分類を横断する者もおればこだわらない者もいる。戦争写真家というのは、報道写真家の一分野であるが、その活動が極めて困難を強いられることから強いビジョンを持って活動を続けている者が多い。

戦闘や紛争の行われている地域に入り込み、戦争状況、被害者などを取材する。

戦場カメラマンという言い方もされる。近年では写真だけではなく、ビデオも含まれる。取材中に命を落としたり、拉致されて高額な身代金を要求される者もいる。過酷で劣悪な環境に加え、空腹、飢えに耐えうるサバイバル能力を要求される。

極めて過酷な状況にも関わらず戦争写真家を希望する者は現在でも少なくはない。勿論そこには報道の使命を受け止める強い正義感に溢れている。その具体的なイメージとして戦争写真家ロバート・キャパの姿があると思われる。

ロバート・キャパは1936年、スペイン戦争のコルドバで撮った「崩れる兵士」が「ライフ」に掲載され世界的に注目された。第二次世界大戦では、ノルマンディー上陸作戦のドキュメントが今日でも高い評価を得ている。インドシナ戦争中の1954年、地雷を踏んで死亡。戦争写真家のあるべき姿、戦争写真とは何かの一つの典型を示した。

キャパは、戦争写真のみを撮り続けたわけではなく、戦争写真のみで評価を得たわけではない。戦場を離れて多くの日常を撮った写真も高い評価を得ている。しかしキャパにとっては過酷な戦場の対比、あるいは表裏の関係として日常もまた戦場写真の領域にあったと思われる。

かつて戦場であった日本が、写真による追体験から目を反らしてはならない。現在も報道される他国の戦争を、近未来の日本と無縁のものと誰もが確信することはできない。キャパをはじめ多くの戦場写真家が「なぜ戦場写真を撮るのか」の答えがそこにあると確信する。

14. 1月 2021 · January 14, 2021* Art Book for Stay Home / no.52 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『1964-67アンディ・ウォーホル』ナット・フィルケンスタイン、金井詩延訳(マガジンハウス、1994年)

1964-67年、写真家ナット・フィルケンスタインはファクトリーに自由に出入りし、ウォーホルを核に、そこに巣食う俳優、ミュージシャン、トランスジェンダー、作家、アーティストたちを撮影し続けた。本著はナットがその様々なシーンを写真とメッセージでレポートしたものである。

ファクトリーは、ニューヨークにあるアンディ・ウォーホルのスタジオであり芸術サロン、ウォーホルは作品を制作するだけでなく、巣食うメンバーとさまざまなコラボレーションを行った。また自主製作の実験的映画を撮影、上映された。1962年から1984年まで、そのファクトリーは最も熱く展開された。

著名なアーティストであることよりも、「スターになる」ことを宣言したウォーホルにとって、ファクトリーで頻繁に繰り返されるスキャンダルは、輝かしいステージでもあった。ファクトリーで演じる者は、ローリング・ストーンズ、ブリジッド・バルドー、ベッツィ・ジョンソン、ブライアン・ジョーンズ、ボブ・ディラン、デヴィッド・ボウイ、ジョン・レノン、マドンナ、ミック・ジャガー・・・気の遠くなるような輝きであるが、その誰もが主役ではなく、ウォーホルの脇役であった。もちろん、アーティストの出入りも多く、サルバドール・ダリマルセル・デュシャンロバート・ラウシェンバーグ、ロイ・リキテンスタイン、ミシェル・バスキア、ヨーコ・オノ、キース・ヘリング・・・。

そしてナットは、ウォーホルにバレリー・ソラナスを紹介する。バレリーは、全男性抹殺団(S.C.U.M. /Society for Cutting Up Men)のメンバー。そして1968年6月3日、ウォーホルを狙撃、殺人未遂。

成長し続けるアメリカのエネルギーと響き合うように輝き続けたウォーホルが、一気に輝きを衰えさせて行くのを、デザイナーからアーティストを目指していた私は淋しさをもってその時代を感じていた。

05. 1月 2021 · January 5, 2021* Art Book for Stay Home / no.51 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『若冲』澤田瞳子(文藝春秋、2015年)

新年早々はどのアートブックを取り上げようかと考えていたら、1月2日夜にNHK総合で「ライジング若冲〜天才かく覚醒せり〜」が放映された。若冲に中村七之助、心をときめかせながら観た。絵師というのは技術を高めるための絵師を師に持つものではなく、心の支え、精神のあり用を師に持つべきである。「若冲は師を持たず、弟子をもたず」への短絡的解釈が批判されよう。

さてドラマの若冲はこれくらいにして、澤田瞳子の小説『若冲』である。若冲とはどういう人間であったのか。若冲をめぐる人々、家族、特に妹お志乃の存在、心の師である相国寺の禅僧大典顕常との関わりが若冲の心を繊細に描きあげている。京錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生まれ、家業を弟に譲り早々と隠居絵師となる。その特異な人生が、どのようなものであったか、小説本来ならではのおもしろさである。

さらには京の同時代を生きた池大雅、円山応挙、与謝蕪村、谷文晁など華麗なる絵師たちが登場してくる。小説にありがちなドラマチック設定のためのものではない、江戸時代中期の京がいかに文化の充実が高かったかということである。江戸では庶民の浮世絵が全盛であるが、京では俵屋宗達、狩野探幽、尾形光琳らの流れを汲む現代日本画への礎が築かれていた。

若冲に関しては、天明の大火によってそれまでの絵画や資料が焼失したことが、美術史家にとって嘆かわしいこととされる。もちろん今を生き、日本の美術を愛好する私たちにとっても不幸な大火に違いはない。しかし、小説『若冲』はそれであればこそ生まれた若冲伝の魅力に溢れている。

長谷川等伯、葛飾北斎、尾形光琳、さらには写楽、私たちが知りたいことは不確かな史実に振り回された物語ではなく、描かれた絵から浮き彫りにされていく絵師たちの人間像である。そういう意味で天明の大火は、奪うばかりではなく、ときめく何かを生み出したに違いない。

26. 12月 2020 · December 26, 2020* Art Book for Stay Home / no.50 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『宿命の画天使たち』三頭谷鷹史(美学出版、2008年)

障害者アート、アール・ブリュット、アウトサイダー・アート、パラ・アート、エイブル・アート、定義は少しずつ異なるが日本で使われている類似語である。なぜこのように言葉が多様で集約しないのか。差別があってはならないという非常にデリケートな観点を含んでいるからである。障害者アートには障害者という言葉そのものに問題があり、アール・ブリュットやアウトサイダー・アートは、既存の美術や文化潮流とは無縁の文脈によって制作された芸術作品を意味するが、それは極めて曖昧であり、定義に広がりがありすぎる。またアウトサイダーに差別的ニュアンスを含む。パラリンピックは身体に対してハンディキャップを明確に示しているが、アートは知的障害を対象とすることが多い。

『宿命の画天使たち』は、サブに「山下清・沼祐一・他」と明記し、対象を具体的に作家に目を向けている。さらに著者は「本書では引用文などに差別的ニュアンスを含む言葉が使われていた場合も、原文をそのまま掲載している。これは歴史的考察を客観的に行うためであって、差別の容認ではないことをご理解いただきたい。山下清たちの絵画は、差別やいじめなどによる心の傷と無関係ではないと私は見ている。彼らが受けた抑圧の現実を見ていく必要があり、そのためにも歴史的事実として存在した言葉を明記しておきたいのである」と最初に断りがある。

山下清、沼祐一を核に事実と徹底した認証をもとに、三頭谷は作家に寄り添い「彼らの作品の魅力はなにか、その魅力はどこから生まれているのか」丁寧に語っている。言い換えればそれは「絵画とはなにか、芸術とはなにか」を問うものでもある。

「知的障害者の美術に向き合い、理解を深めていくために」ひたすら山下清や沼祐一らに寄り添いつづけた著者の執念の一冊である。著者三頭谷鷹史氏が私が長く務めた大学の同僚であったことを誇りに思う。

19. 12月 2020 · December 19, 2020* Art Book for Stay Home / no.49 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『青の美術史』小林康夫(ポーラ文化研究所、1999年)

なんと心惹かれる書名ではないか、青に特定しての美術史論である。美術好きにとって、青の絵画というだけで、イメージされるものも多いかと思われる。「赤の美術史」「黄の美術史」「黒の美術史」なんていくつも考えられるが、そのシリーズが10書あったとして、やはり「青の美術史」が最も人気があろうかと思われる。空の青、水の青、衣装の青、花の青、描かれるモチーフからも青は絵画の中で重要な位置づけが予想される。

ところで青と緑は限りなくグラデーションであり、青緑、緑青という色もある。日本語では、「青い」「赤い」「白い」「黒い」の4色だけが形容詞である。4色以外は、「緑色の」「黄色い」というように形容される。つまり全ての色が4色に含まれるということで、緑は青に含まれる。信号は青か緑かという質問があるが、青に含まれるので表現として信号は青である。青葉、青麦、青蛙、青田、青木、みな緑色であるが青に含まれる緑なのである。

少し話がそれたが、青には広範なイメージが包含されている。さらに夢、理想、若い、清らかなど青の連想も幅広い。化学合成顔料によって自由に色が使えなかった時代の青は、天然石ラピス・ラズリから採った貴重な顔料であった。

本書の内容を最も的確に伝えるために目次を少し紹介する「第2章 オリエンタルな青」「第3章 聖母マリアの青いマント」「第5章 『フェルメールの青』と『シャルダン青』」「第9章 色彩の世紀―マチスとピカソ」「第10章 Poles and Balls ― サム・フランシスとジャクソン・ポロック」「第11章 地球は青かった―宇宙青とIKB」(IKB=イブ・クライン・ブルー)

著者小林 康夫は、哲学者。東京大学名誉教授、専門は現代哲学、表象文化論。美術史の専門ではないのだが、あとがきで「いつからか自分が『青』にとり憑かれるようになった」と自白している。その冷静ではないところが、この本のおもしろさである。

これからは「どんな絵が好きですか」と尋ねられたら、ゴッホとかモネとか言わずに「青い絵が好きですね」と言いたい。

11. 12月 2020 · December 11, 2020* Art Book for Stay Home / no.48 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『フランス留学記』笠井誠一(ビジョン企画出版社、2015年)

洋画家笠井誠一の青春日記である。笠井誠一は、1932年北海道に生まれる、1957年東京藝術大学卒業。1959年同大専攻科修了、フランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立美術学校で学ぶ。個展を中心に作品発表、1974年愛知県立芸術大学教授、1998年退官、同大名誉教授。88歳の現在も精力的に作品発表を続けている。

本書は、フランス政府給費留学生として渡仏、パリ国立美術学校時代の20代後半の画学生の青春を日記風に書かれたものである。戦後、東京藝術大学を卒業してパリ留学は、画家を目指す多くの画学生が目標としたが、叶わぬ現実に諦めていった。勿論、笠井とて容易に叶ったわけではないが、挑戦そのものが意気揚々として書かれており、パリ留学の高揚を筆者とともに楽しむことができる。1959年8月17日横浜から船でマルセイユに向けて出発、神戸、香港、マニラ、サイゴン、シンガポール、コロンボ、ボンベイ、ジブチ、スエズ、カイロ、アレクサンドリア、マルセイユ着は9月21日。

パリでの留学生の生活は、その苦労と歓びとともに始まる。留学で絵を学ぶということは、こういうことかとワクワクする。日本人としての生活慣習、フランス語の壁、絵画に対する考え方の大きな違い。私は、芸術大学も海外留学も経験がないが、ないが故に憧れは強く、本著を通じて疑似体験を楽しむことができた。2、3ページに1点の割合で小さなスケッチが載せられており、誠実な笠井の学びを視覚確認することができる。

芸大、パリ留学という定番ルートは、今の時代にあって必ずしも定番ではない。学びたい国も、留学の形も費用も時間も様々な選択が可能である。であるがゆえに、笠井誠一の『フランス留学記』はその時代の輝きを放っていて、いいなぁと私は憧れる。