28. 2月 2024 · February 28, 2024* Art Book for Stay Home / no.136 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『若冲』澤田瞳子(文藝春秋、2015年)

愛知芸術文化協会(ANET)主催で3月18日に長円寺会館で「伊藤若冲、5つの謎を明かす」という講演をすることになっている。それで本著を読み返した、やっぱりおもしろい。室町、戦国、江戸あたり、資料は残っているが充分ではない。特に美術に関しては作品が残っている、それも全て具象。フィクションとノンフィクションが曖昧で小説の題材としては、極めて興味深い。

若冲に関しては、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生まれたというように、素性はかなり詳しく残されているが、その人生については殆どわからない。通称、絵師とされるが、絵師は絵を描く職人であって、若冲にとって絵は仕事ではなく道楽であって、京でいうところの旦那芸である。当時の京では丸山応挙と並ぶ人気があったが、おおよそ立場が全く違う。そのせいもあって、明治初期に編纂された日本美術史から消えた。そのあたりについては講演で語ることになるが、昭和世代にとっては、2000年に京都国立博物館で開催された「若冲」展まで無名の作家であった。私自身も知らなかった。

以降、若冲ブームは今も続いている。現在、日本美術史中最も人気のある作家というのは若冲と言って良いだろう。人気と謎、そのあたりを説くのが本著である。特に「若冲は何を思って絵を描き続けたのか」、いわゆる旦那芸とはかけ離れた質と量である。絵を描くのは、子供がそうであるように本能と言って良い。しかし膨大な時間と費用をかけて描き続けるためには、そのための強い動機、信念が必要である。小説であるがその答えが本著のテーマである。

08. 2月 2024 · February 7 , 2024* Art Book for Stay Home / no.135 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本美術応援団』赤瀬川原平・山下裕二(ちくま文庫、2004年)

とにかく痛快な美術解説書。赤瀬川原平著書(作品ではなく著書の)大ファンの私のことなので読む前から予測はしていたのだが、予測を遥かに超えるおもしろさだった。

赤瀬川源平は、美術作家だが文章、言葉にすることがものすごく上手い。まあ芥川賞作家でもあるので当然と言えば当然だが、美術家ならではの創作性が言葉にある。「トマソン」や「老人力」は有名だが、それは彼の発想の素晴らしさによる。美術作品を創るように言葉を生み出す人だ。
一方で山下裕二は、美術評論家でアカデミズムの方だが、アカデミズムにしてははみ出した人で、つげ義春や商業広告をアカデミズムにぶち込んでくる。テレビの露出が極めて多い人で、それだけテレビ向きであると言える。テレビ向きというのはあまり褒め言葉でないような気がするが、美術史家であり大学教授でテレビ向きというのは、この領域においていかにわかりやすくユニークに語ることができるかを証明するものである。
両者とも少々はみ出し者で、その立ち位置が異なる。それが対談ではなく、しゃべくり合う、カッコよく言えばセッション。もうおもしろくない訳はない。
今回も、「乱暴力」という言葉を巧みに使いあって日本美術を語り合う。円空の乱暴力は凄いとか、応挙には乱暴力がないからダメだと思っていたらそうじゃなかったとか。美術の鑑賞に「乱暴力」という概念を持ち込んだ。「乱暴」なんて言葉を使うこと自体乱暴ではないか。その逆説的な視点が、これまでとは異なった美術の魅力を浮き彫りにする。

登場してくるのは、雪舟、長谷川等伯、伊藤若冲、東洲斎写楽、葛飾北斎、縄文土器、龍安寺の石庭、尾形光琳、青木繁・・・。現代美術作家赤瀬川原平が、そんなこと聞いていいのかという質問に対して、美術史家山下裕二が的確に打ち返す。打ち返しながらその質問の凄さに自ら感動している。

23. 1月 2024 · January 23, 2024* Art Book for Stay Home / no.134 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『左右学への招待』西山賢一(風濤社、1995年)

「左右学への招待」という著名でいきなり引き込まれてしまった。「左右学」という学問は一般にはない、なくても始めれば良いのであって、学問とはそういうものだ。ある程度の人数が集まれば学会も作ることができる。学会の殆どは任意団体である。学問の目的は、社会的貢献、学問の発展等いろいろあるが、それは結果としてあれば良いという考え方もある。つまり興味深いことだから学問をはじめた、「左右学」とはそういうものだそうだ。そして私もその興味に惹かれて読んだ。このブログはArt Bookがテーマなので、その範疇に入れて紹介する。

左右学には、「右脳と左脳」について述べられている。「言語脳が左脳、感性が右脳と言われており、左利きの人は左側を司る右脳が発達している」という説から、左利きの人は芸術家に向いていると言われる。そういえば私の勤めていた芸術大学では左利きの教授が3割と多かった(一般には1割)。

絵画には、左利きの構図と右利きの構図があり、またタッチや描線から左利きと右利きが判る。著名なイラストレーターである宇野亜喜良さんは、左利きだが、左下を起点に緩やかな円弧を描くように線がある。右利きは右下が起点となるので、一目瞭然だ。左利きの人は芸術家向きという説は、かなりいいかげんなものだと考えている。芸術において個性は大きな魅力だ、左利きは少ないので、そのこと自体が個性になる。それだけのことと思う。スポーツにおいて左利きが優位と言われる。これは対戦相手が右利きの場合で、左利きは右利きと多く練習するのでその対応になれることができるが右利きは左利きと練習を多くすることができない。優位であっても才能とは異なるものである。野球において左バッターは、一塁ベースに近いので有利であるがこれはルールの問題。書では右利きが優位であるが、これは文字を制作するにあたり、右利きの人が多く、多い方に楽なように作られたという単純な理由である。

いずれにしても、左右学はおもしろい。

20. 12月 2023 · December 20, 2023* Art Book for Stay Home / no.133 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ロンドン骨董街の人びと』六嶋由岐子(新潮社、2001年)

ブログで取り上げているArt Bookは基本的に鑑賞者の立場で選んでいる。今回取り上げた『ロンドン骨董街の人々』は収集家の人を主役にして、収集家を対象にした古美術商の視点である。そしてイギリスとはどういった国なのか、ロンドンとはどういう街なのか、骨董(アンティーク)はどう位置づけられているのかが主題になっている。

著者は、関西学院大学文学部卒業後、ロンドン大学東洋アフリカ研究所およびデヴィッド財団コレクションで修士課程を修了。ロンドンの古美術商スピンク・アンド・サンの東洋美術部に勤務の後、帰国して古美術取引、美術関連の翻訳を行っている。本著は、古美術商スピンク・アンド・サン(通称スピンク)の東洋美術部の勤務中の体験を興味深いエッセイにしている。スピンクはイギリスで最も歴史があり最大の古美術商である。

イギリス、古美術、コレクション、古美術ビジネスといった視点から見えてくるアートというものが本著の魅力である。たとえば日本の美術品で、スピンクで最も人気があり高額な柿右衛門、日本人客も争って購入する。日本で購入するよりも安いということだ。日本では少なく、買い戻して「里帰り」しているわけだが、伊万里と同様、もともと十七世紀にヨーロッパの輸出用に焼かれたものだ。すなわちあの橙色、青、緑、赤などイギリス人好みのデザインが施されたものである。

陶磁器は基本的に用の美である。鑑賞のために飾るというのは用の美ではない。ましてコレクションのために作った柿右衛門は、およそ日本の美とは異なるものである。ヨーロッパの基準は美術の至るところで大手を振っているが、日本産すなわち日本の美ではない。多様な価値があって良いのだが、コレクションの価値は大きくビジネス価値でもあることを知っておくべきところである。

08. 12月 2023 · December 8, 2023* Art Book for Stay Home / no.132 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『幸田文の簞笥の引き出し』青木玉(新潮社、1995年)

文筆家幸田文との着物の暮らしを、その娘青木玉の描いたエッセイである。描くということばが浮かんでくるほど美しい風景を彩る著書である。着物の話のどこがアートなのかとお考えの人も多いだろう。美術館で着物や能衣裳などの展示をご覧になられた経験をお持ちの方も多いと思われるが、着物大好きな私は、美術館で着物を観ることは嫌いである。美術館で観る着物は、織りであり、染めであり模様である。それは布地としての文化ではあるが、着物の文化ではない。

「用の美」という視点をとても大切に思う。私がデザイナーとして長く過ごしてきたことにもよるが、用を目的として作られたものが、用を外して鑑賞したのではそのものの魅了は見えてこない。解らないといって良いだろう。着物に限ったことはない、例えば美術館でよく見る抹茶茶碗、決して観るものではなく、使うものである。手で持ってその膚合や重量感、手でみる形、お茶を飲む時に嗅ぐ香のための茶碗の姿、飲むときの唇の触感、その全てが総合的に愉しまれて茶碗の鑑賞がある。ガラスケースを通してみてどれほどの感動もない。

さて本著、生涯を殆ど着物で過ごした幸田文、戦火を越えてたった一枚の着物の日を過ごし、文筆家として仕事着であった着物、冠婚葬祭や晴れの場での着物、娘青木玉に厳しい美意識を伝えながら、そこにあるのは常にどこでどう着て、どう振舞いがあるべきなのか、全て用としての着物であり、用としての美である。日常、非日常を行き来しながら、着物の美しさとはこういうものかと知る著である。

最後に、玉が文の最後に用意する着物の話は、胸を切り裂くような文で綴られる。深く眠り続ける母への愛と感謝の時、死出という最後の用の美をこの上もなく美しく描く。

24. 11月 2023 · November 24, 2023* Art Book for Stay Home / no.131 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『芸術をめぐる言葉』谷川渥(美術出版社、2000年)

本が出版されたとき、勢い込んで買って読んだが、20年以上立って、殆ど憶えていない。ブログを書くにあたり再読したが、なるほど50歳の自分がほとんど太刀打ちできなかったことがよく解る。70歳過ぎた今でもやはりなかなか難解だ。
芸術、特に美術を中心として書かれているが、文学や演劇、更には哲学や科学など多方面に渡っている。それでこそ芸術だろう。
「芸術をめぐる言葉」は言い換えれば「芸術とは何か」である。80人の言葉を取り上げているが、前中後編と内容がなんとなく分類されている。前編は「芸術とは何か」の芸術の概念そのものに関して見えない闇の中から探し出そうとしている言葉である。したがって極めて抽象的である。中編はそうした概念がほぼ共有できるものになって、表現の問題やモチーフの問題へと具体的になってくる。解りやすいとも言える。後編はその概念が崩され、発展していく。いわゆる現代美術の盛んな状況を受けて紹介されている。
なぜこのような展開となっているかといえば、その言葉が書かれた時代順に紹介されているからである。芸術とはかくも曖昧で、主観的なものであることが認識される。それだけ魅力的なものであり、人類の未来を導くものとして位置づけられている。
現在においても芸術の概念、定義は極めて難しい。変容し続けている中で、「芸術大学」や「芸術センター」と芸術を冠して名乗っていることすら、私にはどうなんだろうという疑問がついて回る。芸術大学は、もっともっと「芸術とは何か」を追求し、発信しなければならないだろう。

04. 11月 2023 · November 4, 2023* Art Book for Stay Home / no.130 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『黒田辰秋 木工の先達に学ぶ』早川謙之輔(新潮社、2000年)

黒田辰秋は、漆芸家、木工家。木工と乾漆、螺鈿などの漆芸で幅広く知られる。河井寛次郎、柳宗悦らに強く影響を受け民藝運動にも関わる。67歳で重要無形文化財「木工芸」保持者(人間国宝)の認定を受け、翌年紫綬褒章を受賞。漆、木工芸における最もよく知られた作家である。

著者早川謙之輔は、やはり木工家であり、黒田辰秋の知遇を得る。弟子とも言えるが、黒田が「私は弟子を持たない」と宣言していること、また早川自身の謙虚さもあって弟子を名乗ることはない。

本著は黒田が亡くなり、また家族やその周辺の黒田を知る人が少なくなり、黒田の魅力、貴重なエピソードを遺しておかなくてはという思いから書かれたものである。黒田は京都生まれで、京都に工房があったが、1964年 映画監督黒沢明より御殿場山荘の室内家具セットの制作依頼を受け、岐阜県付知に仕事場を設けた。著者は付知に居と仕事場を持っていたことで、協力と深い交流を得ることになる。

34歳の年齢差は、木工職人として大きな開きがあり、まして日本を代表する作家である。叱られることも度々の中で、師と敬い、黒田のすべての言葉に耳を傾けて教えとしてきた。黒田の伝記的著書でもあるが、木工を通して交流のあった二人の人間模様が読者を惹き付ける。民藝に強く感銘を受け、民藝運動にも参加していた黒田は、それ故に師匠と弟子といった上下関係を極めて嫌っていたように思える。どれだけ歳が離れ、経験の差があろうとも、対等に接し、対等であるがゆえに厳しい言葉も多く投げかけられたと思われる。

本著の本旨ではないが、木工に関する専門用語が多く登場する。その丁寧な説明は、木工の難しさと魅力を伝えており、「木工とは何か」を知る著書でもある。

12. 10月 2023 · October 12, 2023* Art Book for Stay Home / no.129 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『しぐさで読む美術史』宮下規久朗(ちくま文庫、2015年)

本著名より、なるほど人物の登場する絵画や彫刻の多くは、何らかのしぐさ、ポーズを取っており、それらは顔の表情も含めて何かを意味している。「ああ、喜んでいるのだ」「哀しみに暮れているのだ」「悩んでいるのだ」などと想像し、鑑賞するといったものである。しかし、そのしぐさがよくわからないものも特に西洋絵画には多い。民族の違い、生活習慣の違いは、同じ意味をなすことであってもしぐさが異なる。たとえば我々日本人は数をかぞえる場合指を折る。しかし西洋人は拳から指を開きながら数をかぞえていく。5を示しているが日本人の場合拳であり、西洋人の場合開いた手である。そこから絵画の意味するものも異なってくる。
本著は、主に西洋絵画における「しぐさで読む美術史」であるが、東洋との比較、日本との比較もされており、大変解りやすく興味深い。また美術であるがゆえに、美しいしぐさ、ポーズが特に用いられていることも多い、先達の表現が繰り返し使われることにより、定番化し、象徴として用いられることも珍しくない。
また逆に同じ意味(状況)を持つ絵画(「最後の晩餐」や「受胎告知」などキリスト教絵画では多く見受けられる)でしぐさやポーズが異なるといった場合もある。画家の創意工夫ということもあり、微妙な意味の違いと言ったこともある。
美術鑑賞において、そういったしぐさにとらわれ過ぎることもないと思われるが、本著を読んで頭のどこかに記憶されておくことは、きっと美術鑑賞を豊かなものにしてくれることと思う。
著者には『モチーフで読む美術史』『モチーフで読む美術史2』(両著ともちくま文庫)があって、ぜひ合わせて楽しみたいものである。

28. 9月 2023 · September 28, 2023* Art Book for Stay Home / no.128 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『エゴン・シーレ ―二重の自画像―』坂崎乙郎(岩波書店、1984年)

本著は、1983年3月から12月まで「エゴン・シーレの閃光の生涯」という表題で、雑誌『世界』に連載されたものである。編集部より「誰か画家の伝記を書くように」とすすめられたとき、著者坂崎乙郎が「ここ十年来どうしても書いておきたいと考えた」のがエゴン・シーレであったとのことである。当時、シーレの評価は現代と比べれば格段に低く、図版や資料など極めて手に入りにくかったと思われる。

そのような中、著者のシーレに対する思いは極めて強く、本著では圧倒的な高い評価で書いている。それ故に著者の独断に陥らぬようシーレを突き放し、客観的に捉えるべく努力がなされている。そのために徹底して論証されているのが、他作家との比較検証である。師であったクリムト、共に弟子であったココシュカはもちろんのこと、憧れの対象であったゴッホ、ほかにクールベ、セザンヌ、ピカソ、ロダン、ゴーギャン、ジャコメッティ、ルノワール、ドラクロア、ターナーなど。何がどのようにシーレが魅力的なのか、個性的なのか、著者の豊富な見識が納得させてくれる。

またシーレという人間性についても、極めて繊細なアプローチを行い、読み進めるにしたがって、目の前にシーレが浮かび上がってくる。世紀末、第一次世界大戦という不安定な時代にあって、極めてアブノーマルな画風、テーマをひたすら追い続けたシーレの精神状況に、寄り添いきることはできない。しかし、生み出された作品に深く心酔することは可能である。

画業たったの10年、最後の4年は戦争の中で兵士としても駆り出され、油彩334点、水彩・素描2503点が確認されている。時代や境遇を考えると、さらに相当数の作品があると思われる。水彩・素描は油彩のための下書きやトレーニングのデッサンではなく、一点一点に丁寧なサインが施され、シーレの高い意識の元に存在している。28歳、息を引き取る寸前に母マリーに語った。「戦いは終わった。ぼくは行かなくてはならない。ぼくの絵は世界中の美術館に並べられるだろう」

それから100年が過ぎて、シーレの予言は適中してしたことが証明されている。また著者坂崎乙郎は、今から40年前にその確信を持って本著を手がけたのである。

13. 9月 2023 · September 13 2023* Art Book for Stay Home / no.127 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『中川一政 いのち弾ける!』中川一政(二玄社、1996年)

「この一冊で、中川一政の人が解る」という中川一政が生き生きと感じられるものである。画家として多くの人に知られるが、詩、エッセイ、書、陶、篆刻など表現の多分野において素晴らしい作品を残している。もともとは文学の分野で活躍していたが、ふとしたきっかけで絵を描き始めた。文学と美術は表現技法という点では異分野であるが、「表現しようとする思い」という観点からは同じものである。

同じく文学から美術に表現世界を拡げた者として、パウル・クレー、ジャン・コクトー、長谷川利行らがいるが、中川を含めて彼らに特徴づけられるのは美術の基礎とされる初歩デッサンから解放されていることである。表現の自由さというよりも考え方の自由さの中で美術を捉えている。本著の中でも、「私に先生はいない」、独学を声高く発言している。いやむしろ先生に学ぶということのダメさを繰り返し述べている。

美術に関しては、このように自由奔放であるが、芸術に対しては常に求道的であり、「芸術とはなにか」を問い続けている。そのうえで、詩、エッセイ、書、陶、篆刻などの表現がある。

「美術」に対しての「美」には大きな疑問を呈しており、「アート」の訳としては「生術」がふさわしいとしている。因みに私も「美術」の訳には異を唱える者で、私は「真術」がふさわしいと考えている。中川にとって、美しいかどうかではなく、醜くとも生きていることが重要としている。私は真であるかどうかだ。

97歳と11ヶ月を生き、最後まで絵を書き続けた中川は、それは理想とする生き方であり、天寿を全うしたと言える。《駒ヶ岳》をはじめ80歳からの絵には、寿命を背景に生きるという事が強く際立つ作品を残している。かつ「駒ヶ岳」シリーズが何枚もある中で、90歳の《駒ヶ岳》が最高と私は思う。