23. 7月 2024 · July 23, 2024* Art Book for Stay Home / no.146 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『感性は感動しない 美術の見方、批評の作法』椹木野衣(世界思想社、2018年)

著者椹木野衣(さわらぎのい)は、美術評論家である。美術評論家が書いた「感性は感動しない 美術の見方、批評の作法」はどう見ても、美術評論に関する本であると思いこんで購入した。では美術評論ではないのかといえばそうとも言い切れない。歯切れが悪いようだが、正確に申し上げると、美術評論家が書いたエッセイ集である。その中には美術に関する評論も含まれている、ということである。タイトルの中では「批評の作法」というのが最も近い。なぜ美術評論家になったのか、美術評論とは何なのか、著者の美術評論に対する基本的な姿勢が示されている。

かと思うと「スマホのつきあい方」「私の育った秩父」「究極の呑み方」「飛行機の座席の選び方」など、どう贔屓目に見てもおよそ美術と関係のない話がいくつも書かれている。椹木野衣のエッセイなのだから、ではつまらない。そこは私が椹木野衣のファンなので、まあ許すことにした(一応、一回り年上なので)。

とても興味深かったのは、音楽の話で、子どもの頃より大学時代まで、音楽に没頭の人生であったこと、そしてその音楽はフォークソング、ロック(バンドを組んでいた)、ジャズ、ロックもジャズも領域を超拡大、行き来するという音楽人間であったこと。そこから美術評論への転身は、転身というよりもそのまま音楽の捉え方を美術に向けていったことである。

美術評論家のアカデミックな経歴は、東大などの文学部美学美術史専攻もしくは芸術大学である。そうしたアカデミズムにはない評論の感性というのが椹木野衣の魅力なのであろう。

10. 7月 2024 · July 10, 2024* Art Book for Stay Home / no.145 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ホックニーの世界』マルコ・リヴィングストン/関根秀一訳(IBCパブリッシング、1990年)

はじめに、本著は大変読みづらい本である。先ず長文横書きというのは多くの人が読みづらいと感じていると思う。私も極めて苦手で、思考がついていかない。日本字というのは、そもそも横組にデザインされていないという論理的な文字組み知識が私を支配している。また内容が現代美術特有の抽象的な言い回しが使われていて、翻訳という言語の壁がそれをさらに複雑にしている。評論なので、ある程度直訳にならざるを得ない、という仕方がないところもある。

さらに本著の読みづらいのは、文字が小さい(10ポイントくらい)こともある。。活字でもコンピュータフォントでもなく、この時代に一般的であった「写真植字」によるもので、その説明は長くなるので省くが、文字原稿を写真プリントで作る。したがって焼きが濃かったり薄かったりするが、本著は全般に薄く、さらに消えそうなものもある。

ちょっと手にとって、「ストレス多そうだから読むのやめようか」と思いつつ、ペラペラ開いてみたら、もうダメ。興味深い内容が随所に書かれていて、ストレスを感じつつも読み終えた。そのくらいおもしろい本である。ホックニーを知りたいと思う人にとっては必読である。

その秘密は、著者のホックニーへの膨大なインタビューによるものだと思う。そして、ホックニーが極めて素直に全てに答えていることだと思う。

こんなにもホックニーって真面目でナイーブなんだと、そして泣けてくるほど優しい人だと。

26. 6月 2024 · June 26, 2024* Art Book for Stay Home / no.144 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『中川一政画文集 独り行く道』中川一政(求龍堂、2011年)

本著表紙の題字「獨行道」は、中川一政の書である。一見、「下手くそな字だなぁ」という感想を持つ人もいるだろう。私もそう思った。中川一政自身も自らそのように認識しており、字を見た多くの人の感想は「尋常小学校三年生の字だなぁ」と言われたそうである。そんな中、ある著名な書家が「この字は凄い、他では書けない字である。気合を入れれば、書家として名をなす」と明言した。中川一政の書は修行して鍛錬を繰り返した上で崩したものではなく、天然なのである。大切なことはそこに「生」があるかどうかということである、と言う。

NHKの日曜美術館で、時々中川一政のインタビューが紹介され、その切れ味と、言いっぱなしのテンポを記憶していたせいか。本著から中川の声が聞こえてくるようである。そう、話し言葉で書かれているということも魅力である。第五章の「九十五歳の日に」は、誕生会に開かれたスピーチを収録したもので、さすがに少しの寂しさを感じさせながらも、気丈なメッセージは「とにかく生きなっくちゃ」とまだまだパワフルでユーモアたっぷりなのである。

本著で首尾一貫として語られているのは、とにかく芸術論である。その芸術論は評論家や大学教授が語るものではなく、画家中川一政が画をはじめとして詩、短歌、エッセイ、書、陶、篆刻の経験を通して体得したもので、中川が常に芸術とは何かを自らに問いかけていたと思わせる。

後になったが、本著は書名にもあるように、画(陶、書を含む)文集である。贅沢にカラーで織り込まれる画は文と小気味良いセッションを繰り広げ、中川フアンにはたまらない魅力的な一冊である。

10. 6月 2024 · June 10, 2024* Art Book for Stay Home / no.143 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『ブランクーシ』中原佑介(美術出版社、1986年)

近現代美術作品をコレクションしている美術館を訪れると、かなりの確率でブランクーシの作品がおかれている。その多くが金と見間違えるピカピカに磨いたブロンズ作品である。ブランクーシという発音しづらい名前のせいか、作品の印象の割に覚えにくい作家名である。知っているけれど良くは知らないという作家というのは珍しくないが、ブランクーシもその一人だ。

ブランクーシは、1876年ルーマニアに生まれ、彫刻家を志し美術学校に進む、1904年ルーマニアを去り、徒歩でパリに向かう。貧しい生まれ育ちであったが、才能を見出す者が多く、パトロン、協力者が早くから現れる。当時パリで最も著名であったロダンにも認められ、工房に入るが2ヶ月でロダンの元を去る。「大樹の陰では何も育たない」の言葉は、後のブランクーシを語る大きなエピソードである。

さて本著では、その後のブランクーシの人生も語り続けるが、本旨はそこではない。代表作品『接吻』シリーズ、『眠る人』シリーズ、『空間の鳥』シリーズ、『無限柱』など、全作品を網羅して分析を行っている。ブランクーシは一見、異なる彫刻作品、具象と抽象、素朴な石彫と徹底して磨いたブロンズ、小さな彫刻と巨大なモニュメントを並行して制作し続けたが、著者はその関連性を述べ紐解き、徹底した評論を展開している。パリやニューヨークで出版されたブランクーシの詳細も引用紹介され、その上でブランクーシに関する著書では圧倒的に優れた一冊であると言えるだろう。

著者中原佑介は2011年に既に亡くなっているが、本著「あとがき」で「日本では未だ本格的なブランクーシ展の開催を見ないのがなんとも残念である」とある。現在、日本における初めての「ブランクーシ展」が石橋財団アーティゾン美術館において、7月7日まで開催中。

27. 5月 2024 · May 27, 2024* Art Book for Stay Home / no.142 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『風の旅人 ウインドキャラバン』新宮晋(扶桑社、2002年)

新宮晋は「風の彫刻家」あるいは「風と水の彫刻家」として極めて著名である。その活躍は、1970年の大阪万国博覧会で人工湖に「フローティングサウンド」を制作して以降、国内外において常に欠くことのできない存在であった。多くの野外彫刻展での受賞、パブリックスペースでの作品設置、芸術イベントへの招待等数え切れないが、多くの著名な美術家の評価に比べれば、新宮の評価は今一つに思われるのは私だけだろうか。その要因の一つは野外彫刻という領域に限定されての活動にあると考えられる。しかし、ここでそのことを掘り下げるのは本来ではないので、詳細は省く。

さて本著はアートプロジェクト「風の旅人 ウインドキャラバン」の記録であり、プロジェクトを通じての新宮のアートメッセージ集でもある。プロジェクトは2000年から2001年にかけて行われており、21世紀の扉に希望的アートを展開するという新宮の意思も含まれている。この作品は21点の風で動く彫刻を野外展示するというものだ。キャラバンの目的地は、アトリエ前の棚田(兵庫県三田市)から始まり、先住民族の島ニュージーランド・マオリのモトゥコレア島、極寒(マイナス28度)のフィンランドのイヴァロでの湖上、水も電気もないモロッコ・タムダハト(昼間は30度)、遊牧民地区のモンゴル・ウンドゥルドヴ、砂丘のブラジル・クンブーコの五大陸である。海外5ヶ所は、いずれも極めて過酷な環境にあり、先住民ら民族色の強い場所が選ばれている。期間中新宮は何度も日本に戻り、また仕事や開催地のミーティングのために、移動している。作品は分解、組み立てとし、コンパクトに6メートルのコンテナに収められ、海から陸を移動する。

新宮は、1987年から89年にかけて、「風の野外彫刻展 ウインドサーカス」をニューヨークはじめ9都市において開催している。「風の旅人 ウインドキャラバン」は、前プロジェクトを前提とすべきであろう。

新宮の言葉「自然破壊や温暖化、飢餓の問題、それに絶えることのない争いで今や 未曾有の危機に瀕している、私たちの美しい星『地球』。その自然の大切さを訴えるために、私に出来ることはないだろうか。地球がとびっきりユニークで素敵な星だということを、私らしいやり方で証明する方法はないだろうか。」をピュアな感情で受け止めたい。

18. 5月 2024 · May 18 2024* Art Book for Stay Home / no.141 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『野外彫刻との対話』西山重德(水曜社、2019年)

「野外彫刻とはなにか」という問いに答えるように本著は展開する。なんとなく「野外にある彫刻」というような安易な理解に対して徹底した答えを用意している。また類似の用語である「パブリックアート」を意図的に使わない理由をも示している。

日本における野外彫刻の建築との関係について、野外彫刻の長い歴史を持つヨーロッパとの比較も明解で興味深い。つまりヨーロッパにおける野外彫刻が置かれる場というものは、歴史的脈略を深く持ち、建築と彫刻はそれに大きく関わるように存在している。「なぜそこにその野外彫刻があるのか」という問いへの答えが用意されていると言うわけである。

美術館における彫刻の場合は、場と彫刻の関係を基本持たない。彫刻は他の美術館に移動展示した場合でも大きな問題が生じない。そこから考えると、野外彫刻がどこにあっても良いわけではないし、どの方向を向いて立てられるかも重要な意味を持つ。それはまた鑑賞においても同様な問題を抱えている。

著者は、イタリア・ルネッサンス期の美術を中心的研究領域とする美術史家である。日本の野外彫刻の問題は、野外彫刻の問題ではなく、都市のあり方の問題として重要な提案をしているが、最後に京都造形芸術大学(現京都芸術大学)教授で建築家の井口勝文氏が特別寄稿を寄せている。都市計画や建築法規に詳しい井口氏による野外彫刻に対する指摘は、街中の彫刻(公園は街中ではないという前提)は道路か私有地に立っているという興味深いものである。ヨーロッパのような公共の広場は存在しないということである。野外彫刻は概ね公開空地と呼ばれる開放された私有地に立っており、所有者は私有地所有者であり、その私有地に立つ建物に所属する形である。公開空地とは何か、説明には多くを要するので省くが、私有地に公共の考えを導入したもので、公共的という都合の良い考えの上で成り立っている。

05. 5月 2024 · May 5 2024* Art Book for Stay Home / no.140 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『裸の大将一代記―山下清の見た夢』小沢信男(筑摩書房、2000年)

山下清に関する本は、画集を含めると数十冊出ているようだが、本著はその中でも山下清を知る上で屈指のものであるだろう。一代記にふさわしく、生い立ちから墓場まで、丁寧にその人生を紹介している。

著者小沢信男は、1927年東京生まれ(山下より5歳下)、日大芸術学部卒業。小説・詩・戯曲・評論・俳句・ルポルタージュなど多岐にわたる執筆活動を展開し、著書多数。 本著で桑原武夫学芸賞を受賞している。山下とは戦前、戦中、戦後の同時代を生き、山下の生きた時代とはどういうものであったか、リアルに解説されている。著者は、山下と会うことはなく、本著は放浪日記と周辺人物の丁寧な取材によって、山下の個性、人間的魅力を立ち上がらせている。

山下清については、その絵画作品から「日本のゴッホ」と呼ばれたり、演劇、映画、テレビドラマが人気を博したところから、本人とは異なるイメージのキャラクターが生み出されている。また山下自身が人前ではそのようなキャラクターを演じた節もある。特に高視聴率を獲得した芦屋雁之助主役のテレビドラマの影響は大きい。それ故に本著の山下清は良くも悪くも本人に迫っており、新たな山下清の魅力に引き込まれていく。

12歳で預けられた知的障害者施設「八幡学園」の久保寺保久園長、学園の顧問医を務めていた精神病理学者式場龍三郎、八幡学園の園児たちの貼り絵に注目した早稲田大学講師の戸川行男らの「素晴らしいもの、輝くもの」を見る目の知性に大きな共感を覚えた。そういう意味では著者小沢信男もまた公正な知性を持つ一人であり、「山下清に出会ったことがない。その残念さが幸運におもえてきた。」というように、あくまでも客観的に山下清を捉え、そこから山下清の魅力に迫ろうとした著である。

09. 4月 2024 · April 9 2024* Art Book for Stay Home / no.139 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本の色を染める』吉岡幸雄(岩波新書、2002年)

著者吉岡幸雄は、1946年生まれ、早稲田大学第一文学部卒業後、紫紅社(美術工芸書出版社)を設立、1988年に生家の「染司よしおか」5代目を継承、植物染による日本の伝統色を専らとしている。

「染司よしおか」は京の地にて、江戸の昔より現在6代を重ねている。絹、麻、木綿など天然の素材を、紫草の根、紅花の花びら、茜の根、刈安の葉と茎、団栗の実など、すべて自然界に存在するもので染めている。地下100メートルから汲み上げられる伏見の水と素材に向き合う人の手により、ゆっくりゆっくり自然とより添いながら、その美しい色は生み出されている。「自然の植物から抽出された色には『温かさ』や『命の源』を感じさせる深みがある。」と吉岡は述べている。※染司よしおかHPより

本著は、この地における「色と染の発見」の何千年前に始まり、「飛鳥・天平の彩り」を経て平安の「王朝の色彩」、武家と庶民の衣「中世の華麗とさび」、「辻が花小袖と戦国武将」、そして「江戸時代の流行色」と時代の流れを追って染色の歴史を詳細に述べている。その根拠は、遺跡から発掘されたもの、正倉院所蔵物などの現存染色品のみならず、万葉集、魏志倭人伝、延喜式を始めとする著述、源氏物語、伊勢物語、古今和歌集などの文学、源氏物語、宇治拾遺集などの絵巻物、更には能・狂言、歌舞伎の現存衣装、襖絵、屏風、浮世絵などから取材している。その分析は学者としての研究と染色家としての検証に照らし合わせ、実際に再現を試み確証の取れるもの、取れないもの、疑問の残るものなど徹底した報告がなされている。

残念ながら著者吉岡幸雄は、2019年9月亡くなっているが、6代目吉岡更紗氏がその精神を受け継いでいる。染色の専門用語、専門知識が頻繁に使われているが、克明な染色史を新書で概観することができる幸せな一冊である。

22. 3月 2024 · March 22, 2024* Art Book for Stay Home / no.138 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『よみがえる天才6 ガウディ』鳥居徳敏(ちくまプリマー新書、2021年)

ガウディの誕生から死まで、資料に基づき徹底した論考を展開している。それはガウディの建築にとどまることなく、人生を追うといった形をとっている。ガウディは天才なのかどうか、天才としたらの並走するテーマへのこだわりが本著の特徴となっている。もちろん、ガウディの建築についても、サグラダ・ファミリアのみならず、手掛けた全ての建築について述べている。

ガウデイには、天才とともに伝説化されたところもあって、間違って知られているところも少なくない。著者はその点にも細かく切り込んで、一体どこが天才なのかを述べている。むしろ、天才として論を進めるのではないと言ったほうが良いかもしれない。

興味深かったのは、ガウディの生きた時代、カタルーニアという州の特殊性が、ガウディという建築家を作り上げたという観点である。

建築家になるためには、その資格が必要なことは現代と同様、ガウディが中等教育を受けた1860年代においても簡単なことではなかった。そしてスペイン全体の就学人口が1,2%に過ぎない中に、ガウディは含まれており、その境遇は大変恵まれたものであったということ。また資格を取得するための建築学校が当時バルセロナにはなく、首都マドリードまで行かなければならなかったのだが、都市の拡張が決定していたバルセロナでは建築家不足が激しく、バルセロナ美術アカデミーは建築学校の新設を申請し認可を得た。その一期生4名のうちにガウディが含まれるという幸運を得ている。

拡張する都市バルセロナは、ガウディの卒業後も建築家不足で、ガウディに多くの仕事の機会を与えることになった。それは天才とは異なるものだが、天才と言われる者はそうした恵まれた背景をも持つ者であることを述べている。それはガウディの大理解者で多くの建築のパトロンとなった繊維会社を経営する富豪エウセビオ・グエルとの出会いもまた興味深いことである。

12. 3月 2024 · March 10, 2024* Art Book for Stay Home / no.137 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『今日の芸術-時代を創造するものは誰か』岡本太郎(光文社、1999年)

本著は1954年に光文社から出版された『今日の芸術』の再版である。つまり70年前の著作を25年前に再版したものを2024年に読んだ。再版のきっかけは1996年に岡本太郎が亡くなったことによる。横尾忠則が『今日の芸術』を思い出し、出版を提案したとのことである。因みにそのあたりのことは序文に横尾忠則が書いている。

美術・芸術の本としては珍しくベストセラーであったという。歯に衣を着せない太郎の語り同様に本著も書かれていて、誠に痛快である。新しい美術・芸術を目指す若者たちは飛びついて読んだに違いない。しかし、「今日の芸術とはなにか」の内容だけにとどまらず、太郎の知名度によるところも大きかったに違いない。1970年の大阪万博における《太陽の塔》の制作、頻繁に流れるテレビコマーシャル「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」「芸術は爆発だ」、バラエティ番組での人気レギュラー出演。

本著で太郎は多くの問題提起を行っているが、象徴的なのは「今日の芸術は、うまくあってはならない。 きれいであってはならない。 ここちよくあってはならない」の言葉だ。現代でもこの言葉の意味を、謎として理解しかねる人も少なくないに違いない。太郎は美術と芸術の意味を極めて強くこだわっており、いつも芸術を論じ芸術を創る人であった。1970年代の日本では美術と芸術の区別は極めて曖昧であり、美術であれば芸術であるといった理解が多かった。そして美術は「うまい、きれい、ここちよい」ことが大きな価値として扱われていた。残念ながら、この感覚は今も大きくは変化していないと言えるのだが。太郎は「美術の価値は旧態依然としている、そこから真の芸術は生まれない」とする。1970年代の日本美術界の重鎮らを敵に回し、孤軍奮闘であった。

しかし太郎を慕う次世代の前衛アーティストも多く、本著で解説を書いている赤瀬川原平ら多くの追従者を生んでいった。またデザイナー、建築家、文学者、政治家、実業家など他領域で意を共にする友人も多かったことが、こういう太郎の孤軍奮闘に力を与えていたのであろうと思われる。