12. 3月 2024 · March 10, 2024* Art Book for Stay Home / no.137 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『今日の芸術-時代を創造するものは誰か』岡本太郎(光文社、1999年)

本著は1954年に光文社から出版された『今日の芸術』の再版である。つまり70年前の著作を25年前に再版したものを2024年に読んだ。再版のきっかけは1996年に岡本太郎が亡くなったことによる。横尾忠則が『今日の芸術』を思い出し、出版を提案したとのことである。因みにそのあたりのことは序文に横尾忠則が書いている。

美術・芸術の本としては珍しくベストセラーであったという。歯に衣を着せない太郎の語り同様に本著も書かれていて、誠に痛快である。新しい美術・芸術を目指す若者たちは飛びついて読んだに違いない。しかし、「今日の芸術とはなにか」の内容だけにとどまらず、太郎の知名度によるところも大きかったに違いない。1970年の大阪万博における《太陽の塔》の制作、頻繁に流れるテレビコマーシャル「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」「芸術は爆発だ」、バラエティ番組での人気レギュラー出演。

本著で太郎は多くの問題提起を行っているが、象徴的なのは「今日の芸術は、うまくあってはならない。 きれいであってはならない。 ここちよくあってはならない」の言葉だ。現代でもこの言葉の意味を、謎として理解しかねる人も少なくないに違いない。太郎は美術と芸術の意味を極めて強くこだわっており、いつも芸術を論じ芸術を創る人であった。1970年代の日本では美術と芸術の区別は極めて曖昧であり、美術であれば芸術であるといった理解が多かった。そして美術は「うまい、きれい、ここちよい」ことが大きな価値として扱われていた。残念ながら、この感覚は今も大きくは変化していないと言えるのだが。太郎は「美術の価値は旧態依然としている、そこから真の芸術は生まれない」とする。1970年代の日本美術界の重鎮らを敵に回し、孤軍奮闘であった。

しかし太郎を慕う次世代の前衛アーティストも多く、本著で解説を書いている赤瀬川原平ら多くの追従者を生んでいった。またデザイナー、建築家、文学者、政治家、実業家など他領域で意を共にする友人も多かったことが、こういう太郎の孤軍奮闘に力を与えていたのであろうと思われる。

28. 2月 2024 · February 28, 2024* Art Book for Stay Home / no.136 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『若冲』澤田瞳子(文藝春秋、2015年)

愛知芸術文化協会(ANET)主催で3月18日に長円寺会館で「伊藤若冲、5つの謎を明かす」という講演をすることになっている。それで本著を読み返した、やっぱりおもしろい。室町、戦国、江戸あたり、資料は残っているが充分ではない。特に美術に関しては作品が残っている、それも全て具象。フィクションとノンフィクションが曖昧で小説の題材としては、極めて興味深い。

若冲に関しては、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」の長男として生まれたというように、素性はかなり詳しく残されているが、その人生については殆どわからない。通称、絵師とされるが、絵師は絵を描く職人であって、若冲にとって絵は仕事ではなく道楽であって、京でいうところの旦那芸である。当時の京では丸山応挙と並ぶ人気があったが、おおよそ立場が全く違う。そのせいもあって、明治初期に編纂された日本美術史から消えた。そのあたりについては講演で語ることになるが、昭和世代にとっては、2000年に京都国立博物館で開催された「若冲」展まで無名の作家であった。私自身も知らなかった。

以降、若冲ブームは今も続いている。現在、日本美術史中最も人気のある作家というのは若冲と言って良いだろう。人気と謎、そのあたりを説くのが本著である。特に「若冲は何を思って絵を描き続けたのか」、いわゆる旦那芸とはかけ離れた質と量である。絵を描くのは、子供がそうであるように本能と言って良い。しかし膨大な時間と費用をかけて描き続けるためには、そのための強い動機、信念が必要である。小説であるがその答えが本著のテーマである。

08. 2月 2024 · February 7 , 2024* Art Book for Stay Home / no.135 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『日本美術応援団』赤瀬川原平・山下裕二(ちくま文庫、2004年)

とにかく痛快な美術解説書。赤瀬川原平著書(作品ではなく著書の)大ファンの私のことなので読む前から予測はしていたのだが、予測を遥かに超えるおもしろさだった。

赤瀬川源平は、美術作家だが文章、言葉にすることがものすごく上手い。まあ芥川賞作家でもあるので当然と言えば当然だが、美術家ならではの創作性が言葉にある。「トマソン」や「老人力」は有名だが、それは彼の発想の素晴らしさによる。美術作品を創るように言葉を生み出す人だ。
一方で山下裕二は、美術評論家でアカデミズムの方だが、アカデミズムにしてははみ出した人で、つげ義春や商業広告をアカデミズムにぶち込んでくる。テレビの露出が極めて多い人で、それだけテレビ向きであると言える。テレビ向きというのはあまり褒め言葉でないような気がするが、美術史家であり大学教授でテレビ向きというのは、この領域においていかにわかりやすくユニークに語ることができるかを証明するものである。
両者とも少々はみ出し者で、その立ち位置が異なる。それが対談ではなく、しゃべくり合う、カッコよく言えばセッション。もうおもしろくない訳はない。
今回も、「乱暴力」という言葉を巧みに使いあって日本美術を語り合う。円空の乱暴力は凄いとか、応挙には乱暴力がないからダメだと思っていたらそうじゃなかったとか。美術の鑑賞に「乱暴力」という概念を持ち込んだ。「乱暴」なんて言葉を使うこと自体乱暴ではないか。その逆説的な視点が、これまでとは異なった美術の魅力を浮き彫りにする。

登場してくるのは、雪舟、長谷川等伯、伊藤若冲、東洲斎写楽、葛飾北斎、縄文土器、龍安寺の石庭、尾形光琳、青木繁・・・。現代美術作家赤瀬川原平が、そんなこと聞いていいのかという質問に対して、美術史家山下裕二が的確に打ち返す。打ち返しながらその質問の凄さに自ら感動している。

23. 1月 2024 · January 23, 2024* Art Book for Stay Home / no.134 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『左右学への招待』西山賢一(風濤社、1995年)

「左右学への招待」という著名でいきなり引き込まれてしまった。「左右学」という学問は一般にはない、なくても始めれば良いのであって、学問とはそういうものだ。ある程度の人数が集まれば学会も作ることができる。学会の殆どは任意団体である。学問の目的は、社会的貢献、学問の発展等いろいろあるが、それは結果としてあれば良いという考え方もある。つまり興味深いことだから学問をはじめた、「左右学」とはそういうものだそうだ。そして私もその興味に惹かれて読んだ。このブログはArt Bookがテーマなので、その範疇に入れて紹介する。

左右学には、「右脳と左脳」について述べられている。「言語脳が左脳、感性が右脳と言われており、左利きの人は左側を司る右脳が発達している」という説から、左利きの人は芸術家に向いていると言われる。そういえば私の勤めていた芸術大学では左利きの教授が3割と多かった(一般には1割)。

絵画には、左利きの構図と右利きの構図があり、またタッチや描線から左利きと右利きが判る。著名なイラストレーターである宇野亜喜良さんは、左利きだが、左下を起点に緩やかな円弧を描くように線がある。右利きは右下が起点となるので、一目瞭然だ。左利きの人は芸術家向きという説は、かなりいいかげんなものだと考えている。芸術において個性は大きな魅力だ、左利きは少ないので、そのこと自体が個性になる。それだけのことと思う。スポーツにおいて左利きが優位と言われる。これは対戦相手が右利きの場合で、左利きは右利きと多く練習するのでその対応になれることができるが右利きは左利きと練習を多くすることができない。優位であっても才能とは異なるものである。野球において左バッターは、一塁ベースに近いので有利であるがこれはルールの問題。書では右利きが優位であるが、これは文字を制作するにあたり、右利きの人が多く、多い方に楽なように作られたという単純な理由である。

いずれにしても、左右学はおもしろい。