21. 9月 2022 · September 21, 2022* Art Book for Stay Home / no.101 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『青木繁と坂本繁二郎』松本清張(新潮社、1982年)

松本清張は『或る「小倉日記」伝』で芥川賞受賞、代表作に『点と線』『眼の壁』『砂の器』『火の路』など、古代から歴史もの、現代小説、推理小説、社会派小説などその領域は極めて広く、かつ重厚な小説家である。さらに美術をテーマとしたものが何冊かあり、本著もその一冊である。

青木繁と坂本繁二郎は、ともに現在の福岡県久留米市に同年に生まれ、同じ高等小学校で学び、同じ洋画塾で画家を志し、東京美術学校(現東京藝術大学)に学んだ。青木は在学中より華々しいデビューを果たし、《海の幸》を代表として天才と称されるも晩年は貧困と病の中、九州各地を放浪し、28歳という短い生涯を終えた。一方坂本は数年遅れてデビュー、パリ留学後は、福岡へ戻り、87歳で亡くなるまで長きにわたって、馬、静物、月などを題材にこつこつと制作に励んだ。

本著は二人の関係、人生を追いながら、二人の代表的な研究者河北倫明をはじめとする多くの著述を紐解き、的確な美術評論を展開している。夏目漱石がそうであったように、小説家の美術評論は奥が深く、なお秀逸な文章力は読者を強く惹き込んでいく。破天荒で天才的な青木は、愛人福田たねを伴って壮絶な物語を描いていく。そして本著の7割を過ぎたあたりで、坂本に話が変わる。しかし坂本を主人公にしたここからが本著の真骨頂であり、推理力を含めて圧倒的におもしろい。青木の陽に対して坂本の陰は、生涯において背負った重い運命であった。坂本もまた多くの言葉を残しているが、その殆どが青木を意識したものであり、考えそのものの奥に青木の大きな存在がある。画家青木繁がいなかったとしたら画家坂本繁二郎もまた存在しなかったに違いない。

松本清張は、ほかに『天才画の女』『岸田劉生晩景』があり、美術と美術家に対する深く鋭い洞察力は、美術評論家とは異なる人間を見る力に溢れている。

11. 9月 2022 · September 10, 2022* Art Book for Stay Home / no.100 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『愛知洋画壇物語 PARTⅡ』中山真一(風媒社、2016年)

A5版466ページに及ぶ大著である。表紙のデザインと本文を開いて見てこれは物語ではなく、愛知洋画壇辞典ではないかとその重量感も含めて思ってしまった。その内容は巻末で画家久野和洋が端的に述べているので引用する「『愛知洋画壇物語 PARTⅡ』は、これまで郷土愛知の洋画家たちの調査研究に並々ならぬ情熱を注いできた著者が、57名もの画家たちについて研究の成果をそれぞれわかりやすく述べるとともに、つねに問題意識としてある「画廊とは何か」を改めて本書で問い直そうとしている。 従来の美術画廊が持つ枠をこえ、新たな可能性を求めて、ここにはさまざまな試みが見られる。付録も含め資料性の高い研究の書といってよい。」

著者中山真一氏は、創業70年の歴史ある名古屋画廊をご両親から継いでの社長であり、私も親しくさせていただいている。その優しげな容姿と筋の通った会話から、声を耳にしながら本著を読み進め、この大著もあっという間に読み終えた。私が名古屋に居住を移して50年になる、その間美術館、画廊巡りは年間300回以上を常としてきた。多くの画廊が生まれては消えていった。画廊は一代と言われる美術界にあって、創業70年は途方もなく、先代から学び受け継いで、さらなる強い思いがなければ本著は生まれなかっただろう。

内容を紹介するには膨大すぎるので、目次にてその概要を察していただきたい。一/絆―愛知の洋画家たち 二/明治期、愛知の洋画家たち 三/大正期、愛知の洋画家たち―「愛美社」を中心に 四/大正末から昭和初期、愛知の洋画家たち―「サンサシオン」を中心に 五/大正末から昭和初期、愛知の在野系の洋画家たち―「緑ヶ丘中央洋画研究所」を中心に 六/愛知、シュルレアリスムの画家たち―「ナゴヤアバンガルドクラブ」を中心に 七/愛知、滞欧の画家たち 八/戦後の愛知洋画壇 そして〈付録一〉/『愛知洋画壇物語』(パートⅠ)の周辺 〈付録二〉/先達に学ぶ―美術への眼差し

名古屋画廊は画商でもある。数人の社員と膨大な美術作品を抱えての企業である。その社長である中山真一氏はどうしてここまで画家を愛し、その絵画を愛し、美術界を大切に思い、はては世界における日本の美術を憂い、期待を寄せることができるのか。こういう方が愛知美術界をいつも国際的視野から俯瞰していると知れば、どれほどにこの地の美術に関わる者は幸せかと想う。

なお『愛知洋画壇物語』(パートⅠ)について著者は、「明治時代から平成まで、おおまかながらも愛知洋画壇の通史として読めるように(略)明治以降の主な郷土画家、戦前(1945年)生まれまでの108名を登場させる。(略)一時間少々もあれば読了できてしまうような愛知洋画壇史(略)A5晩105ページ」と記している。パートⅠもぜひ手にとっていただきたい。

30. 8月 2022 · August 30, 2022* Art Book for Stay Home / no.99 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『アウトサイダー・アート 現代美術が忘れた「芸術」』服部 正(光文社新書、2003年)

20年前本著が出版されたばかりの頃、この未知識のアウトサイダー・アートについて読んだ。頭の中が整理しきれないまま、「アウトサイダー・アートとは何か」の概念を掴んだ気になっていた。

それから20年、アウトサイダー・アートを取り巻く状況は少しずつ活発化し、アウトサイダー・アートに替わる言葉としてアール・ブリュットが使われはじめた。ほかにもエイブル・アートや障害者アート、2022年春に滋賀県立美術館で開催された展覧会では「人間の才能 生みだすことと生きること」としている。またNHK Eテレでは、2021年より「no art, no life」を放映、「既存の美術や流行、教育などに左右されず、誰にもまねできない作品を創作し続けるアーティストたち。唯一無二の作品を紹介する」としている。

アウトサイダー・アートもアール・ブリュットも障害者アートのことではなく、決して差別的意味を含むものではない。しかしながら多くのこれらの展覧会が障害者アートにウエイトが置かれていることも事実である。自治体の文化予算だけではなく福祉予算や教育予算が使われていることもある。そして「障害がありながら、素晴らしいアートを制作するなんて凄いね」という間違った考えが広がりつつあることは残念であるが事実である。

アウトサイダー・アートやアール・ブリュットにおいて抱えざるを得ない差別や逆差別について明確にしつつ、本著は「アウトサイダー・アートとは何か」を丁寧に解説している。2022年再度読み終えて、その的確さに感銘を受けた。

「まず、アウトサイダー・アートは否定的で差別的な意味を持つ言葉ではなく、それらの作品を積極的に評価するものであるということだ。そして第二に、アウトサイダーアートは障害のある人が制作した作品という意味の言葉ではないということである。」

「アウトサイダー・アート」とは、精神病患者や幻視家など、正規の美術教育を受けていない独学自習の作り手たちによる作品を指す。それらの作品は新たに人間の生きる力としての魅力に溢れている。

18. 8月 2022 · August 18, 2022* Art Book for Stay Home / no.98 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『近世人物夜話』森銑三(講談社学術文庫、1989年)

Art Bookは、コロナ禍の中で読書量が増えているということを聞き、「そうだ私の読んだ良質のアートの本を紹介しよう」というのがきっかけである。ただし、画集と技法書はArt Bookから外す。前者は紹介するまでもなく、後者は特定の制作者向けである。

その上で「近世人物夜話」は少し迷った。本著は、秀吉から辰五郎まで43編、各職種、各方面の人物を取り上げて大変興味深い。取り上げられているのは武士、役人、学者、芸人、職人、文筆家、絵師と領域は広い。Art Bookにふさわしい望月玉蟾(玉泉)、渡辺崋山、椿椿山、さらに文芸として大田南畝、山東京伝、井原西鶴、平賀源内などが取り上げられており、文中には喜多川歌麿、谷文晁、野口幽谷、蔦屋重三郎など登場しているが、私が本著を紹介するのはそこではない。著者森銑三の優れた思考であり、芸術文化をも含む上での近世史学者としての魅力である。

例えば、歴史的重要人物の手紙について、「開運!なんでも鑑定団」では、真筆かどうかを問い、それが本人のものでないと判断されると偽物、無価値という判断がされる。しかし著者は、それが本人の書でなくて誰かが写したものであったとしても、手紙文の内容の価値は別途検討されなければならないとしている。本物の手紙を誰かが重要なものとし内容を書き写したものとして、後日別人が本人のものとして贋作商売を行っている可能性があるからである。複写という手段がなかった時代における後世への伝達方法として一般に行われていたからである。

また坂田藤十郎は「私はいつもあなたをお手本として舞台に立っている」という後輩の役者たちに向かって、「それは良くない心懸です。私を手本となすったら、結局私以上には出ますまい、今少し工夫をなさるのがよろしい」といった。藤十郎を志さずに、藤十郎の志ざすところを志しなさい、という深い教えであった。

自らの志す領域において、基本勤勉である。しかし隣の領域に対してはいかがなものだろうか。音楽家が美術展を殆ど観ない。美術家は演奏会に殆ど行かない。音楽家や美術家は文学に親しんでいるだろうか。自らの反省を含めて「近世人物夜話」をArt Bookとして紹介したいと思った。

04. 8月 2022 · August 4, 2022* Art Book for Stay Home / no.97 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『常設展示室』原田マハ(新潮文庫、2021年)

6つの物語からなる短編小説集。書名『常設展示室』にあるように、全てが絵画に関わっての物語である。書店でこの本を手にとったのは、この書名によるところが大きい。欧米の美術館では基本的に常設展示というのは当たり前で、いつ訪れても大きく展示内容が変わることはない。一方日本の公立美術館の多くは企画展で構成されており、美術館運営費は主にここに費やされる。清須市はるひ美術館においては常設展示室を所有していないので、企画展示として所蔵作品を紹介している。愛知県美術館、名古屋市美術館など少し大きな美術館では、企画展示と常設展示の両室を持っているが、広報の多くは企画展示に使われており、美術館に出かけるというのは企画展示を観に行くという感覚になっている。企画展示が賑わっていても、常設展示は閑散としているというのが実情である。

さてそういう訳で常設展示室が書名になることは、一見地味である。しかしそこに美術館としての日常があり、そこに行けばあの作品に会えるという恒久性がある。物語はその魅力を持って読者を惹き付けている。そして美術に関わる多くの職業が登場人物となっていることもまた興味深い。画家、彫刻家はもちろん、学芸員、キュレーター、美術書出版社社員、画商、ギャラリスト、アートコレクター(美術品収集家)、美術史教授など、ちなみに美術館館長は登場しない。

そして、ピカソ、フェルメール、ラファエロ、ゴッホ、マティス、東山魁夷などの実在する6枚の絵画が物語を豊かに彩る。6つの物語に共通しているのは、「美術ってこんなに素晴らしい」というメッセージである。原田マハは実際に森美術館、ニューヨーク近代美術館に勤務し、キュレーターとして刺激的なアートシーンにいた。

24. 7月 2022 · July 24, 2022* Art Book for Stay Home / no.96 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『岡本太郎の友情』岡本敏子(青春出版社、2011年)

本著は岡本太郎とその友人のプライベートな交流を綴ったものである。プライベートな交流を本人以外が書き下ろすというのは一般にはありえない。公私べったり行動し、秘書であり、事実上の妻であり、のち養女となった岡本敏子(養女前は平野)だからこそ著せたものである。

岡本太郎と友人であらんとするならば、彼の発する本音のバリアを突破しなければならない。いわゆる空気を読んでとか、お上手というのは全く通じない太郎である。優しい人ではなく、怖い人である。敏子は太郎のことを「デリケートで熱い心を持った優しい人」と称するが、それは太郎が心を許すほど親しくなった人に限られる。

本著で取り上げられる友人は、石原慎太郎、石原裕次郎、丹下健三、瀬戸内寂聴、川端康成、北大路魯山人、勅使河原宏、梅原猛、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・バタイユ、花田清輝、海藤日出男、岡本かの子、カラスのガア公。錚々たる顔ぶれで、太郎が「どうだ俺はこんなにすごい奴らと友人なんだぜ」ということではない。岡本太郎はそんな無粋な人ではなく、むしろこういう友人を見せびらかすようなことは「はしたない」と考える人である。これは太郎をこよなく愛し尊敬した敏子だから、恥じらいもなく「太郎さんて、こんなにすごい人よ知って」というメッセージを出せたのである。

因みに、パブロ・ピカソのみ岡本太郎の執筆で、さすがにピカソに関しては太郎も文章を残したかったようだ。

とにかく岡本太郎礼賛本であるが、そこは受け入れるとして、読み進めば太郎の人間的魅力あふれる著書である。もちろん、太郎の友人はさらに多くいて、文学者、哲学者、デザイナー等、本著にも多数登場してくる。おもしろいのは画家や彫刻家に友人が少なかったであろうということで、同業と群れないいわゆる一匹狼と言われる人の特色である。

「カラスのガア公」については、読むときの楽しみとします。

10. 7月 2022 · July 10, 2022* Art Book for Stay Home / no.95 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『写楽 閉じた国の幻』島田荘司(新潮社、2010年)

長編推理小説である。私がArt Bookとして取り上げるのは、小説の中にアートにとって極めて大切な精神がそこに組み込まれているからである。そして浮世絵が描かれた鎖国中の江戸という時代、木版画が制作される絶対的工程、絵師、彫師、摺師、そして場合によっては絵師と彫師の間に第4番目の「しきうつし」の者が入る。この4人に、絶対的責任と権力を持つ版元蔦屋重三郎が存在する。写楽とは誰か、写楽本人と蔦屋重三郎の2人しか知らなかったという可能性、つまり知られてはならない絶対的理由とは何か、本著はそこに迫る。

写楽とは誰か、最もシンプルで最大疑問を解くミステリー、次々と浮かぶ仮説を片っ端から潰していく、潰しては再考し、浮上させ潰していく。

ミステリー小説であるが、浮世絵評論、いや美術評論として大変興味深いものになっている。それも線がどうのこうの、捉え方がどうのというレベル(そういったところもきちんと押さえられているが)にとどまらず、美術史的思考に新たな楔を打ち込んでいる。さすが武蔵野美術大学出身作家といったところである。

小説の構成は現代編と江戸編からなっている。現代編では写楽とは誰か、なぜ写楽に関わる資料がまったくないのかを北斎研究家の佐藤貞三の人生を核として描いている。現代編に挟み込まれる江戸編は、その追求で明らかになっていく写楽の存在を写楽出版元で資料も豊富な蔦屋重三郎を中心に描いている。

小説上での架空の人物と、歴史上の人物、現代では池田満寿夫を登場させ、かなり重要なキーワードを語っている。

原画がない、極めて個性的、人物が特定できない、その人物像が全くわからない、かなりの技量の絵師、短期間に大量の作品、有名歌舞伎役者に留まらず無名役者も取り上げられていること。それまで全く無名の絵師に対して雲母刷りなど高級木版画でデビューさせている。謎ではなく隠蔽、なぜ隠蔽しなくてはならなかったのか。

24. 6月 2022 · June 24, 2022* Art Book for Stay Home / no.94 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『十二支のかたち』柳宗玄著(岩波書店、1995年)

アートを表現するにあたって、イメージの源泉というものがある。誰もが何の体験も知識もなく表現するということはありえない。それは母の子宮の中から始まるとしても、やはり体験であると言える。幼い子どもが描くものであっても同様のことが言える。幸いなのは幼い子どもというものはつまらない理屈付を持っておらず、イメージが自由なことにある。

さて、「十二支のかたち」であるが、この多くの日本人が知識体験として持っているものは中国・漢代あるいは戦国時代に誕生したとのことである。十二支たちは世界各地の壁画や浮き彫り、祭具や染織・日常雑器などに造形されてきた。現代の我々には、そうした圧倒的な知識や造形、イメージを望まないとしても染み付いているのである。であるならば、さらに深く関わり、イメージの源泉としたい。十二支は東洋人のみならず、人類の知的財産でもある。

『十二支のかたち』は造形に関わるアーティスト、デザイナー、工芸家たちにとっての手引書である。子(ねずみ)から始まり亥(いのしし)まで、一支の総論と左右のページで図版、写真とその説明というように、事典展開されている。本著は何も造形制作に関わる者たちだけのものではない。年に一度年賀状を楽しんだり、物見遊山の観光で出会う十二支にちょっと興味を拡げてくれる手引書である。十二支の膨大な造形は、もともと民衆の知恵とユーモアが結晶したものである。

読み終えて、わが干支である寅を再読、なんとなく虎神に護られているような心強さを持った。

28. 5月 2022 · May 28, 2022* Art Book for Stay Home / no.93 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『椅子劇場―家具未来形』光藤俊夫著(彰国社、1992年)

椅子にはドラマがあって、それは一般的にどのような所有者にどのように使われたかというドラマであるが、椅子が造られる状況においても製作者にドラマがある。本著『椅子劇場―家具未来形』は、それを劇場ドラマとして紹介しており大変興味深い。

デザイナー、建築家、工芸家が造った椅子、アーティストが造った椅子。椅子を造る動機は、それぞれの職種によって様々である。座るという機能的役割を追求したもの、美しくてただ眺めることを目的としたもの、個人の名誉や権威を象徴させたもの。無名な椅子の中にも、多くの人に長く愛されて使われ続けているもの。まさに人間ドラマがあるように椅子のドラマが展開される。

どの椅子にも名前がある。本著で紹介されている77の椅子すべての名前が紹介されている。製造番号のままの名前もあれば、ニックネームが名前に定着したものもある。著名人が愛したということで、誰々の椅子というものもある。そんなことで複数の名前を持っている椅子もある。仕事場や自宅で、自分専用として座っている椅子の名前をできれば知っていたいものだ。わからなければこっそりニックネームをつけるのも楽しいだろう。何時間もあなたのお尻を受け止めて、あなたの体重を支えているのであるから。

美術館を訪れる人は、当然美術作品を観ることを目的とする。鑑賞という意欲を持って観る。鑑賞に疲れたとき、休憩用に置かれている椅子になにげなく座ることも多いかと思われる。多くの美術館には美術館にふさわしい椅子が置かれている。「椅子劇場―家具未来形」に登場するような椅子である。写真を撮るのも良い、係の者に聞くのも楽しい。美術館において唯一身体で見ることのできるアートでありデザインである。そこからあなたの椅子劇場が始まるかも知れない。

05. 5月 2022 · May 5, 2022* Art Book for Stay Home / no.92 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『マチスの肖像』ハイデン・ヘレーラ著、天野知香訳(青土社、1997年)

巨匠マチス。マチスほど巨匠と呼ぶにふさわしい画家はいないだろう。ピカソには天才が呼称とされ、ゴッホには人生の悲哀がつきまとい多くの尊敬を集めるに至っていない。ターナー、セザンヌ、マネ、モネ、ドガ、ルノワール・・・それぞれマチスに比べると物足りないところがある。フランス人であり、その活躍が近年であること、今なお画家を志す者から多くの尊敬を集めつづけていること。

しかしながら、マチスの人生が語られることはあまりに少ない。ピカソのようなスキャンダルと謳歌に満ちてはおらず、ゴッホのように悲劇でもない。本著はそんなマチスの人生を、多くのエピソードとともに彫り上げている。マチスの活躍は遅い、しかし遅すぎるということはない。自意識は極めて高く、真面目で努力家であった。神経はいつも研ぎ澄まされており、絵に対する思いは果てしなく続いた。心身症で心を痛め、慢性肝臓病から胆嚢炎を発症、両肺の手術を受け、更には十二指腸の手術を行っている。二度の世界大戦は憂鬱な神経を追い込み、そこから生まれる名画は、マチスの知名度を上げ、パトロンに恵まれ、存命画家として最も高額な画家ともなる。大戦のイデオロギーに屈せず、自らの創作に忠実に行きたマチスは、戦後フランスの誉れとなる。

この悲劇と歓喜を繰り返す人生は、ときにゴッホであり、ピカソであった。フランス北部の寒く憂鬱な町に生まれたマチスは、パリに暮らしつつも何度も南仏を目指し、名画を生む。ゴッホをなぞるような精神構造は、画家の宿命のようでもある。マチスに愛と人生を捧げた3人の女性、家族、画家の仲間、パトロン、あらゆることを犠牲にして絵に向かう画家の芸術至上主義に対して、残された多くの絵画が応えているだろう。巨匠マチスの生きた人生を辿るとき、それらの絵画は、激しい振幅を持って私達に感動を与えてくれる。