10. 10月 2022 · October 10 , 2022* Art Book for Stay Home / no.103 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『時の震え』李禹煥(小沢書店、1990年)

本書の初版は1988年に刊行されているので、著者52歳の執筆であり、それ以前に書かれたエッセイや論説をまとめたものである。著者は韓国に生まれ、儒教色の強い家柄で、幼年期を通して詩、書、画を学んでいる。20歳のときにソウル大学校美術大学を中退来日、1961年日本大学文学部哲学科を卒業している。本著が堪能な日本語で書かれているのは、著者の個人的能力はもちろんのこと、教育を受けた時代がハングル語に加えて、漢字を学ぶことが必修であったことも含まれていると思われる。テレビ等で語る著者の日本語のナチュラルさは、多くの人の知るところである。

もの派として知られる著者の作品のイメージからは、ストイックなキャラクターが想像されるが、韓国料理、日本料理、フランス料理など料理を好むグルメである。フォアグラが何度も登場するなど意外性に満ちている。また美人の登場回数も多く、酒、煙草をかなり嗜み、妻子のある一般的な家庭である。

語られるアートは多くはないが、それ故むしろ日常の生態が大変興味深い。例えば、AとBの選択がある場合、Aに対しての反論があり、返す刀でBに対しての反論がある。第三の説を強く主張するのかと思えば、そこは主張ではなく、自らの曖昧さを恥じ、愛するといった小心である。常に虚空を追う癖が見て取れる。

銀座の画廊で精力的に個展を開催し、久しぶりに無償で借りているアトリエに戻ったら、制作中のものを含めてそれまでの作品、画材や道具、がなくなっている、アトリエそのものが消えていた。詳細は本著を読む興味としてここでは書かないが、その「釣竿を求めて」のエッセイは著者の能力、非能力を象徴しておもしろい。笑える話ではないが、このできごとがその後の現代美術作家李禹煥を完成させて行くのではないかと私は思える。

一般に重要なことを軽く捉える姿勢、一方で何でもなさそうなことを深く捉えこだわり続ける執念深さは、李朝の白磁のような澄みきりと、壁の隅に見つけた小さな黴を気にし続けることのようだ。

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