01. 2月 2022 · February 1, 2022* Art Book for Stay Home / no.85 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『サティ ケージ デュシャン 反芸術の透視図』鍵屋幸信(小沢書店、1984年)

著者鍵谷幸信は英文学者、詩人、音楽評論家である。サティ、ケージの連なりにデュシャン、3人について書かれたものと言うよりは、反芸術に主体が置かれている。しかし、しかめっ面をした難解なものではなく、そこは快楽の世界と言わんばかりの反芸術だ。

現代音楽、現代美術、現代詩、鍵屋幸信は日常生活の楽しみとして、研究者として、仕事として反芸術に身を置いている。私は300ページを超える本著に身を寄せて、サティの音楽をBGMに、ランチをしながら、コーヒーを飲みながら、ウイスキーを楽しみながら1ヶ月ほどかけて読んだ。

キーマンはデュシャンだ。読みすすめるうちにデュシャンの人間像が浮かび上がって来る。デュシャンの作品を理解しようとすればするほど理解は遠のいて、つまりは「表現しようという行為をしなかったことである」と答える。デュシャンが「既成の芸術や芸術家の概念をてんぷくさせて、一掃させた」ということもまた我々の幻想かも知れない。大好きなチェスに興じながら「問題がないのだから解決はない」と言い放つ。それでも鍵屋は「デュシャンによって旧来の芸術の権威がグラリと傾いたことだけは誰も否定できないだろう。」と語る。

サティ、ケージ、デュシャンと並べても本著はやはり主として美術の本で、ニューヨーク・ダダの三羽烏、マン・レイ、フランシス・ピカビアを登場させる。かと思えば詩人ウィリアム・カルロス・ウィリアムズの詩を掲げ没頭する。美術評論家東野芳明や音楽家一柳慧との対談を楽しみ、瀧口修造との音楽、美術、詩、評論の至福の時間を過ごすのである。

多くの芸術愛好者たちが肩に力を入れて読み、観、聴き解こうとするサティ、ケージ、デュシャンであるが、私は鍵谷幸信のエッセイとして読んだ。