『ピカソ 剽窃の論理』高階秀爾(ちくま学芸文庫、1995年)
ピカソが1973年に亡くなって間もない頃、1976年高階秀爾氏が『ピカソ 剽窃の論理』を出版、当時大好評を得た著書である、本書はその増補版。剽窃とは一般に「他人の文章・語句・説などを盗んで使うこと。」とされている。美術界の巨人として高い評価を得ているピカソに対して「ピカソ 剽窃」は強烈なインパクトを放つ著名であった。
増補版を刊行するにあたって著者は「『剽窃』という言葉は、通常そうであるように、否定的意味で用いられているのではない。それは、他人の作品を下敷きにしているという点では模倣であり、借用であるが、同時に、借用したものに基づいて奔放自在に自己の創造力を展開して見せる点で、変奏と呼んだほうがよいかもしれない。」としている。がしかし、著者が敢えてこの断り文を置いているところを思うと、多くの人が「ピカソの盗作」と思うであろうことを予想をもしているのである。そういった両方の意味で本著の魅力があると私は思う。この手法が巨匠ピカソであるから成立するのであって、並の作家においては大変危険な手法であることは言うまでもない。
本文では、ピカソが「借用したものに基づいて奔放自在に自己の創造力を展開して見せる」ところを見事に紹介している。そこには、ドラクロア、ルノワール、モネ、ドニ、ドガ、ゴッホ、ロートレック、ベラスケス、クラナッハ、デューラー、ティツィアーノなど錚々たる顔ぶれが登場する。ピカソにしてみれば、借用するものは不出来なものであってはならないと言った論理だろうか。名画こそ名画を生むといったことも言えるだろう。ピカソにおいても剽窃の下敷きになっている作品名や作家名を堂々と自作のタイトルとしているので、そこには後ろめたいものは全くないのである。
画家を志す若い作家にはぜひ読んでいただきたい本である。私が美術大学で教員をやっていた頃、多くの学生作品に自らの好きな作家に似ている、中には酷似しているものがあった。そのことを指摘すると似ていないと否定したり、似ていることを悩んでいると告げたものだ。私は「若いうちは、大好きな作家の作風に似るのは当然のことである。それだけ君が勉強していると言うことだ、大丈夫、絶対同じものは描けないから。近づけば近づくほどその違いが見えてきて、自分が見つかるから」と大好きな作家に強く影響を受けることを肯定した。熱意ある学生たちは必ず自分を見つけていく、その回り道に過ぎない、いや近道かも知れない。大切なことは大好きな作家を尊敬し続けることだ。ピカソもきっとそうであったと思う。