『アートレス』川俣 正(フィルムアート社、2001年)
川俣正は現代美術作家である。絵を描かない、立体物を造るが凡そ彫刻と呼べるものではない、立体作品とも呼びにくい。そのインスタレーション作品は世界を舞台に発表されてきたが、主に仮設設置。美術館にコレクションされているものは、プロジェクトのプラン、模型である。川俣正の作品がコレクションされているとは言えない、考えがコレクションされているのである。本著名が「アートレス」なのは、そうしたバックボーンからなのか。本書が発行された当時は東京藝術大学美術学部先端芸術表現科教授であったが、あらゆる意味で「どうだ、芸大の教授だ」という雰囲気にはほど遠い。
本文「まえがきにかえて」では、冒頭に「自分の行っている仕事を他人に紹介する時、なかなかうまく説明できないもどかしさをいつも感じる。『これは現代美術です』などと言って、他の美術との住み分けをはっきりさせ、現代美術ということで何だか訳がわからない作品を、わからないということが、そのまま現代美術ではステイタスになってしまうことの凡庸さに、自分は付き合いきれないところがあるし、コンテンポラリー・アートなどという洒落た言葉の中にある、何か上滑りするような気持ちの悪さの中にいたいとは思わない。」これが世界を舞台に活躍する川俣の本音であると思う。なんと謙虚で正直な言葉だろうと思う。この書き出しで私は本著をグイグイと読みすすめることができたように思う。現代美術作家の自己本位な書き連ねなど、どれだけ真剣であっても一冊お付き合いしたいとは思わない。
また「『アートレスの提言』。それはあくまでも既存の美術言語や流行、スタイル、例えば『綺麗なもの』、『美しいもの』、『美的価値』や社会的な規範からなる常識的言語に裏打ちされた『美』なるもの全般に対する、懐疑を意味している。」つまり既存の価値、意味、約束に対して否定することより始まるアートということか。
作品の多くが建築用板材を並べたり組んだり、立ち上げてまるで工事現場の様相であるからか、川俣正の容貌は大学教授というよりも工事現場監督のようで、いつも「これがアートか、これでもアートか」叫び続けているようだ。そういう問いかけに対して頭でも心でもなく、身体で納得し続ける川俣正がいつも気になる。