11. 4月 2019 · April 11, 2019 * デパ地下で個展、攻めるアート。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

4月10日より23日までの2週間、名古屋栄の名古屋三越栄店地下一階食品フロア・和洋酒売場特設会場にて「高北幸矢の30酒30展」を開催している。

私の選んだ和洋酒、ビール、日本酒、焼酎、ウイスキー、ワインなどジャンルを問わずに並べている。

そして30点の花の水彩画、版画。さらにはお酒の愛読書25冊も。

賑やかなデパート地下一階で展覧会というのは驚かれる人も多い。

私はこれまで、美術館、ギャラリーのほかに、喫茶店、バー、スーパー、銀行、企業オフィス、料理屋、果ては神社まで個展を開催してきた。

その真意は、アートが「さあ、ご覧ください芸術ですよ」と高尚という形容に恥ずかしさを感じているからである。

もっと雑踏の中へアートが踏み込んで行かなければならないと考えている。

雑踏の中で聴いた音楽に心を奪われて、いつかコンサートに出かけたくなる音楽のように。

 

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03. 4月 2019 · April 2,2019* 2019日中現代美術交流展、草の根の交流に。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

4月2日より、愛知県美術館ギャラリーで「2019日中現代美術交流展」が始まった。

イデオロギーは世界中芳しくない方向で心を痛めるが、文化とスポーツは何百年と各国親交を深めて来た。

そうしたことに多く参加してきた私は、世界中に友人・仲間がいて、どの国とも争いなど全く考えられない。

美術交流展とは、互いの芸術文化を尊敬しあい、互いの国を親しく思うことがなければできない。

現代美術とは何か。

現代における美術という意味で考えてしまっては、あまりにもつまらない。

あえて現代美術という言葉を使う必要がない。

現代美術とは、「現代」、言い換えれば「今」の空気を感じさせるものでなければならない。

「今」が孕んでいる問題、社会認識、社会的価値を共有できるものでなければならないと考える。

 

 

24. 3月 2019 · March 23, 2019 * 三重県津市で高北幸矢個展開催。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

高北幸矢 板絵・版画展「陰花/陽花」

3/20(水)~3/24(日) 10:00~18:00 最終日は17:00まで

三重画廊(津市中央18ー19三重額縁ビル3F)

 

津市での個展は、大学4年の時に卒業記念個展を開催して以来6回目。

近年は5年に一度を続けている。

今回の個展では、この一年集中的に制作している板絵とこれまでのシルクスクリーン版画、木版画の花の作品を展示。展覧会タイトルは「陰花/陽花」。

花を「陽花」とするのは自然なことだが、「陰花」に目を向けるのが狙い。

人に愛でられるのではなく、ひっそりと咲いている花。

私は特に落花の椿にそれを象徴させている。

 

 

 

31. 10月 2018 · October 30, 2018* 全国美術館会議機関誌”ZENBI”にレポート はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

全国美術館会議(1952年に設立され、現在、正会員:388館〈国立9館、公立246館、私立133館〉、個人会員:15名、賛助会員:54団体で構成)が発行している機関誌“ZENBI”に東海ブロックとしてレポートを投稿しました。

「休館が続く中、際立つ企画展」と題し、このところ東海三県で多くなっている耐震補強に、老朽化にともなう補修、施設充実による長期休館の美術館の現状と、その中でも際立つユニークな企画展を報告。

一方で、名古屋ボストン美術館の閉館と横山美術館の開館も特筆すべきこととして、加えた。

21. 9月 2018 · September 21, 2018* 清須市はるひ絵画トリエンナーレグランプリ受賞作家の活躍。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

「森川美紀展ー昼の月、夜の月ー」が、西尾市のイナガキ・コスミック・ギャラリーで11月30日まで開催中。森川さんは、第3回夢広場はるひ絵画ビエンナーレグランプリ受賞作家で、その後の絶え間ない活躍は多くの人の知るところである。

今では日本有数の絵画コンクールとして知られるようになった清須市はるひ絵画トリエンナーレであるが、その要因は回を重ねる事による信用とトリエンナーレ入賞、入選者の活躍による。とりわけグランプリ受賞者の活躍は、多くの人の注目するところである。

この度の森川の個展は、新作と近年の代表作を並べた大作を主としたもので、危うい記憶の断片がうつろう風景となって描かれている。

 

 

21. 8月 2018 · August 21, 2018* 超絶技巧という表現、作家の想いはどこにあるのか。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

岐阜県現代陶芸美術館で8月26日まで開催中の「驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ」を観てきた。

圧倒的な超絶技巧に眼を奪われるばかりの展覧会。

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入館いきなり安藤緑山の《胡瓜》。息を呑む技巧、畑から持ち帰ったばかりの鮮度が表現されている。彫刻としての構成力も見事である。

現代アートでは、髙橋賢悟の《origin as a human》、鈴木祥太の《綿毛蒲公英》、前原冬樹の有刺鉄線が技巧+αが魅力的だった。

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ところで、こういった超絶技巧表現というのは、その技巧に眼を奪われて作者の想いはどこにあるのか、見失いがちだ。

作者もまた超絶技巧を見せることが目的化している作品もある。それはそれでいいではないか、という考えもある。

想いと表現が高い次元で一つになることはとても難しいことだ。

ちなみに超絶技巧作家というのは男性が圧倒的に多いというのもおもしろい。

 

15. 8月 2018 · August 15, 2018* 元永定正とレイモン・サヴィニャック、ユーモアでつながる不思議。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

三重県立美術館で開催中の「サヴィニャック展」に行ってきたことは先に述べた。

展覧会を見終えて中庭をぼんやりと眺めているとそこに元永定正の彫刻があった。美術館には多分以前からあったに違いない。

見つけられたのは意識の違い、清須市はるひ美術館で「元永定正展」を開催中なので美意識がそこに広がっている。

また「サヴィニャック展」を観たあとはユーモアセンスが広がっている。感覚とはそういうものだ。

今週末18日の土曜日には館長アートトークでサヴィニャックを取り上げる。

今その準備中であるが、デザインの巨人亀倉雄策がアートディレクションした「クリエイション全20巻」の第2巻に元永定正の次にサヴィニャックが紹介されている。偶然とは思えない。

ポスターデザインで活躍したフランスのサヴィニャックと現代美術で活躍した日本の元永定正、二人の交流はないが、共通するビジョンに注目しながら館長アートトークを行いたいと思う。

   

28. 6月 2017 · June 28, 2017* 昔はピンクなんて言わずに「ももいろ」と呼んでいた。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

クレパスは「ももいろ」だった。なぜ「ももいろ」は使われなくなったんだろう。英語が氾濫したということもある。しかし、青い、赤い、黒い、白いなど形容詞になる基本の色は、英語化の頻度は低い。多くの色の中で、「ももいろ」の発音は重くて籠る。「ピンク」は弾ける発音で、耳障りが良い。かわいい色のNo.1とピンクの発音のかわいさが、ピッタリきている。

一方で、桃色は桃の花の色(桜色も桜の花の色)というように、具体的な色を表している。ピンクは赤と白の間の幅広い色として呼ぶことができるので、とても使い勝手が良い。幅広いピンクのイメージを限定するためには、コーラル(珊瑚)ピンク、サーモン(鮭)ピンク、チェリー(桜)ピンク、そのほかベビーピンク、ショッキングピンク、ダスティ(濁った)ピンクがある。

残念ながら、日本色名に幅広いピンクに該当するものがない。

(絵:サノエミコ)

 

 

21. 6月 2017 · June 21, 2017* 人は言葉で深く考える、考える力は品格と生きる力を生む。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

6月18日(日)中部ペンクラブ主催による辻原登公開文学講演会が開かれ、聴講した。幅広い博学の中から「文学とは何か」「文学の責任とは何か」を語られた。講演を聴いて考えたこと。

最近の国会を見ていると、言葉の使われ方が異常に乱れている。質問と答弁が呼応していないばかりではなく、文脈が成り立っていない、言葉の使い方が間違っている、更には読めない。国会発言で読めないというのは、発言内容が自作ではないということの暴露で、そういうところからも品格の無さが露呈する。

長く美術教育の職にあったが、学生たちが絵のタイトルを「無題」ときどることが増えてきた。理由を問えば「私の想いは言葉にできるものではないから絵を描いている。題に惑わされて絵を見てほしくない」という。一見もっともらしい。しかし、そういう学生の多くは何を描きたいか追求することが甘く、題を考えることを面倒くさいと思っている。そこに都合の良い言い訳がある。

世の中の多くの人が深く考えることを避けるようになったと思う。考えるとは数式を解くときに考えるということを指すのではなく、人生のこと、社会のことについて考えることである。人間関係で悩み、苦しみ、憤る、不条理に怒り、心の悼みに寄り添う。

考えることは、人としてあるべき姿を自らに求めるものであり、そこから品格は生まれる。「無題」と題された絵は、考えませんでしたという絵があって、考えていない絵はつまらない。一方で熟考の末にある「無題」は、恐ろしい。

多くの絵は題と共に合って、一体化したものである。

ムンクの「叫び」は叫ばなくてはならない観る者への呼び醒ましがある。あの絵が「無題」であったら、こんなに多くの人の共感を得ただろうか。

 

16. 6月 2017 · June 16, 2017* 負のデザインが、デザインに活力を与える。 はコメントを受け付けていません。 · Categories: 未分類

6月15日午後、愛知県立芸術大学で特別講義、テーマは「負のデザイン」。

デザインの殆どは正のデザイン、それはデザインが社会とともにあるからである。社会的であるとは「清く、正しく、明るく、美しく、楽しく・・・」が求められる大量に生まれるデザインにおいてはあくまで社会に了解を得なければならない。

そんなデザインはどこか虚偽性を孕んでいて、表層的でもある。なんだか嘘くさい。

「負のデザイン」は危ういが生きることの本音を捕まえていて、多くのデザインに活力を与えて来た。