『神坂雪佳の世界 琳派からモダンデザインへの架け橋』榊原吉郎・解説(平凡社、2008年)
神坂雪佳は、なぜこれほど知名度が低いのか。雪佳を知る人には、「大好き」の声が帰ってくる。本著を読めば「なるほど、そういうことか」と判る。美術家の場合、図書館に行ってみればその人気は一目瞭然。ゴッホやピカソ、北斎や光琳、最近では若冲の画集や解説著述がずらりと並んでいる。そんな中、雪佳は見つからない。あるにはあるが、薄い、小さい。つまり、評価が低い。出版社も美術史家、評論家も高い評価の人気作家になびく。
雪佳は間違いなく琳派の作家であって、琳派の人気から外れるものではない。絵も素晴らしい。ではなぜなのか。文中に竹内栖鳳と並べて比較の論述がある。栖鳳と雪佳は共に京都画壇、同時代を過ごし応挙の流れを汲む学びから始まっている。二人が道を異にするのは、栖鳳が近代日本の芸術をめざし、雪佳が琳派をめざすことにある。
雪佳のめざした琳派は、光琳がそうであったように京の生活の場にある御道具に優れたものを作ることにあった。硯箱や茶碗はもちろん、お軸も襖も絵は道具に描かれているものである。この日常の場に生きて、京の旦那衆から支えられた。西洋からの芸術の中心に向かった栖鳳は、日本芸術院会員となり、文化勲章を授与された。
琳派を理解するにあたって、私達は御道具(現代では工芸)としての価値よりもそこに描かれた絵に評価が行き過ぎではないか。それは現代において、工芸よりも美術の方を価値が高いと見る西洋文化の受け入れであって、そこに矛盾が起きている。
江戸琳派の立役者となった酒井抱一の、光琳に対する高い評価も絵に向かいすぎたところがある。江戸の絵師抱一としては、琳派への憧憬は素晴らしいものであったが、京の「絵かきはん」雪佳は、琳派のすべての仕事である御道具に傾倒した。京という暮らしの中で琳派を継承した。
琳派とは何か、雪佳を通してあらためて学ぶことが多かった。