26. 9月 2024 · September 26, 2024* Art Book for Stay Home / no.150 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『町の景観 消えるデザイン』高北幸矢(ゆいぽおと、2023年)

コロナ禍の2020年4月より始まったアートブックを紹介するシリーズは、4年半を過ぎ、no.150となった。少しだけ記念の意味を含めて拙書の紹介とさせていただく。本著は『季刊C&D』(名古屋CDフォーラム発行)119号(1999年)から156号(2011年)に寄稿したものを再考、追加したものである。

「町の景観」という言葉は、わたしの造語で、1980年頃より使われ始めた行政用語としての「都市景観」が一般的である。都市景観は、道路や建築物などの人工的な構造物と、山や河川、海浜などの自然的な要素から構成され、地域の歴史や文化、市民の暮らしなどが反映される魅力的な風景を指すものである。しかし、国の政策をはじめ大都市自治体(横浜、神戸、名古屋、福岡など)がリードをして推進した結果、それは「美的都市計画」あるいは「都市美」のような概念となっていった。「都市景観」が大都市、中でも中心核地区を示したものではなく、私たちの住む町、地域の景観を考えるものとして捉えたのが「町の景観」である。

私は、景観を研究、デザインするという立場で、国内外470の市町村をフィールドワークして回った。また多くの自治体から景観形成のためのプロジェクトに協力を求められ、実践した経験を元に本著執筆の運びとなった。

「消えるデザイン」のコンセプトは「デザインが目立つもの、華やかのもの」という誤った一般認識を否定すべく、あえて逆説的に定義したものである。特に日本の町におけるデザインは、「目立つもの、華やかのもの」が景観を壊している。日本人の多くが「便利なもの」「派手なもの」「かわいいもの」に振り回されて、町の景観を醜いものにしてしまった。そのような中で「消えるデザイン」は、人々が気づきにくい優れたデザインを取り上げ、解説を行ったものである。外国のものに優れたものが多いが、極力日本の例を取り上げて、「町の景観」を身近なものとして考える気づきとした。

174全ページカラーとし、自らの撮影200点の参考写真を掲載し理解を深めやすいものとしている。

12. 9月 2024 · September 12, 2024* Art Book for Stay Home / no.149 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『一〇〇米の観光——情報デザインの発想法』田名網敬一+稲田雅子(筑摩書房、1996年)

来週、本美術館の館長アートトークで田名網敬一を取り上げる。というので本著を再読した。以前読んだのは発刊当初であるので、30年近く過ぎている。その間に著者の個展は30数回、画集は20冊を超える。しかし、著書は共著のこの一冊のみである。

私は著者と30年ほど交友関係にあり、著作が少ないのは解る気がする。つまり、作品制作が楽しく、忙しく、圧倒的な時間を制作に奪われてきたのだろう。そういう意味でも本著は田名網敬一を知る上で貴重な一冊である。

さて本著は、著者が請われて京都造形芸術大学(現京都芸術大学)教授として指導に当たった際のカリキュラムがベースになっている。それは著者自身の創作のための発想の源であり、「田名網敬一の創作作法」とも読めるものである。発想の源は、少年時代の記憶であり、夢であり、思い出である。互いにコラージュされ再構成されたものが作品として溢れ出す。具体的な手法として、『記憶』を記録、採集する作業を紹介している。毎日決まった時間、決まった場所で、自分の過去と対峙する。個室にこもり、午後8時から12時まで瞑想状態に自分を置き、これまで埋もれていた記憶を掘り出している。その数は5000枚を超えようとしている。これを「記憶をたどる旅」と名づけている。

アーティストにとって、表現技術は学ぶことができ、訓練することはできる。しかし創造に関しては、学ぶことも訓練することもできない。指導者としては、「私はこうして創造している」とその姿を見せるだけである。

現在、国立新美術館で開催中の「田名網敬一 記憶の冒険」では、無数の作品群が展示されている、その物理的制作時間の脅威にさらされるが、むしろ枯れることのない創作の泉に私は打ちのめされてしまった。

なお本著はすべて田名網敬一の「私」の一人称で書き進められており、共著者の姿が見えない。田名網は、稲田とコラボレーションしたと紹介している。著作が面倒な著者は、調査、執筆、構成のすべてを託したと思われる。その上で稲田の存在が感じられないのは、完璧な仕事をこなした証だと思われる。