25. 8月 2024 · August 25, 2024* Art Book for Stay Home / no.148 はコメントを受け付けていません · Categories: 未分類

『エロスの解剖』澁澤龍彦(河出書房新社、1990年)

『エロスの解剖』、なんて魅力的な書名だろう。ことさら画家や彫刻家、文学者にとっては思わず手に取りたくなるテーマである。まして著者が澁澤龍彦である。私は本著を25年ほど前に読んだ、40代という充実の年齢であった。

創造に関わる者にとってエロスは魅力的なテーマである。発想において大きな鍵になるが鑑賞者にとっても間違いなく鍵になる。そして著者はこの魅力的な素材を曖昧にはしない。目次は「女神の帯」「オルガスムス」「性」「コンプレックス」「近親相姦」「愛」「屍体」「サド=マゾ」「ホモ」「乳房」「エロティック図書館」「玩具」の文字が躍る。私はこの本(文庫本)を主に電車の中で読んだ。もちろん書店カバーなど掛けない。本文にも取り上げられている《ガブリエル・デストレと公妃ヴィラール(部分)》のエロティックで美しい表紙を隠すことは、美術に携わる者として許されないことだ。それは一人自室で読むことと同じエロスに惑わされることになるからだ。

さすが澁澤龍彦、美術と文学におけるエロスの解剖が見事である。ちなみに音楽におけるエロスは登場しない。音楽におけるエロスというものは存在しないのか。そうではないだろう。ただ美術と文学(特に詩)においては、圧倒的な解剖材料が多いことによるに違いない。著者がそこに生息しているからとも言えるだろう。

本文を詳しく紹介したいが、そこは意図するところではない。一つだけ、世界各地のエロチック書籍を集めた書庫、図書館の名前が記載されているので紹介したい。「地獄」「秘密」「桃色ケース」「桜んぼの戸棚」「地獄の穴」「デルタ」「宝物庫」「檻」、これが国会図書館や病院などにある、もちろん鍵付きの書庫である。エロスがいかに創造性を刺激するものか、この名前だけでも判るだろう。

12. 8月 2024 · August 12, 2024* Art Book for Stay Home / no.147 はコメントを受け付けていません · Categories: 日記

『アメリカ美術と国吉康雄 開拓者の軌跡』山口泰二(日本放送出版協会、2004年)

アメリカにおいて、最も高い評価を受けた日本人画家国吉康雄がなぜ日本でこうも人気がないのか。私自身も国吉の位置づけを低いままにして、本棚の『国吉康雄展』図録をほとんど開くことがなかった。なぜ人気がないのかを知ることのできる書である。

まず時代である。1889年(明治22年)生まれの国吉は、日本で美術を学ぶという環境がまだまだ困難な時代であった。東京藝術大学の前身、東京美術学校が設立されたのが1888年で、岡山で生まれた国吉にそのような機会は無く、アメリカに渡るのは、美術が目的ではなく、輝かしい未来を持つとされるアメリカに夢を持ってのことであった。現実は誠に厳しく、美術の才が認められアメリカのトップの画家として評価されるに至るが、アメリカ美術そのものがまだまだ未熟であり、当時はパリを中心とするヨーロッパが世界の美術の中心であった。さらに国吉はアメリカ国籍を持たない日本移民者であった。

文化の浅いアメリカの層が厚くなっていくのは、ナチスドイツがヨーロッパでユダヤ人を主に迫害を加えていったことが一つのきっかけで、多くの美術家がアメリカに亡命したことによる。そのような中で、日本による真珠湾攻撃から始まった第二次世界戦争は、日本人移民に強く迫害を与えるものであった。アメリカ美術界の代表でもあった国吉は、日本のファシズムに意義を唱え、アメリカこそが民主主義の国であることを訴え続けるのである。日本においての画家たちは、従軍画家となったり、戦意高揚の絵を描き日本の侵略戦争に協力の立場を取っていた、あるいは取らされていた。

国吉のこの行動は、アメリカ人としてのもので、日本においては全く否定されるものであった。画家国吉は、日本美術史の系譜から離れたまま戦後を迎える。やがてアメリカは現代美術を核として世界の美術の中心になっていくが、1953年国吉はアメリカ国籍を得ぬままアメリカで帰らぬ人となった。アメリカにおける国吉の画家としての評価は圧倒的な高さのままであるが、日本においては美術史外に置かれたままであると言えよう。

付け加えるならば、国吉の多くの絵はアメリカの精神、プロパガンダを含む政治的なものであったことは、美術史が様式や手法の新しさに偏重する中で、大変困難な要因であると思われる。