『幸田文の簞笥の引き出し』青木玉(新潮社、1995年)
文筆家幸田文との着物の暮らしを、その娘青木玉の描いたエッセイである。描くということばが浮かんでくるほど美しい風景を彩る著書である。着物の話のどこがアートなのかとお考えの人も多いだろう。美術館で着物や能衣裳などの展示をご覧になられた経験をお持ちの方も多いと思われるが、着物大好きな私は、美術館で着物を観ることは嫌いである。美術館で観る着物は、織りであり、染めであり模様である。それは布地としての文化ではあるが、着物の文化ではない。
「用の美」という視点をとても大切に思う。私がデザイナーとして長く過ごしてきたことにもよるが、用を目的として作られたものが、用を外して鑑賞したのではそのものの魅了は見えてこない。解らないといって良いだろう。着物に限ったことはない、例えば美術館でよく見る抹茶茶碗、決して観るものではなく、使うものである。手で持ってその膚合や重量感、手でみる形、お茶を飲む時に嗅ぐ香のための茶碗の姿、飲むときの唇の触感、その全てが総合的に愉しまれて茶碗の鑑賞がある。ガラスケースを通してみてどれほどの感動もない。
さて本著、生涯を殆ど着物で過ごした幸田文、戦火を越えてたった一枚の着物の日を過ごし、文筆家として仕事着であった着物、冠婚葬祭や晴れの場での着物、娘青木玉に厳しい美意識を伝えながら、そこにあるのは常にどこでどう着て、どう振舞いがあるべきなのか、全て用としての着物であり、用としての美である。日常、非日常を行き来しながら、着物の美しさとはこういうものかと知る著である。
最後に、玉が文の最後に用意する着物の話は、胸を切り裂くような文で綴られる。深く眠り続ける母への愛と感謝の時、死出という最後の用の美をこの上もなく美しく描く。