私が生物をテーマに創作をするようになって25年、やがて植物に絞られ、花になり、この3年は、椿に執着している。特に薮椿が好きだが、椿と聞けば心が落ち着かなくなるほど虜になっている。
4月にもなると椿の季節もあと僅か、惜しむように毎日スケッチに追われている。この命を、この切ない美しさを描き留めたいと心がはやる。椿を作品のモチーフとしてからは、「我が庭の椿を差し上げます、どうぞ自由にお持ち下さい」という嬉しい声もいただく。
スケッチは、人物や風景などを大まかに描写すること。写生、素描とも言う。スケッチした画をスケッチ画という。しかしスケッチは、本来スケッチ画のために描くのではない。造形表現のための基本的な作業で、造形訓練としても行われる。本来スケッチそのものが目的ではない。
大画家の展覧会に行くと、スケッチが展示されていることがある。絵画を制作するために必要な作業であることが、一目瞭然である。描きたいものがあるからスケッチが行われるのである。スケッチにその執念のようなものが見て取れる。
描きたい風景がある、スケッチするには時間がかかる。多くは写真を撮って済ませる。私にもその経験がある。しかし、写真はスケッチの代わりにはならない。スケッチで最も大切なことは、興味の惹かれた対象物をしっかりと眺めることにある。写真のシャッタースピードは、1秒にも満たない。
私が椿を描く時は30分から1時間、つまりその時間中、椿を眺めつづけるのである。色、形、匂い、命の姿を記憶に刻み込んで行く時間なのだ。だから作品制作のときに、そのことが鮮やかに甦ってくるのである。それが創作の源となる力である。