『近世人物夜話』森銑三(講談社学術文庫、1989年)
Art Bookは、コロナ禍の中で読書量が増えているということを聞き、「そうだ私の読んだ良質のアートの本を紹介しよう」というのがきっかけである。ただし、画集と技法書はArt Bookから外す。前者は紹介するまでもなく、後者は特定の制作者向けである。
その上で「近世人物夜話」は少し迷った。本著は、秀吉から辰五郎まで43編、各職種、各方面の人物を取り上げて大変興味深い。取り上げられているのは武士、役人、学者、芸人、職人、文筆家、絵師と領域は広い。Art Bookにふさわしい望月玉蟾(玉泉)、渡辺崋山、椿椿山、さらに文芸として大田南畝、山東京伝、井原西鶴、平賀源内などが取り上げられており、文中には喜多川歌麿、谷文晁、野口幽谷、蔦屋重三郎など登場しているが、私が本著を紹介するのはそこではない。著者森銑三の優れた思考であり、芸術文化をも含む上での近世史学者としての魅力である。
例えば、歴史的重要人物の手紙について、「開運!なんでも鑑定団」では、真筆かどうかを問い、それが本人のものでないと判断されると偽物、無価値という判断がされる。しかし著者は、それが本人の書でなくて誰かが写したものであったとしても、手紙文の内容の価値は別途検討されなければならないとしている。本物の手紙を誰かが重要なものとし内容を書き写したものとして、後日別人が本人のものとして贋作商売を行っている可能性があるからである。複写という手段がなかった時代における後世への伝達方法として一般に行われていたからである。
また坂田藤十郎は「私はいつもあなたをお手本として舞台に立っている」という後輩の役者たちに向かって、「それは良くない心懸です。私を手本となすったら、結局私以上には出ますまい、今少し工夫をなさるのがよろしい」といった。藤十郎を志さずに、藤十郎の志ざすところを志しなさい、という深い教えであった。
自らの志す領域において、基本勤勉である。しかし隣の領域に対してはいかがなものだろうか。音楽家が美術展を殆ど観ない。美術家は演奏会に殆ど行かない。音楽家や美術家は文学に親しんでいるだろうか。自らの反省を含めて「近世人物夜話」をArt Bookとして紹介したいと思った。