企画展「はるひ絵画公募展アーカイブ1999―2021 絵描きとともに」では、当館の開館とともにスタートし、第10回(2021年)をもって休止となったはるひ絵画公募展に関する作品や資料をご紹介しています。
1月18日(土)に開催したギャラリートークでは、第3回夢広場はるひ絵画ビエンナーレ(2003年)の大賞受賞作家・森川美紀さんをお招きしました。長年「旅」をテーマに絵画制作をされているという森川さん。トークでは受賞時のことや制作にまつわるエピソードをお聞きしました。
聞き手は当館の高北幸矢館長です。
今回のブログではトークの様子を一部ご紹介します。
森川美紀(もりかわ みき)
1963年愛知県生まれ、1988年愛知県立芸術大学卒業、1990年愛知県立芸術大学大学院修了。第3回夢広場はるひ絵画ビエンナーレ(2003年)大賞受賞。
はるひ絵画公募展では、第1回(1999年)に入選、第2回(2001年)に奨励賞も受賞した。
高北:そもそも「旅」をテーマにしたきかっけは?
森川:1995年にネパールを旅した時、日本から援助に行っている救急車だったと思うのですが、ふと(車体を)見たら「名古屋市消防局」の文字が見えたんです。ネパールの深い山の中にいるのに名古屋という地元を突き付けられて、自分がどこにいるのか分からなくなる不思議な感覚を受けました。逆に、名古屋の街中でスパイスの香りやエンジンオイルの香りがしてふとネパールのことを思い出すこともあり、見たことのある遠く離れた街の風景が自分の中にやってくるような、自分の中がブレるような感覚が面白いと思ったことが、旅を制作のテーマにしたきっかけでした。

森川美紀《Jiufeng》2002年 油彩、綿布 清須市はるひ美術館蔵
森川:大賞作《Jiufeng》は台湾の九份(キュウフン)を題材に描いてはいますが、観る人は「家だな」「階段だな」というところから、ふわふわっと絵の中に迷い込んでいただけるようにと思って描いていました。
また、今日は(イベントのために)新作を持ってきました。これもテーマは旅で、具体的には南インドで見た船です。昔は穀物を運ぶためだったものが今は観光に使われています。いろいろなかたちがあり、この船を見た時は不思議で幻想的な感じがかっこよくてそのまま作品に取り入れたいなと思ったのですが、あまりにも素敵で…10年くらいたって今やっと取り入れられるようになりました。

森川美紀《幽霊船》2024年 油彩、綿布
森川:大賞を受賞した当時との違いとして、最近は記憶の層について考えるようになったと思います。誰でも時間の層があると思います。10年前のことが(記憶の層の)手前に出てくることもあるし、昨日のことでも忘れてしまうこともある。そういった前後関係がおかしくなるような空間で絵の中に迷い込むような感覚を持たせるように描いています。
例えば、南インドへ行った時のことを、昨日思い出す、1カ月前に思い出す、1年前に思い出す、何度も思い出すことで記憶の層ができて、自分という人間ができている。
高北:(旅先の)現地で描いているわけでもないし、写真を撮ったりスケッチをしてそれをそのまま描いているわけでもない。時間的な距離がある状態ですね。
森川:はい。むしろ、最近のことよりも10年前のことの方が絵にしやすいです。
高北:それだけ自分の中にあるイメージが豊かになっているとも言えますね。
森川:そうですね。事実よりも自分の中に残っているイメージを重視しています。時間の前後の整合性も合わなかったりするのですが、自分が持っている印象に集約されているという感じです。
自分は子どもの頃からとても記憶力が弱いのですが、そのことで、記憶に支配されずに感覚を優先することができるのかなと思います。ずっと覚えていることは自分にとって大切なことなのかなとも思うので、それを掘り起こすような気持ちで作品をつくっていると言えるのかもしれません。
受賞作《Jiufeng》では、赤い絵具の部分は実は影を表しています。面と線をぶつかり合わせることで絵画的な空間がつくれないかとこの頃は考えていました。新作《幽霊船》では、前後関係を曖昧にさせながら、より画面作りを複雑にする方向へ向かっています。制作の中で自分の興味ややりたいことは変わっていないと思いますが、こうして比べてみるとずいぶん変わって来たなと思いました。受賞作は以前に他の展覧会でお借りしたことがあり*、観るのはその時以来になりますが印象はずいぶん変わりました。
*「クインテットー五つ星の作家たち」(損保ジャパン東郷青児美術館/2014年)に森川さんが参加した際に出品。

中央:森川美紀さん
高北:森川さんは自分の中の描きたいイメージがはっきりされているように思いますが、技法的なことが邪魔したり、逆に進化したりといったことはあまり気にしないですか?
森川:この2点を比べると大きく離れているように見えますが、この間にも作品があり、それを追っていくと自分の中では変化していない、技法的にも連続性があるように思います。ただ、(キャンバスの)下地作りは変わっていないです。綿布にドーサ液を塗って油彩で描く方法を取っています。もともと紙に描いた時の滲む感じが好きで、それをタブローでできないかと試行錯誤した方法です。
絵具は市販のチューブ絵具ではなく、瀬戸の画材屋さんで陶器用の顔料を買ってきてオイルで練って使っています。この顔料は細かい粒子と粗い粒子が交じっていて、《Jiufeng》のように滲ませると、細かい粒子は広がり、粗い粒子は手前で留まるんです。

《Jiufeng》(部分)
高北:気になったのが、あまり多くの人が行かない、かわったところへ旅に行っていますよね。
森川:ネパールが好きで、ヒマラヤ山脈へトレッキングに行ったり、中学生の頃から憧れていました。
高北:あの風景を描きたいからその場所へ行く、ということではないですか?
森川:一度、ヒマラヤ山脈の標高5000mくらいのところで水彩色鉛筆と水筆を使ってスケッチしようとしたことがあったのですが、水筆の水が凍って描けなかったことがありました。そのことに限らず、描くためにその場所へ行くというのは、自分には不正直なように感じてしまうんです。
高北:森川さんの風景と絵の関係は、ある意味逆転している。多くの人は描きたいものを取材して描くと思います。でも、なぜ絵を描くのかということを考えると、自分の中にある記憶の層から描きたいものを引っ張り出してくることが絵を描く素直な気持ちですよね。描く前提で取材すると、その風景との関係性や、取れ高が気になってしまうこともある。自分の生きてきた中で描きたい記憶を描く、むしろそちらの方が大事なように思います。なかなかそうはいかないですが…。

聞き手:高北幸矢
森川:つい色気が出て(制作のための取材で)面白そうな場所を訪れることもありますが、いつでも旅する事だけが主役でありたいなと思っています。
高北:例えば、(イタリアの)ヴェネツィアに住んでいる人がヴェネツィアの風景を描いてもそれは旅の風景ではない。森川さんの場合は「旅」が重要で、住んでいるところから出掛けていった距離感があるわけですね。
森川:その距離感がとても大切です。それは作品を展示する時にも考えています。例えば、今後大きな作品と小さな作品を並べて展示して(相互の)画面上での距離感についても考えてみたいと思っています。
高北:ここまで、ネパールと南インドが出ましたが、他にも訪れた場所はありますか?
森川:最近はウズベキスタンに行きました。ただ、その時は(団体行動主体の旅行で)なかなか自由に出かけられなくて…。やっぱり自分で段取りして、道に迷ったりいろいろな失敗をするのが自分の旅だなと。とても面白い場所だったので、またゆっくり行きたいなと思います。
他は、ベトナムや東南アジアが好きですね。台湾も何度も行っています。整えられた場所よりも、アジアのように混沌とした場所が好きですね。インドは学生の時に一度行って、その時は強烈な環境に疲れ果てて帰ってきましたが、それから20年後くらいに南インドに行って、自分も大人になったし土地柄もよかったので、皆さんにもお勧めしたい場所です。

森川美紀さん
高北:何かの思想や精神がなくても、絵を描くことが楽しいというのが一番のエネルギーになるわけですが、いざ描く時に、もうひとつ自分の中で高邁さを積み上げたいと思う。じゃあ何を描くかは技術の高さとは違う話になってくる。自分が教員をやっていた時に、いくら描く技術が高くても何を描いていいか分からないと苦しむ学生を多く見てきました。森川さんはその辺りで迷うことはありませんでしたか?
森川:学生の頃は色々な作家の影響を受けることもありましたが、それではダメだと思って、自分が好きなことを考えた時にやっぱり旅だなと。最初はネパールの風景を取り入れてみようと思い、でも風景を描くだけでは能が無いので、私の視点はどこにあるのだろうと考えました。ネパールの首都カトマンズでは、4階建くらいの割と背の高い古い木造建築が多いのですが、建物の間から見えた空に注目した時、建物と空に地と図が逆転する見方が生まれました。
私は写真を見て描くので、例えば《Jiufeng》で描いている家などは現実にあったものです。しかし、数年後に再び同じ場所を訪れたらその家が無かったということがあったんですね。私の作品の中にはずっとあるのに現実にはもうない、その不思議な無常感というか、あった時、なくなった時の距離感も感じて、そこにも「旅」というテーマの面白さがあるのかなと思います。
料理家の土井善晴さんが「探し味」という、食べる人が自分で味を探すということをおっしゃっているのですが、絵画や美術作品も同じだと思います。同じ作品を観ていても一人ひとり違う造形を思い浮かべながら、作品と鑑賞者の関係が繋がっていくといいなと考えています。

ギャラリートークの様子
高北:これからの制作や活動は何か考えていますか?
森川:コロナ禍以降のんびりした旅ができていないので、気持ちを新たにできるような旅をしたいですね。あと、作品の方は最近手数が多すぎるなと自分で思っているので、初心に帰って手数を減らしていく方向にできたらいいなと思っています。
高北:(《Jiufeng》は)よくここで終わらせていますよね。
森川:(この時は)思い切ってますね。
高北:この作品のように自分にとって大切な1点があるということは、制作を続けていくうえでとても重要なことだと思います。
森川:そうですね、大賞を取ったことで皆さんに知っていただけてありがたく思っていますし、その後何十年も美術の世界で生きて来れているのは幸せなことだと思っています。
<来場者からのご質問>
___森川さんの作品はこれまでも何度か拝見して、絵具の滲みがとても印象的なのですが、森川さんにとってやはり大切な表現なのでしょうか?
森川:そうですね。今はキャンバスの下地が安定して作れているのですが、それでも気候や温度・湿度に左右されやすくて、滲みがうまくいく時と、うまくいかない時があります。うまくいった時は絵具が遠くまで広がってくれた時ですね。ものごとの曖昧さ、答えの出なささといったことに対する考えを反映しているようにも思います。あと、いろいろな場面で話していることですが、作家は自分の絵を初めて観ることができないんですよね。アイデアがあって(描き出しから)ずっと付き合って完成に至るので。じゃあ自分が自分の絵を初めて観たらどう思うだろう、という疑いはずっと持っています。滲みの表現は、そういったモヤモヤした考えの反映でもあるのかもしれません。
___森川さんは(はるひ絵画公募展の)第1回で入選、第2回で奨励賞(3等)、そして第3回で大賞を受賞されていますが、それぞれ受賞時の気持ちはいかがでしたか?
森川:各回で嬉しさはありましたが、「評価していただいた」ということが自分にとっては重要だったように思います。あと、受賞をきっかけにはるひ美術館で2回個展をさせていただけたことも大きかったと思います。それで思い出しましたが、最初の個展(2000年)の時に、小さなお子さんが展示室へ入って来たのですが、その子のお母さんが「そっち行っちゃダメ!」と引き戻して帰ってしまったことがあって、でも2回目の個展(2003年)では近所の中学生がやってきて展示を見てくれたり、美術オタクのような子が遊びに来てくれたり、美術館が地域に根付いて人々の暮らしに関わっていることをとても実感しました。
森川さんの穏やかな語り口で旅のエピソードも交えつつ、制作に対する芯の強さも感じられる充実したトークとなりました。森川さん、参加してくださったみなさま、ありがとうございました。
企画展「はるひ絵画公募展アーカイブ1999―2021 絵描きとともに」は2/24(月・振休)まで開催しています。歴代の大賞作品と準大賞作品の一部を一望できる貴重な機会となっております。ぜひご覧ください。
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