03. 10月 2021 · 風景と広告の関係性を考える/表現の葛藤のなかで はコメントを受け付けていません · Categories: 展覧会

「河北秀也のiichiko design」では、会場構成に加えて映像作品でもいいちこポスターの在り方を提示しています。

担当してくださったのは映像作家の小濱史雄さん。

今回の記事では小濱さんへのインタビューをお届けします(聞き手:学芸員O)。

※なお文章ではわからなくなっておりますが小濱さんは関西弁です。脳内で変換してお読みください。

 


小濱 史雄(こはま・ふみお)

1991年大阪府出身。名古屋芸術大学卒業。情報科学芸術大学院大学(IAMAS)中退。主に風景やそれに付随するテーマをモチーフに作品制作をおこなう。場所や風景に含まれるコンテクストや記号や意味、それら風景を形作る要素に独自の解釈を取り入れ、風景を変換することを通して「見えない風景」を模索している。並行して、映像・写真・美術・おいしいお店のジャンル別リストの作成など自身の専門分野を生かした業務をおこなっている。

http://fumiokohama.com/


 

(展示映像より)

 

――普段はどんな映像作品をつくっているんですか?

プロフィールにもあるとおり、もともと自分の作品づくりのテーマとして「風景」を扱うことが多いんですね。

例えば最近だと、日々スマホなどディスプレイ画面を見続ける現代の人々は、画面を窓ととらえてその先に風景を見出しているのではという思いから、画面上の風景の象徴としてGoogle Earthのストリートビューに自身を合成してその風景と関係し合う作品をつくったりとか、風景画と現実の風景を合成した作品、いわば写真と風景の動画を物理的に組み合わせた作品など、風景の現代性への関心から一種のドキュメンタリーとして制作をしています。

現代の風景を形づくる要素のひとつが「広告」だと思います。そういう意味で今回は、風景と広告の関係性をみるというか、自身の創作ともつながるところがあって参加できてよかったと思います。

 

――「いいちこ」の広告についてはどんなイメージを持っていましたか?

ほかの広告と比べて主張の仕方が違うなということは昔から感じていました。

主張したもん勝ち!みたいな広告が多いなかで、いいちこは宣伝するべき商品がポスター全体のほんのわずかな部分にしかありません。いわば「主張しない広告」ですね。

 

――そんないいちこの広告をテーマとする展覧会に関わることになったわけですが、小濱さんへの依頼の内容について、改めて教えてください。

当初は会場構成の一部として、実際にいいちこポスターが掲示されている様子を撮影してほしいという依頼でした。単純な記録映像というか、ブツ撮り的な感じかなと思っていたんですが、進めていくうちに「もう好きに撮っていいよ」みたいな流れになっていきました(笑)。

単なるカメラマンというよりは、映像作家、アーティストとして表現してみたら、というような話になっていったんですね。

そこで難しかったのが、「いいちこ」の表現、つまり河北秀也さんの作家性に対して、自分の作家性をどこまで織り込んでいいものかということです。

 

――自主制作とは違って、美術館から委託されたクライアントワークになるわけですもんね。しかも別の作者(河北秀也)/作品(=いいちこポスター)の存在が前提としてある。ではその具体的な映像づくりについて詳しく。

ポスターが掲示される地下鉄駅のロケハン(※1)と、並行して画コンテ(※2)の作成を始めました。いいちこポスターを通して、名古屋の地下鉄を知るというか、どの駅にどのタイプの掲示板があるか言えるくらいにはなりました(笑)

(※1 ロケーション・ハンティング。実際に撮影する場所を事前に調査・下見したり、撮影アングルを検討したりする。)

(※2 映像の各カットを絵と言葉であらわした設計図のようなもの。)

普段から気になる風景の収集をしているんですけど、地下鉄ってよくわからない風景が突然現れたりするんですね。

なぜか植木鉢があってその上に花畑の写真が貼られてるとか、階段の踊り場に脈絡なくイルカの写真があったりとか。

いいちこには関係ないので映像作品にはならなかったお蔵入りカットがいっぱいあるんですけど、地下鉄にはなぜか自然の風景の写真がよく現れるので、同じく自然の写真が多いいいちこポスターをなんとかつなげられないかと考えたりもしました。

 

――作家性の問題にはどうやって折り合いをつけていったんでしょう。

最終的には河北さんと自分の表現を行ったり来たりするような形になりました。

映像の手法としてはやはりいいちこのCMを意識しています。徐々に映像が移り変わっていくフェードやスローモーションなど、いいちこのCMで使われているテクニックを多用して、オマージュというかリスペクトというか、河北さんの表現をなぞっています。

ただ内容としては普段から自分がおこなっている風景収集の延長でもあります。広告のある風景、2021年の数カ月の間に存在したその風景をアーカイブするという感覚がありました。

そこで広告の存在意義というのはとても大きくて、広告が風景を支えているともいえるし、風景が広告を支えているともいえる。いずれにしろ広告のない都市の風景というのはありえないと思います。

ただ結果的にはもう少し自分の個性を出して遊んでみてもよかったかなと思うところもあります。

 

――作品として独立したものではなく、展覧会とその会場構成の要素として組み込まれるという特殊な役割をもつ映像だったわけですが、実際に展示室に映されたものを見てどのように感じましたか?

実際に見るまでは展示室での映像がどういう風になるのか具体的にイメージできていなかったんですが、はじめは小さいほうの展示室1に映像がくるという話だったんですよね。それがB倍判ポスターが展示される展示室2に映されることになって、これは正解だったなと。

映像には駅の雑踏やホームの発車ベルの音なども入っていますが、それが地下鉄構内をイメージして構成された展示室に響き渡っているわけです。会場構成では駅構内の環境を視覚的に再現していますが、映像によって聴覚的にも影響を及ぼしていて、「おもろ~」と素直に感動しました。

今回は映像によって会場構成も変わってくるし、逆に会場構成によって映像が違うものになっていたかもしれない。美術館やそのほかの関係者との兼ね合いもあって、いろんな制約のなかで周りの様子をうかがいながらリアルタイムで調整を重ねながら作っていったという感覚で、僕としては新鮮な経験だったなと思います。

 

――難しい依頼内容のうえに、作品づくりとしては不自由さを感じることも多々あったと思います。そのような条件のなかでこちらの想像以上に示唆に富む映像をつくっていただきました。

地下鉄の駅にあるポスターという日常的な風景を映像作品として提示することで、普段は気づかないその在り方や私たちの振る舞いを客観的にとらえることができると思います。

本日はありがとうございました!

 

O

 

ミスマッチストーリィ 河北秀也のiichiko DESIGN

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https://note.com/haruhi_museum

 

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